私はかねてから「馴染みのお店」というものに対して、とても強い憧れがあった。例えば席につくだけで「いつものね」と、店員と意思疎通する感じ──いわゆる常連というやつだ。
話は変わるが、うちの近所にはパン屋さんがある。仕事帰りによくその店に立ち寄っている。私が訪れる時間帯はもう閉店間際なので、ほとんどの商品が値引きされている。だから私はついついまとめ買いしてしまう。
その日も、いつものようにパン屋へと立ち寄った。選んだラインナップは
カレーパン
バターチキンカレーパン
明太ウインナーパン
ブルーベリーデニッシュ
白桃デニッシュ
という、明らかに高カロリー帯なものであった。いつも来ているので店員さんはもはや馴染みの顏だった。だから私のこの黄金セットにも、慣れた手つきで対応してくれた。もちろん互いの名前も知らなければ、話したこともない。
値段はどれも100円(税込)まで値引きされていて、5つ合わせてもたったの500円だ。私は財布を取り出して会計をしようと思った。
その時。
店員さんは小走りで売場へ向かい、さささっとパンを袋に入れて、私の購入しようとしているパンたちのラインナップに加えた。
「サービスです^_^」
サービス、です。
私は全身に、電流が流れるような衝撃を感じた。一瞬何が起こったかわからなかったが、私は確かに今、受けたのだ。
そう、常連としてのサービスを。
もしかしたら気まぐれで、余り物をサービスしてくれたのだろうと思われるかもしれないが、断じてそれは違うと言える。
なぜならば、店員さんがサービスしてくれたピザパン──。これは、私がいつも「欲しいな~でもどうしようかな~」というような顔で覗き込んでいる商品なのだ。しかし買ったことはなかった。いつもカレーパンの魅力に負けてしまうのだ。
おそらく店員さんは、私のその姿を見ていたのだろう。私がピザパンを気にしていることを見抜いていたのだ。だから、迷いなくピザパンを私にサービスしたのだ。
このサービス、金額的には100円分のサービスをしてもらったにすぎない。例えば居酒屋でビールを1杯サービスしてもらうよりも、金額的にははるかに小さいものだ。
だが、私は店員さんの心意気と、常連として認められた、ある種、別の恍惚感により、近年稀に見るくらい満たされた気持ちになった。
本当の幸せは、そこらへんに転がっている小さなことなんだなと、私は思うようになった。人として、一段階大きくなれたような気がした。
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それからというものの、パン屋さんに行くたびに、素敵なサービスを受けるようになるのかなと思いきや、そんなことは全然なく。
私は私で、あのサービスを受けて以来、店員さんに「こんばんは」なんてなれなれしく軽口を叩くようになっているものの、サービスしてくれることは全然なく。
どうしてピザパンをくれないんだよう!と思ったところでハッとした。
サービスとは、決してこちらから求めるものではないのだということを。
私はあれ以来、どんな顔でパン屋さんに足を運んでいたのか──。かつては「カレーパンとピザパン、どっちにしようかな」と、愛くるしい困り顔をしていただろうが、今の私は、常連のような顔をして、したり顔でサービスを求めるだけの、非常に迷惑で醜い客なのではないか──。
いつの間にか、無邪気にパンを求めているだけだった私は、サービスを当然のように求めるようになっていたのだ。なんて矮小な男なんだと自らを恥じた。
私はこれからも、あのパン屋さんに行き続ける。だけどもう、サービスは受けて当然だとは思わない。ただ、いつかまたそのサービスをしてくれたら、きっと私は喜び、むせかえり、そして泣いてしまうんじゃないかと思う。