おどり炊きという言葉の魔法

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最近の炊飯器には「おどり炊き」という言葉が使われるものがある。なんともワクワクする言葉だ。「おどる」と「炊く」という、まったく関係ない言葉がつながるだけで、こんなにも魅力的になるものかと感心してしまう。

私が使っている炊飯器も「おどり炊き」が使われていて、ことあるごとに「このご飯はおどり炊きだからうまい」「コメが踊ってる感じがするよね」というようなことを言ってしまっている。

なにしろおどり炊きである。米が踊りながら炊かれているのである。それはもう美味いに決まっている。踊った米がまずいわけがない。

指先1本で炊飯ボタンを押すだけで米を踊らせることができるこの時代、米にステップの1つも踏ませてあげられなかったあの頃を思うと、なんだか感慨深くなってしまう。




──いや、私は米が踊っているところを見たことがあるのか……?


正直に言おう。

米が踊っているところを、私は見たことがない。


概念としてはわかる。炊飯器の釜の中で米が対流して、まるで踊るように炊かれることなのだろう。


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おどり炊きのイメージ図。サタデーナイトには、さらにフィーバーしたダンスが見られそうだ。


しかしやはり、私はおどり炊きを見たことがない。もし炊飯器の中で米が「踊るのダルいよね」と言ってサボったところで、私は気付かないのである。

それでも私は「おどり炊きだからウマい」「米には2通りの種類がある。踊ってる米と、そうでない米だ」ということを言うのだ。米からしたら滑稽な話である。こいつ何を言ってるんだと。

こうなってくるともはや、私とおどり炊きをつなぐのは「信頼」である。

彼はおどり炊いてる、それを私は信じよう。

よくよく考えてみると、世の中はそう言うことばかりだ。例えば「無農薬栽培野菜ですよ!」といわれても、作っているところを見ているわけではないから、我々はその言葉を信頼するしかない。

そう、世の中は信用で成り立っているのだ。

私はこの先の人生でおどり炊かれている米を見ることはないだろう。スケルトンな炊飯器なんてこの先も発売されないだろうし、出たところでそれはあまり欲しくはない。

おどり炊きと言う言葉が、私と炊飯器を信じる力で繋げてくれた──そんな気がする。

そしてここで思ったのは、おどり炊きという魔法の言葉に、私は踊らされすぎているのではないかと言うことだ。

でもそれも悪くない。男には踊るしかないときもある。踊らされるくらいなら、私は自分から踊ってやろう。


(木村食堂『ダンス・ライス・ダンス』より一部抜粋)


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