古代織産地連絡会主催の『喜如嘉の芭蕉布と日本の自然布ツアー』に参加してきました。



古来、人々は身近に生えていた草木や樹木の皮から取り出した繊維(苧麻、大麻、芭蕉、葛、科、藤、楮、等々・・)を編んだり織ったりして衣服や生活用具として使っていました。いわゆる原始布と言われるものです。(その中でも、芭蕉布・科布・葛布日本三大古代布といわれています。)
日本に養蚕技術(絹)が入ってきてもそれらは高貴な人たちのもので、庶民はずっと原始布を纏っていました。
15~16C頃(江戸時代)に木綿が栽培・普及するようになると、原始布は著しく衰退していきます。
ただ、東北や高地の寒い場所で木綿の栽培の出来ない所では、村人によって細々と伝えられてきました。

それらの産地を巡る旅、今回で4回目となります。


ピカチュウ飛行機で一路沖縄へ  那覇空港からはバスで移動(事務局の村井龍彦さん(大井川葛布)・・毎回大活躍ですニコニコ
 

まず最初は、城間びんがた工房の見学・・・
黄色の看板が印象的な三階建て。工房を囲む百数十本の福木は、戦後の焼け跡に先代の栄喜先生が紅型作家として再起の第一歩を踏み出す時に植えたもの。福木は暴風の為でもあり、紅型の黄色の染料にも使われます(but.良い染料を得るには樹齢200年くらいのものが必要なのだそうです)
 
 

城間栄順先生、後ろのポスターはお父様の栄喜先生・・・ 
紅型は18世紀・琉球王朝の頃から上流階級の衣装として発展してきた沖縄独特の染色技法です。ただ、第二次世界大戦の際に沖縄は戦地となり殆どのものを焼失してしまいます。お父様の栄喜先生は、本土に疎開する時に50枚ほどの型紙を持って行きました。そして戦後、その50枚をもとに紅型の復活に尽力します。殆ど物のない時代に、すべてを創意工夫の手作りで行っていたそうです。生きるために、食べるために・・・そして戦争で生き残った子供達を育てるために・・・(栄順先生の妹・道子さんは玉那覇有公先生の奥様です)
 


工房の一階は染めや水元、一般の方々も見学できます。三階は製図や型紙彫り型おき、筒染など根を詰める作業なので見学は出来ません。栄順先生は、いつもは3階にいて、なかなか人前には出ていらっしゃらないそうですが、この日は降りてきて、お話をなさって下さいましたニコニコ
奥様の勝美さんは、以前は喜如嘉の平良敏子先生のもとで芭蕉布を織っていらっしゃったそうです。
 

栄順先生のご長男・栄一さんが紅型の工程を解りやすく説明してくださいました。
工房ではスタッフの皆さんが、色挿し・隈取り・糊伏せ等々思い思いの作業をされていて、私達のつたない質問にもにこやかにお答えくださいました。
 

道具類は殆どが手作りです。 
(左)色挿し用の刷毛はパーマやヘアダイをしていない無垢な女性の髪の毛で作ります。用途によって太さも様々です。筒の中に10cmほど入っていて、毛先がへたってきたら、鉛筆を削るように削って行って毛先を平らにカットしながら使います。
(右)型紙彫り用カッター・・・紅型は突彫りなので刃先がカーブして鋭くなっていますね。角度も様々、自分の使いやすいように調整します。柄の部分は、な、なんと・・お箸を利用しているそうです。戦後の物のない時代の名残でしょうかあせる
 

(左)紅型は基本、顔料で染めます。一番高価なものは胡粉、次が赤系(コチニール)だそうです。
(右)顔料はその日に使う分を、その日の朝に調整します。伝統的に?この湯呑茶碗が使いやすいのだそうです。・・・けっこうたっぷりめですね目
色使いは、一作品にだいたい5~6色くらいなのだそうです・・・もっと沢山使っているように見えますね。
 


水場には長~い水槽と小ぶりの水槽が幾つも並んでいます。
 

水洗が済んで糊がすっかり落ちたら、張り手で挟んで干します。


これがステキなきものや帯になるのですねラブラブ



                 
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コメント(2)