とってもやさしい経済学

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(1)需要と供給のバランスが重要

経済がうまく廻るためには、需要と供給がバランスしている事が重要です。需要が強ければインフレになりますし、供給が多ければ売れ残って不況になるからです。

 

高度成長期、需要は無限にありました。復興需要、設備投資、に加え、所得が増えた消費者が三種の神器(洗濯機、冷蔵庫、テレビ)などを購入したからです。一方の供給も、新しい工場が建つことで急激に増加しましたが、それでも需要が超過気味でしたので、今よりも遥かに高い金利を課したりして需要を抑制し、インフレを抑え込んでいたのです。

 

その後の安定成長期には、需要が供給を若干下回る事が多くなりましたが、民間部門の供給過剰分を財政部門と輸出が吸収し、概ね需給は均衡していたと言って良いでしょう。バブル期には需要が強く、供給不足気味の経済となりましたが、それは短期的なものでした。

 

バブルが崩壊してから20年以上、日本経済は長期低迷期を経験します。財政金融政策をフル活用しても景気はそれほど回復せず、例外的な時期を除けば成長率は低く、失業が深刻な問題でした。需要が足りず、企業が物を作らなかったので失業が増え、賃金が下がりました。財やサービスの需給が緩んでいたこと、賃金コストが低下したこと、等から物価が下がる「デフレ」となりました。

 

少子高齢化により現役世代人口が減りつつある中で、アベノミクスにより景気が回復を始めると、労働力不足が問題となりました。それほど高い成長率では無いのに労働力不足が成長を制約しはじめたということで、「日本経済の供給サイドを強化しないと日本経済は成長出来ない体質になってしまったのだ」という事が認識されるようになってきました。

 

以上が「景気の予想屋」として経済を観察してきた筆者の認識です。しかし、経済学の立場からは、様々な異なった見方ができるのです。そこで、今シリーズでは、経済学の基本から始めて、需要不足と供給不足について考えてみましょう。

 

「とってもやさしい経済学」という題名を尊重して、厳密な正確さより理解しやすさを優先します。本稿によって多くの読者が経済学に親しみを感じていただければ幸いです。

 

(2)新古典派とケインジアン

経済学の祖、アダムスミスは「神の見えざる手」という言葉で、経済の問題は神様が解決するから王様は手出しすべきでない、と説きました。新古典派経済学は、その流れを汲み、失業問題も価格メカニズムが解決するので、不況や失業の対策は不要だ(むしろ有害だ)と考えています。

 

失業者が多いという事は、労働力の供給が需要を上回っているので、競争によって労働力の価格が下がり、労働力の需給が新しい賃金水準で均衡するはずだ、というわけです。

 

そこで新古典派は不況や失業を気にせず、生産者側の効率化に主な関心を向けることになります。政府の規制等々により、資源(経済学に於いては労働力や資金等、生産に必要なものを資源と呼ぶ)の配分が歪んで生産が非効率になる事を嫌うのです。

 

これに対してケインズは、賃金は下がりにくいので、労働力の需要と供給が一致するには時間がかかる。そこで政府が景気対策により失業者を減らす必要がある、と説きました。古典派の理論は基本的に正しいが、神の見えざる手の働くスピードが場合により遅いので、政府が補う必要がある、というわけです。

 

「長期的にみると、われわれはみな死んでしまう」というケインズの言葉は有名です。景気はいつか回復する、と言い続けるだけではダメだ、というわけです。

 

経済学を始めて学ぶ人の多くが困惑するのは、経済学の仮定が極端に単純化されていることです。「消費者も生産者も何でも知っていて、常に正しい判断をすると仮定すると、何が起きるのか」を考えるのが経済学の基本なのです。

 

経済は複雑すぎるので、まずは単純化した仮定を置いて考察し、少しずつ仮定を緩めていく必要がある、というわけです。ケインズは、この仮定の一部を変更し、労働者は賃金が下がる事に抵抗する。だから労働力の需給が一致せず、非自発的失業(転職のための一時的失業などではなく、本人が望まない失業)が発生する、と考えたわけです。

 

こうした考え方の違いが、低成長の原因を巡る論争にも影響します。バブル崩壊後の長期低迷の原因が需要不足にあるのか供給側にあるのか、という論争に繋がるのです。

 

(3)バブル後の長期停滞は供給側に問題があるという主張

バブル崩壊後に、日本経済は長期停滞に陥りました。需要が足りないから生産が増えず、雇用も増えず、失業が深刻化するのだ、と考える人は大勢います。しかし、供給サイドに問題があるため、労働生産性が上がらないから日本経済の成長率が低いのだ、と考える人も大勢います。

 

需要不足が低成長、低迷の理由なのであれば、これほど長期化するはずがない、というのが後者の論拠となっています。需要不足による失業問題等は、価格メカニズム(神の見えざる手)によって解決するはずなので、10年も続くはずが無い、というわけです。失業者は、最初は高賃金の仕事を探すだろうが、しばらくすれば諦めて低賃金労働に就くはずだから、失業問題が長引くはずが無い、というのです。

 

彼等は、生産者の効率化が進んでいないことが長期停滞の主因であると主張しています。TFPの成長率が大きく低下しているから経済成長率が低いのだ、というわけです。

 

TFPとは、技術進歩等が経済成長に寄与している分のことです。経済成長率は、投入した労働力の増加が寄与した分、使用された資本設備の増加が寄与した分、それ以外(技術進歩等)が寄与した分、に分解できます。最後の項目、すなわち成長率-労働増加分-資本増加分がTFPです。

 

新しい技術を使うか、効率の悪い仕事をやめて効率の良い仕事をすれば、TFPは高まるでしょう。これを反対から見ると、バブル崩壊後に新しい技術が使われておらず、効率の悪い仕事をいつまでも続けているから、TFPが高まっていないのだ、という事になります。

 

具体的には、景気対策のために巨額の公共投資をすると、労働生産性が低い建設業が大量の労働者を抱え込むことになり、日本全体としての労働生産性が下がります。また、本来は淘汰されるはずの非効率企業が生き残っていたり、終身雇用制などによって、労働力が非効率企業から効率的な企業に移動することが出来ていないため、日本全体としての労働生産性が上がらない、という事になります。規制が多すぎてイノベーションが起きにくい、という指摘もあります。

 

こうした考え方から、供給側を強化しようと考えたのが小泉構造改革でした。その内容等については次項で。

 

(4)小泉構造改革の目指したもの

2001年に就任した小泉総理は、大胆な構造改革を打ち出しました。その根本思想は、前回御紹介した「日本経済低迷の原因は供給側にある」というものでした。景気対策としての公共投資を減らす、規制で資源(労働力や資金など)が非効率な分野に滞っているのであれば、規制を緩和する、といった方針が打ち出されましたが、最大の目玉は金融機関に対して抱えている不良債権を処理させることでした。

 

不良債権の処理は、金融機関の健全性を取り戻す事が表向きの理由でしたが、本当の狙いは借金も返せないような非効率な企業を淘汰することでした。非効率な企業が淘汰されれば、抱え込まれていた労働力が効率的な企業に移動できるだろう、と考えたわけです。

 

彼等は、不景気や失業といったものに関心を持っていません。失業問題は、価格メカニズムが自然と解決してくれるので、失業対策は不要である、と考えているわけです。したがって、非効率企業を淘汰したら失業が増えて大変だ、といった批判にも耳を傾けようとしませんでした。

 

象徴的なのは、小泉首相の「改革せずに景気が先だと言って、景気が回復したら、改革する意欲がなくなってしまう」という発言です(ジェノヴァ・サミット内外記者会見、2001722日)。

 

日本経済の長期低迷の原因が需要不足にあると考える人々は、筆者を含め、非常に心配し、大いに反対しました。しかし、お互いに信じている経済学説が全く異なっているので、議論は噛み合いませんでした。人間は、知りたくないことには耳を貸さないものだ、という本(バカの壁、養老孟司東京大学名誉教授著)が丁度ベストセラーになっていて、筆者は妙に納得したのを覚えています。

 

経済学は実験室での実験が難しいので、結果がどちらに出るか注目されましたが、結果は出ませんでした。たまたま海外の景気が好調で輸出が大幅に増加し、日本の景気は回復したからです。以下は余談であり、筆者の印象ですが、小泉改革は、劇場型であって、注目を集める発言はするけれども、実際には極端な事はせず、景気にも一定の配慮をしていたようです。これも景気が底割れしなかった一因でしょう。

 

(5)需要不足が原因とする説は多様

これまで、日本経済の長期不振は供給側に問題があるという説を紹介してきましたが、まずはそれに対する経済学者の反論から御紹介しましょう。最もわかりやすいのは、「供給側に問題があるのであれば、財やサービスの需要が供給を上回るので、インフレになるはずだ」というものでしょう。

 

効率的企業に労働力需要があるなら、失業者を雇えば良いので、わざわざ公共投資を減らしたり非効率企業を淘汰して景気を悪化させる必要はない、との反論もあります。

 

需要不足による低成長が持続する可能性については、デフレスパイラルという説明がなされました。物価が下がると企業は売値が下がって苦しい分だけ給料を下げる。そうなると人々が物を買わないので需給が緩み、一層物価が下落する、というのです。理屈はその通りだと思いますが、年率0.3%程度の物価下落で、「デフレだ」というのは騒ぎ過ぎのようにも感じます。

 

余談ですが、景気の予想屋である筆者としては、失業問題が長引くことは自然だと考えています。物が売れないと企業は物を作らないので人を雇わない。すると失業が増えて失業者が物を買わないので、一層物が売れなくなる、という悪循環が永続しかねないからです。

 

問題は、なぜ需要が不足しているのか、どうすれば良いのか、という事なのですが、これに対しては様々な説があります。主なものとしては、「金融緩和が足りないから、もっと金融を緩和すべき」「財政再建を気にし過ぎて財政政策が不十分だったから、もっと財政出動すべき」というものが挙げられます。

 

バブル崩壊後は、銀行が不良債権を抱えていて貸し渋りをしているから投資が増えない、といった説もありましたが、銀行の不良債権問題が解決しても不振が続いている事を考えると、主因ではなかったようです。

 

財政赤字が大きく、老後の年金などが不安だから消費が増えない、という事も指摘されています。それは正しいと思いますが、だから増税すべき、という説は疑問です。「増税をして財政赤字が減ると年金の不安が消えて人々が消費を増やす」という「非ケインズ効果」が期待できるというのですが、景気の予想屋の常識とは相いれない気がします。

 

(つづきは下記)

http://ameblo.jp/kimiyoshi-tsukasaki/entry-12221175876.html

 

 

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