なぜ治療家になったか(その3) | 気功はまだやるな。

気功はまだやるな。

気功は特殊能力ではありません。鍛練も必要ありません。左回り渦エネルギーで「辛い。」「ついてない。」そんな深刻な悩みがたちまち解消します。

1998年9月22日、後に母に聞くとその日12時ころまで私は治療院にいたのを見ていると言うのですが、




直後に私は自分の車で放浪の旅に出ていたのです。




その時、すでに記憶はなくなっていました。病名は突発性ストレス性記憶損失症候群。





10日間の間、私は家に帰らず、郷里の群馬県内を徘徊していたようです。




ある村(日航機墜落事故があった山村の慰霊の園)の目の前にあった旅館に一泊とまって、




巨人対中日戦をみながら同席していた泊り客にマッサージをしていたことを、




後に旅館のご主人が証言してくれました。





翌朝、8時に旅館をでた私は、主人のすすめで慰霊の園にお参りに向かうことにしたようです。




そしてその後私の記憶はまったくなく、関越道の高坂サービスエリアで、




私のところによくこられていた患者さんに偶然に出会い「岩瀬先生」と声をかけられたようですが、




私は「人違いでしょう」とその場を立ち去ったそうです。




その患者さんは、私の顔があまりにも顔面蒼白だったため、心配になって妻に電話をしてくれたそうです。





それを聞いた妻は警察に通報、時間は午前9時だったそうです。




旅館からいくら飛ばしても高坂サービスエリアまでは、3時間かかる。




とすると...時空間移動・・・ありえない。





そして2回目の放浪、気がつけば埼玉県の大宮にいた。自分の車で。





このときばかりは危機感を覚えたのか、行く先々でノートにメモを残していました。




後でみておどろいたのは、大宮でメモをとった1時間後に横須賀港、




そして1時間後に茨城の古河市にとメモにはつづってありました。






・・・またもや時空間移動。





1週間迷いに迷った挙句行き場のない恐怖感に悩まされ、




ふと携帯電話を所持しているのに気づき、「岩瀬」と言う登録番号に掛けたところ、




次男がでて、「その場をはなれないで迎えに行くから」といわれ、2度目の生還です。





記憶を失った自分、何もわからない日々であっても患者さんの施療はおこなっていました。




記憶を失っても施療はおこなえる。




技術は頭でおぼえるのではなく、体で覚えるのだとまなんだことがここでいかされた気持ちでした。




まだつづく


気功!



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