きっかけバス47のブログ

全国47都道府県から東北三県へ学生2000人を連れて行きます!


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このブログは、きっかけバス47を運営している学生メンバーのブログです。
毎日更新していきますので、ぜひ読んでいただけると嬉しいです。


【きっかけバス47とは】

47都道府県の学生を東北に無料で連れて行くボランティアバスツアー。
今年の秋から来年の春までに47 都道府県の学生、合計 2,000名を集めます。
ツアーやプロモーション費用を寄付で集め、ソーシャルメディアでのプロモーションも兼ねています。

もう一度、東北のことを話すきっかけ
もう一度、ボランティアや東北に行くきっかけ
もう一度、復興に関わるきっかけ
もう一度、311の教訓を学び、つぎの防災につなげるきっかけ


復興も3年目、もう一度、東北とのきっかけを作るプロジェクトとしています。
応援よろしくお願い致します!



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きっかけバス47を応援してくださっているブログ記事一覧です!
ありがとうございます。

・KUMAさんの『GOKU-PASHA』より「ごぶさたしています&きっかけバス応援について」 (7/25)

・山崎拓巳さんの『Taku's Blog』より「先輩、私を東北に連れてって!」 (7/28)

・ともちんさんの『麻布で働くともちんのブログ』より「【きっかけバス】知ってますか???」 (7/29)

みなさまの応援、本当に励みになります!
今後とも宜しくお願い致します。
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「受け取る力、伝える力。」


きっかけバス47という、バスに乗りました。


それは、2013年、名前も決まっていないころでした。

何もかも決まっていない時でした。
日差しが照りつけた、2013年6月ごろの出来事です。


あの時、本部運営はじめ、それぞれ違う場所で、違う生活をしながらの日々でした。


「東北に、学生を連れていかないか。あの時、自分が感じたあの思いが
芽生えるような、そんなきっかけが出来ることを、一緒に作りませんか。」


その言葉が、この始まりでした。

初めて被災地に足を付けた時、津波の高さも実感がわきませんでした。涙も出ず、唖然としていました。

初めて被災地に赴いた3泊4日を終えた後、

地元の徳島に帰ってきたとき、起きては文章を書き、外に出て、夜、布団の中で気が付いたら瞼を閉じてしまうまで、4日間、必死で書いた文章は、
完結しませんでした。


たった2日間を自分で受け止めようとして、終わっていました。

あれ以上、書くことができませんでした。


その時のブログはこちら。
それから、2年経って、あふれ出た言葉に言葉を綴ったのがこちら。
(もしお時間あればお読みください。)


あの時、自分が感じた「また来たい」の思いの背景にあったのは、
気仙沼の漁港で「俺たちの魚を待っている人たちがいる。だから獲るんだ。だから働くんだ」

と、
おっしゃったあの方の「震災が起きてもなお、自分自身であることに誇り」を持って働く姿に、

私は伝えたい思いがあふれでました。


被災地に行っても、「人」として、尊敬し、「経験」として、被災した時のお話を聞きたい。

そうでないと、「被災者」として対面してしまうと、いつまでも、あの場所は被災した場所になってしまいそうでした。

友人などに、被災地の話をしても、「被災地」ではなく、
「東北=被災地」のようになってしまい、
震災がおきて3年が経過したというのに、
私の周りの友人の脳裏には3年前のあのテレビやyoutubeを通じてのあの景色がこびりついていました。

それから、復興は進んでいる。でも、まだ、必要。
これが、上手く、伝えられなくて、もどかしくて。

被災地は岩手・宮城・福島だけだったのでしょうか。

今回、栃木・茨城の子達が自分たちのところも被災したんだと伝えました。
私の茨城の友達の家はまだ傾いたままです。

伝わっていたでしょうか。
彼らが伝えるまで。

地震、津波という自然災害が引き起こした問題でも、
知らないということで、私たちが被災を増長しているんじゃないだろうか。


知らない、というだけで。

人として、場所として、日本の一部として、考えてほしい。

そのためには、自分にとって「あの人」を見つけてほしい。あの場所で。
見しらぬ人が住む世界ならば、無責任になれます。無関係にもなれます。

慣れるんです。
東北って、言葉で片付けてしまいそうになるのです。

ただ、知っている方、刺激を受けた方々が住む場所となれば、
関係は生まれ、
気になり、自分の発言に責任を持ち、日本のことだと考えれるのではないでしょうか。


もう、知らない、でいてほしくない。

聞くものだけでは無く、受動態では無く、自ら、知りたい、その気持ちで。
おこがましくも、私には見てほしいものがたくさんあったのです。

そして47都道府県を通じて、各都道府県が抱える問題を共に受け止め、
一つ一つピースが埋まるように、日本地図が心にリーダーの顔と共にでき、
日本の出来事として、一緒に向き合っていきたい。


その「きっかけ」になってほしい。



その思いで、きっかけバス47、本部運営の一人になり、そして今も続けている理由です。




(福島県の除染情報プラザにて、47都道府県のリーダーの顔写真とメッセージが掲示されています。)





「知らない」が生まれる仕組みとして、「伝え方」が問題になります。

きっかけバス47本部運営として、きっかけバス47に関わっている中で、
コミニュケーション」の難しさを感じる日々でした。
とにかく、苦しい日々でした。

伝わらない苦しさ、分からないもどかしさ、伝えたいのに、あふれ出てくる不安。

そんなものに、押しつぶされそうになる日が、声が出ずに涙が零れ落ちる日もありました。


私情ですが、私、本部運営の自己紹介でも述べているのですが、

大学が日本の大学では無く、アメリカの大学に在籍していました。
英語が話せるわけでもなく、飛び込んだ世界は華やかで人がうらやむかもしれませんが、
実は、そこで活躍するためには、英語が話せないと話にならない。
でも、相手は「何でも話してきていいよ。本当にうれしいよ。」と言っているのだけ、かろうじて聞き取れるぐらい。

話せるようになったのは、人一倍努力を部屋でしたわけでもなく、
その世界に、何も知らなくても飛び込んでいったからです。


言葉が通じなくても、自分が何が好きでをはっきりとし、言葉に依存しないこと。
相手のこと、相手の生きてきた背景を知ること。同じ世界に飛び込むこと。

私は、自分が見たもの、感じたこと、しか、信じれなくて。


言葉は文化であり、文化は言葉だと思います。

時に文化は、経験だと言葉を変えれば、経験が違えば、話題は経験に基づいたものになります。


なんでこんなことを書いたかというと、これ、ボランティアとか、こういう関係のことをしてると、
日本語なんですけど、発生していたんです。

-東日本大震災で被災地と呼ばれる場所へ何度も赴いた人。
-初めて被災地に赴く人。
-社会貢献などの活動に従事しながらも、初めて被災地に赴く人。


それぞれ、別れていくんです。グループ化してしまうんです。
まるで、海外で固まる日本人を見ているようで、もったいなくて。

だって、一緒だから固まって、違うから固まれない。ってそれ、おかしいよりも、もったいない。


ボランティア、だなんていえば、華やかでは無くとも、
尊敬されるに値するような場所みたいらしいです。
実際、高校の友達、大学の同級生から「凄いね」と何度言われたでしょう。
何をしたかなんかも聞かれず、ただ、賞賛の言葉だけが私に向かってきました。


自分が何も出来なくても、感謝されたり、温かく迎えていただいたり。
たくさんのことを語っていただきました。


そして、個人的ではありますが、自分のことも話しました。
初めて行く人にとれば、私が意見していいのかなって思うと、思うんです。

私が被災地のことを語ってもいいのかなって思うんです。

私自身が感じていました。

本部運営であるのに、私はきっかけバス47というプロジェクトに携わるまで、
被災地、むしろ、東北に赴いたことさえ、たったの一度しかありませんでした。


語るなんて、おこがましい。
「好き」だなんて、言えるほど、まだ知らない。だから言えない。

同乗したバスの一つ、青森秋田のバスでは、ひたすらそんなことを考えて、
出発前には何も話すことができないかもしれない。とびくびくしていて。

そんな思いをたくさん聞いたのが、地元徳島のバスに同乗した時でした。

「私・・初めて来るんですけど、だから、もう知ってるかもしれないんですけど」なんて心細い顔で言わないでほしい。

貴方の意見は、あなたの今まで生きてきた自分史、つまり人生あってこそなのだから、一緒の意見はないのです。

数回来たぐらいで、分かるような場所では決してないから。


大事なことは、

自分が何が好きでをはっきりとし、
その場所の経験から来る言葉に依存しないこと。
自分自身から、生まれる感情を言葉にすることで、思いはもっと、伝わっていくから。

だから、自分を大切にしてほしい。

誰かの経験を尊敬しすぎるあまり、自分を卑下する方法では誰も大切にできないから。

今目の前にいる相手のこと、そして、被災地と呼ばれる場所で生きてきた人々の背景を知ること。

初心、忘れるべからず。

自分が初めて抱いた思いを胸に、関わる全ての人に関わっていくこと。


それは、自分が決めたルールの一つでした。



本部運営をしていて、本部運営にもいろんな思いがありました。
実は、2回本気で、降りたいと思ったときがありました。

「もうやってられない。」ではなく、「もう、苦しい。辛い。嫌だ。寂しい」の気持ちでした。


その理由は、東京とアメリカ、時差を始め、距離が生んだコミニュケーション不足でした。

「東京の本部が何を考えているのか分からない」

そんな不安で信頼も出来なくなっていく思いとでも、信じたいという藁を掴むような希望。
そんな葛藤の中で諦めてしまいそうになり、降りた方が楽なんじゃないのかなって思ったりして。

その中で、助けあいジャパンの野田さん、野村さんにご相談させていただいた時、

私がその最後に得た言葉は

「自分に分かることを伝えていこう。ぶつかるんじゃなく、受けとめる、から始めよう」

この大切さでした。

「自分が感じたことを伝え、そして誰かが同じ不安を抱えたときに、支えてあげるのが仕事だよ」

その言葉がうまれたとき、

「あれ、私、学生統括の二人のこと、何にも分かってないじゃないか。」

と、

再認識して、「この人がいなくちゃいけない」って思うのなら、この人のことを信じよう。

絶対に。

どんな言い方が私に向いても。

そして、不安を抱えているリーダーを支えよう。(支えになるほど、しっかりはしてなかったと思うんですけどね。笑)


本部運営の中で、忙しさが増すにつれて、緊張感を始め、様々な思いがめぐり、
言葉から雰囲気が少しずつ荒みながら、
リーダー達の緊張、天候不順によるストレス。
各都道府県の運営事情は様々で決してすべて順調なわけではありませんでした。



どんなに言葉が厳しいものになっても
「でも、今は、悪いときで、良いときだけじゃなく、こんな時も受け止めよう。
支えよう。だって、不安なんだから。」

と一言胸に刻みました。

だって、仲間なんだから。
良いときだけが好きで、一緒にいたいと思ったわけじゃないんだから。

と。


そして、私は私でいよう。

不器用だけれでも、しなやかに、笑顔で、待っていよう。受け取ろう、と。


「相手の伝えたい」思いがどれだけ不器用であっても、

受け取り手によって、刃を尖った言葉を、研ぎ、優しいものにするのは、
受け取り側の「力」だと思いました。
もちろん、傷つかないわけではありませんでした。

でも、傷つく度に、相手の良いところを思い出し、相手の笑顔を思い出し、信じていました。
惚れたもん負けだなあって、しみじみ思う時がありました。

どんな言葉が向いても、私は支援してくださる方に伝えたいことがたくさんあります。

リーダー達にも伝えたいことがあって、また、リーダーが引っ張って来てくれた参加者学生も好きで、好きで、どんな言葉があろうとも、好きだから、受け止めたいって、そう思っています。片思いかも知れませんが。

どれだけ、苦しい思いをしようとも、私はもう、大好きになっていました。
会ったことも無い方が大半ですが。名前も覚えきれませんが。
それでも、「ああ、バスに乗ってくれて、嬉しい」という気持ちに終わりはなくて。


「伝える側」も苦しいということに対して、深く耳を傾ける必要性がある、と強く思った出来事を紹介させていただきます。


秋田の参加者の宮城出身の男の子の言葉が、忘れれないんです。

「一か月ぐらい、ライフラインが無いところで生活してて、
今ボランティア系の団体に属しているんだけど、俺、言ってもいいのかなって思うのね。
被災した、なんてさ。受け取りづらいじゃん。
目の前で被災地のためにいって意気込んでいる人の前でさ。
どう考えたって、場の空気よくはならないじゃん。「え、マジかよ・・」ってなるじゃん。
俺、そういうこと言ってもいいのかな。どう思う?」

と。

伝える側も、不安で、怖くて、悩みながら、伝えたい思いを胸に抱いていること。

彼がなぜ、そのことを私に話してくれたのか、私はまだ分かりません。
隣で笑っているのに、
やっぱり、被災を経験した、同級生で、でも友達で。

どう受け取ればいいんだろうって悩んでしまって。

彼を「被災者」として受け取るべきなのか、「友人」の「一つの体験」として、受け取るべきなのか私はまだ戸惑っています。

言葉で伝えるむずかしさ、人の気持ちが変わっていく中で、自分が経験した話を素直に話していただくこと。

経験を言葉に変換することは、簡単なことではありません。

それがどれだけ難しくて、言葉にすることで、自分の感情と向き合い、迷い、
それでも言葉にするむずかしさを、同級生が隣で悩んでいることで、

改めて、語り続ける語り部さんたちの強さと、伝えたいことの大きさを知ったのです。

防災、命の大切さを本当に心から語るために、どれだけのことを思い出し、
話そうと決意した背景は、どんなものだったんでしょう。

そんなことを、思ったときに心から思う、
人生の先輩として、感謝があふれ出ました。


リアス・アーク美術館で、学芸員の方とお話をしました。
報道写真を勉強していた私にとって、「撮影し、文章」を書くことは、
第三者で、客観的な目線が必要であること。

しかしながら、地元の写真を撮りつづけ、解説を書き続けたことへの思いを、お伺いしました。

「それでも、残していこう。って思ったんです。少しずつなんですけど、それでも、変わっていきますからね。」


と、写真を見ながら答える横顔は忘れれなくて。





まだ、あえて、がれきを残している場所もありました。被災したあのことが思い出せるように。

私たちに、伝えるために。




残すことで、伝える側の苦しみ、そして覚悟を、知ることが、
私にとって、被災地で「知る」ことなんだと思いました。


そして、「受け取る」ことは、自分が何者であるかはっきりすることが必要です。

被災地の思いを始め、共にこのプロジェクトを進めてきた本部運営、リーダー達、参加者の皆様。

そして、このプロジェクトに対して、ご意見していただいた皆様の思いを、受け取らせていただくためには、

「翻訳」を同時にすることが私には必要でした。


自分の思いを明確にし、受け取り側の背景や、立場、状況などを察し、
伝えたいことはなんなんだろうか。自分の言葉がどのように伝わっているのかを。

分からないことに対して、憤りではなく、伝えたいという思いを持ち、伝えていくこと。

「受け取って伝わること」は、有り、難いことなのだと。

受け取り手、である限り、相手の言葉を、自分の背景で受け取らず、
相手の背景を知り、受け取ることで、生まれる感情は、感謝でした。

どんなご意見でも、きっかけバス47に対して、お送りいただいた皆様。
この場を借りて、文面からではございますが、伝えさせていただきます。

ありがとうございます。


2年前は、何も知らない学生でした。自分が何者かも分からず、被災地に赴きました。
それから、このプロジェクトを通じ、たくさんの方に、現地やバスの中、そして東京で関わることができました。
「いろんな方の思い」をたくさん、受け取らせていただきました。
被災地に行くことで、自分が被災地に行ったことで、「責任」が生まれました。

あの地に立った一人の人間として、いまだ行っていない人に自分の経験を翻訳し、伝えていくこと。

ー伝わるように。

どんなご意見をこれからいただいても、否定せず、被災地、日本への思いと受け取り、
共に考えていくことが、私の責任だと思います。

きっかけバス47という、プロジェクトが終わったとしても、私は乗ったのですから。

被災地に、ボランティアという形で、関わっただけで、ボランティアはいつも正解というわけではございません。
様々なボランティア団体の方々がいますが、それぞれ個性があり、優劣などもございません。


あくまで、関わる一つの手段であり、他の手段で関わっている方と足並みをそろえ、
日本を動かす、そんな一人でいたいのです。


ご支援ありがとうございます。という一言では、私は終わりたくありません。
これからも、進んでいきます。責任を持って、繋げていきます。


まだ、見守っていていただきたいんです。


報告会を控えた都道府県もあります。ぜひ、お時間あればご来場ください。
また、各都道府県、報告会が終了していても、活動などは続けています。

もし、お時間あれば、参加者の報告文をきっかけバス47ホームページ
にて紹介していますので、ご覧ください。

不器用ですが、私たちの伝えたい気持ちが皆さんに届きますように。



約10か月の間、アメリカから、そして、徳島という遠隔地から自分が学んだことは
「受け取る強さと、伝える思いやり、そして伝わることの有り、難さ」でした。

私はこれから、大学を休学し、一度社会人になります。

この10か月と同じような日々はありません。

ただ、自分という人間を社会に出し、自分ができることを「専門職」にし、
そこでまた、お手伝いさせていただきたいな、と思うんです。

やはり、書くのと、写真を撮ることが、やめられないので、またカメラとペンと、
そして、笑顔あふれるような楽しい話や興味あふれる冒険話と共に、また戻ります。

そして、私個人、いつも胸に刻んでいる言葉を。
「誰かがしているから、する。ではなく、自分でなぜそれをしたのか、というスタートになる理由がはっきりしていないと、していることは未熟で終わってしまう。」

動く理由になった、「きっかけ」バス。
なぜ、これをしたのか、そして、これから被災地、または東北の地、
防災に関わる参加者たちのスタートの「きっかけ」になったのではないか、と信じています。


被災地とは何か、そして、ボランティアに行った人間が、これから何をすべきなのか、少しずつですが、自分の答えが出ました。


未熟ではありましたが、たくさんの学生が被災地に赴き、
3年目の震災について学び、自分を振り返り、そして、被災地について、無関係ではなくなりました。

ここで、何も行動しないと、私たちの経験は、同情で終わってしまいます。
学ばせでいただいたことに感謝し、私は、ゆっくりでも行動で示していきたいと考えています。

そして、今回、夏から始まったこのプロジェクトを、様々な形でご支援いただいた皆様、
本当にありがとうございます。

感謝を行動で示していけるように、胸に刻み、報告させていただきました。



そして、47都道府県のリーダーの皆さん。
忙しい日々の中で、様々な感情の中で、楽しいことばっかりでは無かったと思います。
それでも、バスを出してくれてありがとうございます。

本部運営の皆。
いつも、ありがとうね。


長い文章になりましたが、読了いただき、ありがとうございました。


「先輩、私を東北に連れてって!」と、私もいつか聞きたくて。

私はこれから、このきっかけから、進んでいきます。



きっかけバス47本部運営
奥村貴子




(2013年の新リーダー研修にて、語り部さんのおひとり、釘子明様と。
バスが出発した2月1日から最終のバスが帰着する3月10日まで、毎日朝早くから気仙沼でお話ししていただきました。本当にありがとうございます。)


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個人的なことですみません。
先日3月25日。
僕の所属しているテニスサークルの
大好きな一個下の後輩と一個上の先輩がこぞって卒業しました。
覚悟はできてたけど、想像できてなかった。
お別れってこんなにこんなに寂しいんですね。たかが卒業なのに。
その日の晩は居酒屋で朝まで飲んで。みんなでボロボロ泣きました。。

僕にとって家族のような存在なんですよね。
その人たちがみんないなくなっちゃう。
会おうと思えばいつでも会えるんだけども。

すでに卒業した先輩も含めて、
僕はほんとにたくさんの人に支えられていて、
だからこそ今の自分があって。

ただ遊んで、テニスして、
お酒飲んだりしかしてないんですけど。
なんかよくわかんないけど、
その中にとんでもないあたたかさがあって。

そのあたたかさを後輩にもちゃんと知ってほしいから
自分が伝えてとなって、体現してきました。
それが先輩に対する恩返しだし、
僕のやるべきことだから。

人の縁。想い。つながりってほんとに大事だと思うんですよね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

僕が初めて東北にいったのは2年前。
このブログにもたびたび登場する
「クリエイティブの可能性」というプログラムで
参加させていただきました。

きっかけバスと同じように
まったく接点のない大人の方から支援金を頂いて
無料でつれてってもらったんですね。

僕は日本が変わったと言われるあの震災から
何もできてなくて、何も知らなくて。
東北のためになにかはしたいと思ってました。
けどこんななんも知らない自分が行っても大丈夫なの?
てかそもそもなんで無料なの?
行くなら自分でも等価のお金を払わしてよ。

いろんなことを感じながら参加しました。

その感想は自分のブログで記してあるので読んでいただくとして。

で、そこで何を感じたかって。やっぱりみんな
「とりあえずなんでもいいから東北に行け」ってこと。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そこで考え方や人生感は大きく変わりました。
毎日を必死に生きるようになりました。

けど考えるだけで、僕はなにもできてませんでした。
「絶対また東北に行こう」
そう思っていても距離や
普段の学校の忙しさを理由につけて
まったく行けてませんでした。

僕らに支援してくださった大人の方ともたくさん出会って、
東北行って僕はこんなことを感じた。もっとこうしたい。
想いのたけ葉全てぶつけました。けど行動レベルでは何もできてない。

一緒にいった仲間も東京でよく集まったりするだけで
そこからなにかをおこそうなんてことはありませんでした。

こんなの意味ないじゃん。

そんな時にこのきっかけバスのお話を
助けあいジャパン代表の野田さんから頂いて
これだと思って運営として関わらせていただいたんですね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2月1日~3月10日までの約40日間で。
47都道府県全てからから東北に向けてバスを出す事ができました。

もちろんサイトを見てもわかる通り、
まだお金は全額集まった訳ではなく、
現在も様々な形で寄付をお願いしている最中なのですが、
いろんな人の想いとあたたかさ、
覚悟がここには集約されて
今があるわけで。

参加した学生。総勢1711人。

僕は三重と岐阜のバスにヘルプ役として同行させていただきましたが、ほんとにいろんな人がいるんですよね。

すでに東北に行ったことのある人。
まだ一度も東北に行ったことのない人。

各県をコーディネイトしてくれた学生リーダーも
順調に集まったなんてことはなくて、一度やると決心してくれた人も方向性の違いから離れていった人も何人もいました。

また大人の方からもいろんな意見をいただいて。
「なんで無料なの?ほんとに東北行きたいなら学生に少しでも負担させなきゃ意味ないじゃん。」
「きっかけ?ただの学生のノリじゃないの?」
「無料で学生東北に連れて行くって詐欺ですか?」などなど。。

悩みました。正直。
僕たちの関わり方って正しいのかな?って。
東北のためになってなかったらなにも意味ないわけだし。

まわりの東北を本気で愛して行動してる人たちを見て、
僕はこれでいいんだろうかってすっごい考えたりしました。

けど、このバスの趣旨は
やっぱり”伝える””繋げる”ということ。

僕は「東北に行くとことが正解」だということを
このバスでみなさんに伝えたかったんです。

東北に対する想いの量とか熱量も関係ない。
だってその指標が行かないっていう障壁となってるわけだから。

”きっかけ”バスっていうくらいです。

僕はこのバスに乗らなくたって、どんなけ否定したって、その人はきっかけバスを知り、そこで東北に目を向けれたらいいとずっと思ってます。

ボランティアとかいう言葉も好きじゃないんですよね。
だってその言葉自体も受けとる側からしたら、
とっても敷居が高いものだから。

FBできっかけバスについてしか日々宣伝してなかったから
僕のTLはトップ画を含めて真っ黄色でした。

だからあいつなんでこんなことやってんだって
思う人もいたかもしれないけど、
それでも一人でも多くの人が東北に行ってくれたら、
意識を向けてくれたらそれでいいんですよ。

次いつ強大な地震がきたって、個人個人がしっかり意識していれば、その被害は最小限に抑えられるはず。。

大切な人たちを失いたくないんです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

3月の最終日になってしまいました。
ばたばたしてたのもあったけど、心が無の状態で
なんにも書けなかった。

けどちゃんと区切りをつけたい。

僕は一生を捧げて東北のために行動することはできません。

だって実際とっても遠いし。
やりたいことも、やらなきゃいけないこともたくさんある。

けど行くきっかけをもらったら、
東北がとても身近な場所になりました。

どれだけ忙しくても年に一回でも
行きたいと思える場所になりました。

見ず知らずの方から頂いたバトン。

僕は繋げることに精一杯でした。

ちゃんと僕は東北の方を向いて走っているのか。

走りながら自問自答を繰り返しました。

けどいろんな人のあたたかさがあって
こうやってひとまずバスを出し切ることができて。

残っているのはあらためて感謝の気持ちです。

そしてこのあたたかさが
もっとたくさんの人に広まればいいなと
いまはただただ願っています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「クリエティブの可能性」~第三回 春合宿~
で支援してくださった皆様へ。

改めて伝えたい。

僕は皆様の寄付があったからこそ。
こうやって活動するまでに至っています。

あの合宿の参加していなかったら、
間違いなく今の自分はないわけで。
こんなに東北のことを想うこともなかった。

皆様から受け取った想いを
もっと多くの学生に届けたい。
それことだけに精一杯でした。

ちゃんと僕がうけとったあたたかさのまま、
温度を下げることなく伝えることができているのか。
不安な部分もありますが、きっとたくさんの人に
つながっていると信じております。

もっと広がってほしい。

僕も今後は自分のペースで関わっていきます。
無駄にしないように。
しっかりつないでいきます。

ほんとうにありがとうございました。

岡孝一郎



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私はリーダー研修合宿のほんの少し前から、本部に関わっている清水政也(まさや)です。






私がきっかけバスに関わりだした理由は、「人のため、自分のため」です。
2013年4月末にクリエティブの可能性第6回春合宿で初めて東北を訪れたのですが、がれきも撤去され、周りに何もい様子を見て、私はその時の衝撃がいまだに忘れられません。初めて被災地を見た私にとって、これほどの悲惨な現状が目の前に広がっているのに、東北でおきた震災を忘れている人が世の中にはたくさんいるということに疑問をもっていました。

「今の東北を風化させたままではいけない」

そして今までこれといって自分のことを考えたことがなかった私は、自分には何ができて、何ができないのか見極めたい。もっともっと成長したいと思っていました。本部の学生はみんな、尊敬できることがたくさんあります。たとえばパソコンのスキルがあることだったり、人とのコミュニケーションの取り方のうまさだったり、優しさが人一倍強いことだったり、自分のことを真剣に考えることだったり、あらいだすときりがないくらい。
こんな人たちと活動できるのか。

「自分ももっともっと成長したい」

そんな思いできっかけバスの運営本部に入りました。





事務作業をしたり、パソコンをいじったり、お金を管理したり、クリエイティブ関係のことをしたり、文章を書いたり。たくさんの経験をしてきました。その中でも私は人と接することがすごく好きだということを知ったんです。まだしゃべるのは得意とはいえないけれど、人の話を聞けることができて、いろんな人の思いを感じ取ることができる。そこってすごく強みだなーと。そんなことに気づきながら、活動をつづけていました。


そして、2月に入って、いよいよきっかけバス47のツアーが始まりました。
私は栃木県、愛媛県、茨城県のツアーにリーダーをフォローするという立場で、バスに同行しました。

ただ、私はまだまだ未熟で、ツアー中、「参加者を一歩引いた目線で見る」ということができず、リーダーのフォローはもちろん全力でしていたのですが、参加者とおんなじ目線で東北を見てしまってたんです。

参加者みんなの「東北に対する思い」を聞いていたし、現地の人が「震災当時に感じたこと」という話も聞いていました。
でもツアーに同行しているときは、その姿勢は間違っているとは思いませんでした。なぜって、第三者からしたら、私も黄色いビブスをしている以上、参加者の一員だから、自分が本部として乗っているからって、参加者とは別の行動をすることは、相手に失礼だと思ったからです。

だけど、そんな”気遣い”を繰り返していたことで、現地の方のお話からいろんなものを受け取ってしまい、自分の心がいっぱいいっぱいになってしまったんです。悪い意味で。

その結果、いろんな人の思いが混在するきっかけバスや、それまで好きだった東北でさえも関わりたくなくなってしまいました。

「これ以上関わると自分が自分でいられなくなる」と思ったから。

それから誰とも連絡をとらずに、一日中、一人で家にいたんです。でもそんな状態で一人でいると、考えがすべてネガティブになっちゃって。苦しかった。
自分が“誰かの思い”を自分の中にいれたくなかったから、家に一人でいることを決めたのに、一人でいることはめちゃくちゃつらくなっちゃって。

だから次の日、事務所に行ってみたんです。
誰かに今の自分の悩みを打ち明けようとして。
だけど、そんな私の心情に関係なく、バスは走っているので、
みんなどたばたしてて、忙しそうで、どうしても自分の悩みを誰にも相談できずにいました。自分がいちばん親しくしている、どみー(きっかけバス学生統括の一人である弥冨 彬)にさえも、言い出せなくて。
私は小さい頃から、自分の思っていることを言葉で表現することが得意ではないんです。だから「自分のよくないところがでたな」って。そのときは自分を嫌になるのを抑えるので精一杯でした。

ただ一人でいるのは嫌だったから、その日は事務所に泊まることに決めました。夜にみんなが向かいの部屋で寝てる中、自分は一人で起きてて、「なんで自分の悩みをいいだせなかったんだよー」とか悔やんでいました。自分の勇気をだせないところが、すごくいやでいやで、しかたなかったです。
そんな時、助けあいジャパンの石川さんが何気なく事務所に入ってきて、しゃべりかけてくれました。その時、なぜかわからないけど、それまでぴんっと張っていた糸が急に切れて、自然と自分のことをしゃべれたんです。苦しかったこと、悩んでたことをすべてはなしました。


きっかけバスに同行していて、自分が現地の人から聞く話は、震災当時の話であったり、今困っている人の現状でつらい話が自分の中で残っていました。(もちろん、明るい話もたくさんあったのですが・・・・)後々考えてみると、私の中で、「今困っている人達みんなをどうにかしてあげたい」という気持ちでいっぱいになり、自分でも気持ちを整理しきれなくっていました。

でも、なんでそんな気持ちになったんだろうか。
なんでどうにかしてあげたいって思えたのだろうか。

それは「人を笑顔にしたい」から。

笑顔ってほんとに不思議なものだと思います。
人を安心させたり、前向きな気持ちにさせたり、元気づけたり。
ある種、幸せを可視できる一番の表現方法であると思っています。
そんな笑顔が、私は大好きなんだな、みんなを笑顔にしたいんだな。

そう考えると、東北に関わっている理由というのも明確になったりしてきて。私は去年の4月に初めて東北に行ったのですが、現地にはまだまだ困っている人たちがいるという現状を見てきました。そんな状態だからこそ、私が東北に笑顔を届けなくっちゃ、と。

だからまた東北に行きたい、関わりたい。徐々に強く思うようになって、そんな時にタイミングよく、東北に行く理由ができて、どみーに頼みました。「また行かせて」と。そのとき事務所は本部のメンバーが少なくて、大変な状況だったのにもかかわらず、どみーは優しく「行っておいで」といってくれました。

そして気仙沼に行き、ホテルに来るきっかけバス参加者のフォローをしていました。
そんなことをしてると、現地の人や、参加者を含めた、たくさんの人の笑顔に気づくことができて、自分はすごく幸せだなと感じることができたんです。
そしてそうやって幸せで笑顔になっていた自分をみて、現地の方に
「笑顔できてくれるから私もうれしい」と笑顔でおっしゃってくれたんです。
私にとってすごくすごく嬉しかった。

現地の人を「笑顔にすることができた」。
この経験は私の中で大きな支えになったと思います。

きっかけバスをやっててよかったな。
と、ふと思えた瞬間でした。







そして時間が少し進みます。
きっかけバスが終わり、一週間もたたないうちに、自分の地元である愛媛を震源地とする地震がおきました。震度は5強、と自分が松山で暮らしていた中では、体験したことのない大きさです。
今まで愛媛にいるとき、震災をテレビ越しでしか見たことがなく、
だって、自分の暮らしていた地域だったから。より、自分の周りの人の笑った顔を想像しやすかったから。そしてそれがとても多く存在したから。
そんな地元の笑顔がなくなってしまう。
これが自分にとってすごく辛くて。
自分はなんて小さいんだろう、無力なんだろう、
とまた自分を悔いてしまったのです。

幸いにも、家族に連絡はとることができたし、伊方原発にも特に影響を及ぼさず、かつ今回の震災でけがをした知り合いは、私が認識している限りはいませんでした。

それを知って少し安心しました。
よかった、今回はほんとによかった。
ただ、大切な人を失いたくないし、次の震災がくるまでに、自分ができることは今のうちにしなければ。
それまで私はまだどこか気を抜いていた部分があったんだと気付かされました。
自分の地元には東北にきたような大きな津波はこない、だとか原発の問題もなんだかんだ問題ない、と思っていた。
これは自分が知識がないからこそ楽観視できたんだなー、とあらためて感じ、そして、もう一度自分とそれから東北で学んだことと向き合いなおしました。
防災・減災のことを口伝えでしか話したことがないよな。
震災がおきた直後にどうするか、という話を家族に伝えきれてなかったな。
とか。

そして、おもったことを行動にうつしました。
家族にもう一度大事なことを実際に家に帰って伝えたり、自分の手持ちの防災グッズをそろえたり、SNSでは自分が学んだことを書き、発信したり。
今までの自分がもつ情報だけでなく、本を読んでみたり、ネットで検索してみたり、ほんとに自分ができることをしました。
それは自分を守るためだけではなく、人を守るために。

きっかけバスに参加した人に今回の地震について話をきくと、すぐに建物の中から外に出た。今いるところより高いところに逃げようとした、怖かった、と言う人が多く、みんな東北にいって学んできたことを、一度ここで考えなおしたみたいでした。そしてそこでまた行動をおこしている人もいました。
自分の知識を増やしたり、SNSでみんなあてに防災マニュアルを書いたり、防災の大切さを家族にうったえたり。

それを聞いて、すごく安心出来たんです。
「あ、きっかけバスをやっててよかったな」
と、ここでも思えたんです。

私が一番守りたいのは、自分の回りにいる人の命であり、笑顔です。そんな私ですから、みんなが自分の周りにある大切な人を守ろうとしているのであればそれはつまり笑顔を守ろうとしている。
私はそこにすごく共感をうけたんです。

「多くの人の笑顔が守れる」




きっかけバスは47都道府県の学生1711人が参加し、社会人のちからをかりて、無料で東北に行きました。その中で、現地を視察し、ボランティア活動をし、ダイアログをし、語り部さんの話しをきき、商店街にいき現地の方と話し、除染情報プラザにいき放射線のことを学び、これからの自分たちの未来について考えました。

私はきっかけバスは東北に笑顔をもたらした、と思っています。
そしてきっかけバスはこれから笑顔を守ることができる、と信じています。


これが私の関わってきた、きっかけバス47です。





このきっかけバスプロジェクトに共感、あるいはご理解していただき、
ほんとうにありがとうございました。

私はまだまだ右も左もわからないような人間なので、自分について考えるのでいっぱいになってしまい、プロジェクト本部の言葉ではない文章を書いてしまったと思います。
ただこれが私の一番伝えたかったことなんです。
自分はこんなに成長できたんだよって、
きっかけバスに関わってくれた人達に言いたかったんです。


ほんとうにありがとうございます。
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テーマ:
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★私がきっかけバスを始めた理由
★応援してくれた人たち
★受けとってくれる人の有難さ
★これから
★さいごに
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考えてみたら、すっごく単純でした。
わたしがきっかけバスをやりながらずっと意識してたのは
いただいたものを、ちゃんと次に繋げたい。
ただそれだけでした。




★私がきっかけバスを始めた理由

私がきっかけバスをやろうと決めた理由は
自分が東北に関わるきっかけをつくってくれた40人の支援者に
きちんと恩返しをしたかったから。



託されたものに、いまの自分なりに、応えたかった。
感謝をありがとう、で伝えるだけじゃなくて、ちゃんと、行動で示したかったんです。

40人の支援者のうちの1人。石川淳哉さん。
きっかけバスの大元となった寄付型のボランティアツアー「クリエイティブの可能性東北合宿」の立ち上げ人でもあります。

「騙されたと思ってでもいいから、とにかく、学生に東北をみてほしい。
時間がないお金がない忙しいとか言い訳している奴にこそ、東北に行ってほしい。
そこから、1人でも多く、東北のこと、日本のことを考える人がでてほしい」
そんな考えではじまりました。

お金がぜんぜん集まらなくてこれではバスが出せないとなったとき、そのとき必要だった100万円を、自腹ででも出して学生を東北にと、覚悟を決めたのが始まりとなり、その後ぜんがく寄付があつまって1台目のバスがでました。

私は東北から帰って、石川さんのこの覚悟をきいたとき
ほんとうに、すごい怖く感じたのを覚えています。

恐怖感という怖さじゃなくって、なんか、すごく不思議な感覚。
人の善意や好意、応援のきもちがたくさん詰まったものを
どう受け取ったらいいか、どう返したらいいんだろうと困惑してしまう感じ。

まさに、タダほど怖いものはないっていうことを初めて実感しました。

石川さんの思いで始まった東北のボランティアツアーによって
東北からも、ツアーからも、私がいただいたものはほんとに大きくて。
ずっと悩んでいた家族のこと、進路のこと、自分自身への理解について。
個人的な内面だけでも、ほんとたくさん気づき、変わることができました。

普段は、いかつい顔していて、なかなかことばにしない石川さんだけど
奥底にある深い愛情や期待に、いまの私なりに、ほんとうに、応えてみたいと思った。

他の39人の支援してくださったから受け取ったものも、たくさんあります。

でてくる言葉は人それぞれだけど、いただいているお金はどれも
その方々が必死に働いて、稼いだだいじなお金。

自分のために使ってもいいのに
見ず知らずの学生のために、東北のためにと、選んで寄付してくださる意味。

人のきもちがこもったお金がどれほど貴重で、価値があって。
ふつうじゃ、ぜったいあり得ないってこと。
この感謝をなんとかして40人にお返ししたくて。

1つ目のアクションとしてわたしはきっかけバスをやろうと決めました。




★応援してくれた人たち


去年の6月から始めたきっかけバスですが、
最初はほんとうにすべて手探りでした。

全国のネットワークもゼロ。
お金集めもしたことない。
東北のこともぜんぜんわからないことだらけ。

でも、わからないなりに、いっこいっこ動いていくうちに
始めはほんとーにちょびっとずつだったけど
徐々に応援してくれる、協力してくれる大人も学生も増えていきました。

今では10ヶ月前の動きだしたときからは想像できないくらい、たくさんの方々です。

寄付、プロボノ、募金箱の設置、ポスタービラの貼付、メディア、情報拡散など、関わってくださった方すべてを数えると、1万人以上の方々に応援していただいているのではないかと思います。

どの方々にも心から感謝で
今まで感じたことがないくらい、たくさんの方々に応援していただきました。




私がいまでも1番尊敬している、元インターン先の近藤さん。

今までお世話になってばかり教えてもらってばっかりなはずなのに
自分の東北への気持ちや、プロジェクトに対する気持ちを何度も書き直して
どきどきしながら「お願いします」とメールで送ったのを、今でも覚えています。

すっごく忙しい方なのに、メールを送った2時間後には
応援のメッセージと支援の手続き完了の連絡が。
心から尊敬している人からの応援は、とびぬけて心強く感じさせてくれます。

未熟ながらも、人として信用してもらえた感覚が忘れられなくて
絶対にいただいたもの以上のプロジェクトにしたいし
もっともっと、それだけの人間にならないといけないと思いました。




9月のリーダー研修合宿のときから福島のプログラムにてお世話になり
今回も13県の受け入れを相馬でしてくださった、報徳庵のオーナー押田さん。

私自身、3県のなかでも特にふくしまは現状を知るたびに
それまでの福島のプログラムでは現状をまだまだ伝えきれないし
その後に繋がらないと思って、ずっとどうしたらいいか考えてました。

その際、押田さんにたくさんアドバイスいただきながら
現地のプログラムをコーディネートしていただきました。

規模が大きいだけの、学生をただ送るだけの
うすっぺらい一過性のプロジェクトにはぜったいにしたくなくて

ちゃんと地元の人と47都道府県の学生を繋げたくて
「この人に会いにいきたい!」というのを各地域でつくりたかった。

飛行機や新幹線の時間の都合、他県とのかぶり、現地の方との調整で
ぜんぶを実現できた訳ではまったくないですが
思い浮かべていた、地元の人と人が繋がる場をほんのちょっとでも
福島のプログラムでつくれたのかなと思い、
その片鱗というか、感覚をつかめたのがすごく有難かった。

自分の仕事でも忙しいはずなのに
きっかけバスに期待してくださり意見くださったりと
ほんとうに熱心にお声がけくださいました。

他の県の各地でもそうだったのですが
こういうふうに現地できっかけバスに
ご協力してくださる方の存在が本当に有難く、心強かったです。

本当にありがとうございます!




私が東北に関わってからの変化をすべて知っている、助けあいジャパンの代表 野田さん。
6月から何度も、壁にぶちあたってきましたが
1月の末。きっかけバスにとっては、今まででいちばん厳しい状況でした。

寄付がなかなか集まらず
このままでは47都道府県からバスが出せないとなったとき。

47都道府県の学生が東北に行くことでどんな世界が待ってるのか、ちゃんと見てみたい
日本中が東北の復興に関わることに、最後のさいごまで挑戦したい
この風化の流れを止めるのに、違う風を起こさないと何も変わらない。
誰もやったことがないからこそ、挑戦してみようよ。
こんなバカなこと、誰も挑戦しない。ふつーに冷静に考えたらできないもん。
でも、最後までみんなを信じたいし、人の善意を信じたい。

そう考えて、野田さんは1億5000万円という大金を
借金覚悟で、バスを出す決断をしました。

この時の野田さんは今までにみたことがない顔つきでした。

でも、それぐらいの覚悟で
このプロジェクトに臨んでいるし
東北の復興に、向きあっているんだと、体全身から伝わってきました。





その裏で、いつもきっかけバスでお世話になっている
JTBの菅原さんも上司の方々にたくさん交渉してくださいました。

自分たちの役職や立場のリスクを背負って
それでも、このきっかけバスに賭けて、一緒に動いてくださいました。


その際に菅原さんからいただいたメールの一部。

大人の覚悟がこれだけ出そろう機会は滅多にありません。
少なくとも私には初めての機会です。

とは言え、「きっかけバス47」の本質を見極め、
成功とはどんな形であるか?に忠実に動いてください。

お金は大切ですが、被災地の方々の役に立つ事を第一に、
参加者の満足を第二に、お金のことは最後(でも同時)に考えましょう。


このとき。野田さんの表情や雰囲気だけでなく
菅原さんからいただいたメールで
言葉では表せないくらいの、大人の覚悟を体感しました。
学生の私には責任をとることも、大きいこともできないけど
大人と同じくらいの心意気で
もっともっと、自分の枠を越えて動きたいとかき立てられたときでした。





他にも応援してくださった方々、ご協力くださった方々は本当にたくさんいます。

こうやって、世代を越えて、組織を越えて、立場を越えて
おなじ、東北の復興に向けて一緒に動いていけることが本当に有難くて
それが私にとって何より貴重でした。

覚悟をもって、本気で東北のためにと動く
そんなかっこいい大人に出会えるたびに、わたしはすっごくわくわくして
もっとこの人たちに近づきたいし
いつか肩を並べて仕事ができるようになりたいと思いました。



★受けとってくれる人の有難さ

応援してくれる人だけでなく、
ちゃんと受け止めてくれる人の有難さも実感しました。



最初の岐阜県に続き、2度目にall同行をした沖縄のバス。
このときは、協賛してくださっているJALさんの4日間密着取材があり
そのサポートとして同行させていただきました。

(そのときの動画はこちら

4日間で、参加している子たちの表情の変化というか、でてくる言葉の変化。

東北に初めて行く子が多いなかで沖縄からでも関わり続けたいと、
現地プログラム中にネットで復興支援の団体を調べアポをとりはじめる学生。

東北をみているんだけど、いつのまにか沖縄のことを考えて
海があり、でも高台があまりない沖縄にどうしたら防災を根付かせられるんだろうと考えはじめる学生。

仙台空港が津波で被害をうけている映像をみて
陸で繋がっていない沖縄は那覇空港がやられたら、孤立してしまう。それも考えて防災を考える必要があると考えた学生。

自分が体験してきた身近な家族の死と、震災で亡くなった方の死を重ねあわせ
大事な人を亡くした経験のある立場だからこそ、できることを自分でやり続けたいと決意した学生。

夜のダイアログにて、大人が応援・支援してくれる意味を考え、
それまで気づけなかった、大人の思いや期待を受けとり、自分だけじゃなくて支援してくれている人たちのためにも、自分たちがした経験を活かしたいと思った学生。

同じ景色、同じ人の話きいても
ほんとに46人それぞれの言葉がでて
それぞれが噛み締めている瞬間が、最後バスをおりるときにありました。

その瞬間というか、空間がほんとうに愛おしくて
バスからおりたくなくて、私も泣きじゃくっていました。
この時、ほんとうにカタチにできてよかったなあと思いました。



★これから


私含め、運営のメンバーも去年の6月から活動してきて
このきっかけバスで初めてやることがあまりに多く
至らないことばかり、ある種、穴だらけのプロジェクトでした。

その反省点や次に活かしたいことがほんとうに山のようにあって
すごくもどかしいしめちゃくちゃ悔しい感情があるのも、事実です。

でも、それでもこうやって
応援してくださる方、そして、それらをちゃんと受けとってくれる存在がいることが本当に有難いことだなあって、実感します。

そして無事に、47都道府県からバスを出し終わり
1710人の学生が東北から帰ってこれました。

私自身、40人の支援してくださった方からいただいたものを
少しでも還元したいと思って始めたきっかけバスでしたが
この10ヶ月間のあいだで今までお会いできなかった方々とたくさん会えたり
たくさんのことを経験、学ばせていただきました。

始めた当初より、返したいものがどんどんふくらんできている感覚です。
今回痛感した、未熟な自分を受け止めつつ
いただいたものをちゃんと次に、丁寧に、繋げられるよう
ここから改めて、再スタートしていきたいと思います。


これまで、お世話になった本当にたくさんの皆様。
この場をお借りして御礼をいわせてください。

本当にありがとうございます。



★さいごに

まだまだ、ここからが本番ですが。
去年の6月からここまでやってこられたこと
その過程でじぶんの想像をはるかに越えるたくさんの方々に支えていただいたこと


いま。誰よりも、この感情を
わたしは、母に、伝えたいです。

ここまで本当にほんとうにありがとう。

母はいつも私がやること言うことに、いっこいっこ歯向かってくれました。

東北のことも、ずっとずっと
「お前に、東北に関わる資格なんてない」
「何もできないのに、何してるんだ」
と言われ続けてきました。

だから、いままできっかけバスのことも、一切話すことができませんでした。

きっと母は、姉や兄と同じように
平和で、安定的、一般的な道を選んでほしかったのだと思います。

でも、心の奥底では
母は誰よりも私を心配してくれて、気遣ってくれて、思ってくれていました。

そんな母の存在があったからこそ、私はここまでこれました。

いまだから、この言葉を心から、言えます。

本当に、ありがとうございます。
そして。これまでたくさんぶつかってごめんなさい。

母が思うとおり、わたしはまだまだ未熟な娘です。
まだまだミジンコレベルだし、できないこと、苦手なことだらけです。

でも、いま、体いっぱい。すっごく、幸せです。

だからこそ、私はこのちっぽけなわたしなりに
この体ぜんぶつかって、これからも、自分ができることを精一杯やり続けていきたいし、こだわっていきたいです。

そして、どんなに時間がかかっても、周り道しても
自分を支えてくれた大事なだいじな人たちにこれだ!と思うことで
恩返ししていきたいし、母が誇れる娘でなりたいと思います。

きっと、まだまだ、母には迷惑をかけるかと思います。
でも、どうか、見守ってくれると嬉しいです。

ほんとに、いつもたくさんの愛情をありがとう。


そして。ここまで読んでくださった皆さま。
これがいまのわたしの気持ちすべてです。
本当に心から、ありがとうございます。

そして、引き続き。
私白井宏美、そしてきっかけバスをどうぞよろしくお願いします。


きっかけバス学生統括
白井宏美



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きっかけバス ご支援はこちらから
▶︎ http://kikkakebus.tasukeaijapan.jp/donate/
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きっかけバスって何なんですかって、よう言われる。

よう言われる。



『きっかけバス47』は47都道府県の学生たちが

東北三県にバスで行くプロジェクト。

(fromグランドビジョン)



簡単に言うとこれです。

ここからはわたしの活動報告。長くなったけど、まとめてみました。

時系列ではないです。

関西から運営と兵庫県リーダーやって、
このプロジェクトの美味しいとこ全部いただいた(笑)いち学生がなにを思ったのか

おつきあいいただければ幸いです。





---------------

★47 都道府県でやってみて

★東北に関わってみて

★兵庫のリーダーやってみて

★そして支援者にもなってみた

★「伝える」って結局なあに

★さいごに言いたいことは

---------------

★47 都道府県でやってみて


去年の夏からスタートしたこのプロジェクト。

それこそ日本中に仲間が出来ました。

そんな仲間たち(学生リーダー)。

SkypeとかLINEとかハングアウトで

毎日だれかしらと話してる。

大分やったり東京やったり富山やったり

岩手やったり京都やったり奈良やったり静岡やったり

うおおもう書ききれない。





(これはハングアウト。京都・大分・東京・兵庫)

距離は問題じゃない。

で何を話すかというと、

ほんまにしょーもないこと。だって普通のともだちだから。

でも、いつのまにか

東北の話になってる。

防災の話になってる。

リーダーシップの話になってる。

自分の深い深い奥のとこの悩みやったりする。



ほなまたね、って言って、話しは終わる。

いつも、ありがとうって言って話し終わる。

ありがとうで終わらなかった会話がない。

やっぱり、めったに会えないですし。



--------------

昨日、横浜を、ずーっと一緒に運営やってきた2人と散歩しました。

そのときの会話一部抜粋。

避難所が示されてる地図があって

「ここ津波来たらどこ逃げるー?」

「そのビルかホテルかなぁ」






コンビニの横浜みやげコーナーにて。

超絶かわいい絆創膏やドロップがあって、

「うおおおこれかわいい防災グッズなる!!!」

「YOKOHAMA防災ボーイやん」

日常の中に、

ふっつーに

防災や東北、そう、命の話が入る。

そんな仲間ができて、本当にうれしい。

わくわくする。

東北から遠く離れて、それでも

心から東北を想う仲間がいるんですわたしには。

時にはぶつかったりするんです。

去年の夏まであんまり関係なかった場所なのに。

この風景を日常を、

東北のひとたちにも見てほしいなぁって思うのは、

おこがましいでしょうか。

------------

47都道府県には、それぞれの状況があって、

たとえば、

静岡は浜松と静岡がめっちゃ離れてて行き来しにくいとか、

熊本にはきれいな海があるとか

岡山は災害が少なくて危機意識が相対的に見て低いとか。

島根は湿度が高いとか。笑

統一感ない情報ばっかりやけど、これ47個書ける。

防災とかだけじゃないし

主観だけども、

47それぞれがそれぞれって、初めて思った。

んで、なーんとなく、

全部の地域に手が届くような気がし始めて。

全然行ったことない場所なのに、
そこに生きているひとの顔がちゃんと浮かぶようになって。

日本がえらく小っちゃくなったなぁ

と思うのです。

島根や奈良や岡山に和歌山、岩手。

きっかけバスのリーダーたちに会いに、全国をめぐりました。

その小さい日本で、これからどんな災害が起こるのか。

わからない。

わたしはすぐにみんなの元に駆けつけられるようなひとになりたい。

その準備をしている。つもり。いや、つもりで終わらせない。


2011年3月11日、東日本は、

兵庫県のわたしにはとてもとても遠かった。

でも、今なら日本中どこへでも、行ける気がしています。



★東北に関わってみて



死にたくないなぁ

と思うようになっていました。

そして、死んでほしくないなぁ。

とも。

去年の夏、研修合宿に参加したときには

「知識や知恵でひとは救える」と思いました。

避難の仕方ひとつ知っているだけで生存率は上がるからです。


今回、兵庫のバスだけじゃなくて、

いくつかのツアーに同行させていただきました。

何回も陸前高田や南三陸に行ってみて、

語り部さんのお話を聴いて。

気仙沼に何日か滞在して。

最終的に、理屈とかそんなことじゃなくて、

ただただ

「死にたくない」

という思いが残りました。

たくさんたくさん考えて思うこともあったけど、

この一言に集約されます。


そして

「死んでほしくない」と思いました。

だから、「生きる」ために

次にわたしができることってなんやろって

ずっとずっと考えています。



そしてもっと、「ここ」に関わりたいとも思いました。

でも、とてもとてもエネルギーが要るなぁとも思いました。

東北でいま起こってることは、

「東北だから」起こってることじゃなくて

「被災地だから」だけでもない。

そんな気がしています。

全然不勉強だから、感覚でしかわからないけど。

全国で同じ現象が起こるような・起こっているような感じ。

少子高齢化とか。雇用とか。



だから、たぶん、わたしが、「いま」関わるのは、

「東北」じゃなくっても、ええんかなぁ

って思ったんです。

なんだか疲れてしまった自分にも気づいている。

何回も何日も、

いわゆる「被災地」という場所に続けて行ったことで

怖い場所も増えた。

回復できない、なんか、うん、マイナスのものも受け取ってしまった。

あまりにもひとの死がある場所だから、もちろんなんだけれど。

そこで生きている方々はもっともっといろいろあるだろうから、

わたしが言ってはいけないかもしれないとも思うし、

書くのも迷ったけど書きます。書いています。



そして落ち着いてから、

うん、いまじゃなくても、

自分が得意なことが見つかったら、

それを携えて、笑って東北に向かいたいと思っています。

だれも待ってないかもしれないけど。

自己満足なのかもしれないけれど。

夢もできたので、

それを東北とつなげたいなって、ちょっと。ふふ。

ありがとう、を行動で示せる日まで

前に進んでいきたいです。



それまでは関西で、

日々、わたしにたくさんのものをくれた土地を、ひとを

想いながら、楽しく生きます。

それも関わり続けるひとつの方法だと

(言い訳がましいけど)思うから。



------------

★兵庫のリーダーやってみて(ツアーを出してみて)





「ありがとう」ってこういうことなのかぁ

っていうのが、なんとなくわかるようになりました。

いままで、

「ありがとう」って言葉になかなか気持ちが乗らないことが多かったのです。

正直なところ。

2泊4日のツアー中、参加者のみんなの「ありのままの言葉」をたくさん聴きました。





「わからない」

わからないって大勢の前で認めることは、「わかる」って言うよりもずっと難しいのに、

みんなわからないって素直に言ってた。いっぱい言ってた。


「東北に行って、自分は180°変わるのかと思ってたけど、そんなに変わらなかった」


変化しない自分を認めるのってとってもとっても勇気の要ることだと思います。

だからこの言葉がわたしはとても嬉しかった。


「わたしはこの4日間で、90%変わったけど、10%は前のまま。でもその10%はそのままでもいいと思った」

この子は初日に自己否定から入っていた子です。

それでも10%を認められた。なんてすごいことなんだろう。


「被災地ってイメージやったけど、また行きたい大好きな場所になった」


こう言ってもらえたら最高って思ってた。東北ってやっぱすげぇ。



http://ameblo.jp/kikkakebus47/entry-11767077742.html

他にもたくさん発言してくれてます。

ぜひご覧ください。





わたしの予想を遥かにこえて、

兵庫県のバスに乗った42人は42通りの考え方をしていた。

そしてみんながことあるごとに「ありがとう」って、

色んなひとに伝えていた。

現地の方々、添乗員さん、運転手さん、リーダーのわたし、他の参加者、

そして目に見えない支援者の方々に対して。


バスを終えるとき、

自然と「ありがとう」って言葉が出てきた。

感謝しかない。感謝しかなかった。

東北から帰ってきて、

自分でもわかるくらい「ありがとう」って今まで以上に言ってるのに気づいた。

わたしの世界にはたくさん感謝すべきことが転がっていた。

------------------------

支援者の方々、

応援してくださって、支援してくださって、本当にありがとうございます。

たくさんの想いを、期待を、寄付という形で込めてくださり、

本当にうれしいです。ありがとうございました。



参加してくれたみんな、

みんなが乗ってくれて初めてバスが出るんです。

だから、お金もやけど、

みんながいなかったら、

このプロジェクトは成り立たなかった。

改めて、兵庫のバスに乗ってくれてありがとう。



東北のみなさま

わたしはただの学生です。圧倒的な現実を前に、

なにか、解決策を持って行ける訳ではありません。

わたしたちは、学ばせていただきました。

ただただ、直接見て、聞いて、感じました。

大事な大事な地に

お邪魔させていただきました。ありがとうございました。

たくさん伝えてくださってありがとうございました。

みんな、それぞれの方法で受け取っています。




来てくれてありがとう、って何回も言われました。




(写真は陸前高田ボランティアサポートステーションの方々。ボランティア作業を終えるとこのように見送ってくださいます。毎回。バスが見えなくなるまで手を振ってくださいます。)

もしかしたらわたしが行くことで、大勢で行くことで

傷つけてしまったひともいるかもしれない。

それはほんとにごめんなさい。



でも、笑顔で迎えてくださったひともたくさんいました。

ほんとに。

もちろん商売だから、とかあると思うけど。

「えもちゃーんっ」って迎えてくれるひとがいた。

「じゅりちゃんきょうどうすんの?」

って声かけてくれるひとがいた。寄ってくる猫がいた。

これはまぎれも無い事実。


東北に何回も足を運んだものとして、また、行きます。関わり続けます。

どうぞよろしくお願い致します。



★そして支援者にもなってみた

兵庫のプログラムを終えて、

滋賀、鳥取、熊本、宮崎のバスに乗って

他にも現地で何かしら関わったのは、
富山・香川・福井・鹿児島・東京・神奈川・奈良・山形・静岡・新潟・群馬・栃木・沖縄

(18県みたのか!出発式だけ・リーダーサポート含めたら、もっとやー)

単純計算で

バス1台は40人乗っているので、

18×40=720人

の学生と関わりました。

ぐんぐん吸収して、被災地と向き合って、悩んで

ぐるぐるしている学生もいました。

ツアーの後も、LINEやFacebookでの情報発信がんばったり

防災ポーチ作ったりフォトブック作ったりイベント開催してみたり

ほんとにそれぞれで感じて考えて行動している。

そんな学生をたっくさん見てきました。


プログラム後の関西合同報告会で、

70人あまりの学生が

1時間ずっと東北について、復興について真剣に考えて話している姿も見ました。

涙が出そうになるくらい心が動いたバスもありました。


だからわたしはささやかながら100円×47都道府県=4700円

寄付させていただきました。

全国の学生に。そしてそんな素敵な場にいさせてくれた全国の学生リーダーに。

そこで、でも、



うーーん、「東北復興支援」として寄付したんじゃないなぁって思った。

これは東北復興支援ではない、少なくとも、

わたしの思う形ではない。

と思いつつ。ぽちった。

きらきらしたものをたくさんいただいたから。



欲を言えば。

もっともっと主語を「わたし」にした話が聴きたい。

東北が、とか 行政が、とか そんなんじゃなくて、

あなたの半径1m以内の話を、わたしは聴きたい。

それが「じぶんごと」だと、息切れしない方法だと、思うから。



★結局伝えるって、なにかなぁ。


主にFacebookでの情報発信を意識してみたこの半年。

伝わったのかなぁ。どうなんでしょう。伝えるって、むずかしい。

わたしには、「伝える」ってとっても一方的な行為に思えてしまって、いま。

だから、「誰かの背中を押す」

アクションのお手伝いができるようなことをしたいな、と思っています。

だから春からは、ただただ発信するだけじゃなくて、

だれかに行動を起こしてもらう。そこまでいけたら最高やなー。

そんなことをしていきたいです。

---------------

★さいごに言いたいことは


「全ての出逢いに感謝」っていう当たり前のことしか言えないです。

でもそれも全部全部東北からいただいた。

いただきました。

だからわたしはあの土地にお返ししたい。

それがどんな形になるのかはわからないけれど。

そしてまたまた当たり前のこと「ひとりではなにもできない」



わたしは安定しているように見えるらしいんですけど

ぐじぐじ泣いたり悩んだり、悩み始めたら止まるし、

しかもがんこなので、認めたくないひとの意見は聴けない。聴かない。

でも、それでも、

「生きる気力がなくなったら僕に電話して!」(これなんてイケメン)

「いつでも話きくよお」「うまくなくていいよお」「えもー!」

って言ってくれる仲間が日本中にいて

「立ち止まってもいいんだよ」と言ってくださる、見守ってくださるおとながいて。

一歩一歩、前に進むことができました。

なにひとつとしてひとりではできなかった。



気分屋のわたしをなだめてくれた運営のみんな、ありがとう。

いっぱいごめんなさい。どれだけ助けられたか。



たくさんの勇気と元気をくれたリーダーのみんな、ありがとう。

みんながわたしのモチベーションでした。

ふがいない運営で、たくさん傷つけてしまって、ごめんなさい。



へっぽこなわたしを尊重し、認めてくださった助けあいジャパンのみなさま、

度々事務所で泣いてごめんなさい。いつもありがとうございます。



温かく見守ってくださったクリ可のみなさま、ありがとうございました。

バスを出す前日から当日にかけて、温かいメッセージをたくさんいただきました。

ほんとにびっくりした。お見送りまで。



離れていってしまったひとたち、わたしのやっていることは100%正義ではないかもしれない。って教えてくださった方々。

傷つけてしまって、ごめんなさい。

いつもそれを考えていました。ありがとうございました。



東北のみなさま

なんて言っていいかわからないです、ありがとうございます。



きっかけバス47に関わってくださったすべての方々

えもを応援してくださるすべての方々

ありがとうございました。



わたしは4月から社会人になります。

東北を応援する、全国の学生のこれからを応援する、ひとりのおとなになりたいです。

きっかけバス47はまだまだみなさまの応援を必要としています。

どうぞ本プロジェクトを大切な方に伝えてくださいませんか。

わからないことがあれば、わたしが何度でもお話します。

きっかけバスのHPはこちら

きっかけバスへの寄付はこちら



これからもどうぞよろしくお願い致します。



きっかけバス47運営+兵庫リーダー

江本珠理
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テーマ:
どみ&ぴろ



あぁ、あぁ、やっとわかりました。
やっと自分が自分を理解することができました。

ぶっちゃけ恥ずかしいです。
でも、バスが全部で終わってからの今の僕の素直な想い、
聞いてください。


私、ドミーこと弥冨 彬(いやどみ あきら)と
ぴろぴろこと白井 宏美(しらい ひろみ)。
最初はたったこの2人でスタートしたきっかけバス47プロジェクト。
でもいつのまにか、1700人を超える仲間や、何千・何万人っていう
支援者の方々を含め、日本中のプロジェクトになっている
このきっかけバス47。

5月末に話しが持ち上がって、
6月に運営メンバーのチームが出来上がって、
7月に海都が入ってくれてすんごい助かって、
READYFOR?が達成出来て、
9月にリーダー研修合宿。

その後も色々と、本当に色々あって、バスを出すか出さないか、
出せるのか出せないのか、そんな話しがあって。
あっという間だった気がします。でも、長かった。本当に長かった。


先にバスを出し終えたリーダーとかから、
「なんでドミーってこんなに必死にこのプロジェクトやってるの?」
と聞かれた時、
「まぁ色々あるよね~、でもこのでっかい
プロジェクトやりきりたいからさー」
とかって言って誤摩化してました。


もちろんその言葉自体に嘘偽りは無いのですが、
なんか自分の中でも本心から
「これがしたいからこれだけ辛くても俺は
きっかけバスをやりきりたいんだ!」
って事が言えなかったんです。
何か自分でも良く分かってなかったんです。


ツアーが出始める1月末から、
事務所には最大で12日間連続で泊まり込み。
その後も9日連続で泊まり込み、3日・4日の泊まり込みはざら。
きっかけバスが出ている最中は、正直自分でも
なんでここまでやってるのかわかりませんでした。
事務所の電話も、会社用の携帯も、自分の携帯もバンバン鳴る。
メールも、FBメッセージも毎日バンバン来る。

きっかけバスがピークの時は、1日に最大10台のバスが動いてる。
JTBさんには、一気に7県分くらいの名簿を提出しなきゃいけない。
メディアの方々とは、十数社の新聞・テレビの
記者さんと電話でやり取り。
一番大変な時は、それが1日に全部起きたりしました。。。

何でこんなに大変なのに、このプロジェクトを続けていたのか。
団体の代表に「ドミー、これやってて楽しい?」とかって聞かれても、
「楽しかったり辛かったりですが、幸せです」って答えてたんですが、
何であんなに大変な中でも、幸せを感じてやってたのか、
自分でも良くわからなかったんです。


でも、今ならわかります。
47都道府県ぜんぶから、無事バスを出し終えた今なら。



僕、仲間が欲しかったんです。



子供の頃から、何でも喋れる「親友」っていうのが、
自分には正直あまりいませんでした。
それが僕のコンプレックスなのかもって気づきました。


自分のことを説明しなくても、
自分のことを理解してくれる仲間が欲しかった。
ただ、2000人の仲間が欲しかった。
2000人の仲間をつくりたかった。

きっかけバスがピークに差し掛かる2月の下旬頃、
僕、ずっと事務所で一人泣いてました。

きっかけバスが走り出して、みんなが自分達自身の手で
良いツアーにして行く中で、
僕はみんなの輪の中に入れなかった。
でもみんなと一緒に話したかった。一緒に今の東北を見たかった。
みんなと同じ輪の中に入りたくて入りたくてしょうがなかった。


くだらない話しとか、恋バナとか、そして超クソ真面目な話しとか。
同じ仲間と色々と語り合いたかった。

だから、たまたま鹿児島のメンバーと1泊だけでも一緒に泊まれた時、
雑談できる喜びや、将来や人生について一緒に熱く話せた
喜びがあったのと同時に、みんながやっぱり僕を代表として
みて来る辛さもありました(当たり前なのですが)。


だから、幾分かは弥冨 彬個人としては話せたけども、
やっぱりきっかけバスの代表としてしか
話せなかった部分もあったんです。

その辛さが、まだまだ残ってたんです。
僕は同世代のみんなと同じ輪の中に入って、
みんなと1人の仲間になりたかった。



でも、事務所に居たら、鹿児島のチームと一泊したときの様な、
少しでも仲間がいる感覚、その感覚は全くありませんでした。

事務所に缶詰になってると、孤独。
正直「独りぼっち」って感覚しかありませんでした。


だから辛かった。全部ほっぽりだして、携帯もパソコンも水没させて、
今すぐツアーの中に飛び込みたかった。
でも、事務所には毎日毎日電話が何件もかかってきて、
会社の携帯も僕個人の携帯も鳴り止まないし、
メールもFBメッセージもバンバン来る。

とにかく毎日、出発する県の名簿を作って、
メディアの対応をして、他の外部の方々とやり取りをして。
そしてリーダー達とプログラムや行程の確認をし合って。

でも、全国で全国の2000人の仲間を創りあげて、
このきっかけバスの効果を少しでも多く発揮させるためには、
誰かが事務所にへばりついて、事務処理とか
色々なことをして行く必要があったんです。

それは、休学していたこともあって、
平日とかに時間のあった自分がJTBさんや
外部の方とかのやり取りをしていたのもあって、
自分が最後まで責任を持ってやるしかなかった。


そして何より、事務所も大事だけど、
他の運営メンバーは現地に行ったり、
バスに乗って直接リーダーのサポートをしたりしなきゃいけなかった。


僕だって、僕だってツアーの中に飛び込んで、
自分が本当にこのきっかけバスをやって良かったのか、
10年続ける価値があるのか、独りよがりのプロジェクトに
なってないのか、意味があったのか。

それをこの目で確かめたかったんです、本当に。

バスが出ている期間中は、東京駅や羽田空港で「いってらっしゃい」の
お見送りや「おかえりなさい」のお迎え、それしかできなかった。

それでも、そのお見送りやお迎えが、バスが出ている間は
唯一の息抜きだったし、楽しみで楽しみでしょうがなかった。

バスのマグネットシートを綺麗に綺麗に拭きあげて、
「さぁ、お前は次はどんな景色を見て来るんだー」とか
それに話しかけたりして。←ほんとのはなしです(笑)


東京にお迎えにきた時、その県のツアーが良かったかどうかって、
実は一発でわかるんです。これ、本当です。

もう、行ってらっしゃいってお見送りした時の顔と、
お帰りなさいってお迎えした時の顔が、全然、全然違うんです。

もうリーダーや参加者と会った瞬間に、
「ドミー!最高だったよ!」
ってとびきりの笑顔で言われて、
「わーかっってるよ(笑)。顔を見ればわかるって」。
っていう微笑みながらのやりとり。

そんなやり取りを何度したことか。


お迎えが終わって空港や駅で最後のお別れの時、
必ず参加者全員と握手して、サヨナラをしてたんです。

もう、本当に本当に一人一人が最高の笑顔で、やりきった顔で、
誇りを持った顔をして、自信に満ちた顔をしていて。


その度に、いつもいつも思ったんです。
あぁ、このきっかけバス、本当にやってよかった。
47都道府県、全部バスが出せて本当に良かったって。
これからみんなが地元に帰って何をやるのか、
楽しみで楽しみでしょうがなかったんです。


でもそれと同時にいつもいつも思う寂しさっていうのがあったんです。
あぁ、みんな、みんな本当に良い顔をして、
その県でひとつのチームになったんだ。

みんなでひとつのチームになって帰って来るけど、
僕はいつもいつも、その輪の中に入れてないな、って。


自分で勝手に線を引いちゃってたのか、なんなのか、
それはその時の自分にはわかりませんでした。

輪の中に入れば良かったのかもしれないけども、入っちゃダメだ、
きっかけバスの代表としてやっぱり一歩引いた所にいないと、
って思ってる自分もいて。



ツアーが良かったかどうか、その結果だけはわかる。
でも、その過程も、みんながどんな想いで
この4日間をやりきったのか、見たかったな、
感じたかったなって、知りたくて知りたくて、
体感したくてしたくてしょうがなかったんです。




ちょろっと話しは変わりますが、きっかけバスの運営に、
政也という男の子がいます。

まさや

彼、ものすごい感受性が強い子でして。
運営として栃木、愛媛、茨城のツアーに
計3回フルで同行したんですが、
本来ならば運営として、一歩引いた目で全体を俯瞰して、
リーダーをサポートしなきゃいけない立場なのに、
参加者と同じ目線で、最前線で現地の方々の話しを聞いて、
吸収してしまっていたらしいんです。


そしたら彼が、色々と受け止め過ぎちゃって、
ものすごい辛くなってしまって、東北が大好きな彼が
「東北に行きたくない」って言葉を発するくらい、
辛くなっちゃったんです。

彼が彼自身の壁にぶつかっちゃって、
ぶつかってる原因は分かってたんだけども、
何もサポートしてあげられなくて。


その2日後くらいの夜、深夜2時半くらいだったかな。
僕と、その政也と、他のメンバーが事務所で泊まっている時、
彼だけまだ事務所で作業してて、
僕は廊下を隔てた隣の部屋で寝付けず横になってて。


内容までは聞こえませんでしたが、助けあいジャパン副会長の
石川さんと、政也の話し声が聞こえてきて。


しばらくしたら、大号泣する彼のうめき声が、聞こえてきたんです。
「あぁ、石川さんが今の政也の壁を乗り越えさせてくれたんだな」
って、そんな瞬間でした。

ただ、大号泣している声が聞こえるその隣の部屋で、
僕はその涙につられて別の意味で泣いてました。

「あぁ、政也はこんなにも成長している。東北に行って、
現地の方達とお話して、このきっかけバスで辛い壁に
ぶち当たりながらも、それを今必死で乗り越えてるんだ。
それなのに、それなのに。
俺はバスにも乗らずに毎日毎日パソコンばかりカタカタやってて、
何やってんだろう俺」って。

「俺何も成長してないし、俺何もしてないじゃん。
俺、何やってんだろう。」
って、そう思い始めたら、もう涙が止まらなくて止まらなくて。


バスに乗りたい、みんなと一緒に東北に行きたい。
そう思ってても、事務所を離れるわけには行かなくて。
ずっとバスに乗りたい想いを押し殺しながら毎日作業して、
辛い想いを溜めちゃってたのが、そこで勝手に溢れ出ちゃって。



そしたら翌日、たまたま岩手のツアー最中の
活動報告とか読んでたりして。

リーダーや参加してる学生が本当に真剣な眼差しで、
写真を見ただけで本当に熱い想いで、今その場にいるんだろうな
っていうのが手に取るように想像出来る
報告がアップされているのを読んじゃって。

いいなぁ、みんな頑張ってるなぁって想いで読んでて、でもそしたら
「何で俺、その場にいないんだろう」
ってまた事務所で1人ずっと泣いてて。

何であんな良い雰囲気、中に飛び込みたい雰囲気があるのに、
俺行けてないんだろうって。



それこそ6月からずっと、ずっとこのプロジェクトを創ってきたのに、
何で俺があの場にいれないんだろう、何で俺だけずっと
こんなに電話に縛られて、パソコンの画面にずっとかじりついてなきゃ
行けないんだろうって、自暴自棄になる夜もありました。


政也が壁を越えて吹っ切れてから、
また「東北に行きたい」って言い出して、
彼を笑顔で送り出して。笑顔で送り出しながら、
何かまた泣いちゃって。

そんな想いで、2月、3月を僕は過ごしてました。


何で仲間が欲しいのか。
実は、自分でも小さい時から僕は普通の子じゃないというか、
何か周りの子とずれてるなって思ってたのもあって、
いわゆる意気投合できる仲間も少なければ、転勤族だったから
幼なじみっていうのもいなかった。
そう、幼なじみって、すごい憧れるんです。

本当に、一番欲しいものって言ったら、
幼なじみとかかもしれないです(笑)
もうこの歳になったら絶対に手に入らないモノですし。


でも、小さい頃から自分を知っていて、考え方とか、行動とかを、
全て見透かされちゃう様な、以心伝心な仲間。

本当は言いたくないけども、代表としては言わざるを得ないことを
言ったりしても、そんなのも全部わかってくれる。
そんな仲間が欲しかったんです。

このプロジェクトの代表として、
運営メンバーに責められるのも辛かったし、
「ドミーの考え方がわからない、ついて行けない」とか
言われた時には、
「あぁ、この人って仲間じゃないのかな」、
とか思ってしまったし。


運営メンバーの募集とかかけたり、
周りの人を運営メンバーに誘ったときとかも、
「自分は中途半端にしか関われないだろうし、
それだとみなさんに迷惑がかかるし失礼なのでやめておきます」
とか言われたときも、辛かったし、悲しかったんです。

「いや!全然中途半端でいいじゃん!
少しでもこのきっかけバスに関わってくれてさ、仲間になろうよ!」
って、ものすごい言いたかったです。

それと同時に、100%の人じゃないと関われない様な雰囲気を
作ってしまっていた自分を責めてしまってました。


でもとにかく、僕は1人でも多くの仲間が欲しかったし、
全国47都道府県に仲間が出来るこのきっかけバス47が大好きだし、
惚れ込んでました。


だけど、僕はそんな仲間と東北に行くバスに、
今回1回も乗れてないんです。


だから、東北に行く前と、行った後。
そのBefore & Afterしか知らないんです。
その途中経過っていうのを、何一つ知らない。
もっと言えば、みんながどんな想いでこのプロジェクトに参加して、
どんな想いで東北に行きたかったのかも、何も知らないんです。


だからみんなに、1つだけお願いがあります。
全国のリーダー、そして参加者のみなさんにお願いです。

活動報告を通して、みなさんの想い、教えてくれませんか。
今の活動報告、すごい良い文章を書いてくれてる人もいます。

でも、何というか、
「ツアー全体を通して◯◯という風に思いました」とか、
「これから◯◯して行きたい」とか、
ちょっとまとめすぎてる気がするんです。

もっともっと、もっと、
みんなが最初きっかけバスに参加したその動機から、
どんな想いで参加して、
どんな想いでボランティアをして、
何を感じて、
同世代の仲間たちとのダイアログで何を考えたのか、
何が一番心に響いたのか、
どんな想いで東北の街を見てきたのか、
釘子さんの話しを聞いてどう思ったのか、
どんな想いでチェックアウトをして、
これからどうしようと思って地元に帰って行ったのか。


僕は、みんなのその最初から最後までの想いを全部
教えて欲しいです。
支援してくれた大人も、みんなの想い、みんなの話し、
待ってるはずです。


きっかけバス代表としても
弥冨 彬一個人としても
みんなの想いや経験
もっともっと知りたいです。

3年経った東北をみた学生にしか書けない言葉、
それって日本中が知りたいと思うんです。
僕たち世代が、今の東北みて、どう思ったのか、
みんなの体験、みんなの次のステップ、
どうか、僕に教えてくれませんか?


みんなの体験、僕にシェアしてくれませんか?
みんなの言葉、心の底から、待ってます!





【支援者の皆様へ】

改めて、このきっかけバス47をご支援くださいまして、
本当にありがとうございます。
きっかけバス47代表としても、弥冨 彬としても、
お礼を申し上げます。

このプログラムに参加して、
帰ってきた学生達の顔、表情、本当に違います。

正直ちょっと暗い感じのした表情をしていた人たちも、
イキイキと、自信に溢れて、
「これから復興頑張ろう!」「日本を作って行こう!」とか、
やる気に満ちあふれています。


いま、もう全国には2000名の仲間が居ます。
復興をやりたいと、防災の意識を広めたいと、
大切な人を守りたいと、そんな学生達が、全国にいるんです。
47都道府県全てに。

お見送りと、お迎えをたくさんしてきた弥冨 彬として、
きっかけバスの代表として、彼ら彼女らとなら何でもやれるな、
どんな困難でも乗り越えて行けるな、と思います。
僕はこの学生達と一緒に、復興を盛り上げて、
そしてこれからの日本を創って行きたいんです。


そして、これを毎年やって行きたいです。
だって、こんな素晴らしい学生達が、
毎年毎年2000人も増え続けるんです。

復興に関わる、人の命を救える、全国に仲間がいる仲間たち。
そんな仲間を、このきっかけバスを通じて、
毎年つくって行きたいんです。

復興は、まだまだ続きます。
防災の活動も、まだまだ続けなければなりません。

でもこのきっかけバスを、それこそきっかけにして、
本当に復興や防災を自分ごととして、
こんな風に動いている学生もいるんです。

2014年3月14日、中国地方で震度5強の自身が起きた時、
きっかけバスのコミュニティ内で、きっかけバス47 熊本組の
一学生参加者が投稿した内容です。

よしき1
よしき2



少し個人的な話しをすると、僕は母の実家が岩手県。
内陸部ですが、そこにはおじ、おば、従兄弟たちが、
他の親戚も一関や気仙沼に住んでいます。
だから、東北というのが身近な部分もあったし、311が起きた時も
真っ先に脳裏をよぎったのは、岩手に住む親戚たちでした。


逆に、僕は北陸とかには知り合いも親戚も誰も一切おらず、
僕が中学生の時に起きた中越地震や中越沖地震の時は、
どことなく他人事というか、TVの中の世界でした。

でも今は、全国47都道府県すべてに、きっかけバスの仲間がいる。
日本のどこかで災害が起きた時、
きっとどの県で起きても、僕はその災害が自分ごとになります。
それはきっかけバス47のおかげで、全国に仲間がいるから。

僕は、そんな仲間に誰1人傷ついて欲しくありません。
どこで何が起こっても、誰かの助けになりたいし、
何かあれば駆けつけたい。

そんな全国47都道府県すべてに関わりが、
つながりが、仲間ができるこのきっかけバス47を、
僕は毎年続けて行きたいんです。
今年だけで終わりにはさせたくないんです。

お金が集まってない状況ではありましたが、
JTBさんに無理を言って、
何とか後払いにしてもらうことで47都道府県、
全てのバスを出すことができました。


でも、3月31日までには、そこまでには残りの寄付も
頑張って集めきりたいです。
そして、また来年も再来年も、きっかけバス47という
プロジェクトを続けていきたいです。


僕も、全国の学生達も、最後の最後までやり抜きます。
みなさんどうか、あともう少し、
このきっかけバス47を、
3年目の東北を感じて、
これから東北の復興と地元の防災のために
これからも頑張ろうとしている学生たちを、
応援して頂けないでしょうか。

そして、まだまだ皆様のご支援が必要な状況である
このきっかけバス47を、
ぜひ周りの方々にお伝え願えませんでしょうか。


白井と弥冨、最初は本当にこの学生2名から
始まったプロジェクトではありますが、
今はもう、47都道府県の学生リーダー達、
そして、各都道府県の参加者、
そしてそして、支援者の皆様のプロジェクトです。

Pontaポイントの寄付では1ポイントから、
クレジット振込によるご寄付であれば
ワンコイン、500円からご支援頂けます。

残された日数は、わずかです。
それでも私たちは、最後の最後まで諦めずに必ずやりきります。
なぜなら、来年もこのきっかけバスをやりたいから。


こちらから、ご支援が可能となっております。
▶︎http://kikkakebus.tasukeaijapan.jp/donate/
どうか、ご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。










【最後に】

◯運営のみんなへ
なんだろう、何から言えば良いのかわからないので、
まず最初にこれだけ言わせてください。

とにかくとにかく、本当に、本当にありがとうございます。

こんな僕と一緒にこのプロジェクトをやってくれて、
最後の最後まで付き合ってくれて、
本当にありがとうございます。

こうやって6月にみんなが集まってきてくれてからのことを
よーく振り返って考えてみると、
やっぱり色々強引だったかな、って(笑)

でもなんだろう、これだけ細かいことに気がついて、
細かくリーダーや参加者一人ひとりの気持ちに気づけて、
理解し合えて、サポートできるメンバーがいて。

だから僕の役目は、とにかく全体を見て、とにかくこのプロジェクトを
前に前に進めることだと思ってました。
時には、それがみんなの反感を買ったり、僕の説明不足でみんなを
混乱させちゃったり、嫌な思いをさせちゃったと思うし。

うん、本当に苦労させてしまったなと思います。

自分が出来てないのはわかっておきながら、
みんなにキツいことを言わなきゃいけないこともあれば、
みんなが反対しても、自分の意見を押し通さなきゃ
いけなかったこともありました。
何か本当に、僕のせいで、みんなも大変だったと思います…


でも、僕が半ば強引ながらもこのきっかけバス47を
前に前に進めることが出来たのも、
「粗があってもみんながその穴を埋めてくれる!カバーしてくれる!
サポートしてくれる!」
って、みんなを信じきれたからなんです。

うん、こういうのもちゃんと言葉にしてなかったから、
良くなかったのかな?って、今更ながらに思います。。


時にはみんなとぶつかって、「なんで分かってくれないんだよ!」って
1人怒り狂った様なときもあったけど、素直に僕の良さも、悪さも、
最後は全部受け入れてくれて、最後までこのきっかけバス47の
ど中心にいてくれたこと、本当に感謝してます。


みんなと一緒にやれて、みんなのおかげで一歩前に踏み出せて、
成長出来て、というか僕を成長させてくれて、
みんなへの感謝の気持ち、尽きません。
本当に、本当にありがとうございます。


いや、噓偽りなく言います。本当に僕、幸せです。
良い仲間に、恵まれました。みんなありがとう。

運営のみんな



◯リーダのみんなへ

本当に、ホントにほんとに本当に、ここまで最後の最後まで、
このきっかけバス47の学生リーダーとして関わってくれて、
全身全霊のありがとうを、言わせてください。

僕は、リーダーみんなのことを、心の、心の底から尊敬します。


みんなの地元での活動をネットで見ながら、
僕はいっつも自問自答してました。

「僕がみんなみたいなリーダーの立場だったら、
こんなにやれるだろうか?」って。
結論から言うと、正直「いや!できねぇ!」って
なっちゃってたのですが…


でも、だからこそ、「みんながこんなに頑張ってくれてるのに、
きっかけバス代表の自分が、
中心にいる僕が動かなくてどうするんだよ。

僕が一番頑張らないと、地元で大変な中、
手探りで1人で一生懸命頑張ってるみんなに失礼じゃん!」
って、そう思うことができて。


本部で仕事してて辛い時も悲しいときも、
みんなが頑張ってくれていたからこそ、
みんなが僕をやる気にさせてくれました。

本当に大変で忙しい中でも、僕が一生懸命頑張れたのは、
みんなの頑張りを絶対に無駄にはしたくなかった、
みんなの想いを、東北に届けたかったし、
大人の方々に届けたかった。

そんな想いがあったから。
そんな想いを、持つことができた自分がいたから。
そんな想いを、持たせてくれたみんながいたから。


みんながいたから、僕は頑張れたんです。
みんながいたから、僕はこのプロジェクトをやってて
幸せになれたんです。


リーダー研修合宿が終わった9月。
その1ヶ月後の10月。
元々のリーダーが辞めて行く中、
このプロジェクトを辞めたいとか、
本部への不満とか一杯あったろうし、
僕が上手くみんなに説明できなかったり、
時にはキツい言い方しちゃったり、
みんなのことを考えないでモノを言っちゃったり。


周りの人たちからもキツいことを言われたりして、
本当に大変で、辛くて苦しくて、孤独な思いとかも
させてしまったと思います。


それなのに、大学やバイトで忙しい合間をぬって、
寄付を集めて学生を集めて、バスを出して、
そして無事に帰ってきてくれて。

きっかけバス47を、
ここまで誇りあるプロジェクトにしてくれたこと。
本当に、本当に感謝してます。

もうありがとうしか言えない..



僕は、みんなのおかげで素晴らしい世界が見れたんです。
全国の学生が3年目の東北を訪れて、その学生達が変わる様子を。
そして、日本中の大人達が東北を、
学生達を応援してくれているその世界を。
そんな世界を、みんなのおかげで、僕は見ることができたんです。


いや、もう本当にみんながかっこいいし、
すごいし、心から尊敬してます。


2度にわたる、大雪。
あの大雪や雨で、大変な思いをした県もありました。

あの大雪の時は、この日のために何ヶ月も準備してきた
みんなの頑張りが無駄になってしまうんじゃないかって思うと、
怖くて辛くて悲しくて、本当に夜、眠れなかった。

それでも、みんなが笑顔で、誰1人ケガ無く、
47都道府県すべて無事にバスを出し切ることができて、
きっかけバス47の代表としても
弥冨 彬としても、一番、嬉しいです。


2014年、2月。
バスが出せないかもしれない、もうきっかけバスそのものが
消滅してしまうかもしれない。
プロジェクト全体がそんな危機的状況に陥った時でさえも、
リーダーみんながやれることをやりきって、
それぞれの県の力を最大限発揮してくれて、
あの危機を乗り越えることができたこと。
もう、嬉し過ぎました。


今、震災から3年が経ち、4年目に入りました。
2月から3月まで1ヶ月かけて、47都道府県から、バスが出た。
そして3月14日、震度5強の地震。

みんな、まだまだ言葉にできない色んな想いが、
頭の中を、そして全身を駆け巡っていると思います。

そんなリーダーのみんなの今の想いを、
もう一度全国に拡げて、届けて、
このきっかけバスを支援してくださった方々にお礼をして、
そして寄付を集めて。

ここからまた復興を、そして防災を、
日本中で盛り上げていきませんか?
これからはもう「本部とリーダー」じゃなくって、
「本部とリーダーと、そして参加者のみんな」と。


全国47都道府県のみんなと一緒に!



今年度の終わり、3月31日まで、残り、
もう本当にあとわずかな日数しかありません。
でも僕は最後の最後まで、全国のリーダー、
参加者のみんなと、やりきりたいです。


大好きな大好きな、最高の仲間たち。
47都道府県で1個の、大きな大きな、チームきっかけバス47。



僕はそんなみんなと、最後の最後までやりきりたい!
あともう少し、みんなで頑張りませんか?

ラストスパート、みんなで一緒にやりきって、走り抜けよう!

運営&リーダー



運営のみんな、リーダーのみんな、
参加者のみんな、そして支援者の皆様。
いつも本当に、本当にありがとうございます!!

どうか最後まで、きっかけバス47をよろしくお願いします!!




===========================

公益社団法人 助けあいジャパン
きっかけバス47
代表 弥冨 彬

ご意見・ご感想など、何でも結構です。
何かあれば、下記にご連絡ください。
全てのメールに返信できるかはわかりませんが、
拝読させて頂きます。
→ tj.iyadomi@gmail.com
===========================

きっかけバス47
Pontaポイント、クレジットカード、
口座振込でご支援頂けます。
ご支援はこちらから可能です。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
▶︎ http://kikkakebus.tasukeaijapan.jp/donate/
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テーマ:
こんばんは。
きっかけバス学生統括の白井です。

2/4~7まで行った、きっかけバス兵庫
先ほど、無事に東京に到着し、ただいま解散場所の大阪まで、移動中です。

ここでは、
バスの中で、4日間を終えて参加した43人が感じたことを、
抜粋してお届けいたします。
帰りのバス車内で43人が伝えあうまでに、4時間半。

岐阜に続き、同行してみて気づいたことは
リーダーにより、バスの中の雰囲気はまるで違い
今回のきっかけバス兵庫は
東北を見て感じたことをもとに、
個々人のパーソナルなエピソードがたくさん話されました。
それだけ、東北のことを自分事化して、深く感じているように、わたしには思えました。
途中泣いてしまう子も。
普段言えないことや、現地で感じたことをそのまんま、飾らずに表現してくれました。

参加した学生の声、一部ではありますが最後まで読んでいただけると嬉しいです。





〈参加した学生のことばたち〉

◾︎東日本大震災のことがほんとに無知ということを知り、まだまだ消化しきれていない。
◾︎「こわさ」を伝えたい
◾︎防災グッズが自分にとって何がいいのか、どこに逃げようか、誰に連絡しようか。もっと吟味したい。
◾︎今までは、物理的な復興にしか目がいかなかったけれど、今回ので、心理的な復興に目が向くようになったし、まだまだだと思った。
◾︎がれきではなく、被災物と言って。という現地の方からの言葉が印象強かった。
◾︎津波で流されたモノや、人生ってなんなんだろうなあと思った。無力感を感じた。
去年の春に祖父を亡くしたときのことを思い出して、人生って辛いなあ切ないなあと思った。
◾︎報徳庵の押田さんとお話したとき、
自分がチカラをもったら、自分だけでなく他人も助けられるんだなあと思った。
それは釘子さんの話を聞いても感じた。
◾︎東北に行ってほしいと同時に、自分の地元で何ができるかの両方を考える必要性を感じた。
◾︎4日間がほんまに一瞬だった。このメンバーで行けて良かった。
東北のことを通じて、このメンバーからたくさん学ぶことができた。
◾︎考えずに、伝えよう
◾︎ボランティアって難しく受け止められるけど、それぞれが何かできることがあってやることが、ボランティア。
もっともっと簡単でシンプルなことなんじゃないか。






◾︎自分は、自己中心的な人間なんだあと気づかされた。
それまで、就職の面接ですごく、否定されて、自分が発信すること、伝えることをずっとずっと避けていた
でも、今回ダイアログで、自分のことをみんなが必死に聞いてくれて久しぶりに、伝える大事さ、貴重さを感じた。
◾︎東北の人のために、何ができたんだろう。何をこれから返していったらいいんだろう。って、ずっとぐるぐるしてた。
◾︎自分と向き合う4日間だった。
◾︎被災地ではなく、復興地って、呼びたい。明るいイメージをもって、東北を見れるなと思った。
◾︎自分で、今まで東北のことを発信していたつもりが、ぜんっぜんダメなんだなと今回、気づかされた。
1年前に初めて東北で感じた衝撃を忘れかけて、最近事務的な東北への関わり方になっていたことに気づかされた。悔しい。





◾︎伝える、って、なんとなく一方通行ってふと、思った。
1番だいじなのは、発したことに対して反応があることなんじゃないかなあ。東北へも同じ。
復興で辛い事実も、元気になっていることも、ぜんぶいろんな思いを伝え合うことが大事なんだと思った。
◾︎最初、きっかけバスに参加する前は、単なるボランティア作業だけかと思ってた。
でも、バス乗って最初のチェックイン、毎晩話しあうダイアログ、最後のバスでのチェックアウト。
体験したことを言葉にすること、人に伝えることの重要性に気づかせてもらった。
◾︎高橋永真さんのような、冗談を言いながら、でも、事実も受け入れつつ前を向いて生きていけるような人になりたい。
◾︎今までは、考えたら解決することばかりだった。
でも、この4日間で考えたことって、考えても考えても答えを出すのが難しく、初めて考えることも多かった。
でも、考えること自体が、とても、大事なことなんだと思った。
周りの人に伝えるだけでなくて、周りの人と一緒に考えてもらうことをしたいんだなと思った。





◾︎自分は、すごい、変わりたくて参加した。自分の生きがいくらいの友達が、年末に亡くなった。
自分のせいでその子が死んだとずっと思っていた。
自分だけが不幸だと思っていて、でも心のなかでそんな自分を変えたいと思ってた。
東北の人は、自然を相手に、大事な人や家を奪われた。
ボランティアの作業が終わって帰るときに、陸前高田のボラセンの人から「ありがとうございました。」という声をいただいたときに、ふと。
自然と、自分もありがとうって思えるようになった。
ずっと、自分だけ不幸モノ、自分だけ、と思っていた。でも、東北の人と会って、
ありがとうございましたという、言葉がすごく響いて、
無理やりありがとうって思うんじゃなくて、自然とありがとうと思えるようになったこと自体に、ありがとうって、思えた。
このきっかけバスに参加して、自分の身近なことや、人が話を聞いてくれることに、自然とありがとうって思えるようになった。
この4日間で自分のなかの90%が変わった。10%は変わらなかった。でも、それでよくて、今までの自分で生きていこうと思った。





◾︎命って、なんだろう。あの4分間のあいだに、いくつの命がなくなったんだろう。今ある命を大切にしたいって、思った。
◾︎4日間のうちに、2回ほど地震があって、1回目に気仙沼にいたとき、自分は何もできなかった。
昨日、相馬で地震がきたときに、運営本部の人がすぐさま、ドアを開けるところを見て、緊急時に動ける人になりたいと思った。
◾︎4日間学んだことを大事にして、みんなを守りたいと思った。そして、自分がこんなに泣いたり、ありのまま伝える人だとは思わなかった。
◾︎もう一回、東北に行きたい。同じメンバーでも、違うメンバーでも、1人でも、とにかくまた、東北に行きたい。
◾︎もやもやのまま帰って、このまま考えていきたい。
◾︎私は、自分の地元の人を守りたいっていうおっきいところで考えるとわからないけど、
親とか家族とか、もっと身近な人との関係をすごく大事にしたい
◾︎江本さんが、メンバー全員が集合したときに、「みんな揃ってくれてありがとう」って言ってくれた。
そのとき思った素直な言葉を、その都度その都度伝える重要性を、東北で学んだ。
◾︎自分は人見知りで、人と話すこと特に本音で話すことは苦手。
コミュニケーションって、鏡だなあって思った。自分が本音で話したら、相手も本音で返してくれる。
◾︎伝えなきゃという責任感よりも、伝えたいって気持ちに変化した。肩の荷がこりた感じ
◾︎昨日のダイアログの後半に、みんなで将来の夢を話している時に、すっごく、幸せだった。
でも、震災のことを考えると、そういう幸せを願うことも、震災で亡くなった方にはできなかったこと。





◾︎きっかけバスって、あくまできっかけ。
でも、決して小さくなく、めちゃくちゃ大きいきっかけだと思った。
◾︎この活動を、どう、継続していけるかだろうなと思った。
防災への意識も、自分1人になると欠けることもあるだろうなと思った。
社会人になってからも、同じ意識でできるか不安だけど、
ここまで、継続したいと思ったのは初めて。
だからこそ、今回一緒に行ったメンバーで繋がり続けたい。
◾︎子供なしには、復興なし。
小学校の先生になる自分が継続するためにも、子供にもつないでいきたい。
◾︎参加する前、すごく、人生のなかでも辛い時期だった。
でも、みんなの話を聞いていて、すごく幸せだった。
全く目の前のことは解決してないんだけど、勇気をもらえて、良い方向に向くことはできたと思う。
今までの人生で、自分と向き合うってことをそこまで真剣にできていなかった。
その場しのぎで生きてきていた。だからこそ、参加する前、辛かった。





◾︎ありがとうって、言葉だけで、すごく心にくるものがあった。
ただ、会っただけで、91歳のおばあちゃんにありがとうって言ってもらえたことが、嬉しかった。
防災に対して、何したら良いかわからんかったけど、
何のために伝えるかが大事なんじゃなくて、誰のために伝えるのかが大事ってことが、わかった。
自分の大切な人から、まず伝えたい。
◾︎東北は、寒いけど、1番あったかい場所だった
◾︎大学生活のなかで、いちばん、楽しかったし、いちばん、得るものが多かった。これからの時間の過ごし方がとても、定まった。
◾︎人って、あったかいなあって思った。東北の人も、バスのメンバーも。
◾︎支援してくれた人のきもちを、もっともっと本気で受け取りたい。
東北への貢献を求めて。むしろ、こっから。東北にもっと行きたいし、もっと密に東北に関わりたい。
◾︎伝えるって、どういうことなんだろうって、ずっと考えてた。
どうするかの手段じゃなくて、本音で話すことが、伝えるってことなのかと思った。




今回の、きっかけバス兵庫の4日間の行程に関わってくださったみなさま
改めて、本当にありがとうございました!

ここからが、また新たなスタート。
引き続き、きっかけバス兵庫、走って行きます!
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テーマ:


こんにちは。

きっかけバス運営ブログ担当(仮)+兵庫リーダーのえもです。


先日、大学のボランティアセンターで働く方とお話をしていました。

きっかけバス47兵庫に共感していただけ、応援してくださることに。

そのとき、こんなことを問われました。


「震災から3年経って、現地のニーズって細分化されていると思うんです。そんな中で、


学生が大量に行くことにどんな意味があるんですか?」と。


きっかけバスって、大量の学生が東北に入れ替わり立ち替わり行って。

お金を「落とし」に行くように見えるんですよね。

それも必要とされていることかもしれない。

でも、バスを出すこと自体は「目的」ではない、と思うのです。

そしてそれだけなら、なんで「学生」じゃなきゃいけないのか、 わたしにはわからない。



このプロジェクトの一番重要なところを、あくまで個人的に、

「情報発信」に見いだしています。

そしてそれこそ「学生」が東北に行く意味だと思っています。


・ツアー前、全国の学生リーダーは支援者と参加者を募ります。

そこで「東北」を伝える。誰かに「東北」の存在を訴える。


・ツアー中、参加者は様々なことを感じます。

東北の、被災した三県の声を直接受け取ります。それは誰かに伝えるため。


・ツアー後、支援者の方に報告会で伝えます。Facebookで伝えます。色んな方法で伝えます。



学生って、

オンラインとオフライン、ふたつの領域を自由に行き来できる存在なのかなと。

最新のメディアに馴染みやすく、

また、プロジェクトを通して地元とのつながりをつくる。

そんなわたしたちが「自分の言葉」で東北のいまと、そこに住むひとたちの声を外に発信する。


それが「きっかけバス」でできること、だと思っているし、わたしがきっかけバスを通して叶えたいことです。


「きっかけ」を作ることでなにができるの?
「学生」が行く意味ってなに?に対する、えもの回答です。



どうしてそこに行き着いたのかというと。

「いま東北では何が求められているんですか?」

という問いに、わたし自身がつまってしまうから。

つまってしまうことに対して、罪悪感を感じていたし、

こんなプロジェクトを運営しているにもかかわらず。

東北を知らない自分を責めました。


でもじゃあそれって、みんなもわかんないし、わたしもわかんないんだから、

ここが必要とされてるんかな?と思ったのです。

みんな知りたがっている。

でも、なんだか東北からの声が聞こえにくい。どうやって聞いて良いかわかんない。


ああー、そこを、このプロジェクトで埋めたいなぁ、って思ったんです。

そして、「伝える」を意識し始めてから、プロジェクトや東北への姿勢も変わりました。


Facebookでの投稿を意識してみたり

だれかと話すときの言葉を慎重に選ぶようになったり。

今まで学生団体って馴染めなかった(笑)けど、

積極的に知らないコミュニティに入ってみたり。


わかりにくいし、

すぐに効果があるかもわからない。

自分はただの学生で、社会的に大きな存在ではないし、

できることなんてたかが知れているんです。


だからこそ、
できることをしっかりと続ける。これが東北にできることかなぁと。

そしてそれは伝えること、伝え続けること。


一昨年、東北に行ったとき、

当時のブログに「百聞は一見に如かず」だったと書いていました。


今は、


百聞は一見にしかず

百見は一考にしかず

百考は一行にしかず

百行は一果にしかず


全部だ、と思い日々進んでいます。いっぱいいっぱい考えたから、まずは一行。

ブログを書きました。 ーーーーーーーーーーーー きっかけバス47では まだまだ、東北と地元をつなぎ伝える学生と、 それを受け止めてくださる社会人の方の応援を必要としています! 寄付で応援してくださる方こちらから JALマイレージでのご寄付、クレジットカードでの決済も可能になりました◎ ▶バスに乗りたい!学生の方は
①申し込みフォームに登録
の参加ボタンをクリック。
②各都道府県のイベントページに参加
の手順でお願いします^^
青森県|秋田県|福島県|山形県|
新潟県|富山県|福井県|山梨県|
三重県|山口県|鳥取県|

ではまだまだ学生募集中です!
どうぞよろしくお願いします!


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