☆飛鳥のミステリー(最終稿)~『高松塚古墳』(前編) | 夢幻の如く

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☆飛鳥のミステリー(特別稿)~『高松塚古墳』(前編)です。


「飛鳥のミステリー」は「高松塚古墳」から始まり、「柿本人麻呂」でひとまず終了とさせていただきました。これからは「古代ヤマトの奇し」と題して飛鳥のミステリーで知りえなかった古代の謎を広い範囲で追ってみようと思っています。


しかし「高松塚古墳の被葬者」の見解を出さずに終了するのは心もとないので、現時点での調査と分析による私的見解を出してみようと思います。


ただ、これから新たな史実が発見されれば今回の見解と違ったものになるかもわかりませんので、悪しからずご了承下さい。



今回は三晃資料として「Amazon」で『寺尾玲子・闇の検証』という本を1から5巻まで注文しました。


注文した5冊のうち『闇の検証-5』が一番最初に届けられました。

偶然にも最初に届いた「5」に『高松塚古墳』の霊視検証が載っていました。


早速本に目を通してみると・・・・。


寺尾玲子さん曰く『高松塚ってただの古墳じゃないよ。呪詛だよ、これ!』・・・


完全な呪詛で封印されているらしく、被葬者の情報は感じることができなかったそうです・・・。


内心ほっとしました。もし被葬者が「○○です」と書かれていたら今までの苦労が水の泡となってしまう訳ですから。


その時に、高松塚の被葬者が『呪詛』によって封じ込められているという見解が今まで無かったという事に気がつきました。


従来の考古学者は「日本書紀」「古事記」あるいは「万葉集」の年代や事柄、そこに登場する人物像に翻弄されており、その人物が実在したか、年代は正確なのかという議論とは別の次元で推理を繰り返しているように思えます。


そして「日本書紀」「古事記」が捏造された歴史書であることは、古代史を少し勉強すればすぐに解ることであり、様々な方々のHPやブログ、書籍では新しい方法によって「隠された古代史」が解き明かされてきています。


誤解と中傷を恐れずに言うと『大国主神』はユダヤ系ネオ出雲族の首長であった『実在の人間』であり、同一神とされる『大物主神』は違う種族の首長で『実在の人間』であると・・・。


これが「紀記」(日本書紀と古事記を一緒にした表現)では「同一神」のような記述となっています。


弥生時代~古墳時代には「天災」や「疫病」を鎮める為や「穀物の豊穣」を祈念する儀式のための舞台装置として「聖なる場所」=「神社」を建造し、その地域の中心となる部族の「国主」を「神」として祀り、部族の繁栄と発展を祈念していました。


我々のいう「神」は「天から降臨された神」では無く「人間」であったのです。



私は「神」も「仏」漠然と信じている人間でしたが、「日本の神々」とそれらにまつわる「神話」というものには幼少の頃から全く興味が無く信じていませんでした。


なので、明治維新以前の日本の歴史の類は一切興味が無く、全く勉強などしていません。

「いつの時代に誰が何をしたか」などという事が全くわからない「無知」の状態でした。

そして、調べていけば行くほどに「紀記」の伝説めいた歴史書のマジックに翻弄され、真実を探し出すことが困難であることを痛切に感じています。

しかし困難を承知で検証して行きます。



これまで『高松塚古墳』から『キトラ古墳』そして『聖なるライン』『飛鳥の石造物』と色々な角度で検証してみた結果『被葬者の条件』として知り得たことは・・・


首と体がバラバラであったので、その当時に『首』にまつわる事件があった人物か?

②当時の王朝と対立関係にあった人間か?

③「日本書紀」「古事記」に死後の顛末が無い人物か?

渡来人であり、当時の身分が高い人物か?

呪詛を使って「墓」を封印せねばならなかった人物か?


上記①~⑤の被葬者論で登場している人物を列挙してみると



①「首関連」では「曽我倉山田石川麻呂」という人物が「紀記」で首を斬られたとあり、「寓話」では「蘇我入鹿」が挙げられる。ただし入鹿は殺されはしたが「首」を落とされたとは「紀記」に記述されていない。


②「王朝関連」では「忍壁皇子」「高市皇子」「弓削皇子」ら天武天皇の皇子を被葬者とする説がある・・が「紀記」からの抜粋なので実在の人物なのかは解らない。


③「紀記関連」上では②の被葬者と同じような人物が挙げられています。


④「渡来人」では「百済王禅光」「高句麗の王族」という説もある


⑤「呪詛」では誰一人として被葬者は挙げられていない。


そして、高松塚古墳のブログをアップしてから後、被葬者を調べている時にいくつかの興味深い記事に出くわしました。


その記事も参考にし「高松塚の被葬者」を推理して参ります。


しかしながら、これ以降の内容も長文になるので(後編)へとつづきます。