2011年01月30日(日)

江戸時代の長屋の家賃っていくらぐらい?

テーマ:あれこれ

明日は、ガンツの公開日ですね。 ちょっと見に行きたい気分です。


さて、前回は庶民の生活水準を知るうえで、一番のウエイトを占めると思われる家賃。


これをネタにしてみます。


パパ覚


おかみさん達が洗濯をしながら井戸端会議をし、子どもが元気に露地を走り回る……。


これは時代劇でおなじみの江戸時代の長屋の風景です。


私が子供のころは、まだ川で洗濯をする習慣が残っている場所もありましたが、今は全く見なくなりました。


江戸ではI軒の広さが間口9尺(約2・7メートル)、奥行き2間(約3・6メートル)という棟割長屋が一般的だったようです。


このうち1畳半くらいが土間で、部屋は四畳半ひと間。


風呂はなく、井戸と厠は共同で、レオパレスもびっくりなぐらい壁は薄く、隣の住人のいびきで眠れないなんてこともあったようです。


現代の水準でみれば、ずいぷんと貧しい暮らしに見えますが、文政年間では町人の約7割が借家人で、その大半が長屋に住んでいたそうです。


もちろん長屋の中には、二階建てで小さな庭がついているものもあったとはいえ、そんなところに住めるのは大工や左官の棟梁など、ある程度収入のある者だけでした。


一般庶民にとっては棟割長屋がふつうの住まいでした。


ところで、こうした長屋には、野菜や魚を担ぎ売りする棒手振や大工などの職人、仕立屋、小さな店の商人など、さまざまな職業の人が住んでいました。


場所によって多少の違いはありますが、家賃はだいたい月400~500文くらいだったようです。


ちなみにヽ大工の1日の収入が500文前後、棒手振なら100~200文程度の稼ぎだったといいますので、ゆとりはなくとも生活に困るほどの家賃ではなかったと思われます。


それに、今でいう税金に当たる公役を納めていたのは地主で、長屋暮らしの借家人は税金を支払う必要がありませんでした。


つまり、自分たちの生活費だけを稼げばよかったというわけですね。


そのかわり、町政には参加できませんでした。


地主や、持ち家があり公役を払っている者だけが町政に参加できる町人として認められていたため、実際には大半の庶民が”正式な”町人として認められていなかったというわけですね。


さて、次回はちょっと大人な話でも。


幕府公認の遊郭「吉原」のお金のしきたリについて。


ではまた♪

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2011年01月28日(金)

江戸時代の旅にはどれぐらいの費用がかかったのか?

テーマ:あれこれ

テレビをみていると 湯快リゾートが今人気みたいですね。


あぁ、温泉いきたい・・・・


さて、今回は旅行がテーマです。


パパ覚


江戸時代の文芸で有名なものの一つに、弥次さん・喜多さんが珍道中を繰り広げる「東海道中膝栗毛」というのがあります。


この2人は物語の登場人物なんですが、この本が出版された頃から一般庶民の間でも旅を楽しむ人々が増えてきたようです。


彼らの目的は寺社への参拝だとはいえ、知らない土地の珍しい風物に触れることができるため物見遊山も兼ねていました。


なかでも、とりわけ人気が高かったのが「お伊勢参り」で、本の通り弥次さん・喜多さんと同じ東海道を行くコースだったようです。


ところで この東海道の旅なんですが、一日の路銀(旅費)はいったいいくらぐらい必要だったのでしょうか。


道中で一番大きな割合を占めていたのは、宿代です。


一泊2食つきの旅籠だと、平均で150~200文ぐらいの料金が相場だったようです。


もちろん一日に払うのは宿代だけというわけにはいきません。


旅籠によっては出立する日に弁当を持たせてくれるところもあったようで、それがなければ昼食代が必要でしょうし、途中で休憩すれば茶代もかかります。


移動手段は基本的に徒歩ですから、途中でわらじも買い替えなければならないないでしょう。


また、今では少なくなったかもしれませんが、宿に泊まれば多少の心づけ(おひねり)を支払うこともあります。


こうした諸々の雑費までを含めると一日に400~600文程度が必要だったそうです。


現代のお金に換算すれば、およそ 8000~1万5000円ぐらいですね。


ところで、これは平旅籠と呼ばれる普通の宿屋に泊った場合の話。


昔の宿には、下働きをしながら夜のお相手もしてくれる女性を抱えている、いわゆる飯盛旅籠というのがあり、女性を呼んだ料金は別に支払うことになっていました。


前回から何度か「庶民」というキーワードがでていますのでこのあたりを次回のテーマにと思います。

時代劇でよく見る庶民といえば・・・・ と、いうことで。


次回は、江戸時代の長屋の家賃っていくらぐらい? で。


では、また♪



追記) 東海道中膝栗毛 作者:十返舎一九(じっぺんしゃいっく)

滑稽本(江戸時代後期の笑いを主眼とした小説ジャンル)。

享和二(一八〇二)年から文政五(一八二二)年にかけて刊行。

別名『道中膝栗毛』。

弥次郎兵衛、喜多八の二人連れが、失敗を繰り返しながら東海道を上り、伊勢神宮参拝を果たして、京都、大坂に到る道中記。

続編では四国、中国に渡り、善光寺を経て江戸へ帰り着く。

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2011年01月26日(水)

歌舞伎の入場料はいくらぐらい?

テーマ:あれこれ

今年の花粉は、昨年の10倍以上だそうですね・・・ あぁ イヤダ イヤダ・・・


さて、前回に引き続き歴史のお話。


今回は、


■ 江戸時代の華 歌舞伎の入場料っていくらぐらいだったの?


パパ覚


歌舞伎は日本を代表する古典芸能のひとつですが、江戸の人にとって歌舞伎の華と言われる程で、最高の娯楽であり最大の関心事だった ようです。


18世紀の半ばごろから盛んになったこの古典芸能を最初に興業したのは 中村座。


そういえば、もう左目は大丈夫なんでしょうかねぇ。 海老・・・ げふぉげふぉ・・・


さてと・・・ これを皮切りにありこちに芝居小屋が建てられましたが、先記事にもあった、1841年(天保12年)水野忠邦の改革により、芝居小屋は浅草近くの猿若町に集められました。


そして、武家や豪商から庶民までもが熱狂する娯楽と発展していきます。


当時の興業は朝6時頃から夕方4時頃まで。


少しでもいい席を確保したい庶民は、まだ夜も明け切らないうちから小屋の前に並んだといいます。


庶民が座るのは平土間(ヒラドマ)と呼ばれる一番安い枡席でした。


ひと枡の中にはだいたい7人ぐらいが定員でしたがお客が多いとそれ以上に詰め込まれることもありました。


出し物や出演者、あるいは時代によって見物料は異なるものの、現在の金額にして、およそ数千円といったところが相場だったようです。


ちなみに、現在では昼の部で一万から一万五千円ぐらいが相場と思われます。


一方、懐に余裕がある商人などは、チケットの手配をしている芝居茶屋へと向かいます。


そこで観劇用のよそいきに着替え、一番高い桟敷席へと案内されます。


ここは、今の価格にすると10万円以上する席です。


芝居茶屋は菓子や弁当を用意するなど、幕間には休憩所となり、芝居のあとには一席設ける場所として賑わいました。


このときに、ひいきの役者を座敷に招くこともできたそうです。


芝居茶屋を利用する人々は、見物料に加えて、飲食代まで奮発していたようですね。


桟敷席とは比べ物にならない金額だったとはいえ、庶民にとっては平土間でも決して安い料金ではありませんでした。


何カ月もお金を貯めて見に行く人もいましたが、実はその日暮らしの庶民でも手軽に歌舞伎見物を楽しめる席がありました。


それは、2階席の奥あたりにあった立ち見席です。


ここは、現在のお金で数百円程度だった為、芝居好きは毎日でも通うことができたようです。


相撲も同じような体系ですね。


さて、次回は 江戸神田八丁堀の住人栃面屋弥次郎兵衛(とちめんや やじろべえ)と、居候の喜多八(きたはち)の珍道中、東海道中膝栗毛でも有名な旅が流行したのも江戸時代なので、これにはどれぐらいの費用がかかったのか? でお会いしましょう♪

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2011年01月24日(月)

ただいま♪

テーマ:あれこれ

心の友 黒ひげさんから らぶレターをいただきましてw 


こそーり復活してみたりします。


いやいや、お友達ってのはいいですね。


なんの記事を書いていこうかなと検索キーワードを見てみると 「歴史」ってのが上位にいましたので、しばらくこのキーワードのネタでも♪


さて、一回目は・・・と


■ 江戸時代に「江戸前寿司」はいくらで食べることができたのか?


パパ覚


「江戸前寿司」といえばちょっと贅沢な気分を味わる事のできる食べ物として人気ですね。


登場したのは江戸時代の文政年間(1818~1830年)頃といわれています。


にぎり寿司の文化は江戸時代が発祥ですが、江戸前寿司とは、江戸城の前に広がる海で取れた魚をネタとして使った寿司全般をさす言葉です。


贅沢とは縁のなかった江戸時代の庶民にとっても、この江戸前寿司は、手軽でありながらも贅沢を感じられる食事だったようで、今と変わりなく愛されていたようですね。


寿司のネタとしては、アジ、タイ、コハダ、アナゴ、玉子など今とほとんど同じメニューだったようです。


当時は、光りものが人気で、マグロはあまり食べられなかったようです。 


また、今と違って普通の店舗だけでなく、屋台の立ち食いスタイルの寿司屋さんも多かったようです。


さて、その江戸前寿司の値段なんですが、本来は1カンでおよそ4文から60文と結構幅がありました。

(1文は現在の20~25円程度)


しかし、時の老中・水野忠邦の「天保の改革」によって「贅沢はけしからん!」と、取り締まりの対象となってしまいました。


その結果、もっとも高いものでも8文程度と決められました。


ですが、その後 時代もかわり締め付けが緩んでくると、再び20文以上の寿司も出てくるようになりました。


寿司はどの店で食べるかによって値段に違いがあり、それなりの店で食べれば20~30文ですが、屋台で食べると10文以下という感じだったようです。


江戸時代は全国のモノの流通が整備され、ある地方の特産物などが全国に広がるのにさほど時間のかからない時代だった為、江戸前寿司も例外なく文政年間末期には大阪、天保年間になると名古屋にも広がっていきました。


次回は、江戸時代のちょっと贅沢つながりで 江戸の歌舞伎の入場料はいくらぐらい? 


では♪


いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。