日本はどう思われているか? ②韓国良心勢力の対日認識 | 朝鮮問題深掘りすると?

朝鮮問題深掘りすると?

初老の徳さんが考える朝鮮半島関係報道の歪み、評論家、報道人の勉強不足を叱咤し、ステレオタイプを斬る。

今回は韓国の人々の日本認識について御紹介しようと思います。紹介するのは韓国の代表的インターネット新聞「プレシアン」の国際紛争専門記者で聖公会大学校兼任教授のキム.ジェミョン氏が最近発表した文書です。


「プレシアン」は韓国の民主化を指向し、ジャーナリズムを捨て去りイエロージャーナルに陥り、親政府的右翼偏向ジャーナルを自認するいわゆる「朝中東」(朝鮮日報、中央日報、東亜日報)に果敢に立ち向かい、そのレベルの高さとインテリジェンス、バランスの取れた内容、適切なコメントでしっかりとその地位を固めているネット新聞です。不思議なことに日本のマスメディアのほとんどは「朝中東」3紙の報道にぶら下がり、「プレシアン」のようなメディアはまったく無視しています。日本の韓国報道が一方的でステロタイプな偏向報道に占領されている原因の一つといえるでしょう。


さてキム・ジェミョン記者の文章の主な内容を紹介しますが、韓国の良心的人々の共通した意見と言えそうです。
キム氏はまず最近の金賢姫訪日について「朝鮮半島の緊張緩和と言う側面から見れば、金賢姫の訪日ショーはまったく助けにならない退行的で、時代錯誤的なものである。天安艦以後の後爆風の中で北朝鮮を対話の場に引き込むのに金賢姫の訪日は悪剤として作用するだけだ」


「結論から言えば金賢姫の華麗な訪日は日本政府の政治ショーとしか考えられない。…拉北者問題をイッシュー化したという自慰にしては投入した金額はあまりにも大きすぎた。得たものは対北朝鮮世論の悪化だけであった。」と指摘します。


そして「事実上、彼女(金賢姫)は、韓日保守派がうしろで操縦する操り人形のように思える。1987年スパイとして登場したときは韓国大統領選挙で保守執権党であった民政党のノ・テウ候補の当選に貢献したが、23年後の日本ではシンデレラのように現れ日本民主党政権の支持率向上のために動員されている。彼女が意図しようとしまいと、韓日の保守右派は金賢姫ショーで相当な旨みを得た」と指摘しながら「拉致問題」について次のように書いています。


「ここで明らかに確認しておかねばならないのは拉致問題に限って言うならば、日本には口に出せる言葉のない国である。20世紀前半期、日本が中国侵略(1937年)と真珠湾空襲(1941年)に続いてフィリピンとインドネシア半島へと振興しながら戦争の狂気に覆われていたとき、多くの韓国人を拉致して行った。そしていわゆる「大東亜共栄圏」のための帝国主義的侵略戦争を狂ったように押し進めるなかで犠牲にした。
学界ではそのころ日本本土とサハリンの炭鉱、フィリピンとインドシナ半島の戦線に強制的に連行されていったわが韓国(朝鮮)人は実に240万人に達すると推算している。拉致されたこの人々の中には田畑で働いていたとき、湧き水場で水を汲んでいたとき、せせらぎで洗濯をしていたときに、人間狩りに会い日本軍の制度玲になった数十万の若い女性たちもいる。」


「韓国(朝鮮)人を戦争労働力として使うために強制的に連行していった拉致行為はまさしく戦争犯罪である。」


「問題は日本の主要戦争犯罪者たちが、彼ら自信を戦争犯罪人と考えていなかったということである。第2次世界大戦から1944年まで3年間わたって戦時内閣の総理として戦争を指導した東条英機は1948年12月、死刑執行を前にしてこのように語った。『どう分析しても東京裁判は政治的裁判である。それはただ戦争に勝った者たちの正義である』。安倍信三元総理をはじめ、今日の日本の政治家たちが何かとして『慰安婦の強制動員はなかった』と強弁するのも同じ脈絡としか思えない」


「少なくない日本人が多分心の底にこうした考えを忍ばせているのであろう。日帝植民地時代の韓国(朝鮮)人拉致は既に遠い以前の過ぎ去ったことであり、北朝鮮の日本人拉致は今の問題であると。だがはたしてそうであろうか。いまも血の涙を流している『慰安婦』のおばあさんらの姿を思い描けくなら、それを「過ぎ去ったこと(過去史)だと言い逃れることは出来ない話しだ」


「『わが日本がかつて実に間違ったことを行った』と、真に謝罪をし、頭を垂れない限り、そして人生を苦痛の中で生きてきた被害者らに適切な賠償をしない限り、日本による韓国(朝鮮)人拉致問題は現在進行形である。暗い過去史が綺麗に整理されない限り、韓国と日本の間に平和はなく葛藤だけが続くであろう」


キム・ジェミョン記者の文書は多くの韓国人の心を代弁していると思われます。金賢姫の訪日を要請するという愚策が考え付く日本の政治家らの心の奥底に、とぐろを巻いているものがなにかについて考えされられます。


このブログにもネトウヨらしき者からコメントが寄せられますが(その多くは何を書いているのか良くわからない、文章になっていない意味のない罵倒だけですので容赦なく切り捨てています)、そういう人の心の奥底にも同じものがとぐろを巻いているようです。多分この記事をアップした途端にネトウヨの攻撃を受ける覚悟をしなければならないでしょう。


もちろん韓国の政治家らの中にも過去の歴史を忘却している輩がいるでしょう。過去の独裁政権や今の李明博政権に巣食っている連中がそうです。そうでなかったら金賢姫の訪日はなかったでしょう。目先の政治的利益に眼がくらみ民族的良心を投げ捨てる輩です。韓日のそうした同じ輩によって作られる「友好親善」にはたしてどんな意味があるのでしょうか。


「韓流」は確かに韓国と日本を近付けました。しかし歴史理解の裏づけのないただのブームに過ぎません。時がたてばいかようにも変わります。また「韓流」によって日本人の韓国認識が根本的に変わったとは到底思えません。ブームが変えることのできるのはやはり表面的な印象だけです。だからブームなのです。


管理人は前回のブログで国民レベルの相互理解が実現しない限り真の友好や交流は不可能だと書きましたが、そうした相互理解は過去の歴史に対する共通認識の上に立たない限り難しいようです。ところが日本では歴史教育が疎んじられ(受験でも選択科目に過ぎません)、しかも歴史の授業はほとんど明治維新で終わり、その後一足飛びに敗戦後に移ってしまいます。それはドイツでの歴史教育がワイマール共和国でひとまず終わり、その後は第二次大戦終了後に飛んでしまうのと同じです。ドイツがナチス時代の歴史を必死に否定したとしたらワイツゼッカーの発言はなかったであろうし、ヨーロッパがドイツを受け入れることもなかったでしょう。


もちろんワイツゼッカーの言動を全て肯定するつもりはありません。しかしその発言には時代の歴史的要請に最低限答えようとする姿勢が見られます。最低でも次の言葉には学ぶべき点があると思います。


「ただ今日の人口の大半は当時子供だったか、生まれていないためこの罪には問えない。しかし、先人はあなた方に容易ならざる遺産を残したのである。罪の有無は老幼問わず、我々全員が引き継がねばならない。問題は過去を克服することではなく「過去に対する責任」を心に刻み込み、理解するために老幼が助け合うことが重要である。」

「過去に目をつむる者は,現在にも盲目であり,未来にも同じ過ちを犯すだろう。」


日本も考えるべきではないでしょうか?日本が真摯に謝罪し相応の賠償(補償)を通じて許しを請うまで、韓国(朝鮮)人は、名を奪い、言葉を奪い、生活を奪い、命を奪った40年にわたる過酷な植民地支配を行った日本を決して許すことはないでしょう。それほど重い罪を日本は背負っているのです。り・ジェミョン記者の文章もまさにそこに認識の出発点を置いていると思われます。