「何でも知っている」ことがそんなに偉いことなのか。それなら、ぼくは自分のことを、ほとんどものを知らない者だ、と言おう。ぼくにはそんなにものを知ることが必要だとは思わないから。そして、物知りが偉いと思う者は、同様に、探検家は偉い、と言えばよい。探検家は世界中を知っているから。それは言わない。しかし、ものを知っているのは探検家と同じである。自分の場に留まっている者は探検家より偉い、と言える発想ができるなら、同様に、ものを知らなくても自分を見きわめている者のほうが物知りより偉い、という意識がもてるはずである。 

 

 

自分を見きわめるためには、まず、「第三者」・「一般論」を退けること。

 

 

 

 

学生の頃、哲学科に、ピアノを弾くひとが編入学してきた。そのひとが他を批評・批判するのを聞いたことがなかった。最初から哲学科にいる者たちは、じぶんの知や認識に自惚れつつ他を批評することばかり。しっかりじぶんの〈地位〉を確保することを中心にして。精神が貧しい者たちばかりだった。自分の見きわめなど発想自体に無いように。

 

人間に大事なのは品格である。ぼくも模索中だった。哲学を勉強しすぎていた。もっと大事にしてあげればよかったと思っている。