教育576 〔27日〕

 

こういう節も読者が読んでくれるのである。 いま、自分でじっくり再読して、訂正すべきところはひとつもない。そのまま現実の報告である。

すこし余裕がでてきたので、ひさしぶりにこの話題もとりあげる。 

 

ぼくが客観的に観察した、周囲者の異様な人格的変容を、観察者の〈病気〉のせいにしたり、〈もともとあった人間関係の問題〉に還元したりする、実際の観察者ではない者の意図的偏見に凝り固まった推断は、この場合、絶対に許すことのできないものである。

 



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―― この節は重要だからしっかり読んでください。――

 

前節〔ローテク被害のこと  付言 〔NHKの国民への態度〕 集合的容喙現象 09月05日 13:32〕で、わたしの周囲の者(家族・親族等)は全員人心操作を受けたと書いた。わたしはその現実を知っているから、それを公に告げるのは自分の義務であると思う。「人心操作」と書いたのは、「身心操作」と区別するためである。「身心操作」は、直接に身体に作用するもので、その酷い現状は、多くの「集団ストーカー」被害者によって報告されている。その場合、人工テレパシーで声を聞かされたり身体感覚を操作されたりする物理的苦痛・拷問を受けているのであるが(機械的ハイテク被害と表現される)、それのみならず、その遠隔操作によって、意思をも操作されるのが普通であると、わたしは認識している。それを、わたしの最も身近な周囲者、つまりわたしの同居者において、目撃・観察しているからである。わたし自身は、やはり同じ遠隔操作の電波か電磁波を受けたと思うが、眠気や神経苦痛、皮膚神経微動などは経験しても、それ以上に身体が苦痛を、操作の直接結果として受けることはなかった。これは「向こう」にも驚きをもってうけとめられた様子であることは既に書いている。壁を通して、隣室で、「(これだけ強力に作用を送っているのに、全然応えていない。) 彼(わたし)は普通の人間じゃない」と囁いているのを直に聞いた。はじめ何のことかわからなかったが、わたしの同居者のほうは、人工の声を聞かされたり、奇妙な合理性のない言動をしたり、とつぜん身体的に苦しんで床に伏せったり、散々な様子をみせたので、その様子とわたしとの差で、隣室の囁きの意味を解するようになった。そのため、もともとはわたしを攻撃するつもりだったのだろうが、それが遠隔操作では果たせないので、やがて、「彼には薬を飲ませるのだって」、と、指示者からの指示のことを囁いているのを聞くようになる。これも、薬って何だ、どうやってぼくに薬を飲ませるっていうんだ、と、当初はわたしもわからなかった。この問題のマンションをとうとうやむを得ず引っ越したその先の住居にやっと落ち着いたと思った頃に、この「強薬強制」は、巧妙な誘導で果たされることになる。そのときはまさか抗精神病薬が、予防薬のつもりで、医師との付き合いのつもりで飲んだのに、これほどおそろしい薬害をもたらすとは想像することは無理だった。栗原医師は、「あなたも今から飲まないと〔同居者と〕同じ症状が出ますよ」、と、奇想天外な詭弁でわたしに薬を強制した。「向こう」は、どうしてここまでぼくを追い詰めたのか、その執拗かつ常識的に不必要な攻撃意志が、いまだにわからない。攻撃そのものを自己目的化しているようだと思った。ぼくを「普通の人間ではない」と向こうが認識し、このことを、あらたな住居先の大家(上の階に住んでいる。ぼくの観察・監視役を依頼されたようだ)に伝えていることを、ぼくは漏れ聞いた大家家族の会話から察知している(大家の娘さんが偶然戸口でぼくと挨拶したことを見咎められて、「何を話していたのか。彼は普通の人間じゃないのだから。」「いいかげんにしてよ。何も話してないわよ。これじゃあ何もできないじゃないの!」と、家族間でかなり大声の感情的な口論になっているのを、ぼくは階下から聞いており、それで、ああ、前のマンションでぼくが隣室から聞いたと思った言葉は錯覚でも間違いでもなかったんだ、と確認した。)――ぼくはここまで事実認識ができている――ので、必要以上にぼくに警戒感を持っていたことは確かだと思う。「集団ストーカー」の事実を誰にも疑わせない。

 いまこの節でわたしは、「身心操作」と「人心操作」を区別したい理由を述べようとしている。文字通りターゲットである被害者が被るのが「身心操作」である。それは身体苦痛を伴い、最終的には意思を操作される。その意思操作まで至った被害者は、もう被害そのものを訴えることさえしなくなる。言われた病名を鵜吞みにし、すべては病気のせいだったと頑なに思い込み、現実に経験した状況を絶対に反省しなくなる。洗脳の完成である。その段階まで至った、もの言わぬ被害者は、相当の数存在するはずだ、と、わたしは同居者を観察して確信している。そういうロボット化された人間は現在どれほどいるのか、調べる術がないので見当もつかない。集合容喙の事実に無関心だったり、事実を強いて否定し、自覚的被害者を精神病者扱いしようとする者たちのなかに、ロボット人間はいるはずである。 現にわたしの同居者がそうなっている。わたしが理路整然と起こったことを説明するので、また、わたしがこういうどうしようもない「後遺症」状態なので、おとなしくしているが、わたしの同居者は、「被害」がゆきつくところまでいったので、「同化」されている例である。 ここで注意してほしい。この、向こうの意思に「同化」されるだけのことなら、身体苦痛(多分、特定者を使っての実験なのだろうか)を伴う段階を経ずに、現在、大量に起こっているはずだとわたしは確信している。その場合も何らかの操作による身体変容は起こっているのだろうが、こちらの場合は「意思同化」のみが目的なので、この目的にための身体変容は自覚的には問題とならないだろう。これをわたしは「人心操作」と呼んで区別しておきたいのだ。この操作が行われたのを、わたしの同居者以外の、わたしの周囲者・親族たちに、わたしは大量に観察・経験している。全員が操作を受けている。どういうふうなのかというのは、これだけで叙述テーマとなる。 

 

 さて、「わたし」で書き始めたので、強いて文中は「わたし」で通した(「ぼく」と途中から書いたのを何度も直した)せいで、ストレスがたまっており、ここでこの節はやめたいが、ぼくが指摘したいことは、現在、被害を訴えておられる自覚的被害者の方々の、社会における割合だけ捉えて、この現象の規模を量ろうとするのは、大変な間違いであるということである。自覚的被害者も、いつ、意思操作に呑み込まれるかも知れず、現に呑み込まれたなと思わせる被害者もおり、そしてその周囲には、過去に自覚的被害者(「身心操作」を受けた)であったが自覚を喪失した被害者たちがいる。さらにそれを囲む広範囲に、まだ存在してくれているだろう自覚的健常者の方々(彼らは自覚的被害者の訴えに耳を傾け協力してくれるだろう)の社会に紛れて、いつのまにか(ぼくの周囲者観察によれば或る日突然)、「人心操作」を受けて別人格になった、多分大量の人々がいるのだ。彼らは普通を装っているが、もともと持っていた根本的な人間性・同情心を喪失している。「集団的ストーカー」行為の構成員に、意図的にか無意識的にかなるような人々だろう。素顔を隠し、というより素顔を消去された、小泉八雲の描くところの「むじな」のような妖怪に思える。そういう妖怪的経験をいやというほどぼくは大量にしている。これは述べる機会がほかにあるだろう。現在、この世界はなまやさしい状態ではないのであり(でなければ どうしてあの「大量動員」現象が起こるだろう)、自覚的被害者は、この「見てはいけない」実相の目撃者なのである。これが世界の実相だったとは、ぼくは一生知らないほうがよかった。 こういう世界に面して、各自は「人間として自分としてどう生きるか」を真剣にかんがえてほしい。そういう人間が増えるしか、この世を救う途はないのだ。 

 

 

向こうが、ぼくの無反応をもって、ぼくを普通の人間ではない、と確言したのは、このようにして事実であることが立証されるのなら、このことは、そのような法則性が引き出せるほど多量の人体実験を向こうは重ねてきたということを示すものであるこれらすべてを、NHK責任者たちは知っている、と客観的に断定できる「NHKは国民を殺しています」とぼくは既に明言しているが、こういう確証があってのことなのである。〕