連続して再呈示したこれら三節は、読者が昨日、自発的に読んでくださったものです。

読者に感謝します。

事件を解決させることは ぼくの社会的仕事だととらえている。

わたしの生まれたままの立派な体に手をつけさせたことが絶対許せない前節引用

〔再呈示した文章は執筆時書いたままのものである。日本放送協会もむしろ事件解決に責任をもって協力してくれることを望む。〕

 


テーマ:

 

*〔必読節:集合容喙現象(集団容喙行為)関連〕

 


テーマ:

 

「メッセージボード写し:     

________

日本放送協会の大罪   〔※補〕  報告 〔重大〕  

状況に関する報告資料     事実は確証されている  

特欄 補  【他必読節】

________ 」



NHK権力は「集団容喙行為」を指令し国民を殺しています。


安倍晋三氏事務所宛意見内容

NHKは一体極秘に何を開発して何をやっているのか。公にできない人体加害装置を開発し、条件に入ってきた市民を実験台にしている。これがわたしがその場にいて被害を経験し様子を観察した総体から確信していることである。第三者機関がこれを解明しなければならない。

以前2009-2010にはわたしはこの被害に遭っていて、政府にも警察にも見殺しにされ、わたしの人生を失いました。国民主権と人間尊厳にもとづき政府に解明を要請します。


読者諸賢は、わたしがどれだけの被害と確証にもとづき これだけのことを断定しているか、ここに挙げている諸節をお読みの上ご判断ください。
 事件の解明は、公が黙殺しているが社会的に周知の集団容喙行為現象全般の解明へと道を開きます。


NHKの大罪   報告 〔重大〕    集中   〔※補〕   状況に関する報告資料   状況に関する報告資料・補  状況に関する報告資料・補 II 

 


 

事実は確証されている いまでも睡眠導入剤を飲まなければ眠れない体に変質したままです(強制薬害による)。これは一つの象徴例で、体の変質は全体に及んでいます。こういうひどい話はありません。態度で謝って済む問題ではありません。ぼくは例の東京マンションで関係者が出向いて来て話をしていた現行行為も扉越しに直に聞いているのです、すでに書いたように。これは人為ですよ。「いつまで彼(わたし)に関わっているのだと皆言ってるぞ。ただの市民だということははっきりしているんだ。彼の引越しは、何日、それまでだな」、と、盗聴と加害の事実は確証されているのです。「皆」とは何処の者達でしょう。NHK内部であることは間違いありません。すでに書いたことを読んでください。真相解明が唯一具体的懺悔です。〔同時にそれ以前にわたしへの殺人指令を話していたこともわたしは壁越しに聞いています。この後殺人的電磁波経験をして居ることができなくなり引っ越すのです。〕

*報告〔2015-11-28 23:00 より再録〕増補加筆 

集団容喙行為〔:集合的容喙現象(事件・行為)〕

 合掌 六月二日
今日は起きてずっとうっとうしく気分が普通(今のわたしなりにいつものよう)でなかったが、いま(2日午後10時前)、自民党最大派閥の町村氏が亡くなったことを知った。昨日亡くなられたらしい。ここのところ外界報道にぱったり接しない日々だったので知らなかった。いまは隠す要がなくなったが、彼はわたしに便りを寄こした人だ。「人脈」などというものではない。「人間」が「人間」に書いたと好意を持っていた。結果的には、彼がわたしに直に書かなければ、わたしはこの欄で問題にしているような妙な現象に巻き込まれなかったのだ。因縁の人があまりに急に亡くなった。彼のせいにはしないが、すこし責任を果たしてほしかったと主観的には思う。妙な感じだ。
______

町村氏に触れている部分をほかの節から つぎに写した(9.21):

8月21日

※〔天地神明に誓って言うが、ぼくは問題の新宿区内マンションの隣室戸口での訪問者の会話をドア越しに聞いている。それは、暗闇にあったものがいきなり白日の光のなかに現れた経験だった。既に記している。ぼくが一度も面会・接触をすることが出来なかった(つまり全く付き合えなかった)隣室住人と、こともあろうに ぼくのこと、ぼくの引越し日のこと等を話していた。これははっきり聞いてしまったのだよ。さんざん死ぬほど苦しまされた、正体不明だが発信源は隣室としかしかかんがえられない〈作用〉のために、強制的にぼくが引越しをさせられることになった、その隣室の住人のもとへ、ぼくのことを話題にしに外から訪問者があったのだ。既に記したように、経緯から、NHK関係者以外の誰だというのだ。
 この件は、どのようにしてだかわからないが、同マンション住人達の識るところになっていたようだ。同マンション内の主婦らしき人が、建物内でぼくとすれ違うときにぼくを横から見ながら、「事件に巻き込まれたのね。」と、この通りはっきり連れと語っていた。ぼくは近くの交番へ相談しに行ったが行く度に留守だった。国会議員の町村氏(直筆の便りをいただいたことがある)にいくら連絡しても、有効な処置をとってくれたとは確認できなかった。この「事件」のために国も警察も動かなかった。〕
 〔奇妙なことに、ぼくがこのマンションに入居した当初から、住人の一部に、初対面のぼくにたいするおかしな反応があった(これも既に書いた)。この意味をまともに推するなら、あの部屋がすくなくとも不審の目でみられるような何かがあったのだ。或いは、ぼくへの罠として予め準備していた部屋だったのか?こちらの場合がいちばん不可解だ。特定の組織に目をつけられるような言動などそれ以前にぼくは一切したことはなく、郷里では大学の講師として哲学を教え、上京したのもここの大学で哲学演習を引き受けた仕事の為以外ではなかったのだから!〕


8月24日

だんだんわかってきた。ぼくがどうしてこういう状況に入っていったかということ。日本に帰り、まだ郷里にいた頃、日本について思うところがあって、ぼくの勘で、素人の意見に素直に耳を傾けてくれそうだと思った町村氏に、国のひとつの問題を述べた手紙を書いた。氏からは、自分への連絡先を記した便りが来、丁重な礼が述べてあった。それから、ぼくは気づかなかった(というより、そういうことがあるはずないと否定していたと言ったほうが正しい)が、何らかの関係の人々から、気づかれないように注意されていたらしい、と、いま思っている。人物を確かめようとする人々がいたのだろう。いまはこのくらいにしよう。


異変後、ぼくが何の政治的関係も無い一市民だと認めると、ぼくを解放するどころか殺しにかかった。この経験から、日本も平和憲法だけなら滅ぼされただろうと思う。あるいは、憲法を捨てて自衛戦争をしただろう。どちらも経験せずに済んだのは、米国との政治関係の力による。無力で、一切政治力など関係無く、自分の生活を平和に営む者だと宣言したとたんに、ブレーキの効かない憎悪と攻撃の対象にぼくはなった。力背景無く平和に生きる者を解放せず攻撃することをぼくは許さない。しかし日本も無力平和であればぼくと同じ目に遭っただろう。現実とはそういうものだとぼくは学んだ。内乱の無い日本内で、ぼくは無力の故に殺され、罪まで負わされた。


この社会の裏にはとんでもないものがある。ハイテクと妖術が融合した力を操る人間達が神の力を使って無力な個人の生を勝手に監視・破壊する。ぼくはそれを全的に受けた。ぼくの、誰の害にもならない、ぼく自身にとってかけがえのないぼくの精神生活を勝手に破壊した力、責任をとらない力をぼくは許さないぼくをもとの状態と状況に戻さないかぎり。もしもそれが神そのものであったら、その神を同様に許さない。ぼくの精神生活を破壊しておいて、その責任者を生かしておく気はぼくには無い。創造的なものを想うが故の、創造的殺意・死刑を、いまこそぼくは認める。真に思い遣りのある者は、その、暴力によって失われたものへの思い遣りの故に、死刑を肯定する


不真面目な者が一番嫌いだ。真面目なものを壊すからである。悪が高貴なものを壊すのを助けるからである。天使の笑いと悪魔の笑いが同じ「笑い」という語で呼ばれているのは凄まじく問題である。これによって広範に心術の倒錯・錯覚が起こるからである。民衆は不真面目な笑い即ち悪魔のそれに余りに迎合的であり、悪を拡大伝播させている。聖なるものが壊されると あとは最終破壊たる戦争へ如何なるブレーキも無くなる。民衆は日頃の態度からして如何なる戦争の防壁にもならない。常に最大の戦争協力者であった。


この国、日本、は、「人間尊重」などでできてはいない。個人の自由生活の価値を何ら尊ばない神経には戦慄すべきものがある。尊ぶべき自由の意味・価値は、自由が「神」に関わるような個の圏にしかない。日本権力者にはそれに想到する教養感覚が無い。つまり、権力者もその一人である民衆にそれが無いということである。権力者も民衆も、非(反)創造的な動機から人を殺すことを好むのである。すべてが人命殺傷に至らないだけで、われわれはそれを日常いつもみている。そんな民衆が何で平和の砦になるものか。


異変(2010-2011)〔補〕
質問 ・ 補記
394 状況に関する報告資料・補  395 補 II 
371 経緯報告 (手紙二三二)
367 模造品の世界 (自分への手紙二二八)
確言・2000%の確信(更新)
337 わたしの基本状況・自分への二つの義務(手紙206)
9月27日 (日) -10月3日 (土) 検索語 
欄外記(創造主の本性)
関係節より a
関係節より b
再録 650節より〔「集合的容喙現象」の定義〕
629 集合的容喙現象
日本政府への要望
真心の喪失
237 怒りは魂への義務(自分自身への手紙百二十七)
363 孤独
「品定め」の為の思考盗聴 補筆 
どうも前からあの部屋を使って住民で実験していたらしい。何のためだということになる。NHKはこの思考盗聴〔特定人の思考特徴と構造を解析解読する遠隔技術を開発確立しているらしい〕を知識人の「品定め」と称し以前からやっていたと伝えきいた〔洗脳にかかったぼくの同居者に、この言葉の通り、「人工テレパシー」でわざわざ伝えてきた〕。とんでもない内容を本番中継で全国に発信しうる者でないかを判ずるためらしい。

生きることを試みよう Il faut tenter de vivre |北岡伸一?〔重要補〕
容喙現象に伴う薬害報告
公にたいする覚書

世に悪魔崇拝とよばれるもの 876
875 覚書 裏づけが見えてきた 〔補〕

再々録

いま、新鮮に強烈に怒りが蘇える
僕が真理のために長年地道に純粋に積み重ねてきた人生労働の成果が、横からの全く疎遠な世俗の暴力によって強制的に破壊され無にされた、この癒し得ない憤怒が君達にわかるか !!!!!!!!!!!!!!!!!!!

僕にはもう勉強しかないと思っていた最後の人生意義も、最も疎遠な俗物の勝手な専横によって断たれたこの無限憤怒をなだめようとしたら神ですら僕から殺されるぞ! その上この僕を悪に仕立てるだと!!!!いいかげん無間地獄へ堕ちろ!!!!!〔文中一部略〕

関連節(655)より・加筆 再録:


・・・ぼくの半ALSの体は治っていない。よくこんなおそろしい結果を生ずる化学物質を薬と称して強制的に飲ませたものだ。しかも絶対責任をとらないし話を受入れない。集団的完全犯罪だ。法治国家でこういうことが公然行われている。だんだん気分としては勉強できるような雰囲気にはなってきているが、ぼくの体はどこにいったのだ。拉致被害者と同じで自分の生活の本来本質でないことにもエネルギーを割かなければならない。記録をつくっておかなければならない。五体満足の君達の悩みが何だというのか。病者被迫害者が健常者の世話までしなければならないのか。あの東京でのマンション異変も付加しなければならない事実がある。次の通りだ。ふざけたことに、ぼくらが死の苦しみを受けている時、避難引越しの数日前だったが、偶然件の隣りの部屋に関係者が訪ねてきたのをぼくははっきり立ち聞きした。ぼくらの引越しの日まで知っていて話題にしていた。「おまえたちまだ何を続けているのだ。彼等はただの一般市民だということがはっきりしたのにまだ彼等にかまっているとみんな言ってるぞ。」「その話は中で。」しばらくして関係者が出てきて再び戸口で「そういうことか念のため追跡ということだな。じゃあ彼等の引越しは数日後〔しっかり日を数えて言った:顔を合わせることも拒否していたぼくの引越し日を知っていた!〕だからあとしばらくだな。」「どうも。」何の話だ。どこの上司だ。こちらの身体生活を破壊しておいて事務処理扱いだ。下請けの奴等が暴走している。これは内容は全部立ち聞きした通りだ。物理的に聞いたのであって妄想でも幻聴でもないのである。大変な重要な事実としてここにはっきり公開する。

〔この、ぼくが上司らしいと判断した訪問者は、ぼくは声だけドア越しに聴いていたのだが、きちんと事務的にてきぱきとした忙しい会社組織員の雰囲気で、やくざなどでは微塵もなかった。相当なエリート性を感じさせた。その高給サラリーマン風の男が、ぼくらの窮状を知ってか知らずか完全に一市民の生き身の苦しみを事務的見地からのみ処理事項として扱っている様を知覚して、却って社会の現実組織のおそろしさ非情さが際立って経験される感じだった。下請けに任せ自らは手を汚さないという感じか。低報酬で相当のことをやらされているようで、時々隣室から、「そんなことまでやらされたら割が合わない」と言っているのを壁越に聞いたこともある。男女二人居て話したり壁づたいに盗聴透視監視していると判断された。高度情報機器でわたしたちの話声も、多分赤外線透視装置で移動挙措もわかるのだろう。TVで実験をちらと観た記憶がある。NHKの番組だったと思うが、あの類が使われたのではあるまいかと想像している。堂々と透視聴しただけでなく電磁波で脳組織を破壊する加害行為をも行った。指令の大元をぼくは様子と異変経緯から推断している。背後にまだ圧力団体がいるのかもしれない。おそらく指令者と圧力者の間にかなり拮抗関係がある。かなり緻密にぼくはその様子をその都度押測っていた。隣室の住人の声や話からすくなくとも直接的指令者のほうは確信をもって言える。ぼくが部屋でわざとその類のことを声にしていたら、向こうで引掛りわざわざ聞えるような応返が何度もあった。この応返自体が芝居でないかぎり。〕
読者にはよくかんがえてもらいたい、勝手に普通市民の個人生活を開き直って堂々と隣室から透視盗聴させ、危害も加える、証拠が挙がり得ないと踏んだ上でのほんとうの傍若無人を、公的社会組織が、責任者の指示でやらせる、こういうことがまかり通る社会が、文化国、人間尊重国なのか。この責任者は、ぼくがこれを公にしようとしていると判断すると、「殺せ」と命じ、下請け末端に電子機器で実行させた。この公的組織とはどういう組織でしょうか【こともあろうにNHKである】。ぼくは空想妄想を言っているのではないのです。おそろしくも経験した事実を言っているのです。〕

 

(略)

 

集合容喙 加筆  
NHKは現在でも こともあろうにぼくが死ねばよいと思っているようだ。そういう者等であるかぎり その前に天誅を下す。 以前、件の東京新宿区マンションにぼくが住んでいたときも、盗聴しておきながら ぼくの発言を曲解して気に入らないからと、ぼくが視聴していた番組を三週間中止にしたことがあった。全国放送なのにである。そういうことを責任者の恣意でやるところなのである。最後にはやはりぼくの自宅での自分の勉強の大変さについてのつぶやきを曲解して、ついにぼくの殺人指令まで発したことは既に述べた。そのとき、「会長が今の言葉を聞いて 彼(ぼく)を殺せって」と、この言葉の通り隣室で言っているのが壁からはっきりと聞こえた。傍若無人な公然の盗聴は責任者直通で為されていたようだ。それからその部屋で顕著な「作用」を身体に感じて居られなくなるのである。いったい、正気でないのはどちらなのだ。 以前、「下請けが暴走している」と書いたが、NHK局員の大方の意識に反して独断で「責任者」が隠密に直接指令を発していたと ぼくは思っている。

(略)

 

本来の精神的なこと、魂的なことを展開しつづけることは、だから ますます重要なのである。言ったように、霊の力と魂の力とは、物質と精神がちがうようにちがうという自覚が、ある意味ですべてである。

要するに、〈悪魔の存在を抜きに陰謀論を調べても、いずれ袋小路にぶつかり、出口が見えない迷宮の中をさまようことになってしまう〉。〈悪魔は、人間達を自分の下に従わせ、拝ませ、彼等を使って自分を頂点とする世界を創造しようとまで画策するようになっている〉。〈そのような霊的存在が此の世に実際にいるのである。それを信じないで 陰謀論の全体はいつまでも正確に掴むことはできない〉。
この他者の論にぼくは全面的に同意する。しかもこの論者は外的観察によって推量として書いただろうが、ぼくはまったく自分自身の経験からの断定として書いている。

社会のなかで社会に組み込まれて生きるということは、生きるために「人間」を犠牲にして悪魔に服従することである、と、社会組織に入る際に知らされるのだよね。その経験の強烈さのために、大方は、それが「おとなになる」ことだと自己説得するのだよね。形而上意識すなわち自己意識を堅持できない者はすべてそうなる。それが日本の特徴だから、「坊ちゃんでなければ純粋でありえない」などと社会通念されることになる。それにたいし 「西欧の理想主義者(イデアリスト)はもっと悲劇的だ」 と高田先生が指摘することになる。

(略)

 

集合容喙 加筆 (2016.1)
医院における問診での栗原雅直の態度表情からぼくが確かに読みとったと思うこと: 彼は、ぼくの話の内容はどうでもよく、信じる信じないの問題ではなかったのだ。確かなのは、ぼくのことを事前に伝えられており、とにかく薬を飲ませるという方針が決定されていたということだ。NHKのことは事前に伝えられていた。ぼくがNHKのことを口にしても完全に顔色ひとつ変えず、ひじょうに意志的な表情をみせて話を聞くことを進めたからだ。それなのにぼくが、同居者が人工テレパシーから伝え聞いた内容は興味深いもので ぼくの本を実際読んでいなければ言えない内容がふくまれていた、と言うと、ほほう、と 不意をつかれたような意外そうな隙のある表情をみせた。それならぼくがNHKのことを言った時や、ぼくの発言は政治家にも或るインパクトを与えるようだ、とぼくが言った時、種類は違うだろうがすこしは驚きの表情をみせるべきだった。ところがこちらのほうは「それはそうでしょうね」と、初対面なのに強くうなずき、〈それはすでに聞いている〉という様子を露骨に表に出したのである。これははっきりぼくの意識に永遠の現在のごとくいまも鮮明に現前している。診察前に既定方針ができていたとぼくは断定する。彼は指示通り動いた。人命第一の医療倫理にあるまじきことである。〔かくしてその前に壁を通して隣室から聞こえた「彼(ぼく)に薬を飲ませる」という〈指令〉が実行された。〕政治的指示があったのである。そして問答無用でぼくに強薬を強制した【他節参照:報告 〔重大〕】。経緯から、指示はNHK権力者からであると断定すべきである。ここにぼく自身はいささかの迷いもない。職業政治家にうらみをかった覚えはぼくにはいっさいない。これがひとつ。

 

 

〔まだ続きますが、読者も大変でしょうから、ここまでにします。リブログ節をクリックしていただければよいのですが、それも億劫な方もいらっしゃるので、文章そのものをここに再録したのです。

ぼくはこの事件そのものを欄の主題にしていません。上の文中にも書きましたが、こういう事件があるからこそ、「本来の精神的なこと、魂的なことを展開しつづけることは、ますます重要」なのです。この地道な日常の精神的努力が為されているかぎりでのみ、社会にたいし、自己の尊厳と怒りを表明する資格があるのです。ぼくの事件報告を理解してくださったら、こういう状態でもぼくが渾身の力で訳したヤスパースの論述などにも戻っていただき、精神の平衡をとっていただきたい。ぼく自身がそういう生を欲しているのです。〕