幼なじみに誘われて、来月1年半ぶりに実家に帰省することにしました。
なにやら、きのこのシーズンらしく、きのこ狩りを一緒にしようというお誘いです。
どうなることやら。アラサー女の きのこ道中・・。
かつては、地元の 何年経っても変わらない感じが苦手だった私ですが、外に出て、そこに属していない自分の幹が太くなると、 ただ単に、方向性が違っただけなんだということに気づき、 心境にも変化がでてきました。
そのとき、そのとき、自分に必要なものが ある場所に行く。
そのとき、そのとき、自分が より学べ、より楽しめる場所に行く。
これは 私の方向性。
単に地理としての場所、という意味だけでなく、自分の所属とか、居場所とか、精神的な段階、新しい経験をするための場とか そういう意味も全て含めての「場所」。
同じものを見て 同じ話題で話していても、同じ意味を扱っているとは限らない。
同じ日本語同士でも。
あるいは同じ日本語同士だからこそ。
そんな風に言葉で認識するようになったのは、おそらく10代の後半だと思いますが、わりと長いことそんなことを考えていて、 だからこそ
繊細な言葉で話したい。
と、ずっと感じていました。
そして、それをどう満たしていいかわからない自分への、怒りと諦め。
そんな記憶が 地元の記憶として、いつかの時まで、私の中にありました。
全然 好きになれない。
でも、その場所から出てみて 見えたもの、得たものが 確実にありました。
そして、それらによって 満たされなかったことの意味を、まったく違った角度で認識するようになりました。
子どもの頃の私は、私について 何も知らなかったんだ ということ
当時は、自分について 周りに知らせる術を 持っていなかった(というか、その発想すらなかったかもしれない) ということ。
一方で、満たされない感情が、創作熱や 知識欲に昇華されたことによって、今の私がずいぶん助けられているということ。
その場所から出て 見えたもの。 得たもの。
これもきっと、地理としての場所だけでなく、
自分の所属する何か、たとえば職場や、家族や仲間かもしれない そういう慣れすぎたものから 出てみることで 見え、得る何かが きっとあるのでしょう。
自分の居場所と思っていたところから、出るべき時も いつかあると思います。
今までのマインドでは、今までの思考回路では、今までの方法では、 どうにもならないという時も。
今までの常識、今までの哲学、今までの価値観、今までの人間関係、今までの・・
そんな いろんな今まで は
つまり
過去。
今さっきまで 自分自身のように慣れ親しんだものも、 ある時、過去になっていく。
そのとき、未来に持っていけるものは、 唯一、自分 だけ。
表向き、きのこ狩りをするための秋の旅路は、
自分のRoots と もっと深くつながりなおす旅。