ケビ蔵が考える聴覚効果

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今日だけ現在ブログ一位の海老蔵をもじってケビ蔵にしておく。

 

今ではテレビが主流になっているがその昔はラジオが主流であった。

耳から受け取る情報に、皆が喜び・悲しみ・恐れたりしていた。

時代が変わっていくと聞こえてくるのものも変わる。

音楽でなく、時代を聴いてその訴えを聞く。

音声だけで伝える現地の日常や喜怒哀楽は、映像で見ること以上に情報を受け取ることのできる側面があるのではないかと思う。

それを聞くことによって当然何が起きているのか想像するわけだから、よりイメージを膨らましよりその情報を受け取ろうと懸命になる。

僕は映像で伝えることに全く否定的ではないが、視覚に頼らずに耳だけで今を「聞く・聴く」、その手法で新しく世の中や世界と時間を共有(個人間でも良し)することができれば、想像力を育むという点では脳の活性化にも繋がるし、それを新しいアートのひとつや次のメディアの伝え方という点でも寄与できるはずだと思っている。

古来人間の祖先が生存上優位に立ち生き残るために聴覚を養ってきたように、この時代における「聞く・聴く」姿勢の在り方が僕らに別の視点をもたらし僕ら自身を育てていくに違いない。

今世界中の人たちにスマホで録音を頼めば、簡単な時間の共有ができるから面白い。

誰かの1日のうちの5分間をきく。

それも世界や隣人を知る手段の一つであるように思う。

 

 

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