リズム

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(ただのブログなので気軽に読んでください)

 

昔の日本の作曲家が、音楽を建築になぞらえていた。

音楽もまずリズムという基礎がありそこから積み重ねていく。

その築き方が西洋式なのか東洋式なのかでずいぶん変わるし、背景にある土着文化などもかなり大きな部分を占めているだろう。

(イギリスのある映像作家は自国に残っている土着文化に改めて焦点を当てて、その現代の民俗性を仮想の未来的儀式として見事に描いてみせた。https://i-d.vice.com/jp/article/as-grime-and-folklore-collide-this-is-future-england

ただ団地のように外観としても面白くもなく単純に住みやすさなどを象ったような音楽がはびこっているようにも思えるが(でもリズム音楽大好きだし今リアーナ聴いてるよ!)

リズムというのは唯一見える波長であり、それが見えることで調和をもたらすことのできる最古にして最強の音言語じゃないかと思う。

リズムはただ並べて、はい終わりというものではなく、ドラムのキックやその他のリズムを刻む音の音色をいろんな音楽と聞き比べてみればわかると思うが、実に精緻に作られている。

数多ある音をうまく積み重ねたとしても、その基礎となるリズム音はそれぞれの様式によって形が変わるまさに要を担う音なのだ。

なのでそれに違和感があればいくら色彩豊かでユニークな形をしていてもそれらは全く活きてこない、ただの飾りになってしまう。

 

 

話は少し変わるが、おそらくリズム楽器を演る人たちは、その時に感じる時間感覚を頼りに様々なテンポを生み出している。

そう考えるとリズムを刻むことは時間を体現し生きていることを実感させ記録していく自分たちのためのメディアなのかもしれない。

リズムは自分の鏡であり特殊な記録媒体であるように思う。

 

一方先ほどの話から考えると、僕がやっているいわゆるアンビエントミュージックにカテゴライズされている音楽はその様式を持っていない。

次回はそのことについて話そうかな。

 

 

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ケビ蔵が考える聴覚効果

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今日だけ現在ブログ一位の海老蔵をもじってケビ蔵にしておく。

 

今ではテレビが主流になっているがその昔はラジオが主流であった。

耳から受け取る情報に、皆が喜び・悲しみ・恐れたりしていた。

時代が変わっていくと聞こえてくるのものも変わる。

音楽でなく、時代を聴いてその訴えを聞く。

音声だけで伝える現地の日常や喜怒哀楽は、映像で見ること以上に情報を受け取ることのできる側面があるのではないかと思う。

それを聞くことによって当然何が起きているのか想像するわけだから、よりイメージを膨らましよりその情報を受け取ろうと懸命になる。

僕は映像で伝えることに全く否定的ではないが、視覚に頼らずに耳だけで今を「聞く・聴く」、その手法で新しく世の中や世界と時間を共有(個人間でも良し)することができれば、想像力を育むという点では脳の活性化にも繋がるし、それを新しいアートのひとつや次のメディアの伝え方という点でも寄与できるはずだと思っている。

古来人間の祖先が生存上優位に立ち生き残るために聴覚を養ってきたように、この時代における「聞く・聴く」姿勢の在り方が僕らに別の視点をもたらし僕ら自身を育てていくに違いない。

今世界中の人たちにスマホで録音を頼めば、簡単な時間の共有ができるから面白い。

誰かの1日のうちの5分間をきく。

それも世界や隣人を知る手段の一つであるように思う。

 

 

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老舗ライブハウス江古田マーキーでライブをする予定ですが

あまりモチベーションが上がりません笑

 

ファンをどのようにつけていくかが悩みます。

 

音楽ファンは、音楽というよりもその人が目当てで来ることが多いでしょう。

音楽は二の次。

 

だからその人自身の価値もあげなければならない。

よって1バンドだけのために2〜3千円払ってライブを見に行くというのは、その人自身に価値がなければ損失が大きい。

しかもたかが30分だ。

本当に価値あるものにするのは難しいと痛感する。

 

11月に披露する音源のためにこれから制作だ。

タイトルは" Pale Blue Dot."

 

では。

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