先日11日ほどかけて、ベトナム・ラオスで取材をしに行ってきた。

撮影クルーに同行し、今回のプロジェクト映像のためのロケやインタビューをする中で、たくさんの方に出会い、彼女らの思いやその国の現状、普段触れることのない世界を体験した。

帰ってからも出会った人々の顔を思い出す。みんな元気にしてるかなって。まだ別れて間もないのに笑 愛おしいのかな。

出会った人すべての人たちに包み込むような優しさを感じた。

 

そして、この撮影が終わったら僕は、この映像のための音を作ることになっているが

今回行けなかったタイには8月に音楽制作のため滞在するかもしれない。

そして、そこにあるものや人に触れ、最終的に音楽に仕上げたいと考えている。

しなやかさ・優しさ・強さ。これがテーマ。

 

なんかいろんなことを考えすぎてうまく音楽が作れず数ヶ月間苦しかったけど、今回の滞在期間中に吹っ切れることができた。

いい音楽ってなんだろうな。多分全世界のミュージシャンが抱いている疑問ではあるが、しっかりと僕なりの答えを見つけて行こう。

 

あー、やはりまだ文章は苦手でして。これ以上書く気になれない。

細かいお話を聞きたい方は、僕とお話ししましょう。その方が伝わる笑

伝えた方が相手の脳にも記憶されるし、そこで話すことで僕の頭の中でも少しずつ言葉で整理されていくように思う。

 

ではでは。

音楽視聴はこちらから。

https://soundcloud.com/kenta-kamiyama

 

 

 

 

 

 

 

 

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真のポピュラーミュージック

テーマ:

[来年もKenta Kamiyamaをよろしく!]
https://soundcloud.com/kenta-kamiyama
今年は国外を始め、いろんな場所で演奏をしてきました。演奏するのが嫌いだった僕が重い腰を上げ、この音楽の素晴らしさを伝えるために懸命に努力しました。
ライブ中にMCは不要と考えていた僕がなぜそれを始めたのか?
それは、この音楽をアンビエントやリラクゼーション・ヒーリングという風に解釈して欲しくなかったからです。
これらの表現は今ではさらに希薄な意味合いになってしまっています。それも悲しい現実です。
聴き手が受け取る解釈は自由ですが、僕は直感的に作品を作るのと同時にある要素を無意識に受け取っています。それを今回はお伝えしようと思います。
その要素というのは、この世に生きるモノの"喜怒哀楽"です。
作品から受ける影響というのもまさにそこが要になっていますが、
それを人から受け取る場合、様々な環境下で生きている人間を思い起こします。
家庭に問題がある人、紛争地域で暮らす人、貧しい地域で暮らす人、裕福であるけれども一方で孤独を抱えていた人。
今まさにそういう状況に置かれている人や、過去に経験してきた人。そこにはその人にしか経験できなかった千差万別の歴史があります。
そしてそれらに共通するものが"喜怒哀楽"です。
それがこれから必要とされる一つのポピュラリティーじゃないかと思います。

劣悪な環境で暮らす人々にも当然"喜怒哀楽"があり、どんな状況であってもその人間が持つ心情に変わりはないはずです。
それを僕は音と一緒に音楽へ昇華させるのです。
なぜ手段が音楽なのかと問われると答えるのが本当に難しい。。。
おそらく偶然巡り合ったパートナーであり、生きることを創作する上でそれが必要だったんだと思います。
音は外的要因がないと呼吸できませんし、そもそも存在できません。
ぼくはその音を聴きたり生み出していかないと生きていけません。
それくらいぼくとの間には相互作用が生じているのです。
音のプロフェッショナルはむしろ相手側じゃないかと思います笑
ぼくはむしろ今を生きる一人の人間にしか過ぎません。
そしてそのパートナーは単体ではなく、いろんな場所に点在しています。
そこに暮らす人々の心情や意識を投影した音が無数に転がっており、それを知る各地のパートナーと共に、より具体化していき音楽に仕立て上げます。

僕の音楽にファンタジーはありません。現実しか写していません。
でも「聴きやすい」や「popだね」とたまに言われるのは、大衆に迎合した形ではなく、人間の普遍的な部分、所謂万国共通の"喜怒哀楽"が内在しているからだと思っています。
だからあなたの心情によって僕の音楽の聴こえ方が変わるのです。
時には聴くことができない時もあるかもしれません笑

景色からはあまり影響は受けないし、興味がありません。そこには何もないからです。
その景色を人が見ることによって「情景」に変わるのです。
僕はどちらかというとその景色を見たときの人の心情変化が好きなんです。
結果的には人が好きなんだと。良くも悪くも。

"社会の本流や主流ではないところにある「何か別のもの」。
社会によってsideにされているモノ、コト。
そこに生きる人たちによってsideにされているモノ、コト。
あえて目を向けない、見つめないようにしているそこにこそ、社会の本質が存在する。
sideとsideが交差するその場所に、side effectが存在してる。"

うまく言葉にできませんが、ここに、僕が追い求めているものがあるのではと思っています。
メキシコのプロモーターとイベントテーマで合致したのがこのテーマでした。
彼らも同じようなことを感じているんだなと、そして彼らの音楽が複雑なメキシコ社会や文化的背景などに起因しているんだなと思いました。

これはほんのあらすじに過ぎず、本編は1/11(水)下北沢ERAhttp://s-era.jp/access/で行われるライブからスタートします。チケットは1枚2300円。ライブにお越しの方はディスカウントします。2016年の内容はいかがでしたでしょうか?そして来年はどんな内容になるのでしょうか。

これらのことを噛みしめた上で僕の音楽を聴くと、作品に対する考え方や姿勢が変わるはずです。
これがぼくが今やりたいことなんです。

※この音楽には、ぼくが見たり聞いたり感じたり触れたものしか表現されていません。

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イベント「宇宙視線」で8回もライブをやりましたので、その間はブログ更新なし、作曲活動なしという状況だった。

んで久々にアメブロ開いたら未だに海老蔵が一位で驚きました。。。もうええやろ笑

 

こんなに作品を作らない時間があるのもかなり珍しいけど、それはそれで新鮮だったね。

空き時間は本読むかイタリア語の勉強するか、動画観るかって感じで。

ただ、作りたいものはどんどん増えているから創作意欲は変わっていないんだなと思った。

特に、今回のイベントに参加された多くの画家・絵かきさんたちの作品に感化されて、この作品のイメージで音楽作品を作りたいと思うものがたくさんあった。

だからまだまだ衰えていない!笑 

でもこうやって作品作りから距離を置くことも大事だなと思った。

僕に年越しなんてないからいつでも作ってるんだけど、どこかのタイミングで大きな深呼吸をしてもいいかもしれない。

12月から1月が年末年始であり、大多数の方がそこで新年を迎えるけど、なんかそれに合わせて生きる必要はないと思うんだよね。次にい向けてのスタートはバラバラでいいじゃん。

と言いつつお正月はお墓掃除やなんやするけど、気持ちは「明けましておめでとう」ではない、まだ明けてねーよ!って笑

 

明日が最後のトークイベント、今回の主催者が集ってお話をします。

予定のない方はゆるい時間を体感しに来てください^^

 

 

もしかしたら一回も明けてないかも笑

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11/19日は江夏画廊へ!!http://www.enartsu.co.jp

対バンは大御所モーガンフィッシャーさんです!!

https://youtu.be/twgYZdXrBI8

 

 

モーガン・フィッシャ 略歴 1950年1月1日、英国・ロンドン生まれ。 1968年から世界を舞台に活動するミュージシャン。キーボード奏者としては、ラヴ・アフェアー(1968年全英No.1ヒット)、モット・ ザ・フープル(デヴィッド・ボウイのプロデュース)、クイーン、ヨーコ・オノ、細野晴臣、ザ・ブーム、イエロー・モンキー、など世界有数のアーティストたちと共演。演奏者、作曲家、アレンジャー、プロデューサーの立場で創作活動を続ける一方、日本屈指のテレビCM作曲家としても活躍している。芸術写真の分野でもさまざまな試みを重ねてきたが、1985年の来日後に、抽象写真において独自のスタイルを確立。多彩な音楽活動を展開するとともにライトペインティング・アーティストとして活動の幅を広げている。 あと、モーガン・フィッシャーは、東京だけでなく、インド(1981年)、イギリス(1982年)、アメリカ(1983~85年)、天河神社及び平安神宮(1986~89年)、大阪・国際花と緑の博覧会(1990年)、日立・インタナショナル・シンポージアム(1994年)など、さまざまなシーンでアンビエント/瞑想音楽を演奏してきました。 www.morganfisherart.com

思い出の曲とは

テーマ:

こんばんは。

冷たい風はとても気持ちがいいですね!澄んだ空気も。

この「冬」という空間はとても好きで毎年楽しみだけど、寒いのは本当に嫌w

というのも僕は冷え性で(小学生から)変温動物のように、夏は温かく、冬は極度に手足が冷たくなります。血行悪いです。ええ、血足りてませんよ。

平熱35.7~9度だしチーン

そして顔は元々白くて幼少期から友達に「顔色悪い」「ご飯食べた?」などの発言を頻繁に受けたこともあります。

だから顔の白さを指摘されると割と凹むので、余り言わないでねw

雪景色に交じると顔がどこかわからなくなるんじゃないかなと思ったりするけど、まぁそれでも冬は好きだな。

僕自身のイメージは暑い季節より、秋・冬かなと思う。(音楽を聴いてくれたらわかるかも)

冬が到来したこの11月にKenta Kmaiyamaの音楽を聴けるのは、季節と音楽が合致してとても良い気がする。

例えば音と風景や季節、言葉様々なものが上手くバランスが取れた時に音楽は音楽としてものすごく大きな効力を発揮すると思うんだよね。それは、あなたのその時の心情にもよる。

そういった時に聴く音楽はあなたの心情や今置かれている現状を代弁し、さらにあなたが生きている「今」を代わりに記録してくれるツールなのかもしれない。

思い出の曲とは、つまりそういうことだろう。

いつ・どこで・なにをしているのかがすごく大事だけど、それは誰にも予測はできない。あらゆる偶然が重なった結果、音楽は人の心に根付く。

今回のまさかのトランプ氏の当選もね、偶然という点では今回の記事にぴったりかなとw

トランプ氏が選挙活動にあるアーチストの音楽を使って、使用中止を求められたのも理解できる。

そうやって良くも悪くも思い出の曲になってしまうかもしれないことがあるんです!!(x_x;)

 

ではみなさん11/15~

六本木一丁目 江夏画廊・樹ホールに遊びに来てくださいね^^

宇宙視線

テーマ:

先日のライブを終えて一安心。。。というわけにはいきません!

来月からは「宇宙視線」というイベントで演っちゃいますニヤリ

 

今回は主催者でもありますので、メインアーチスト及びサウンドディレクターも務めています!

 

宇宙視線とは、カールセーガン博士(ボイジャー計画にも参加した天文学者)没後20年に伴い、様々な著名人から若手の作家等をお呼びしてトークイベントやライブイベントを行う斬新な企画です。

NASAによって打ち上げられたボイジャー(ゴールデンレコードの音源聴けるよ真顔https://soundcloud.com/nasa/sets/golden-record-greetings-to-the)が太陽圏から離れる際に、地球を写そうとカールセーガン博士が提案し地球を捉えた写真は後に青く小さな儚い点(Pale BlueDot)と名付けられました。

そんな小さい点の中で、人類は色々な事象を引き起こしています。

その愚かな人間の行為に釘を打ったのがこの動画。

https://youtu.be/C89weYqQFS4

カールセーガン博士はこのようなメッセージを残し去って行きました。

 

トークテーマはそれぞれの登壇者によって多少違うかもしれませんが、そこから人類共通の生きるための哲学を探そう!というのが根本にあります。

 

この記事に画像を添付していますが、それが今回の企画のタイムスケジュールになります。

そう、僕は8回も演奏しますw

まぁそれはさておき、この組み合わせ面白いと思いませんか?

普段接点のない異業種の人たちがこうして顔を合わせ話をする。

そこに宇宙的な化学反応を垣間見ることができます。

この企画の発案者であり総合プロデューサーでもある、こうづなかば氏が過去に後藤健二氏と共にジャーナリズムとアートという前代未聞のコラボレーションで新しい分野を切り開いてきたように。。。

 

音楽の内容はまだ決まっていませんが、8回もあるので何回でも見に来てくださいw

そして、 Kamiyamaの世界に深くハマってください。

https://soundcloud.com/kenta-kamiyama

 

僕に会ったことのある人もそうでない人も、この記事を読んだのなら来月イベントに参加しましょう!!

 

 

 

 

 

 

 

 

アンビエンスなリズム

テーマ:

前回はリズムに対する僕の見解を話したが、今回は僕の音楽のことについて少し触れようと思う。(まだ3回目くらいの投稿なのにもうこんな話をしていいのかな。。。)

 

リズムのある世界がある一方、リズムのない世界がある。

リズムのない世界に潜り込んで行ったのは20歳前後の時である。

僕は初めてアンビエントなるものを聴いた時、リズムの中でしか作り上げることのできない、規制のある音楽構造の概念をこれは覆していると思った。

自分の好きなようにルールを作りそこに数多の音の揺らぎを見出すことができるからだ。

リズムとリズムの間でしか身動きのできない音が、その壁をなくすことで伸び伸びと自分達の個性を発揮出来るように思える。

 

決まったリズムを挟むとどうしても陳腐な作りになってしまう。陳腐になってしまうのは僕の技量が足らないのかもしれなけれども、表現方法としてとても狭い世界だなと未だに思う。

音の揺らぎは一定ではないし、そこに内在する感情も様々だ。

音楽を通して表現する時、そこに混在する感情を抑制してはいけない気がする。

それを抑制することによって人々のこころに強く訴えかけるものができなくなってしまのではないかと思う。

僕の音楽には「美しさ」、それと表裏一体にある「脆さ」、まるでガラスのように繊細で一押しすれば崩れてしまうような「緊張感」があるように思える。

Kenta Kamiyama参考音源(https://soundcloud.com/kenta-kamiyama/to-the-north

そして儚さの中にある希望も。それらは人間やこの世に起きている事を表しているのかもしれない。よりマクロな視点で。

アンビエンスなリズムというのは、それらをうまく共生させる事によって生まれるものだ。画一的なリズムではなくてより自然のダイナミズムに近い。

 

そしてその揺らぎや響きの先には、霞んではいるが次の世界が確かにあり、そこで自分は何をテーマに表現しようか考えながら次のステージへ進んでいる。とは言っても発想はある日突然落ちてくるのものだから、なんでそれに気づかなかったんだろうかと毎回悔やまれるが、その今まで考えていた事は突然やってくるものへの布石になっているはずだから決して無駄ではない。

元々音楽をオリジナルで作り出した時なんて、こんなことを考える間もなくとにかく自分の音楽性を追求していた。それは今でも変わらない。

 

変わったといえば、昔よりもいろんなものに触れるようになったこと。そして昔から世界で起きていることに関心があったので、そういった事象からインスピレーションを受け音楽を作るようになった、だけである。

 

あるライブハウスのオーナーに雅楽のようにも聴こえると言われたが、僕の中ではアンビエントよりもまだしっくりきた。

僕の音楽がどのように聴こえるか直感的で構わない。

今度の15日に下北沢ロフトhttp://www.shimokitazawa-loft.com/live/page006.html)でライブをするけど、その音楽を通してあなたの中にどのような影響を及ぼすのか、一度体感してみてはいかがだろうか。

 

サントリーホールとかで演奏してみたい笑

 

書きたいことはまだまだあるけど、著書ではないのでひとまずこの辺で終わり。

 

 

リズム

テーマ:

(ただのブログなので気軽に読んでください)

 

昔の日本の作曲家が、音楽を建築になぞらえていた。

音楽もまずリズムという基礎がありそこから積み重ねていく。

その築き方が西洋式なのか東洋式なのかでずいぶん変わるし、背景にある土着文化などもかなり大きな部分を占めているだろう。

(イギリスのある映像作家は自国に残っている土着文化に改めて焦点を当てて、その現代の民俗性を仮想の未来的儀式として見事に描いてみせた。https://i-d.vice.com/jp/article/as-grime-and-folklore-collide-this-is-future-england

ただ団地のように外観としても面白くもなく単純に住みやすさなどを象ったような音楽がはびこっているようにも思えるが(でもリズム音楽大好きだし今リアーナ聴いてるよ!)

リズムというのは唯一見える波長であり、それが見えることで調和をもたらすことのできる最古にして最強の音言語じゃないかと思う。

リズムはただ並べて、はい終わりというものではなく、ドラムのキックやその他のリズムを刻む音の音色をいろんな音楽と聞き比べてみればわかると思うが、実に精緻に作られている。

数多ある音をうまく積み重ねたとしても、その基礎となるリズム音はそれぞれの様式によって形が変わるまさに要を担う音なのだ。

なのでそれに違和感があればいくら色彩豊かでユニークな形をしていてもそれらは全く活きてこない、ただの飾りになってしまう。

 

 

話は少し変わるが、おそらくリズム楽器を演る人たちは、その時に感じる時間感覚を頼りに様々なテンポを生み出している。

そう考えるとリズムを刻むことは時間を体現し生きていることを実感させ記録していく自分たちのためのメディアなのかもしれない。

リズムは自分の鏡であり特殊な記録媒体であるように思う。

 

一方先ほどの話から考えると、僕がやっているいわゆるアンビエントミュージックにカテゴライズされている音楽はその様式を持っていない。

次回はそのことについて話そうかな。

 

 

ケビ蔵が考える聴覚効果

テーマ:

今日だけ現在ブログ一位の海老蔵をもじってケビ蔵にしておく。

 

今ではテレビが主流になっているがその昔はラジオが主流であった。

耳から受け取る情報に、皆が喜び・悲しみ・恐れたりしていた。

時代が変わっていくと聞こえてくるのものも変わる。

音楽でなく、時代を聴いてその訴えを聞く。

音声だけで伝える現地の日常や喜怒哀楽は、映像で見ること以上に情報を受け取ることのできる側面があるのではないかと思う。

それを聞くことによって当然何が起きているのか想像するわけだから、よりイメージを膨らましよりその情報を受け取ろうと懸命になる。

僕は映像で伝えることに全く否定的ではないが、視覚に頼らずに耳だけで今を「聞く・聴く」、その手法で新しく世の中や世界と時間を共有(個人間でも良し)することができれば、想像力を育むという点では脳の活性化にも繋がるし、それを新しいアートのひとつや次のメディアの伝え方という点でも寄与できるはずだと思っている。

古来人間の祖先が生存上優位に立ち生き残るために聴覚を養ってきたように、この時代における「聞く・聴く」姿勢の在り方が僕らに別の視点をもたらし僕ら自身を育てていくに違いない。

今世界中の人たちにスマホで録音を頼めば、簡単な時間の共有ができるから面白い。

誰かの1日のうちの5分間をきく。

それも世界や隣人を知る手段の一つであるように思う。

 

 

老舗ライブハウス江古田マーキーでライブをする予定ですが

あまりモチベーションが上がりません笑

 

ファンをどのようにつけていくかが悩みます。

 

音楽ファンは、音楽というよりもその人が目当てで来ることが多いでしょう。

音楽は二の次。

 

だからその人自身の価値もあげなければならない。

よって1バンドだけのために2〜3千円払ってライブを見に行くというのは、その人自身に価値がなければ損失が大きい。

しかもたかが30分だ。

本当に価値あるものにするのは難しいと痛感する。

 

11月に披露する音源のためにこれから制作だ。

タイトルは" Pale Blue Dot."

 

では。