はい!
本日、11月30日〜12月4日 トライアルシアター「モノドラマ」の企画会議でした。
キンダーから6名のメンバーが名乗りをあげました。
面白い企画になりそうです!
出演者の小林もと果の北海道土産「鮭とばイチロー」で、打ち入り致しました!

AD

 

ご来場いただいた方にメールをさせていただきましたが、ここにも転載させていただきます。

 

「何年越しでやっと観られた」と言ってくださる方も嬉しいですし、欠かさず観てくださっている方には本当に感謝の気持ちで一杯です。

またお陰さまで4年連続上演出来ていること、とても有難いです。

 

昨日の11時の回は団体さんも入ってくださり(どこかの会社の研修だったらしいです)隣室まで満席のお客様が嬉しく、また14時の回はこじんまりと小さな声も隅々まで届き、私としてはとても演りやすかったです。

 

今回は上演後に話しかけてくださる初めてのお客様が沢山いらっしゃいました。ご自分の引き揚げ体験やご両親のことを話してくださいました。

戦争について語る親御さん、一切口にしてくれなかった……という方、それぞれではありますが私たち世代の心の中には、まだ戦後というものが記憶として刻まれています。

ですが、実体験をしている語り部さんたちが少なくなってしまい、今の語り部さんの多くは次世代、子供の頃の引き揚げ体験などになります。そうした二次世代の方たちの貴重な体験と、私たちがこうして芝居や朗読でお伝えすることは、大人として戦争に関わった人たちのリアリティとはズレてきたり違ってきたりすることも多々あると感じます。ただ、それでも言葉や映像を残していくことは大事ではないか……と。

 

こんなご縁を頂かなければ、戦争についての芝居を上演することはきっと無かったと思っています。

 

また今回、お友達やご家族を誘って来てくださる方が多く、本当に嬉しかったです。

4回の公演で、私の知り合いが50名以上いらしてくださいました。

いつも一方的にご案内しておりますのに、暖かく見守ってくださりご協力くださる皆様に感謝致します。

 

いただいた感想をサイトにまとめさせていただきました。事後承諾で申し訳ありません。

お名前はイニシャルにて記載させていただきました。

ご一読いただければ幸いです。

http://kinder-space.com/bekko/www/heiwa/heiwa.html

まだ、館から昨日のアンケートが届いていないので、また更新させていただきます。

 

本当に有難うございました。

平和祈念展示資料館では、8/31まで夏休み特別イベント「知ろう 考えよう 戦争のこと」続いています。

是非また足をお運びください。

 

劇団キンダースペース 瀬田ひろ美

 

AD

昨日は、劇団キンダースペースの瀬田ひろ美さんの一人芝居「生き地獄から戻った私」と椿組さんの「贋・四谷怪談」を観て来ました。瀬田さんの一人芝居は満州から引き揚げて来た実在の女性の手記を立ち上げたもの。白い衣裳でスッと舞台に立ち、その眼差しは過去と現在をつなぐように澄んでいました。その口から語られる戦争の悲劇は本当に痛ましくて・・・何度も何度も胸を締め付けられました。今度は子供にも見せて上げたいです。

AD

徳茂さんが書いてくれました。

テーマ:

今日は新宿住友ビルにある平和祈念展示資料館に、一人芝居「生き地獄からもどったわたし!」を友だちと5人で観に行ってきました。
劇団キンダースペースの瀬田ひろ美さんが、満州(現・中国東北部)からの引揚げ体験をつづった苗村富子さんの手記
を演じられています。
ソ連軍から逃げるために、子どもを3人連れて命がけで歩く歩く歩く、さらに走らなければならない。
苗村さん、子どもたち、兵隊さん、看護婦さん、横たわる高齢者たち…
瀬田さんを観て、語りを聴いていると目の前に情景が浮かびあがってきます。
白い椅子がそっと倒される(子どもが亡くなる)たびに胸をぎゅっとつかまれるようで涙が浮かんできました。
終わってから時計を見ると30分以上経っていたのに、あっと言う間に感じました。
それだけ引き込まれていたのだと思います。
その後、資料館の展示を見ました。
戦後強制抑留や海外からの引揚げの展示は一人芝居を観た後なので、とても心に響きました。
戦争は戦争している間だけではなく、終わってからも苦しみは続いていく、たいへん辛いものなんだといくことをあらためて感じました。
瀬田ひろ美さんには、ずっとずっと演じてもらって、もっとたくさん人に観てもらいたいと思います。

大森さんが書いてくれました。

テーマ:

今日新宿住友ビルに来たのは、この平和祈念展示資料館で行われた瀬田ひろ美さんのひとり芝居を見に来たためでした。
瀬田さんは川口にある劇団キンダースペースの主宰の方で、吹替えなどでもご活躍されている方。
そんな瀬田さんのひとり芝居は苗村富子さんが満州でソ連軍の侵攻によって、命がけの逃避行をして、日本に戻った時のことを描いた「平和の礎」をもとに作られたものです。
三脚の椅子は苗村さんの心に寄り添う夫や家族。
ともに寄り添い、心に大事に置かれていたその絆も戦争、そしてこの壮絶な引揚げによって次々に朽ちてゆく。
その心の空しさや哀しみを表す気力さえ辛い体験の中で削がれていた事が伝わってくる。椅子をそっと倒す瀬田さんの姿になんともいえない虚無感を感じた。
苗村さんはひとり帰国出来たのだが、手記を書けるようになるまでにどのような心の葛藤や揺れが襲ったのかと想像してみたが、決してその想像には敵わない数多くの闘いが、生きて帰った彼女にはあったのだろう。

身近な人が目の前で亡くなる。そんな経験は戦争ではないが自分にもある。
僕は今も心の底から癒されたわけではない。
今も夢に見るし、うなされ、あの頃も今も自分の弱さに情けなくなる。

最近もテロなどが世界で数多く起こり、決して平和とは言い切れない世界だ。
満州で苗村さんが戦争に満州は関係ないだろうと思っていたそんな気持ちが裏切られたように、自分たちにもそのような危機が襲わないとも限らない。
そう考えると、とても怖い。

だからこそ戦争の痛み、戦後も戦争の爪痕に苦しむ人たちがいたこと。
戦争が続いているかのような経験を長らくしながら、それを乗り越えてきた人たちの声を今一度聞いておきたい。
改めてそう思うのでした。

洋三先生が書いてくれました。

テーマ:

キンダースペースの瀬田ひろ美さんが、ここ数年取り組んでいる一人芝居。今回ようやく見ることができた。元満蒙開拓団の苗村富子さんの手記『平和の礎』を元に、30分ほどの一人芝居として構成している。
舞台には白い椅子が3脚だけ。瀬田さんも白い服。そして抑えたなかにも効果的な音響と照明。キンダースペースの舞台のエッセンスだ。
「モノドラマ」で鍛えぬかれた瀬田さんだけあって、満州からの引き上げの悲惨な体験が目の前に鮮やかに浮かぶ。観客へ語りかける瀬田さんに、いちいち頷きながら聞き入っている女性もいた。お父さんに連れてこられた小学生もじっと見入っていた。
演劇の力を目の当たりに見た思いだ。生身の人間が演じること、言葉が生身の人間から発せられること、そのことによって、物語は、一つの「事件」となって現前するのだ。
キンダースペースが長い時間をかけて培ってきた演劇の方法が、こうしたところにも見事な花を咲かせ実を結んでいるのは本当に嬉しいことだ。
出かける前は、観客はどのくらい集まるのかちょっと心配だったが、30名ほどの定員の会場に入りきらず、隣の部屋にまでぎっしりと集まった観客にも、ちょっと感動した。
この手記を書いた苗村さんは大正9年生まれという。ぼくの父は大正8年生まれで、満州からシベリアへと抑留された一人だ。芝居の中にも、シベリアに連れていかれる兵士のことが語られていたが、ひょっとして、苗村さんと父がどこかですれ違ったかもしれないと思うと不思議な気がした。
この資料館には、シベリア抑留関連の資料が豊富で、それもびっくりだった。そこに展示された数々の絵や写真に、父の悲惨な抑留生活を思った。そして、そこから父が「生きてもどった」からこそ、ぼくがいる、という事実に、改めて粛然としたのだった。

 

アトリエで稽古

テーマ:

一昨日・昨日で劇団員がアトリエを元の形に戻してくれました。
およそ4ヶ月ぶりにアトリエの床が出て来ました。
ちょっとササクレが激しいですね。
夕方からアトリエで「生き地獄からもどったわたし!」の稽古。
やってると先日の反省点が浮き彫りになりますわねえ。
大事なことほど、指の間からこぼれる砂のように、抜け落ちるもんですね。
確認、確認。
※イスは資料館にありますんで代用です。(^―^)

 



明日また上演がございます。
18日上演時にいただいた感想もまとめ、サイトを作り直してみました。
感想を書いてくださったお友達の言葉通り、ひとりでも多くの方に観ていただきたく思います。
http://kinder-space.com/bekko/www/heiwa/heiwa.html

日時/7月23日(土) 11:00~・14:00~(約40分)
参加費/無料〈自由席・ご予約システムはありません。
ご来場順に椅子席にお座りいただけます。〉
会場/平和祈念展示資料館(総務省委託)
新宿区西新宿2-6-1 新宿住友ビル48階 03-5323-8709


 

 

昨日は平和祈念資料館で、瀬田ひろ美さんの一人芝居、「地獄から戻った私」を観ました。
なかにし礼さんの「赤い月」と重なり、脳裡から離れなくなりました。
そう言いながら、帰ってからは、Xファイルを自宅で友人らと観たのだが、現実逃避をしている自分にも気がつきました。
幸せな生活が、戦争で突如一変することの恐ろしさを改めて知り、私は今まであまりに利他を考えずになんと平和ぼけして自己愛だけで生きてきたのだろうか~と、多いに今更ながら気がついたのであります。
夢を抱きながら満州国に渡って間もなく、夫は徴兵されて家にはいなく、戦争の偽の情報に色々と操られながらも、家を守ろうと普通に生活してた親子の話から始まりました。ロシア兵から逃げ出す様は、胸が詰まる思いであった。若い母親は、子供2人を背負い、周囲の人や土地の人に時に助けられながらも、6歳の長男の手をひき、果てしない悪路を逃げ惑うのである。やがてお乳が枯れ、涙も枯れ、ついに感情も消え行くほどの地獄の行程を体験する様は、戦後生まれの私には想像が出来難い様でもあるのである。
その必死に生き抜こうとする母親を通して、今を生きる意義さえ考えてしまった。次々に背中で亡くなる子供の体温の変化もわからず、手をひきながらも徐々に弱って行く長男を引っ張りながら、あちらこちら逃げ惑う姿が、瀬田さんを通してひしひしと伝わり、子供らの死に、涙、涙しか出てこなかった。
涙が出るのは、まだまだ心身にゆとりがある証拠、生と死の極限状態になったら、涙も枯れてしまうのだろう。
今でこそ平和な国、にっぽん!である。
臨床では、看とり師なる素晴らしい役割を担う方々が誕生している。同じ死ぬという意味が、戦争という愚かな行為、人が人を殺める行為は、どんな理由があろうと、決して許され、死を簡単に受け入れることはないだろうと感じるのである。
うちの孫らに是非一度、平和祈念資料館には連れて行きたいけど、部活が休めないとのこと。
私も今一度、ひろしま、ながさきの意味と意義を受け止め、祈らせて頂きに行くことを決意し、日々の愛と平和と安寧の祈りをより深めることにした次第です。昨日の機会に感謝です。