• 23 Jul
    • 【昔話その④】思い出の1980年鈴鹿8耐(第3回大会)ツーリング

       いよいよ今週末(2012年7/26~7/29)は「鈴鹿8耐」が始りますね1978年に第1回が開催されて今年(2012年)で早くも35回大会今はレースの結果よりも有名ライダー達のデッドヒート対決を見るのが楽しみです。ところで「鈴鹿8耐」が始る頃に思い出すのがHONDAからご招待を受けて1980年第3回大会の前夜祭に参加するため北九州から阪九フェリーに乗って鈴鹿サーキットまでツーリングしたことですね!この写真は鈴鹿サーキットに到着した時に当時では珍しいレディースツーリングクラブと一緒に記念写真を撮ったところです。どこの県の方だったか忘れてしまいましたがやっぱりスタイルや髪型は古めかしいですねこの中には今でも一緒にツーリングしてる方がいま~~す。(誰かわかりますか?)※当時の写真は全てプリント(劣化)からSCANしているため見苦しいですが何卒ご勘弁下さい。 さてこの後は鈴鹿サーキットコースの体験走行会もちろん翌日決勝戦があるので先導車による安全スピート゛でたったの一周その時鈴鹿のストレートを走る私がコレ!サーキットには似合わないウェアとバイクで逆に目立ってました。これはHONDA-CB750Kに極東商会にお願いして九州に初めて輸入したアメリカ「ベター社」のフルカウル「ウインドジャーマー」をフル装備して走っています。32年前にステレオや今はやりのドップケースを付けてたんですよ。もともとはアメリカで当時のHONDA-GL1000用に作られたものでネイキッドのGL1000を大陸横断ツアラーに変えるアメリカでは大ヒット商品装着するのに4本出しマフラーを2本化するなど結構苦労しました。そして当日鈴鹿サーキットでお会いしたのがこの在日米軍の軍人さんこちらがアメリカ本土から持ってきたGL1000に装着したものです。(パニアケースとトップケースは別のものが付いてます)やっぱり外人さんが絵になります。 かっこいいですね!ところで鈴鹿8耐の前夜祭になぜ招待されたかというと当時のクラブ「TBHSC」が九州のホンダセフティクラブNO.1の表彰を受けるためです。もちろん鈴鹿サーキットですからHONDA主催で前夜祭イベントがあり司会は今では大物の「みのもんた」様!当時はまだフリーアナウンサーになったばかりの駆け出しだったのかな表彰状を私が代表で受け取った後に握手した覚えがあります。お泊まりはホテルではありませんよお決まりの「ザ・テント」皆さんでその夜にワイワイと酒と焼き肉で盛り上がり絶好調!もうおわかりかな?知ってる方いますよね? (もしかして東南アジア系?) 翌日は「鈴鹿8耐の決勝戦」これは持参したフィルム一眼レフカメラで写したウォームアップ走行しているYOSHIMURA R&D   SUZUKI-GS1000鈴鹿8耐仕様ライダーはクーリーかクリスビーヘルメットも今のようなグラフィックではなく白一色です。結局この大会はこのYOSHIMURA が優勝したと記憶してます。これはネットからお借りした画像(レプリカ?)当時は憧れのヨシムラレーサー こちらが実際に走行したものでしょうか?いずれにしてもたった1回の「鈴鹿8耐」でしたが熱い数日間を満喫してバイク人生のいい思い出になりました。やっぱり物より思い出づくりはいつまでも人生の宝になりますね!皆さんもたまには貴重な時間とお金を使って「熱い鈴鹿8耐観戦」の思い出づくりをしてみてはどうですか!

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  • 17 Feb
    • 【昔話その③】昔のトライアルごっこ

      1979~83年頃TBHSCでトライアルが大流行!もちろんHONDA「TL125バイアルス」が主流まだトライアルがマイナー競技の時代に国産初のトライアル用に設計された市販車です。これは「トライアルの神様」と呼ばれたイギリスのサミー・ミラーが開発に参加したマシンで初心者でも扱いやすく、トライアル入門用マシンとして大ヒットしたことにより国内に一気にトライアル競技が浸透したと記憶しています。 ※高校生の時にトライアルを知らなかった私は2年先輩で同級生の兄貴でもあった 「KAWASAKI」(その後国際A級?)さんという方がこれに乗って近くの原っぱで練習して いるのをみて将来サーカスのオートバイ乗りでも目指しているかとマジに思ってました。この頃はXL250Sなど新しい4サイクルオフロードのいわゆるエンデュロ車が発売されて、TBHSCでもオフロードツーリング派が増えてきたことや公道を移動しながら数日間競技をするイーハートーブトライアルも話題になり、クラブ内でトライアルが流行した時でしたね。もちろん私もその一人でつい調子に乗り・・・(の前にT社長とM田君の生産終了になるという殺し文句の罠にはまり)「ホンダTL125バイアルス」を何と新車で購入しちゃいました。当時はトライアルの基本練習からです。河内の一番奥にあるめがね橋付近の川原で「8の字」練習中。けっこう真剣にやっています。でもよく見てみると私は覚えのない「パンチパーマ」です。トライアル車=パンチパーマ?そんなことはありません。なんでだろう?記憶にありません (ま~どうでもよいことですが) ※画像は当時の写真をスキャンしているので見にくいと思いますがご勘弁下さい。次の写真はTBH主催のトライアル大会です。場所は山田弾薬庫近くの山中です。(今の山田緑地公園あたり)クラブメンバーはもちろん外部からの参加者も結構いましたが当時の北九州市警や小倉北署の若手白バイ隊員がKUBOI隊長の命令によりよく参加していました。この後ろ姿がKUBOI隊長だったと・・・・これが大会主催者の開会式ご挨拶風景で~す!(T社長若~い)  当時はまだトライアル競技用の一般市販品が少ない時代でしたがT社長が履いているのは有名な「サミー・ミラーブーツ」です。(でも今考えるとゴム長靴にプロテクターを付けたようなものでしたが・・・)T社長は練習専門で競技エントリーはしませんでしたがいつも格好良く履いてました。昔も「とりあえずバイクは格好から参加ですヨ」がモットーでしたので・・・・この時私はいつの間にかYAMAHAの2サイクルTY125を自分で175ccにボアアップした通称「イナゴ」に乗り換えていますね!今みれば格好が本当に変です。ウェアはご存知のTBHSC制服でスカイブルーの布つなぎ。ブーツはロードブーツでそれも茶色。でもヘルメットだけは当時少なかったAGV(イタリア)の黄色のトライアルヘルメットです。(TY175にコーディネートしたのかは記憶が不明)このときはトライアルが楽しい全盛期でしたね!  しかし、この後トライアルを突然卒業しました。それは・・・初めてホンダ熊本工場内で開催された一般者向けの本格的なトライアル競技大会「九州トライアル大会」で従業員のM田君がエントリーする中級クラスに一緒に参加しないかと勧められ気軽に考えて出場した時です。これが本当のプロがつくった本当のトライアルコースかと・・・初めてトライアル競技の恐怖感を味わいました。●3mほぼ直角の壁の上り下りで上からバイクに乗られ頭を2回とも強打●深さ1mの濁った水溜りを勝手に浅いと思い込み頭から水没●高さ70cm位の丸太越えで腹打ちして思いっきり「すね」を強打●平均台のようなコースから前輪後輪が同時脱輪して股間を強打この日1日は本当に死ぬかと思いました。(あとで中級コースはライセンス保持者クラスを想定してつくったと聞かされましたが・・・)モトクロスなどスピードを競う競技はスタートして力量の差があっても自分の意志でスピード調整すれば意外に恐怖感も勝手に調整できてましたがトライアルはエントリーすれば力量に関係なくトライするコースは同じですから頭で考える時間があるだけに主催者のコースづくりによっては予想恐怖感が倍増するし、本当に「自分との戦い」になる競技だなとつくづく思いました。今まで楽しんできたTBHSCのトライアルコースは「トライアルごっこ」だと分かった瞬間でした。これでトライアルへの挑戦が終了しました。(チ~ン 合掌)トライアル競技の奥深さもよ~くわかり自分との戦いも好まなかった気弱な広報室長でした。

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  • 18 Jan
    • 【昔話その②】TBHSCの結成

      戸畑BHセフティクラブの結成1978年頃には「TBHSC」がスタートしました。結成当時はメンバーは5名ぐらいだったと思います。「セフティクラブ」は本田技研工業が推進していたホンダ販売店を中心にした二輪安全とツーリングの活動するクラブ名総称だったと思います。どういうわけか結成当時の写真があまり無いですねカメラを携帯していたメンバーがいなかったかも・・・・この写真は当時北九州のクラブではちょっと知れた「KGAC」との合同ツーリングです。「KGAC」の母体店は現北九州医療センターの前にあったヤマハ販売店でメンバーはヤマハ車が中心の活動の歴史も古いクラブでした。ツーリングのベテランが多かったのでウェアも含めいろいろと参考にさせていただきました。写真にはヤマハの並列3気筒の空冷エンジンに3in1タイプのマフラーやシャフトドライブを搭載した「GX750」や「XS650」「CB750」「GL500」など今ではめずらしい多彩なバイクが並んでいます。中にはBMWの初期型R100RSも見えますがこのオーナーは北九州というより西日本では有名なBMW乗りで伝説の一匹狼的なライダーでした。BMWの水平対向エンジンで飛ばすコーナーは誰もがついていけず誰もが北九州一の飛ばし屋を認めていた特別の存在でした。でもこの方がいたから北九州にBMWのファンが増えたと言っても過言では無くR100RS(2本サス)の最終型を所有した私もその一人でした。しかし、この方は十数年後にツーリング途中不慮の事故で亡くなられました。私も仕事で取り引きがあり、前日にお会いしただけに大変残念でショックでした。皆さん腕があっても公道ではくれぐれも安全運転を優先に・・・・・・・ ところで「KGAC」は何の略?たしか"北九州ゴキブリオートクラブ"だったと思います。何でこんな名前付けたのか当時はまだ若造だったので、こんな怖そうな「おいちゃん」達には聞けませんでしたネ。この数年後にメンバーも増えてセフティクラブらしくなった「TBHSC」の写真がコレだ! アフロヘアいたりオリンピック候補いたり昔の従業員いたり写ってはいませんが北九州市警の伝説の白バイ隊長"KUBOI"さんがいたりこの時だけは「TBH安全隊」またの昔話をご期待!

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  • 14 Jan
    • 【昔話その①】BHツーリングクラブの始まり

       バイク店の昔のツーリングクラブ2012年正月休みに、久しぶりに家の古いものを整理整頓していた時に出てきた昔の写真。バイクの写真も出てきたのですが、もちろんデータじゃないのでちょっとSCANしてみました。それがコレ!TBHへ通いだして社長と二人で走りだした1977年頃から約1年後ぐらいの阿蘇での記念写真ですネ右奥はBH社長でCB450(クジラタンクの初期型)です。(若いですね。まだ36才ぐらいじゃないですか)右奥から2番目はCB750エアラというホンダマチックを搭載した二輪車初のオートマチック車です。これは当時でも希少車です。当時のライダーにはまだオートマチックは受け入れられ無かったようですね私は試乗させてもらいましたがそれはそれで良かったような気がします。ただ重すぎた記憶がありますネ右奥から3番目は言わずと知れたCB750のOHC後期型です。(この方ず~とCBです。さて誰?)昔のツーリングクラブは今のようにライディングウェアが豊富に無いので個性よりも制服で揃えて走るのが定番でした。今見るとちょっと笑っちゃいますね皆さんが今も一緒に走ったり飲んだりしてる方もいます。社長以外はまだ20代前半です。ツーリング帰りにお店の前でパチリ!後ろに新車のGL400が見えます。いつ頃の写真かわかりません いゃ~若いっていいですねこれがホンダの販売店に入って「ヤマハのバイクありませんか」とふざけたことを言った私に社長が「うちは世界のどんなバイクでも取り扱いますヨ。国産のヤマハぐらい即納ですヨ。」とさらにふざけた返事をされてTBHで初めて買ったヤマハXS650スペシャル(納車に1か月ほど待ちました)生涯で最初で最後のバーチカルツインのアメリカンモデルです。これはこれで結構楽しく乗りました。格好もちょっとアメリカンスタイル・・・・まだまだあるのでまた次の機会にご紹介します。

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プロフィール

広報室長

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北九州市小倉在住の大型二輪免許歴45年、地元の大きなオートバイ屋さんとのお付合いと共にツーリング愛好...

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