2か月の長丁場の研修生活の間、週に1回は事業部長の浅井さんが我々を慰問に訪れていた。


その4,5回目の慰問の際の俺との面談で、


「基本的に俺はミムラに店長になってもらいたいのだが、研修の最後に実施される筆記試験で点数が良かった方を店長にすることに決まった」


だから頑張ってくれ、と浅井さんは言った。


なるほど妥当な結論だが、俺はどうしてもすんなりと受け入れる気持ちになれなかった。


桐谷の素行の悪さを理解していれば、絶対にそういう結論には至らないはずなのである。


さすがに一か月、二か月と過ごすうちに浅井さんも、薄々そのことに気付き始めていたのだと思う。


だから、先ほどの発言になったわけである。


ということはつまり店長選定方法の決定は、桐谷と接触がない社長の意見ということになる。


でも、ま、要は俺が試験で負けなければ良いわけだ。









そういう会社側の思惑を知ってか知らずか相も変わらず桐谷は、要領よく適当に研修をやり過ごしていたのである。


店長の前では無駄口も叩かずもくもくと働き、積極的に質問をし優等生を演じていたわけである。


あ、ちなみに店長の名は徳井という。


で、もちろん徳井店長の不在時は、これまでどうりである。


バイトの女の子にちょっかいを出し、べらべらしゃべり、そりゃあもう楽しそうに働いていたのである。


俺をはじめ良識ある面々はその様子をただ冷ややかに眺めていたのである。


そして、俺は確信していた。


こんな奴に負けるわけがない、と。


しかし、事態は俺の思惑とは裏腹に進み始めていた。


つまり、桐谷の権謀術数が静かに進行していたのである。


そしてある日を境に何の前触れも無く、


ん?


と思う不自然なシフトが組まれるようになった。


俺のシフトがほとんど調理場になっていたのである。


一方、桐谷のシフトは全てホールなのである。


元来、俺は調理場が好きであるからそれはそれで構わないのだけれど、研修ということから考えればおかしなシフトなのである。


そのまま、一週間、二週間と経過し2か月の研修期間の終了が近づいて来た。


俺は、今の事態を事業部長の浅井さんに報告した。


浅井さんもおかしいと思い、徳井店長にどうなっているのかを問い合わせた。


すると、


「桐谷さんを店長候補として私は考えています、だからそういうシフト組にしました」


と答えたのである。


皆さんこれが相当深刻な事態であることをご理解いただけるだろうか?


ではここで少々、フランチャイズ本部とその加盟店の関係について説明します。


本部と加盟店は同じ屋号の看板を掲げてはいても、会社自体はである。


つまり研修先の徳井店長は、俺の上司では無いのである。 


本部にとって加盟店はいわばお客様なのである。


そのお客様である会社の社員をお預かりして、店舗を運営できる技術を教え習得させるのが研修であるわけだ。


それが、たかだか本部の一店舗の店長が何の相談も無く、そういう職務権限もないのに、お客様である加盟店の会社の人事を勝手に決めてしまったである。


徳井店長が『使えない男』と言われる所以はこういうところにあるのである。


当然、うちの会社側は激怒である。


で、社長が本部に怒鳴り込むという事態になってしまったのである。


本部は平身低頭、正式な謝罪が行われ、事は一応収束したのである。


後々、詳細を徳井店長に聞いてみたところ


「桐谷さんが、『うちの社長がどちらを店長にするか徳井店長に決めてもらいたいみたいなことを言ってましたよ』って言うからじゃあそうなのかなと思いまして」


とうつむきながら言った。


やはり、桐谷か・・・


にしたって、軽率だろ、お前!


さすが『使えない男』、目が節穴である。


ちなみに徳井店長が『使えない男』である事例を他にも2,3紹介しておこう。


まず、何より衝撃的に店が汚い


例えば、俺はフライヤーを何とかピカピカにしようと頑張ってみたが無理であった。


数年分の油が層になってこびりついていて、とてもじゃないが太刀打ちできなかった。


ガラスも汚いし、床も汚い、事務所も汚い。


ひどいものである。


そして、従業員教育ができていない。


ラストの従業員が平気で余った食材を持って帰る場面に何回も遭遇した。


生ビールを勝手に飲んでいる場面にも遭遇した。


もちろん、お客様に対して笑顔なんかまったくない。


確実に平均点以下の店であった。









そうこうしているうちに、研修の卒業筆記試験の日がやって来た。


300ページのマニュアルをすべて頭に叩き込んで俺は試験に臨んだ。


万が一にも不合格になるようなことは無いだろうが、要は問題は点数である。


桐谷よりも良い点数をとってくれという、浅井事業部長からの命令があるのである。


しかも、研修が終了する頃には浅井事業部長だけでなく、社長も桐谷がロクデナシであることを理解したようで、やはり俺に桐谷よりも高い得点をとることを期待しているようであった。


そのプレッシャーたるや、俺の胃は2,3日の間、ドスンと重く痛み続けていたのである。


翌日、試験の結果が発表された。


何点であったのかは教えてもらえなかったが、何とか俺は桐谷の点数を超えることができたのである。


よって、新店舗の店長は俺に決定したのである。


嬉しさよりも、ただただホッとしたというのが正直な感想であった。


しかし、ここでもやはり問題が発生していたのである。


試験問題の管理の問題である。


試験問題は、店の金庫に保管されていた。


金庫のキーは、徳井店長とアルバイトリーダーの女の子が持っている。


で、アルバイトリーダーの女の子は、とっくに桐谷にやられてしまっている。


それは、桐谷本人が言っていたから間違いない。


さて、試験の内容である。


実はこの試験問題、100点をとることが不可能なように出来ていたのである。


要は、試験範囲であるマニュアル本の300ページには書かれていない問題が一題紛れ込んでいたのである。


もちろん俺はその問題は不正解であった。


しかし、どういうわけか桐谷はその問題に正解していたらしいのだ。


皆さん、もうお分かりですよね?


つまりそういうことです。


おそらく、アルバイトリーダーの女の子に事前に金庫を開けてもらって試験問題を盗み出していたということです。


いやもう、ホトホト嫌気がさすとはこのことである。


クズとは、奴のためにあるような言葉である。


状況証拠しかないから、どうせ問い詰めても口八丁手八丁で言い逃れられるのがオチである。


社長、浅井本部長そして俺はギリギリした思いを抱えたまま、ただ桐谷を見つめるしか無かったのである。






さて、今回はここまで。


店がオープンし、また問題が発生します。


次回は恋の話です。