プライドのはき違え

2009年06月19日(金) 08時26分44秒 テーマ:ブログ
 「サクラ大戦ってギャルゲーじゃん!」
何度言われたフレーズでしょう。

”ドラマチックアドベンチャー”と名乗っていましたが、勿論
ギャルゲーの要素もあり、戦闘シュミレーションでもあり、
アドベンチャーでもあります。

世間のお得意の”レッテル貼り”です。

でも、その質問には私は「はい、ギャルゲーでもあります。」
と答えていました。

そもそも、なぜギャルゲーがRPGより下に見られているのか?
恋愛シュミレーションと言うジャンルが登場してから、今日まで
ずっと言われ続けているネガティブな”レッテル貼り”に
よるのですが、

ここでは、その優劣については述べません。

「どうして世間はジャンルで差別したがるのだろう?」
と言う点について書きたいと思います。


クラシック音楽を語るBBSなんかを覗くと、
「ポピュラー音楽なんて」
って、良く見かけます。
ポピュラー板だと「Jポップなんて」
Jポップ板だと「アニソンなんて」
一番下の扱いです。

同じように活字の人達は、アニメ、漫画を自分達より下に
見ているようです。

私から言わせると(私は生粋のクラシックファンです)
クラシックもポピュラーもjポップもアニソンも、大きな視点で
見ると、音楽と言う意味においては同じ仲間です。
そんなに変わらない。
クラシックだって名作も凡作もある、アニソンだってそうです。

要は、良いものも悪いものも、すべてのジャンルにあるだけ
なのです。

勿論、私だってアニソンがクラシックと同じ位置にいる、なんて
思っていません。

まだ40年~50年ほどの歴史のこれからのジャンルなのですから。

問題は、人の差別意識です!

どこのオケかは言いませんが、アニメのイベントでオケの奏者が
明らかに手を抜いているのを見た事があります。

向こうからしてみれば、クラシックが弾きたいのに、なんで
アニメの曲なんかやらなきゃいけないのだろう、と言う気持ち
なんでしょうね。

全くプライドのはき違えですね。

やはり、これもジャンルによる差別意識から来ているのでしょう。
(この時の曲は、良い出来の曲だったにもかかわらず)

白状すると、私もクラシック音楽至上主義だった子供のころは、
正直、大衆音楽を馬鹿にしていた時代もありました。

今になって、あのころの自分の狭量さを恥じています。


以上の理由から、ジャンルの好き嫌いや差別意識で、ネガティブな
発言したり思考したりする事は、自分の狭量さを世間に発表する
ようなものです。

みっともないかもしれませんね。

コメント

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1 ■その通りです

全くその通りだと思います。

同じように、よくイギリス英語>アメリカ英語などと言って馬鹿にする人もいますが、その2つは種類が違うだけ。優劣なんてない。

音楽にも、ジャンルに優劣をつけだかる人は心が狭いと思います。

私にもアニソンを敬遠していた時期がありましたが、一度アニソンを聴き始めるとそれは馬鹿なことだと気付きました。

映画ファンの間では洋画>邦画の暗黙の流れがありましたが、ここ数年の邦画ブームで「常識」が少しずつ変わってきていているように思えます。

音楽の世界でもジャンルに優劣をつけるなんていう「常識」は早く崩れて欲しいです。

田中先生のブログを読んで、アンドリュー・ロイド・ウェバー氏のインタビューを思い出しました。「この世に良いジャンル、悪いジャンルなんてない」というようなことを言っていたと思います。ちなみに彼はエミネムも聴くそうですよ。意外でした!

2 ■それ!僕!目の当たりにした事あります。

こんちわ。今回のネタ、言ったらキリが
無い話なので、要点だけ。

今から遡る事、約20年前に忘れもしない
たいらいさお さんが唄う名曲の一つ
『伝説の巨神 イデオン』のOPを

生で聴いたとき、事件が起こりました。

いい機会なので、田中公平先生に
御聞きしたいのですが、
譜面があって〇分の〇拍子と記してあるのに

歌手だけではなく、ファンまでテンポの遅さ
の異変に気が付くようなアクシデントの
プロセスが理解出来ないのですが?

分かる範囲で教えて頂けませんか?

3 ■愛と自己愛の狭間?

この記事についていろいろと思うところはあるんですが、ひとつ、コメントとして残したいことは「そういった“見下すジャンル”を作り出す人達」は、本当にその“好きなジャンルの音楽”を愛しているのか?――という疑問です。

実際のところ、「その音楽が好きな自分」のほうこそを愛していて、その自己愛がゆえの自己防衛として“見下し、攻撃する”対象の音楽ジャンルを求めているのではないかと。

ごく個人的な「幸福の尺度」を持っておらず、理屈としての動機が存在しない自分の音楽的趣味嗜好に対しどこか自信が持てず不安を抱いていて、だからこそ“いいものだから好きなんだ”という構図を作り出す為に何かを“良くない”ものとして見下すことで「“自分の好きな音楽”が好きな自分(←ややこしいなぁ・・・)」を無理やり相対的な上位に置く。そうして、安心する。

要は「独り相撲」「観念遊戯」であり、そこでは誰一人として「音楽がもたらす喜び」に目を向け、また耳を傾けてはいないような気がしますね。

4 ■学校で言われました・・・

一週間前ぐらいに僕がサクラ大戦が好きだと友達に言うと即座に「ああ、ギャルゲーだっけ?」と言われました。
すぐに、ドラマチックアドベンチャーで簡単に言うと宝塚歌劇団が裏で魔物?と戦っている、と訂正、説明しときました。

ちょっと話がずれるかもしれませんが。何か共通の話題で議論するとき。
あそこはこう変えるべき、と言う意見は良いのですが
あそこはダメ、嫌いだ。というのは個人的に好きではありません。
だから僕は、ここが好きだ。あそこが好きだと好きな所を語るようにしています。

5 ■私の考え。

私の場合、クラシックは、声が無いなど、と考えて、私はあまり、聞かないのですけれども、ジャズの曲を奏でる吹奏楽団(我が町で聞く、文化の夕べ)、太鼓とか、聞くのが好きです。以前、テレビ見て、美空ひばりさんがオーケストラ演奏に合わせて、歌ってるのを見て、良いなぁと思っている。
サクラ大戦ゲームの場合、パソコンゲーム過去のCDROMから、新DVDROMと移植販売ししてたが、過去のCDROMソフトのバグと、コピー作品ゲーム、新DVDROMソフトのバグと出て、バグ解消されてなかったりと期間限定ソフト作品でても、何も、リニューアルバージョンアップしないで、バグ解消しないで、販売してもなぁと残念に思っている(セガサイトから、修正パッチとか、ダウンロードしてややこしい)しかし、私は歌謡ショーの方が好きだなぁ、また、田中公平先生の指揮するサクラ大戦歌謡ショー見たいなぁ。これから熱い季節になりますが頑張ってくださいませ!!

6 ■プライドは正しく

アニソンだって100年後にはクラシックだ!
モーツァルトがもし平成日本に生きていたらどの分野で活躍しているのでしょうね。私の想像ではバリバリの商業音楽やってると思います。いわゆるエイベックス系、それでも美しい曲を書いていると思います。ベートーベンならロックバンドかもしれない。ミケランジェロならフィギュア職人かもしれない!なぜなら時代は変わるものだから…。

既に良しとされているものをリスペクトするのは簡単だし自然です。それより100年後に良いと言われるものを、今良いと言える価値観こそが本当の「感じる心」ではないかと思うんです。

7 ■無題

この記事を拝見して、
武満徹「ノヴェンバーステップス」のエピソードを
思い浮かべておりました。
最初のリハーサルの時に、
二人の日本楽器の演奏家たちが演奏を始めると
オーケストラの多くの音楽家たち(ニューヨークフィル)は
笑い出し、あるものはステージを駆け下りた、そうです。
(武満徹 エッセイ集 言葉の海へ より)

今回の件はこれとはまた趣がまったく異なりますが、
まったく違う文化(あるいは文化背景)を持つものに出会うと
それまでの経験に沿ったものの理解をしてしまい、
不幸な思い違い・偏見・差別意識が生まれてしまうのではないか、
(音楽についていえば、音楽は国境を越えても、
文化的差異を超えて適切に理解するには壁があるのだろうか)
と思いました。

ずいぶんと生意気なことを書いてしまいました。
ご容赦くださいませ。

8 ■無題

クルマの徳大寺先生がよく言っていますが、クラシックの和訳をそもそも「古典」とすることが間違っているんだと思います。
じゃあ古典て何なんだ?と。
徳大寺先生の言葉をさらに借りますが、「クラシック=古典=歴史を経たスタンダード」という捉え方をしなければなりません、ということなんですね。
「クラシック音楽」という言葉の本意は「歴史の淘汰を受けてスタンダードになりえました音楽」ということであって、「クラシック分野の新作」とかオカシイ。また、どんなジャンルにもクラシックと呼ばれるべきものがあっておかしくない、という解釈であります。クルマのスタイルにも音楽のスタイルにも、家の建築様式にも何にだってクラシックと呼ばれるものはある。逆にクラシックの名作曲だって、時代の目を意識しないでただ弾いただけではクラシックな演奏にはなりえない。ということなんですよね。そこをわきまえないと、お話のような恥ずかしいことになってしまうと思います。

9 ■実を言いますと…

私はもともと「サクラ大戦→ギャルゲー→差別的な目」で見ていた者です。

が、出会いは、パチンコの「サクラ大戦」です。当時あまりパチンコをやらなくなっていた(年に3,4回行くだけ、それも待ち合わせの時間調整程度)んですが、たまたま「サクラ」の台に座り、たまたま最初のワンコインで大当たりを引きました。
そして、大当たりの中ほど(たしか10ラウンドあたりだったと思います)で見たあらすじの文章。
「文明開化から五十余年……帝都・東京には …」
これを読んだ時に、(悪意を持った)「ギャルゲー」に対する差別的な見方は消え「この話もっと知りたい」に変わった瞬間でした。
しかも、人間は、それまで無関心だったことでも、興味を持った瞬間に驚くべき感覚の鋭さを取り戻すようです。当時、「ゲキテイ」のサビぐらいはさすがに大ヒット曲だったので知っていました(タイトルは知らないという程度)が、卑下して見ていた私には、大して興味がありませんでした。しかし、次に大当たりを引いたときにはとても興味を持って「ゲキテイ」を聞いていました。

「この曲すごい…」

完全にのめりこんでいました。間奏まで(うるさいホールの中で)一生懸命聴いて「すばらしい!」と一人で感動してました。
以降吸い込まれるように「サクラ」と関わるようになるのです。

「自分の狭量さ」もったいないですよね。それが私の場合、偶然の連続のおかげで、無駄な垣根がひとつ消え、すばらしい物語、すばらしい美術、すばらしい音楽たちにも出会えたわけです。

人生って、本当に不思議ですよね。

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