アートと格差社会
テーマ:美術ジャーナルとはいえ、前回の「グッゲンハイム美術館 」や、その前の「Power100 」を見る限り、やはりある程度の「格差」を認めるという社会が根底になければ、あのような大富豪たちの存在はあり得ないような気がします。大富豪たちがアートを大量に収集し、私設美術館を建設することによってそれらを一般に公開する。このような大富豪たちの行動を「社会がどう捉えるか?」といった問題なのだけど、「単なる金持ちの道楽」だとか、「富を独占して許せない」と見ている人も当然いるのでしょうが、「大富豪たちがアートの発展に貢献している」とか、「アートにはそれなりのスポンサーが必要」と見ている人もかなり多いように感じます。
日本でも現在、欧米のマーケットと比べれば程遠いですが、アート市場が拡大傾向にあると言われています。これは、バブル期のような全体を押し上げての拡大ではなく、「格差」の拡大に伴う上昇といった見方が強いです。アート市場とは極端な話、以前にも似たようなことを書きましたが、1億円の売り上げを出そうと考えた場合、1万円のアートを1万人のお客さんに売ることによって、その目標に到達できるような市場ではなく、1千万円のアートを10人に売った方が、遥かに現実的な計算の成り立つ市場です。
アートを安く、より多くの人に売った方が、マーケットのあり方も多様化するし、その多様化したマーケットによって、より多種多様な「面白いアートシーンが展開されるのではないか?」と考えたい気持ちもあるのですが、これはあくまで理想にしかならないのですよねぇ~。しょせんアートは生活必需品になりえず、あくまでぜいたく品であって、安くすれば一般消費者が飛び付くという商品にはどうしてもならない。結局のところ、格差の広がりによってアートを消費できるような資産家の増加が、「アート市場にはプラスに働く」と考えるの方が妥当と言える世界なのでしょう。しかし日本社会には、この「格差」というものを受け入れられる土壌があるのでしょうか?
「明治維新」や「戦後」という近代日本における「二つの大きなターニングポイントをどう見るか?」といった議論もあるのですが、少なくとも、高度成長期の日本には「一億総中流社会」という思想が色濃く印象付けられたためか、現在問題視されるようになった「格差」というものを、アメリカやヨーロッパのようには消化しきれないといった指摘があります。「格差」というものが、「イメージ的に許せない!」といった感じでしょうか…。
明治維新によって殿様がいなくなり、戦争に負けて財閥も大地主も解体され、60年代には訳のわからない左翼思想が広がるし、本当の意味での大富豪という存在を長らく経験してこなかった日本社会においては、「ソロモン・R・グッゲンハイム」のような大富豪の存在自体を頭の中で描けなくなったのかもしれません。
でも今の状態で推移すれば、格差は確実に拡大していきます。日本人はこの「格差」に対して、どのような解決策を探っていくのでしょうか?マスコミや政治家の中には、「格差」の存在自体を問題視しているような人が結構いるように感じるのですが、僕はそのような人々に賛同できません。「格差はあっても仕方がない」と捉え、その「格差」を受け入れられる社会を「どう構築していくか?」を考えた方が良いと思うのだけど、違うのだろうか?







1 ■難しいですね。
わからないですが。。
私の父は、零細の自営業なんですが、
都会?からズケズケと福井に乗り込んできた
同業者に、本当に迷惑こうむってますからね。。
私としても、都会の大手はお呼びでないです。
わざわざ福井の零細企業をつぶしに来なくても。。
だから、その辺の自由化を規制?するかどうにかして、都会の会社は僻地では営業できないなどの、とにかく国が規制してくれるなら、
格差拡大もアリだと思います。東京一極集中には、意義ないです。
大富豪がいないと、権吾さんがおっしゃるように、アートの買い手がいなくなってしまいますから。。