No.241 天村雲命と愛宕勝軍地蔵尊(火産霊神)

 
宮原誠一の神社見聞牒(241)
令和6年(2024年)03月09日
 

天孫降臨の折、天忍石(あめのおしほい)長井の水を持降り、筑紫の蚊田の渟名井(ぬない)に遷された方が天牟羅雲命(あめのむらくものみこと、別表記の天村雲命)です。「天忍石長井」は「天眞名井」、「蚊田の渟名井」は「潟の渟名井」とも表記されます。
蚊田の渟名井は現在では益影井(ますかげのい)と称し、福岡県北野町の大城小学校の校庭南隅に廃井として千古の歴史を秘めて静かに保存されています。
その益影井の東横に筒井天満宮が鎮座され、境内の観音堂には天村雲命地蔵尊と十一面観音菩薩が祀られています。
観音堂は豊姫神社(止誉比咩神社)の本寺堂であり、豊姫神社の祭神の本地垂迹では、天村雲命地蔵尊は正八幡大幡主、十一面観音菩薩は天照女神の本地仏とされます。 止誉比咩神社は現在の赤司八幡宮に変遷され、天照女神は豊姫(とよひめ=道主貴)、大幡主は高良大神・八幡大神として祀られています。(本寺堂、本地仏は神仏習合の名称です) No.232
 
益影井 大城小学校グラウンド南 福岡県北野町大城(筒井)

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止誉比咩神社本跡縁記 (とよひめじんじゃほんじゃくえんぎ)
蚊田は筑紫の中瀛海(なかつうみ)に秀(ひい)でたる潟の地なり。故に、「潟」と「蚊田」は同訓なり。この潟の
渟中(ぬな) より湧き出でたる霊水ゆえに、「蚊田の渟名井」と号(なづ)けたり。後人、石畳を敷いて「筒井」と名づく。

 
 
筒井天満宮と境内の観音堂
益影井がある大城小学校の校庭南に筒井天満宮が鎮座です。
境内の観音堂は豊姫神社の本寺堂であり、「天眞名井」を「潟の渟名井」として、ここにおさめられたという天村雲命地蔵尊が祀られ、その右横に十一面観音菩薩が祀られています。
豊姫縁起では、天孫降臨の時、従った神様に「熊野忍蹈命 くまのおしほみのみこと」がおられ、別名、熊野牟須毘命(むすびのみこと)といい、大幡主です。熊野牟須美命(むすみのみこと)は天照女神です。(あるいは、熊野夫須毘、熊野夫須美とも表記され、牟須と夫須は同義語てす)
天村雲地蔵尊は愛宕勝軍地蔵尊と呼ばれ、その地蔵尊の制作者は聖徳太子であり、本地蔵尊は大分県日出町の愛宕神社にあり、大分県天瀬の高塚地蔵尊は、この分霊となります。
 
筒井天満神社 福岡県久留米市北野町大城(筒井)126

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注連縄は大幡主の注連縄です

 

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大幡主の蘇鉄

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観音堂の天村雲命地蔵尊(左)

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観音堂の十一面観音菩薩(右)

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境内観音堂の西隣に益影井があり、観音堂の後方には大三輪神社が鎮座です。
「止誉比咩神社」「蚊田の渟名井」「天村雲命地蔵尊」「十一面観音菩薩」
「大三輪神社」「筒井天満神社」「蚊田宮」と、ここには大城の名物がそろっています。

 

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勝軍地蔵菩薩と愛宕神(火之迦具土神)
愛宕神社(あたご)は京都市右京区嵯峨愛宕町の愛宕山頂にある愛宕神社が発祥とされ、火防の神です。愛宕神は火之迦具土神であり、秋葉神社の祭神と同一神です。
江戸時代に、修験者によって愛宕信仰が広められたといい、愛宕権現は伊邪那美神と勝軍地蔵菩薩を習合したものとされる。(伊邪那美神の表記は天照女神の置き換えです)
 
愛宕神の神格を良く表現された由緒を持つ神社が、福岡県朝倉市上秋月に愛宕神社としてあります。上秋月の愛宕神社前付近を「椿の森」といい、羽白熊鷲(はしろくまわし)の層増岐野(そそぎの)の決戦の地とされ、千原(血原)の地名で残っています。
 
愛宕神社 福岡県朝倉市上秋月2198

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愛宕神について
愛宕神は別名・加具土之神(かぐつち)と申し、またの名を火夜芸速男之神(ひのやぎはやお)、火之炫毘古之神(ひのかがひこ)とも申す。
日本神話では
火の神(荒神竈神)に位置づけられている。また山神様でもあり、防災鎮火の神で祭られる一方、牛馬の守護神として崇められています。

 

愛宕神は加具土之神で、火の神(荒神竈神)、牛馬の守護神とくれば、愛宕神は大幡主です。
同じ朝倉市比良松(旧日田街道往還)に厳嶋神社があり、境内に愛宕神社が独立してあります。
 
厳嶋神社 福岡県朝倉市比良松348
祭神 市杵島姫命

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鳥居扁額は「厳嶋大神」、参道右側に蘇鉄あり

 

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神紋は「三盛亀甲に剣花菱」紋で、市杵島姫の神紋です
左手に愛宕神社が見えます

 

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女千木(平削ぎ)に鰹木五本で、主祭神が女神で男神も祀る

 

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拝殿向拝の「波にウサギ」彫刻
この神社は大幡主と市杵島姫(天照女神)を祀るのではないか

 

同敷地内の愛宕神社
祭神 軻遇突智命

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神紋は「右三巴」紋で、大幡主の神紋
 
ここ朝倉市比良松に厳嶋神社と愛宕神社が並んであるは、市杵島姫(天照女神)と愛宕神(大幡主)を祀る大神宮形式です。

 
 
その他の愛宕神社
 
福岡市西区の愛宕神社 福岡市西区愛宕二丁目7-1
祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
   火産霊神(ほむすびのかみ)伊弉冉尊(いざなみのみこと)
本宮横の宇賀神社には日本武尊(やまとたけるのみこと) 素戔嗚尊(すさのおみこと) 宇賀魂神(うがのみたまのかみ)の三柱の祭神を奉祀。
伊弉諾尊・天忍穂耳尊を祀る鷲尾神社(鷲尾権現)が当初の神社で、後の江戸時代に
火産霊神・伊弉冉尊を祀る愛宕神社(愛宕権現)が勧請され、明治時代に愛宕神社に合併される。愛宕神社が鎮座している愛宕山は旧名を鷲尾山という。
神紋が変わっています、「向かい巴紋(むかいともえもん)」です。
(Wikiから)
鷲尾山に伊耶那岐尊・天忍穂耳尊を祀ったのが鷲尾神社(鷲尾権現)の始まりとされる。
鷲尾権現は英彦山権現と同神で、里人の説に曰く「初め英彦山権現自体も鷲尾山に祀られ、後に英彦山に移られた」ともいうが、確たることは不詳である。
江戸時代、福岡藩2代藩主黒田忠之が、黒田騒動を愛宕権現の霊験により乗り切ったことに感謝して、寛永11年(1634)、京都の愛宕山白雲寺(現在の愛宕神社)より愛宕権現(伊耶那美尊・火産霊神)を勧請し、鷲尾権現のある鷲尾山に祀り、鷲尾権現は愛宕権現の境内末社とされた。
※英彦山の祭神は天忍骨尊(あめのおしほね建御雷之男神)であり、根の神です。
 
大分県日出町の愛宕神社 大分県速見郡日出町大字大神932
大神比義の開基で、奈良時代末に行基が中興したと伝えられており、豊後の国で最初に建立された愛宕神社でもあるという。
祭神:伊弉冉尊、軻遇津知命
境内社:保食神、生目神
由緒:はじめ「辻の堂愛宕大権現」と呼ばれていましたが、中世この社に「愛宕勝軍地蔵尊」を祀ります。又、願い事を1つだけかなえてくれると言う大分県天瀬町の「高塚地蔵」は、この社から分祀したと伝えられています。
 
鮭神社の境内社・愛宕神社 福岡県嘉麻市大隈542
鮭神社の祭神は葺不合尊、火火出見尊、豐玉姫命と日本神話での親子を祀るとあります。
が、祀られる神は大幡主と天照女神です。鳥居を過ぎると正面に愛宕神社が目につきます。

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二の鳥居を過ぎ階段を登ると正面に愛宕神社です、神紋は「向かい巴紋」

 
 
 
おさらい(丹後の豊受大神の混乱)
水沼君の「潟の渟名井」と丹後の「與佐の真名井」について
「No.60 水沼君の「潟の渟名井」と丹後の「與佐の真名井」 2018年5月13日」
で紹介しています。
そのなかで、「伊勢外宮の豊受大神と丹後の豊受大神が混同」混乱されています。
わかりにくいので、再確認のおさらいです。
 
伊勢外宮の豊受大神(男神)と丹後の豊受大神(女神)が混同
福岡県北野町大城の赤司八幡宮の縁起書・水沼盛道著「止誉比咩神社本跡縁記 とよひめじんじゃほんじゃくえんぎ」の地神三代の部分に、天真名井(あめのまない)、筑後国御井の蚊田の渟名井(かだのぬない)、丹後国の與佐の真名井(よさのまない)が記載されています。
 
筑紫の道中の「蚊田の渟名井」を丹波の與佐に遷した井を「與佐の真名井」といい、この水を豊食神の饌水(みけのみず)に献じています。
 
筑紫の道中の「道主貴」は、丹後では與佐の真名井を守る神「道主」であるという。
また、北野町大城には、水沼君が斎き祭る「道主貴=豊姫=天照女神」と「伊勢天照御祖神=天照女神」があり、丹後に遷した「伊勢天照御祖神社」ゆえに、丹後の豊受大神は、「丹波の豊受宮」と「伊勢の豊受宮」で混同されているという。
水沼君が遷した「伊勢天照御祖神社」とは丹後の比沼麻奈為神社(ひぬまない)であり、修正して水沼眞名井神社(みぬまない)と想定しています。

 

止誉比咩神社本跡縁記
蚊田は筑紫の中瀛海(なかつうみ)に秀(ひい)でたる潟の地なり。故に、「潟」と「蚊田」は同訓なり。この潟の渟中(ぬな)より湧き出でたる霊水ゆえに、「蚊田の渟名井」と号(なづ)けたり。後人、石畳を敷いて「筒井」と名づく。
天渟名井は「蚊田の渟名井」の転語で、去来(いざ)の真名井は「與佐の真名井」の転語。又、蚊田の渟名井の所に「道主貴」が在(あ)り。
與佐の真名井を守る神を「道主」と号し、水沼君が所祭(いつきまつる) 道主貴が訛りて、伊勢の大物忌の祖(おおものいみのかみ)を「水沼の道主 みぬまのみちぬし」と謂う。
 
【丹後の元伊勢関連神社】
元伊勢籠(この)神社 (吉佐宮よさのみや) 京都府宮津市大垣430
古昔より奥宮眞名井原に豊受大神をお祀りしてきましたが、天照大神が大和国笠縫邑(現奈良県桜井市三輪)からこの地にお移りになり、これを吉佐宮と申し、豊受大神と共に四年間お祀り致しました。その後、天照大神、豊受大神は伊勢にお移りになりました。それゆえ、当社は元伊勢と云われております。
両大神がお移りの後、元正天皇養老3年(719)、彦火明命を主祭神とし、社名を吉佐宮から籠宮と改め、元伊勢の社と称しています。
 
眞名井神社 元伊勢籠神社の奥宮 京都府宮津市中野905
天照大神・豊受大神が伊勢に遷座された後、元正天皇養老3年(719)、奥宮眞名井神社の地から現在の地へ遷し、海部直愛志(えし)が祖神・彦火明命を主祭神とし、天照・豊受の両大神、及び海神を相殿に祀り、天水分神を合わせて祭るようになった。(神社石碑の社説)
 
比沼麻奈為神社 (ひぬまない)→
修正して水沼眞名井神社 (みぬまない)
京都府京丹後市峰山町久次宮谷510
祭神 豊受大神
伊勢神宮の外宮の祭神・豊受大神は、この神社の分霊を祀ったものとされ「元伊勢」とも称される。

伊勢の大物忌の祖(おおものいみのかみ)を「氷沼の道主 ひぬまのみちぬし」と謂うは「」と「」の字を誤れるものなり。
 
大宮売神社 京都府京丹後市大宮町周枳(すき)1020
祭神 大宮賣神、若宮賣神(ミスで若宮神?)
織物と酒造を司る大宮売神(おおみやめのかみ)、食物・穀物を司る女神である若宮売神(わかみやめのかみ)の二柱の豊受大神を祀る。
※普通にとらえれば、大宮売神は大日孁・ヒミコ、若宮売神は稚日孁・宗女イヨとなりますが、大宮売神は「日の大宮」= 天照女神、若宮売神は「日の若宮」= 豊受大神・大幡主となります。大宮売神は伊勢内宮(女神)、若宮神は伊勢外宮(男神)です。
 
元伊勢内宮皇大神社 京都府福知山市大江町内宮217
祭神 天照皇大神
笠縫邑を出御され、丹波へ御遷幸になり、其の由緒により当社が創建されたと伝える。伊勢の五十鈴川上(今の伊勢神宮)に御鎮座。引き続いき当社を伊勢神宮の元宮とし今に至る。
 
元伊勢豊受大神社 京都府福知山市大江町天田内178-2
祭神 豊受大神
※元鎮座地は比沼麻奈為神社(現京丹後市峰山町久次に鎮座)であるが、雄略天皇22年に伊勢へ遷座する途中で当神社の地にしばらく鎮座し、その跡地に建立したものであるという

 
伊勢内宮の天照大神は大日孁貴(天照女神)、伊勢外宮の豊受大神は大幡主・豊宇賀大神ですが、丹後の豊受大神は豊受姫=天照女神であって、伊勢外宮の豊受大神(男神)と丹後の豊受大神(女神)が混同されています。
水沼君が丹後に遷した「伊勢天照御祖神社」の祭神は天照女神=豊姫=道主貴で、丹後の豊受大神は天照女神です。
 
もし本当に、丹後の豊受大神を伊勢外宮に遷されたとするならば、今の伊勢外宮は天照女神を祀ることになります。それは、ありえません。どこかで間違いが起きています。
 
・水沼君が丹後に遷した「伊勢天照御祖神社」の神は天照女神で、外宮様ではありません。
・各社の由緒では、豊受大神は豊受比売となっていて、豊受姫は天照女神です。
・倉稲魂命・宇迦之御魂・保食神は豊受大神とあり、豊宇賀(とようか)大神で、大幡主です。
・海部家始祖・天火明命が創祀した豊受大神は大幡主です。
・天真名井の霊水を真名井原に持ち下った天村雲命は大幡主です。
・「比沼の真名井」は「水沼の真名井」の間違いです。
 
それで、天真名井がある高天原はいずこに?となるのです。
大幡主が天照の手を引いて、天の橋立てを渡って行った先はどこになるのでしょう?
 
九州王朝神霊東遷において、天照女神(天常立尊)と大幡主(国常立尊)の夫妻の神霊は共に崇神帝瑞籬宮に祀られていたが、大幡主は穴磯邑(あなしむら)の大市の長岡岬(ながおかみさき)に一旦祀られ、奈良県天理市新泉町星山の大和神社に遷座となります。
天照女神は大幡主から引き離されて、笠縫邑の檜原神社に一時遷座され、崇神帝の弟の椎根津彦の子、黒砂(いさご=倭姫 姉)によって、伊勢内宮遷座となります。
大幡主の神霊は椎根津彦の子、真砂(まさご=市磯長尾市 いちしのながおち 弟)が伊勢外宮遷座の任を担うことになります。
 
大幡主は国常立尊であり別名、神皇産霊神(かみむすびのかみ)とも云う、櫛田神社の主祭神で櫛田大神(=大若子だいじゃこ)です。そして那(奴)国の王様であり、「塩土の翁」です。

 

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