ハッピーぱんだの幸せさん寄っといで~!

私の家族の闘病生活の事や、最新ニュース或いは、仕事柄片づけマル秘テクニックやお掃除術などを公開!そして皆さんに感動をお届けしたいと思います。またブログの中で人の幸せについて皆さんとご一緒に考えて行きたいと思います。


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杉木 茂左衞門様

ご存知の方も居られると思いますが、茂左衞門様は、現在のみなかみ町月夜野の出生で、旧沼田領(利根郡、吾妻、勢多郡)177ヶ村領民の為に一身を犠牲にして磔柱上(はりつけ)の露と消えた方です。


時に天和2年(1682年)11月5日のことであったと伝えられている。



時の将軍は徳川綱吉であった。




 今から凡そ3百年前に遡り、時の上州沼田領3万石の城主真田伊賀守信直は、華美放漫の政治をした為に藩の財政は窮乏を極め、これを立て直すため領民の苦境をも考えず、寛文年間、再度にわたり無理な検地をして3万石を14万4千2百13石2斗2升4合と、約5倍の増税をし、その上凶年続きで困苦のどん底にある百姓から諸税をかけ、滞納者には残酷な刑罰に処した。






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領主は増税のため、利根郡、吾妻郡、勢多郡177ヶ村を検地した。




この惨状を見るにしのびず利根・吾妻・勢多の177ヶ村の領民のため一命を捨てる覚悟で立ち上がったのが、月夜野の百姓 茂左衞門です。







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左は、将軍宛ての文箱に驚いた茶屋の主人が東叡山に持参した。
右は、東叡山輪王寺宮は、五代将軍綱吉公に訴状を手渡す。




茂左衞門は姓を杉木といい義気に富んだ中流の百姓でした。天和(てんな)元年正月、領主真田伊賀守の非行、領民の惨状をしたため訴状を懐にひそかに江戸へ上り、上野輪王寺宮から将軍家へ巧妙な方法で、直訴に成功しました。



時の将軍(5代綱吉)は取り調べの結果、罪状が明確なので伊賀守は改易となり沼田城は破却の運命となった。



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訴状を書いた昌月法印は生きながら石子詰の極刑に処された。






茂左衞門は本望をとげたのを見届けたので、ひそかに郷里へ帰り妻に別れを告げ自首を決意して江戸へ向かうところ、小袖坂で幕吏に捕らえられ江戸送りとなり取り調べの上、所成敗(打ち首)となり、天和(てんな)2年11月5日、月夜野竹之下河原にて磔(はりつけ)の刑に処せられた。

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左は、
月夜野竹之下河原にて磔(はりつけ)の刑に処せられた
右は、江戸からのご赦免上使馬を急がせたが間に合わず、切腹して果てる。





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左は、上と同じ。右は、親戚が命がけでさらし首になっている首を盗みに来た所で、盗んだ首は埋葬して、手厚く供養された。



領民はその死をいたみ刑場あとに地蔵尊を建て、供養を続けてその遺徳をしのんできたが、大正11年旧領地をはじめ各地の篤志家からの浄財によってここに茂左衞門を祀る千日堂が建立されたのである。





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今年も3月20日の中日に大祭が取り行われる。




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旧国道17号沿いに建つ処刑場跡。

いまの私たちの生活は、こういう立派な方々の犠牲の上に成り立っているのですね。





3月20日のお祭りに行ってきます。
写真をまたアップしますね。
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