先日、毎日新聞にこんなニュースがあった。


【毎日新聞】:2006/01/28

震災カップル:101歳老衰死 93歳妻「さびしい」


95年の阪神大震災の被災をきっかけに誕生した兵庫県宝塚市の高齢カップルの一人、吉川竹雄さんが27日、老衰で亡くなった。101歳だった。11年間、寄り添って支え合ってきた楠田周子さん(93)は、吉川さんが病院で亡くなったため最期に立ち会うことが出来なかった。「さびしい。でも、ありがとう」と楠田さんは繰り返した。(以下省略)


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ニュースを見て、思い出した。


俺自身、阪神・淡路大震災の時は、学生時代で時間も自由に出来たから2ヵ月程度、ボランティアに行った。場所は、西宮。市内でも5本の指に入る程大きな避難所で、被災者と共に寝泊りし、ボランティア活動をした。


ボランティアの1日は早い。大体、朝4時起床。いつも被災者のおばちゃんが起こしてくれた。朝は、炊き出しを中心とした食事の準備。炊き出しが無い震災直後の時期はパンやお握りの手配。「悲しいお握り」といって、具も塩っ気も無い、ただの白米だ。震災直後は、本当に辛かった。


その後、8時過ぎに一度仮眠。再び、10時に起床して、ボランティアセンターに顔出し。一日のスケジュールを確認し、ボランティアセンターを仕切るボランティアリーダーとの打合わせ。俺は「ある避難所」専属のボランティアリーダーだったので、その時に、ボランティアの人員を確保する。やる事の決まっていないボランティアも結構いるし、短期のボランティアも多いので、そこで、当日の俺のチーム(ある避難所)の人材確保をする。ちなみに、ボランティアは2000人?ぐらい登録しているが、実際、1日に稼動するボランティアは200人程度。俺は、長期滞在型の珍しい?ボランティアだったので、西宮に行って3日目から「即リーダー」だった。


11時過ぎに避難所に戻り、昼食の準備。その時には、新しいボランティアも含め、みんなで準備する。昼食の配膳が終了すると、基本的には緊急支援物資の仕分け。震災初期は少なかったが、2月に入れば物資も豊富になる。たくさん来るのは嬉しいが、基本的に被災者全員に均等に渡すには数が少ない。そーいう時は、判断に迷う。配布に不公平があると申し訳ないからだ。その場合、市の職員さんと打合せの上、適宜配布する。


夕方まではあっという間。今後、炊き出しにきてくれる会社と打合せしたり、避難所の子供とサッカーをしたり、被災者と会話したり、物品管理したり、人員確保したり、水の手配をしたり、要望書や今後の計画書を作成しセンターに提出したり・・・etc。たくさん、やることありました。


夜の食事の手配・配膳が済むと、軽く朝飯の準備。避難所にいるボランティアとのミーティングを行い、一日の報告・反省、及び新規実施案の提示・検討会。それが、済むと、ボランティアセンターに「出勤」。そこでは、20名程いる市の職員の人達との会議、そして、俺らだけのボランティアリーダー会議がある。正味、2時間くらい。


ボランティアリーダーは大体、10人くらい。俺の様にどこかに専属でついている奴が6人。あと4人は、ボランティアセンターで指揮を執り、全体の調整をする。わかりやすくいうと、本社と支店の関係だ。大体、意見は割れる。現場と本社はそんなもの。本社ではきっと、全体像を見ながらボランティアとして出来ることを常に職員と打合せ、方向性を示したいと思うのだが、現場にいる俺達は、常に目先の事実と鉢合わせるため、常に判断、判断で「さばく」必要がある。今となれば、会社勤め、且つ本社勤務の為、分かったことだか、当時、学生の俺にはセンターの考えが理解できず、何度も衝突した。


会議が終了し、一度、避難所に戻り、サブリーダーから報告を聞く。で、その後、ボランティアの仲間同士でミーティング。不思議なもので、武庫川を越えた尼崎ではファミリーレストランは経営中。近くでも、地震の被害は少ない。そーいう所で、コーヒーを飲みながら、ボランティア活動について語り合う。会議では無いところでの情報は、意外と生々しく、非常に有益。今の会社でもそーかな。喫煙所での会話が一番情報が集まるから・・・。


と、気付くと24時を回っている・・・通常時でのボランティアは、大体そんな感じの一日を送っていました。


俺がいた避難所は、下町の人達、そして、ヤクザっぽい人達が同居していた、結構ハードな避難所。だから、市の職員は結構付かず離れずの対応が目立った。


一度、食事の配膳中、横入りしたヤクザと喧嘩になったこともあり、それが、問題になった時があった。その時は、市の職員は、気を使いセンターに連絡し、俺を「異動」させようとしたが、その後、ヤクザの奥さんが、俺と職員に謝りを入れ、無事解決したことがある。「極道の妻達」という映画を見たことは無いが、奥さんには独特の貫禄があった。で、結局、俺も避難所専属のまま。


奥さんに言われて嬉しかったのが、被災者の方々は俺らボランティアを受け入れている、という感じの事を話してくれたこと。ボランティアをやっていて、常に不安に思っていたことがある。それは、俺達ボランティアが、どこかで、被災者を傷つけているんじゃないか、そして、自己満足の為だけにやっていると思われているのではないか?という気持ち。


ボランティアは帰るべき家や家族を他に持っていて、また、その人達が無事なので、ボランティアが出来る。要は災害にあっていないから、ボランティアが出来る。だから、災害にあった人の気持ちを本心では分かりきれない。被災者の気持ちを理解した、と言ったら、絶対それは嘘になる。被災者の中には家や財産だけでなく、家族だって失った人がいる。その気持ちは、経験しないと、絶対にわからない。そんな経験もしてないし、危機的状況で暮らしていないから。そういう中での、経験が浅い学生主体のボランティア。だから、もしかしたら、土足で心に踏み込んでいるのではないか・・・と、常に危惧があった。


そんな事を見透かした様な、奥さんの話。すごく嬉しかった。


ボランティア活動自体は長期化するにつれて、支援活動と被災者の自立とのバランスが難しかった。個人的には、やがて帰る身。被災者の自立を促すボランティアであるべきだと思った。できれば、難しいかもしれないけど、ゆっくりでもいいから、被災者が自治する方向が望ましかった。そうしたかった。でも、中には、サービス第一のボランティアもいた。ホテルのサービスのような活動を目指す子もいた。本当に難しかった。個人の価値観の部分だから。


今、思えば、語りつくせぬ経験を積まさせていただいた、ボランティア。本当に、いろいろ経験し、いろいろ考えさせられた。でも、ここ数年、西宮に行くことも無い。今年は、どこか機会を見つけてボランティア仲間と会ってみるかな・・・。


ニュースを見て、そんな事、思いました。


060117西宮

西宮中央商店街のアーケードに掲げられていた時計 。「その時」を刻んだまま11年が過ぎた。(神戸新聞HP より)

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【スポニチ】:2006/01/30
覚悟見えた!久保をエース指名


ジーコ監督(52)がFW久保竜彦(29=横浜)をエースに指名した。(中略)ジーコ監督は復帰した久保と会談し、エースストライカー候補の覚悟に復活を確信した。(中略)04年10月以来、1年3カ月ぶりに代表の練習着をまとった久保は、腰を伸ばすようなストレッチを入れながら、それでも必死にすべてのメニューをこなした。ジーコ監督が誰よりも期待を寄せるストライカー。実は練習に先立ち宿舎で行った話し合いで、並々ならぬ決意を打ち明けていた。


ジーコ監督「本当にW杯に出たいのか?」


久保「出たい。本大会でしっかりやりたい」


短い言葉で十分だった。ジーコ監督就任以来12試合で8得点という群を抜く決定力。日本を任せられるのはこの男しかいない。指揮官は、川淵キャプテンに「今までの“どうでもいいや”というのではなくて、気持ちが前に向いている。彼はわれわれの期待に応えてくれると確信した」と伝えた。そして「ベストコンディションなら大きな戦力として期待できる」とFWの軸に据えることを決断。2月10日の米国戦起用についても「それは当然」と先発構想も口にした。(以下省略)


060130久保

▲宮崎合宿の久保


久保の代表復帰&エース指名は当然です。

身体能力、決定力の高さは、日本人FWの中でも図抜けてます。

個で戦うことの多いジーコジャパンには無くてはならない存在です。

心配は、ケガ。W杯まで無事でいてくれと、願うのみです。


あとは、松田(横浜)の復帰!を祈りたい!!

松田も個で戦うこのチームには絶対必要なはず!

ジーコ、早く選んでくれ!


そして、みんな(●>Д<)ノがんばれぇぇぇ~~

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髪、切った

テーマ:

久々に髪の毛、切った。約3ヵ月振り。

俺がいく美容院はナルくん が、いつも予約してくれる「emty 」という美容院。

浜松の東若林にある。


あまりにも久々だったので店員さんが心配してた。

「kekachiさん、あんまり来ないんで、店変えたかと思いましたよ・・・」。

俺は、そんな、面倒なことはしません(^_^;)。


ちなみに、この土日はほとんど引き篭もり。

風邪です・・・(-_-;)。

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何も釣れず・・・

テーマ:

週末は、体調が悪いのに、懲りずに釣りにいく。

いつもの「メバルセット」を抱え込んで、先輩達といざスポットへ。


でも・・・やたら風も強いし、寒い。

しかも夜釣りなのに「ライト」を忘れた・・・(^_^;)。

う~ん。何も見えない・・・。


で、寒風の中戦ったが、結局、何も釣れず。


熱は37℃台。俺はアホか???

【毎日新聞】:2006/01/28
カメラ業界:フィルム事業縮小・・・愛好家に波紋


世界に誇る日本のカメラ業界が揺れている。今月相次いで発表された、ニコンのフィルムカメラ事業縮小と、コニカミノルタホールディングスのカメラ、フィルム事業からの完全撤退。デジタル全盛の「時代の流れ」とはいうものの、愛好家らの間で波紋が広がっている。(中略)日大教授で日本写真芸術学会会長の原直久さんは「デジタルは、いわば印刷物。色の深みも階調も銀塩写真にはかなわない」と、フィルムカメラの芸術性、優秀性を強調する。日本カラーラボ協会専務理事の尾花経久さんも「引き伸ばした時の画像はポジフィルムの独壇場」と胸を張る。(中略)こうした中、動向が注目される国内最大手のフィルムメーカー、富士写真フイルムは「写真文化を守り育てることが使命」として事業継続を表明した。ただ、「需要減と原材料の高騰」などを理由に、2月1日から白黒フィルムと印画紙、プロ用カラーを最大21%値上げする。(以上)


060128フィルムカメラ

▲フィルムカメラを手にする人たち


広告宣伝に携わる部署で仕事をしているため、「ポジフィルム」を扱うことが多い。特に商品の画像は、デジタルとポジの両方で保管している。ポジはデジタルの画像と違い、ある程度は引き伸ばしが可能。デジタルでは、解像度不足、、、なんてこともある。また、印刷媒体に写真を小さく掲載する時も「モアレ」の心配が少ない。だから、ポジは重宝している。


デジタル全盛の時代だから、やむを得ず・・・かも知れないが、21%の値上げは痛い。経費削減の世の中。ポジフィルムで保管する商品画像をある程度選別しなくちゃいけない気がする。