啓示録

~KEIJIROKU~
http://ameblo.jp/keijiroku/


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今日は、道を歩いていて、ある事に氣づきました。


何氣なく歩いていると、『 くさいっ 』匂いがしたんです。


私は、あえて、反対の『あーいいにおいやなぁ~』と、独り言を言ったら、


面白くなって・・・一人でニヤニヤしてしまいました。


『  ふっ 』と 思ったときに、

『くさい』匂いって、『 とてもリアルやなぁ~ 』と言う事に、氣づかされました。


どんなに、世界が進歩しても、

テレビから、テレビに映っているもののにおいがすることは、

無いだろうなと・・・思うわけであります。



すべてが、イイにおいだったら良いですけどね・・・

牧場の牛小屋の臭いがテレビに映って、

その臭いが部屋中に充満したら、

テレビ消すやろうなぁ~(笑)と思うわけです。



においのボリュームがあったりして(笑)



どんなに進歩しても、その場所の臭いや、香り、空気の匂い…

それだけは、出向いていかなきゃ、感じられないんですよ。




それが、なんか、『俺、生きてる』って感じられる感覚なのかも(笑)

臭い、靴下をなぜか匂う奴がいる(笑)




あれは、生きてることを実感してんだな。

きっと。(笑)



最近、小さな世界に目を向けることがあるんです。

様々な生き物には、その生き物にしか与えられていない特殊な能力というものがあるんだと言う事に気付きました。



それらの能力は、自らの種族の繁栄のために、活用され、

また、その能力は、同時に、様々な別の種族を積極的に生かし、

お互いが、お互い同士、

見えない糸で繋がっているように支え合っていると言う

関係性になっており、自然界の成り立ちに、

人間は、手も足も出ないものだ。と言う事に改めて気付かされるのであります。



そうした動植物が、偉大な自然の成り立ちに逆らい、

自らの種の存続のためだけに、

他の種を撃滅させるような活動を行なえば、

やがて、自然界は、宇宙本来の法則によって、

この、逆らった成り立ちを消滅させ、跡形も無く、撃滅してしまうでしょう。



自らの繁栄が成り立つと言う事は、

そのどこかで、すべての生命が繁栄していることにならなければ、

単一での繁栄はありえないのだと言う事です。



私たち、万物の霊長である人間と言う生き物も例外ではなく、

われわれだけの繁栄は決してありえません。



逆を言えば、人間が繁栄したことによって、

繁栄した生命は数多くあるのです。

その一方で、

今、危機的な状況を招いているのは、

人間だけ(自分だけ)の利益になるように、

他の繁栄を妨げる事によって生きようとする考え方や、行動です。



虫が着かない野菜というものは、虫にとって、生きる事ができない環境です。

自然の環境を無視した不自然な建造物は、時に、様々な他種の生き物を激減させている事があります。



利己的な考え方や行動をされる人は、自然の成り立ちを良く知らないのだと理解します。



わたしたち人間がそれを学び、本当の意味で理解し、大自然と宇宙本来の法則と、調和し、

共存し、共鳴し、共に繁栄する事自体が、ひいては、われわれ人間の繁栄であるということです。



そこを、きちんと理解していれば、わざわざ、一個人の利益のために、

あり余る様な食物を採り、有り余るような木を伐採し、

必要以上の天然資源を掘り返し、必要以上の財産を所有する事は考えないでしょう。

どんな人も、自然と調和しない不自然な生き方をする必要は無いし、無理をすることは長続きしませんよね。



自然と調和し、融合した生き方は、私たち、誰もが望む生き方そのものです。

いくら財産があろうと、無かろうと、

それを無視して生きていくことはできません。


なぜならば、『生きている』と言う理由そのものが

『創造物との調和』に通じているからです。


人間は、宇宙本来の面目である進化と向上に順応するために使命を授かって生まれてきたと思うのです。


私は、こうした、人生で最も尊い、『氣付き』が、

これから自分たちが真剣に取り組むテーマだと思うのです。





宇宙本来の法則や大自然の成り立ちをよく理解し、本当の意味で幸せな人生をを選択している人は、

未来のことをよく知っている人です。



現在の結果には必ず過去の原因があり、

(過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ)

未来を想像することによって、今、現在が創造されるのです。

(未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ)



人間は、万物の霊長と言われ、ほかの生命にはない、特別な力を与えられました。

大自然と、大宇宙の創造主は、いつも現実の世界に意味のある事を起こします。



人間は、この偉大で素晴らしい力を、大自然や宇宙本来の法則、

人類やすべての生命の繁栄と発展と向上を手助けをするために、

様々な機会(チャンス)を生かさなければならないのでしょう。



それを良く知れば、その機会、すべてがありがたい事です。

なぜならば、そうした手助けをする事によって、自分の命が、豊かになるからです。



人間は特別に、その機会(チャンス)を与えられました。



その力に気付かないフリをしている人や、この偉大な力を、良くない方向へ使う人もいます。

しかし、多くの人々は、『生きとし生けるもの』 すべての創造物のために

少なからず、日々、手助けしているのです。

(積極的か?は別として)

二酸化炭素を吐く人間も、森林にとってありがたい空気です。

逆を言えば、森が無ければ、呼吸ができません。


呼吸は、母親と胎児をつなぐ へそのうの ように、

私たちと地球という母親をつなぐ へそのう です。


この世界において、不自然なことは、長続きしません。

それは、すべての生命が一つの名の下に繋がっているためです。



自らの、繁栄や、発展、向上、を目指すのなら、

よりいっそう、他の繁栄と発展と向上を

手助けすることに力を入れることが賢明です。



キレイで香りのイイな花は、ミツバチを生かします。

ミツバチが蜜を吸うたびに、花は受粉をし、繁栄するのです。





相手を生かすことは、自分を生かすことである。



簡単に言えば、相手を自分のように丁寧に扱う事や

自分を尊重するように、相手を尊重し、尊敬し、

共に進化、向上を目指すこと。

相手の進化や向上の手助けを積極的に進んで行なう事は、

自らを、進化、向上させると言う事です。



大自然と宇宙本来の繁栄と発展と向上に調和した生き方を

きちんと理解し、人生を、積極的に、より楽しく!生きていきたいですね!!

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仁は人の心なり。

義は人の路なり。

其の路を舎てて由らず、

其の心を放ちて求むるを知らず。

哀しいかな。 

人、鶏犬(けいけん)の放たるることあらば、

すなわちこれを求むるを知る。

放心ありて求むるを知らず

『孟子』






【 人の氣持ちを感じれること 】は、人の心そのものなり

義とは、【 人が歩むべき道なり 】



どうして、人は、時として、上手く行かないことや、

失敗や、挫折や、苦悩や、苦しみを味わう事になるのだろう。


悲しい出来事や、苦しい出来事は、私たちに、何を与えてくれるのか?


与えてほしいと、思ってもいないものを、与えられることを、【 恩恵 】という。


雨は、降ってほしいとか、降ってほしくない、とか、

私たちが、与えてほしいと思う、思わないという感情に関わらず、降り注ぐ。

求めていないのにも関わらず、与えられるもの、それを、【 恩恵 】という。


私たちの本性は、氣である。

天より、氣は、肉体という地に存在する人(ひと)を通して、

自分という己を認識し、自分のことを、自分だと、認識できる事ができるようにと、

求めてもいないのにも関わらず、その機会を、お与えになった。


私たちは、この物質的な世界において、

必要である事を学ぶために、その機会を活かし、それに取り組み、

造物主である天は、私たちに、その目的に必要な能力を与え、

与えられたそれぞれの使命を全うすべく、私たちは、いつも、その機会に取り組んでいる。


どのような、人であろうとも、人として生きる人は皆、何らかの使命を持ち、

この世界が、理想の世界へと変化し、進化し、自然と共存し、順応し、より佳く作り替えるために、

人間という姿、形を司って、日々の日常に取り組んでいるのだと思う。


用意ので来た人に、いつの瞬間であっても、理想の世界への扉はいつも開かれている。

そのきっかけは、いつも、深々と降り注ぐ雨や雪のように、

求めていないのにも関わらず、与えられている。


私は、人間であるからこそ、もがき苦しみ、悲しみに打ちひしがれ、寂しい想いもする。

しかし、我々の本性は、人間という体にあらず、身といい、氣といい、御霊といい、

カタチなきもの、そのものが、本性である。

カタチあるものは、想像することから創造され、

カタチあるからこそ、壊れることがあり、

人は、人である以上、悲しみや、苦しみと、共に、それを受け入れたり、それを味わったりする。


そうした、一見すると、避けたくなるような、機会とともに、活かされているという事に、氣づかされる。


しかし、そうした機会でさえも、私が、人間である事の意味を氣づかせてくれる、

大切な恩恵であるという事を知れば、

私が、もし、この世界から、脱し、形にとどまる事ができなくなったとしても、

カタチある機会に、味わい得る、大きな恩恵を与えられた事に、私は、多大なる感謝をするだろうと思う。


だからこそ、私は、どんなに、苦しくても、どんなに悲しくても、それが、

私に与えられる、素晴らしい機会である事を感謝の祈りに変え、

人生という たった、一度きりの尊き、この機会を与えられた以上、

人間、想い存分に楽しみたいと思う次第であります。




意味
仁(思いやり)は人が誰もが持っている心である。
義は人の生きる道である。
ところが人は、その道(義)を捨てて従わず、
その良心(仁)を見失っても探し求めない。
嘆かわしいことだなぁ~。
人は、飼っている鶏や犬が逃げたなら
すぐにでも捕まえようと探すのに、
自分の良心を失っても、それを探そうとしない。

孟子
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道は天地自然の物にして、

人は之を行ふものなれば、

天を敬するを目的とす。

天は人も我も同一に愛し給ふ故、

我を愛する心を以て人を愛するなり

~西郷隆盛~



人須(すべか)らく

自ら省察(せいさつ)すべし。

天 何が故に我が身を出生する、

我をして果たして何の用に供せしむる。

我 既に天物なれば、必ず天役有り。

天役供せざれば、天咎必ず至る。

省察して此に到れば、則ち我が身の苟(いやし)くも

生くべからざるを知る。

~佐藤一斎~



西郷隆盛も、佐藤一斎も、大変尊敬する偉人であります。

この世界にはたらく、絶対的な真理を研究し続けた方だと思います。





自らの、生きる道を、天に求めた結果、

これだけの大事業を為すことが出来たのでしょう。



我々は、残念なことに、

自分自身の力や、自分よりも身分の上の人の力、

人間の力だけを重視し、

天と人に平等に働く(同じように愛する)、森羅万象の力を

理解しようとは勤めません。



その道は、我を生かす、正しき道か?

本当の意味で、考えている人が、どれだけ居るのでしょう。



人間社会や、目の前の生活だけをとって、

優劣や、利権などで物事を判断してしまうことがあります。



それは、非常に狭い考え方で、

一見すると、肉体的、物質的には豊かになったとしても、

心身ともに、豊かになることは、ありえない考え方であります。



この世界に働く絶対真理を理解していない結果、

招いてしまう考えであると思います。



『自(みずか)ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、

 千万人と雖(いえど)も吾(われ)往(ゆ)かん ~孟子~』



という言葉を思い返します。



たとえ、困窮しても、正しき道を歩む勇気を持ちたいと考えます。

自分自身に疚(やま)しい心があっては、どのような人であっても、

人生の醍醐味である、我が命の深い意味を理解することは出来ない。

と思います。



人が、人を導くのではなく、

人と天に同じように働く、森羅万象の素晴らしい力が、我々を生かします。



その結果、己の魂が磨かれ、輝き、

その光は、人や、様々な命を正しき道へ導くのだと考えています。



現代において、

このような尊い考え方を持ったリーダーが、

目立たないのには、きっと理由があると思います。



人が己を知らざるを患えず、己の能なきを患う。

そのように、考えておられるのでしょう。



狭い世界で生きようとして、

自らの輝きを失うことは

非常にもったいない事であります。



それは、自分自身の本然の能力を

活かし使えていないという事だからです。



自分自身を省察し、我を活かす道を歩み学びます。

天が与える、自らの道を、活かし給い、正しき人生を歩んで生きたいです。



今日も自らを省察(せいさつ)します。
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随 処 作 主  立 処 皆 真 


随処(ずいしょ)に主と作(な)れば 立処(りっしょ)皆な真なり




真理というものは、雲の上にあるものでもなく、

どこかにある訳でもなく、

目の前の、

平常の、

至る処にあるものであります。


それを理解できないために、他に力を求める事なかれであります。


真理は、現実のただ中にあり ~森 信三~


目の前の日常から、目をそらさず、その小事のなかに真理がある事を悟り、

どのような機会であっても、積極的に、それを全うするのみです。


私たちは、いつもその真理の成り立つ世界で、活かされているのだと思います。

この言葉は、禅語です。

良寛禅師は、自分自身の所有物に、普通であれば自分の名前を記入するところ、

『おれがの』 『ほんにおれがの』

と、記入されたそうです。

『わたしのもの?』『本当に私のもの?』 と、いう意味があるそうです。


平常の中に、真理を悟り、自分自身という存在を悟った良寛氏らしさが伺えるエピソードです。


本来の自己というものは、どこか、遠くにある訳でもなく、目の前にあります。


発想 即 実行 

実行 即 生活

生活 即 真理


私も、日常の中に、真理を悟り、随処を主として、生きて参りたいと考えます。

ありがとうございます。


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【明治天皇 教育勅語の口語文訳】
 
私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。 

  国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。

  このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。

~国民道徳協会訳文による~






人として、いかに生きるべきか。



私は、国家を考える前に、自分自身を省みて考えてみたいと思います。

国家というものは、私たち一人一人の国民の事を指す訳なのだから、

私たち、一人一人が、正しい認識において、自らを省みる事は、

大変重要な事であると考えているからであります。


まず、親に対して、私は、尊敬と、感謝を示した言動と行動ができているか、

私を産み育てた、両親のお陰で、私は今、ここに機会を与えられたのです。

そして、その、親でさえも、親が存在し、祖先の遠大さと多大なるご縁は、さかのぼる事

その源があり、その人と私は、時空を超えて、多くの命と、繋がっています。

私が、先祖の一人と同じように、人として、ここに与えられた機会の意味を知れば

親や、先祖に、感謝をすることが、自らの誕生に感謝することに繋がる事といえます。


私は、私に与えられたすべてが、最善のものであるという事を信じています。

いつも、それが完全であるがために、私は幾度となく、

失敗し、挫折し、そして、今があるのです。

今を知れば、過去、与えられたすべての機会や、与えられたすべてが、

最善であったことを知るのです。

恩恵というものは、求めざるに与えられるものだという事を理解しています。

だからこそ、私は、いつも心を磨き、与えられし機会のすべてに心から感謝をし、

喜びでそれを迎えることが本当であると考えています。

艱難辛苦といえども、私に与えられた機会のすべてが、

最善の機会であり、恩恵である事を確信しています。


私の命は、地の元に生き、私の心は、天の元に生きます。

その宿命をこの一身に感じ、その使命を、この心身に感じています。


人としての、宿命を全うし、

己の使命を遂行し、

与えられた命を、この世に活かす事が、私が、この今を創造する所以であります。



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