Washington Time








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2012年02月27日(月)

福島県内の仮設住宅いろいろ

テーマ:ジャパン通信






 福島県内の仮設住宅を訪問していると、実に多彩な仮設住宅があることに気づきます。上の写真を見ていただければ分かるでしょうが、プレハブもあれば、木造もあり、ロッジ風のもありました。デザインや建材だけでなく、例えば規模も様々で、ひとつの仮設住宅団地に数十世帯しかない小規模な所もあれば、数百世帯が集まっている大きな所もあるのです。商店街や医療施設などへのアクセスや交通の便も、立地場所によって違いがあります。いくつかの仮設住宅の中に入らせてもらいましたが、防寒や防音対策などにも差があって、はっきり言って、どこの仮設住宅に入居するかによって不公平感は否めません。ただ、福島県内だけで十万人近くが避難を余儀なくされていて、これだけの人数分の仮設住宅をなるべく早く建設しなければならなかった事情、土地や資金の制約などを考えると、仮設住宅の計画や建設に携わった自治体関係者の努力には頭が下がる思いです。なるべく公平にと言うのは簡単ですが、それを実行するのは限りなく困難なことに違いありません。

 仮設住宅への入居の仕方は、大抵の場合、どこに入りたいかという希望を第二希望とか第三希望まで出して、抽選で決まるそうです。多くは同じ被災自治体の人達が、同じ仮設住宅団地に割り振られるそうで、元のコミュニティをできるだけ維持しようという一定の狙いはあるのでしょう。原発事故の影響で、福島県内では行政区域の枠を超えて仮設住宅に入っている人がほとんどです。例えば、双葉町の仮設住宅が福島市にあったり、富岡町の仮設住宅が郡山市にあるといった具合です。仮設役場と自分の町の仮設住宅団地を結ぶバスを運行させている被災自治体もありました。

 多くの仮設住宅団地では、自治会を組織して自治会長を置き、被災者の要望をまとめたり、役所との連絡を担当しているようでした。福島県内の仮設住宅に入っている人達は、高齢者がとても多いのですが、一人暮らしの高齢者も多いようで、そういう人たちのケアをどうするのかというのは、個々の仮設自治会にとって大きな課題でしょう。規模が大きい仮設住宅団地内には、仮設の高齢者福祉施設や仮設店舗などもありました。

 仮設住宅に入っている被災者にインタビューをする機会もありましたが、寒さや水道の凍結などの問題以外に、物置などの収納スペースの少なさや、風呂の追い炊きができなくて困るという声も聞きました。そういった仮設の住環境の問題以上に、特に原発事故のために避難している方たちは、将来の見通しが全く立たないことに苛立ちと怒りと不安を感じているということでした。自分の故郷の町に帰れるのか帰れないのか、帰れるとしたらいつなのか、帰れないとしたら何処に住めばいいのか。正にこれこそが、原発避難者にとっての一番の問題なのです。
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2012年02月20日(月)

除染をとりまく問題点を整理しておく

テーマ:ジャパン通信
 あの大震災以前にも除染なる言葉は存在したのだろうか?少なくとも僕自身は聞いたことがありませんでした。でも、いま福島にいると、この除染という言葉を見たり聞いたりしない日はありません。福島駅のそばには、除染を担当する環境省の新しい事務所がオープンしたようですし(↓)、先日乗ったタクシーの運転手さんも、「除染を請け負う業者が大量に福島に集まり始め、市内のホテルはどこも混んでいる」と言っていました。除染については僕もまだ勉強中でよく分からない部分が多いのですが、一応これまでに得た情報を基に問題点を整理しておこうと思います。他にも除染を巡る問題点があれば教えて下さい。


1. 除染技術と除染効果: 最初の疑問は、そもそも除染技術というものが確立されているのかどうかということ。そして、除染をやってどれほどの効果があるのかということ。高圧洗浄機で道路や建物を洗い流したところで、側溝から川へ海へと放射能が場所を変えるだけ。あるいは表土を剥ぎ取っても、それをどこに処分するかという問題が残ります。ただ、日常の生活空間における放射線量を下げるという意味においては一定の効果があるのでしょうね。福島市の2月の広報に、市内の18公園を除染した結果が出ていましたが、除染前と除染後で線量は最大で93%ほど低減し、ほとんどが70%以上の低減率ということでした。あと、地域における除染の進め方もまちまちなようです。例えば、線量の高い地区から除染を始めればいいのか。住宅地から除染を始めればいいのか。あるいは飯舘村などは、雨や風により放射性物質が高地から低地へと流れることが予想されるので、高地から除染を始めることを提案しています。どういう技術で、どういう方法と順番でやれば一番効果があるのかというのも、これから蓄積される経験次第といったところでしょうか。

2. 除染従事者の健康管理: 次に気になるのが、除染従事者の健康への影響です。特に福島で時々耳にするのが、町内会で除染活動をしたり、ボランティアによる除染をするというもの。こういった、いわゆる素人が除染をする場合に、きちんと防御服を着用させたり、長期的な健康管理やモニタリングができるのかというのは心配ですね。それに素人にやらせたら、除染の質だって下がるでしょう。そういうこともあるので、僕自身は誰にでも除染をやらせることには少なからず懐疑的です。

3. 住民の意向: 次は、そもそも除染を住民が望んでいるのかということ。これは意見が分かれるところでしょう。原発事故で避難している住民にしてみれば、できれば故郷に帰りたいというのは当然の感情です。農家にしたって、除染で放射能の影響が消えるなら、農地を除染して農業を再開したいでしょう。でも先日の報道では、避難生活を強いられている住民の8割が「除染は効果がない」と思っているようですし、「除染に膨大な金をかけるくらいなら、賠償額を増やせ」という声も度々聞きました。結局は、地域、地域できめ細かく住民の意見を聞き、除染対策に反映させていくしかないのでしょう。

4. コストと調達・発注方法: 福島県内の自治体は、どこも新年度予算が例年より大幅にアップ。その主な理由が除染のコストです。報道によると、南相馬市では除染コストが向こう2年間で400億円だそうです。こういった除染コストを誰が負担すべきなのか(本来は東電なのでしょうが)という問題と共に、どういう発注方法ならばコストを抑えて効果を最大限にできるのかということにも関心があります。競争を担保し、地元雇用を増やし、業者の技術開発を促すような発注方法が理想です。僕が考えていたのはアウトプット・ベースの契約です。「何ヘクタールの表土を削り、何戸の建物を洗い流して金額はいくら」という契約ではなく、「線量がいくら下がれば金額はいくら」というような契約。こういうの、どこかで試してみませんか。これだと、入札不調になりますかね。

5. 処分場の未確定: 最後になりますが、何と言っても一番の問題は、除染をした後の汚染土や汚染物質の処分場が決まっていないということではないでしょうか。一応、中間貯蔵施設は福島県双葉郡内に設置するという方向性が示されているようですが、最終処分場は候補地さえも未確定の状態です。中間貯蔵施設の位置選定だって容易には決まらないでしょうし、ましてや最終処分場を決めるのはもっと難しいでしょう。この問題を放置したままで除染を大規模に実施することは、少し危険じゃないかと思うのです。
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2012年02月06日(月)

釜石の奇跡と釜石の試練

テーマ:ジャパン通信

 先週末、震災で大被害を受けた釜石に行って来ました。釜石へは、大学時代に野球部の合宿で訪れて以来ですから、実に約25年ぶりでした。東北新幹線で福島から新花巻へ北上し、そこから東へ釜石線で約2時間かかります。

 釜石でまず訪れたのが、校庭に瓦礫が高く積まれた釜石の鵜住居小学校釜石東中学校(↑)。去年3月11日の発災時、釜石東中学校の生徒達は、隣接する鵜住居小学校の児童達の手を引いて一緒に高台へ逃げたそうです。一旦は近くの避難所に逃げ込んだけれど、そこも危ないかもしれないと思い、さらにもっと高い所へ高い所へと皆で避難したとのこと。釜石では「想定にとらわれず率先して避難せよ」という防災教育により、津波襲来時に学校にいた小中学生全員が助かったのです。これが、釜石の奇跡。この津波防災教育をきちんとした形で世界に発信するべきだと思っています。



 その後、津波で大被害を受けた住宅地や仮設住宅、新しくできた仮設商店街(↑)などを訪ね、ギネスブックに掲載されているという有名な湾口防波堤も見に行きました。下の写真で遠くに見えるのが、津波で大破した湾口防波堤の残骸です。破壊されながらも、津波の威力を弱め、避難の時間を稼いだとも言われています。ただ、巨額のコストに見合うベネフィットはあったのか、防災施策の他の選択肢との比較によるコスト効率はどうなのか等、大学など独立した機関による検証が必要だと思います。どこかやったんでしょうか?ご存知の方がいたら教えて下さい。


 釜石はご存じのように、新日鉄釜石工場が立地し企業城下町としての色合いが非常に濃かった街です。その新日鉄の業務縮小に伴う人口流出や地域経済の衰退は、震災以前から言われていました。そこに大震災が追い打ちをかけたという釜石の試練。釜石に限らず東北の復興に関して、住民の高台移転や防災機能の強化だけでは殆ど何も解決しないのではないか。若者定住を促す雇用創出、地域経済の多様化、高齢化対策、エネルギーと環境、新たな地域のガバナンス形成など、そういったトータルな復興をやらないと被災地は自立できないと思うのです。釜石を訪ねて、「東北の復興は本当に難しく息の長い仕事だ」とつくづく感じました。

追記: コストとベネフィットという話をすると、「経済価値で計れないものこそ大事だ」と言われることがあります。最近も、ある人に言われました。それは全くその通りで、人命の安全とか環境とか生活の安定とかといったものの方が、お金で換算できるものより大事なことは理解しています。僕が言う「ベネフィット」とは、そういった経済価値で換算できないものまで含めていますし、そういう経済価値を付加しづらいベネフィットを施策ごとに洗い出すことこそが重要なんだと思います。僕はエコノミストではありませんが、経済分析は環境アセスなどと同様、意思決定のためのひとつのツールに過ぎないでしょう。それを踏まえた上で、意思決定をするのが政治の役目です。結局は、「どういう情報に基づいてどういう意思決定がなされたのか」をできるだけ透明にしていく。あとは有権者が判断を下せばいいのですから。
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2012年01月22日(日)

うつくしま福島より

テーマ:ジャパン通信
 先週の火曜日から福島で働き始めました。三月中旬までの福島滞在中、このブログは最低でも週一回くらいのペースで更新できればと思っています。リアルタイムの情報は、ツイッター の方で発信するつもりです。


 美しい吾妻連峰を臨み、「うつくしま」とも呼ばれる福島に来て五日ほど経ちました。まずは、なるべく色んな人に会って色んな話を聞き、状況を把握することに努めています。その中から優先順位の高い課題を見つけ、自分の専門と経験から何ができるのかを決めて取り組みたいと思っています。今までは、僕を受け入れていただいた福島大学の関係者をはじめ、福島で支援活動をしているいくつかのNPO、福島市内の幼稚園の先生、伊達市の農村地域の団体などなどにお会いしました。ただ自分が福島に滞在するのは数ヶ月という短い期間のため、悠長なことは言ってられません。大した支援は何もできずに帰ることになるのではないかという危惧は、ワシントンを発つ前から持っています。既に焦っています。

 福島市内は、避難区域になっていない市町村の中では、放射線量が比較的高い状態が続いています。でも、多少マスクをしている人の割合が多いかなと思うくらいで、市内の様子は一見ふつうの生活と何ら変わらないように見受けられました。ただ、色んな人の話を聞くと、やはり様々な思いや不安・ストレスを抱えて暮らしていることに改めて気づかされます。避難すべきなのか、子供に何を食べさせるべきなのか、子供をどこで遊ばせればいいのか、放射線量を下げるために庭の木を切るべきなのか、芝生をはがすべきなのか等々、あの震災以来、そういう問題に福島の人たちは日常的に悩まされているのです。自主避難を決めた人、一度は避難したけれど戻って来た人、福島に残ること決めた人、それぞれの事情を抱えながら、それぞれの決断。僕のような部外者が、その難しい決断にああだこうだと言う資格はありません。それぞれの決断は全て正しいのですから。
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2011年09月03日(土)

宮城県の被災現場訪問~ともに、前へ

テーマ:ジャパン通信
 日本での夏休みの終盤、宮城県の被災地を駆け足で周ることができました。名取市仙台市多賀城市七ヶ浜町塩釜市など。初日は七ヶ浜町に住む被災した友人を訪ね、彼に七ヶ浜町と塩釜市を中心に案内してもらいました。翌日は、仙台市役所に勤める知人のご厚意に甘えて、大被害を受けた海岸沿いの浄水場、放射性物質を含む下水汚泥の一時貯留場、瓦礫の仮置き場、建設が進む瓦礫の焼却施設、被災した荒浜小学校と壊滅した周辺住宅地などを視察させていただきました。

 田んぼに転がる多くの車、陸に打ち上げられた船、破壊された電車の車両、点灯しない信号機、根こそぎ流された松の大木、まだヘドロの臭う沿岸街区、校庭の仮設住宅、仮置き場の巨大な瓦礫の山、そして、基礎だけが残された住宅の庭で咲き続けるヒマワリの花々。ニュースやインターネットで見てはいましたが、実際に自分の目で見ると、やはりショックは大きいです。呆然として言葉も出ず、悲しくて写真を撮る気にもなれませんでした。宮城県の被災現場で唯一撮った写真がこれです(↓)。これは、七ヶ浜の海岸に打ち上げられた韓国籍の貨物用コンテナ。仙台港から津波で流されてここまで来たと思われます。



 仙台市の被災現場を視察しながら、仙台市の方々のお話をいろいろと伺う機会もありました。様々な困難を抱えながらも復興の現場で奮闘する彼らとの対話を通じて、復興の組織体型、復興財源、復興施設の計画と維持管理体制、復興代替え案のコスト・ベネフィット、復興施設のエネルギー効率と代替えエネルギー源、段階的復興計画の必要性、復興プロセスの内外への情報発信などなどについて深く考えさせられました。そして、やはり被災者と地元自治体を復興の主役にしていかなければいけないと改めて思ったのです。仙台は、必ずや災害復興の世界的先進事例になるはずです。その仙台市役所の正面には、「ともに、前へ 仙台~3・11からの再生~」という文字が掲げられていました(↓)。そう、ともに前へ進もう。


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2011年09月01日(木)

震災後はじめての仙台

テーマ:ジャパン通信
 既に日本での休暇を終えてワシントンに戻っていますが、もう東北のことしか考えられなくなっている自分がいます。もう少し、ふるさと東北のことを書かせて下さい。


 妻の実家が仙台にあるので、毎年夏の帰国時には必ず仙台に行きます。今年も当然行きましたが、いつもの仙台とはやはり違いました。まず、仙台駅ではこのトキムネくん(↑)が出迎えてくれましたが、これは、震災への想いを込めて沢山の小さな折鶴で作られたものでした。その他、仙台駅には「東北復興支援・みちのく旨いもの市」や「ボランティア・インフォメーション・センター」が開設されていました。

 駅構内の売店では、仙台あぶら麩、仙台味噌、松島湾のアカモク、塩釜の藻塩など宮城県の名産品を詰め込んだ「復興序章」という名の土産が売られていましたし、南三陸町の「水たこ」販売の近くには、放射能不検出という検査結果(検査機関:東北大学)を大きく貼り出していました。僕は、宮城県産大豆100%使用の「復興祈願!元気豆」を買ったのです。



 仙台のホテルにあった七夕飾りの短冊も、今年は震災関係の願いを書いたものが多かったですね。僕は、右上の短冊を見て以来、「会いたい人には会っておく。行きたい所には行っておく。食べたい物は食べておく」という言葉が頭から離れません。
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2011年08月27日(土)

八戸復興への序章

テーマ:ジャパン通信

 ふるさと八戸に滞在中、沿岸部を中心に八戸の被災現場を視察する機会がありました。上の写真は、ウミネコの繁殖地として国の天然記念物に指定されている蕪島(かぶしま)。ご覧のように蕪島の前の公衆トイレが破壊された他にも、今年は津波による塩害で蕪の花が咲かなかったと聞きました。この資料によれば、八戸の被害状況は死者・行方不明者2名、重軽傷者17名、全壊住宅217棟、半壊住宅910棟、住宅以外の全半壊の建物984棟、大小の漁船被害256隻、その他にも港湾、水産業関連施設、防波堤などにも大きな被害が出ています。

 ただ八戸市は行政機関が被害を受けずにしっかりと機能していることもあり、復興に向けて着実に動き出しているようです。復興への序章が始まっているのです。先日は、八戸市復興計画(原案)も公表され、現在市民からのコメントを募っています。僕自身、ふるさと八戸の復興に関しては、あまり心配していません。むしろ八戸市は仙台市とともに、東北の復興を牽引する立場にあると思うのです。早く復興して、より被害の大きかった他の三陸の自治体に対して援軍を出すべし。しかしながら、放射能の海洋汚染による八戸の水産業への影響に関しては、今後も注意深く見守る必要があるのかもしれませんが。
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2011年08月17日(水)

八戸復興の象徴としての朝市

テーマ:ジャパン通信

 

 お盆の日曜日に、八戸の館鼻岸壁で開催されている朝市に行ってきました。この朝市は、震災後にしばらく休止していたそうですが、八戸復興の象徴として先月から再開されたのだそうです。八戸の浜に活気が戻り、沢山のいろいろな人たちの努力で、八戸は復興へ向けて動き出しています。ただ、養殖施設が津波被害を受けたため、昆布は値上がりしているようでした。
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2011年08月15日(月)

震災後はじめての帰省

テーマ:ジャパン通信

 故郷の八戸に来ています。八戸市内のあちこちで、「がんばろう」とか「元気を」という幟や看板やポスターが数多く見られます。きっと、東北は何処もこういう光景なんでしょうね。実家の近くのショッピング・モールには、「がんばろう八戸 招福の舞楽」と題された八戸三社大祭の山車も展示されていました(↓)


 岩手、宮城、福島の三県ほどではないにしても、八戸市も被災地です。八戸の両親や親戚に改めて震災時の話を聞けば聞くほど、僕が思っていた以上に八戸の被害も大きかったんだなあと思い知らされました。津波の水は、僕の実家から数百メートルしか離れていない隣の町内まで達していたらしいのです。今まで帰って来れなくて、本当に申し訳ない気持ちで一杯になりました。

 やはり、あの震災があたっため、今年の帰省はいつもの帰省とは全く違う気分です。例年のようなただの夏休みではなく、ふるさと東北のために自分に何ができるのかを再度考える日々となりました。本音を言えば、自分の専門や経験を活かして東北復興の一助になりたい。故郷に来てから、そんな思いが一日一日と強くなっていく今日この頃です。
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2011年06月05日(日)

The Long Road to Recovery~チェルノブイリ事故からの教訓

テーマ:ジャパン通信
 もう何年も前に買った「The Long Road to Recovery(復興への長い道のり)」という本を、本棚から探し出して読み返してみました。これは1996年に国連大学出版(United Nations University Press)が発行したもので、世界の産業災害や事故(自然災害に対していわゆる人災)に関する論文集という形をとっています。日本の水俣病やチェルノブイリの原発事故の事例も載っているので、もう一度チェルノブイリのことを復習しておこうと思ったのです。

 そのチェルノブイリの一章は、カナダはアルバータ大学のマープレス(David Marples)教授という方が書いたものでした。章の最後の方に、チェルノブイリ事故からの八つの教訓が載っていたので以下に簡単に紹介します。世界は、そして日本は、果たしてチェルノブイリの教訓を活かしきれていたのでしょうか。

1.放射能の安全に関する国際基準が必要。土壌や水の汚染度と安全も含めた、どのくらいの汚染レベルならどの地域まで避難が必要なのかという、行政側が意思決定を下す手助けとなるようなもの。

2.原発のような施設の近くには、万が一の事故に備えて緊急避難施設の設置や、緊急援助に対応できる人員(救急医療)や設備(移動手段など)の配置があらかじめ必要。

3.原発のような施設にとって、すべての関係機関(国や自治体、地域住民)とのコミュニケーション体制の確立は不可欠。情報は迅速に共有されるべき。

4.放射能は国境を越えるので、近隣諸国との迅速な情報共有も必要。

5.汚染地域では、全ての経済・社会活動を止めるべき。軍や警察を動員してまでも、それを実行する。

6.直ちに避難できない住民のためには、次のような安全対策を徹底する。できるだけ室内に留まる、汚染地域の農作物を食べない、玄関や家の周辺を洗浄する等。

7.放射能の影響を受けたと思われる人々のリストをなるべく早く作成する(原発操業開始前に周辺住民のリストは作っておくべき)。事故後にどこに避難したかも記録する。事故後に汚染地域に入った人のリストも作る。彼らの健康状態を長期的に監視する必要があるから。

8.原発事故に対する国際的な援助システムが必要。国連やIAEAが主導すべきだが、環境団体や科学者といった原発産業から独立した組織も含めるべき。原子力を推進する役割を持つIAEAが、原発の安全管理や事故対策を担うのは逆説的であるから。
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