2014-01-26 23:23:53

著者プロフィール~後編

テーマ:はじめに
前回のつづき。著者プロフィール~前編はこちら

競馬観の転換

さて、この当時、さまざまな馬との出会い以外に、己の競馬観が180度変わるきっかけとなる「ある人物」を知ることになる。

その人物こそ、名前の出せない生産者。彼については雑誌『競馬王』で連載があり、その相馬実績はあまりにも有名。※説明省略ズバリ、彼との出会いが、私自身「馬体の見方」だけでなく、「競馬スタンスそのもの」を根底から変える転機となる。

この名前の出せない生産者は、「マイナーな種牡馬であるランニングフリー産駒のランニングゲイルをデビュー前、馬体から見抜いた(高評価した)」ことで有名。他、確かマチカネフクキタルも馬体のみで見極めた実績があったかと思う。

種牡馬サンデーサイレンス全盛の時代において、マイナー種牡馬の産駒をデビュー前の「馬体写真のみ」で見極めた相馬眼、この衝撃は、馬体と言えばパドックで「バカによく見えますねぇ」という見方しか知らない競馬ファンには、衝撃だったことが想像できる。「馬体を見ただけで、色々とわかるものなのか」と、人によっては感銘を受け、人によっては受け容れられず、懐疑非難的にもなったのではないかと思う。


そして、私自身はどうだったかと言えば、実のところ

私は、名前の出せない生産者のこうした
「相馬実績(相馬眼)」に感銘を受けたわけではなかった


無論、「そんなの偶然だ」と懐疑的になることもなかったが。

ズバリ、彼の「馬の評価」や「レースの予想」には、「それまで自分が見聞きしてきた世の競馬情報とは全く異なる何か」を感じたのだ。それは「相馬眼の凄さ」ではない別の「何か」だった。

最初はそれが「何か」、ハッキリとわからなかった。がついに、この「何か」を突き詰め、それがわかった瞬間、自らの競馬観は一変したのである。


確かに、ランニングゲイルやマチカネフクキタルを見抜いた彼の相馬眼は素晴らしいのは間違いない。が、今となってわかるのだが、この二頭、特にマチカネフクキタルなどは、普通の馬と比較にならないほど、群を抜く好馬体。

彼でなくとも、最低限の「相馬眼」さえあれば、「馬体に限れば高評価」となるのは、偶然でなく必然といったレベルの馬体だったのである。


では一体、私が直感した名前の出せない生産者の「相馬眼」ではない「別の凄さ」とは…ズバリ

彼は、馬やレースに向き合う上で、
「予想家」ではなく、どこまでも「生産者」だったのだ



つまりはこうである。

彼は、誰もが当たり前に行う「競馬予想での常識」にとらわれることなく、唯々、生産現場の「サラブレッドの馬体の見方」といった「相馬現場での常識」そのままで「馬の評価」や「レースの予想」を実践していたのである。

生産現場やセリセールの会場にいるサラブレッド、パドックを周回しているサラブレッド、どちらも純粋に「馬体を見極める」ことに何ら違いはない。つまり、「馬体を見極める」ならば、本来「馬体の見方」は同じであるべきだ。

これは至極当たり前だが、それがいかに難しいかは、世の馬体パドック情報を見れば明らか。やれ「イレコミ、気配、毛ヅヤ、調子」など、「相馬の基本」とはまた別の「予想用の馬体の見方」を誰もがこぞって「常識(通例)」として、右へ習えと行っているのが現実である。



物事の「常識」とは、時に正しいから「常識」ではなく
「常識」ととらえる者の絶対数や、「常識」と思わせる環境化により決定されてしまう。


正直、彼同様の素晴らしい相馬眼を持つ人間は他にもいた。が彼と同じく、純粋な「サラブレッドの馬体診断(生産現場の相馬)」そのままを、「予想」という現場でできる人間は皆無だった。

「相馬眼のプロ」と言える調教師や競馬関係者が、ひとたび競馬「予想」の世界に入ると、いつのまにやら、やれパドックで「調子、毛ヅヤ、イレコミ、気配」など、世の通例である「予想用の馬体の見方」をし始めるようになる。

相馬の現場では、「相馬の基本」で馬を見れる。が
予想の現場では、「予想の常識」に従ってしまう



では、なぜ人は「相馬の基本」でなく、「予想の常識」に従ってしまうのか。その理由を知るには、「刷り込み」について触れなければならない。

刷り込み
「刷り込み」…動物の発育のごく初期に起こる特殊な形の学習。特に鳥類で多くみられる。最初に目にした目の前の動く物体を、親として覚え込み、以後それに追従し、一生愛着を示す現象。心理学では刻印付け。インプリンティング。


世の馬体パドック情報に限らず、競馬の世界には、人間なら誰しも逃れられない「刷り込み」がある。そして、この「刷り込み」が、この競馬「予想」の世界を完全に包囲している。

そうした現実が、私自身、この名前の出せない生産者の「どこまでも生産者としての立ち位置」から発する馬体情報にふれることで、ハッキリと見えたのである。同時に、自分もこの「刷り込み」に、どっぷりと浸かっていたことに気づかされたのだ。

この「刷り込み」故に、パドックなど「予想しようという意識下」で馬体を見る際、生産現場などの「相馬の基本」ではなく、予想の世界で作られた「馬体の見方」をいつのまにやら、信じ実行していたのである。

具体的に、競馬の「刷り込み」はたくさんある。

「○○○○」で馬体を見る
・馬体から「○○や○○」を見極める
・競馬で常勝するために「○○する」
・競馬で常勝するために「○○な情報」を参考にする
・競馬で常勝するために「馬の能力を限りなく○○○」分析する

○○の部分については後ほど解説する。


ちなみに、この名前の出せない生産者も、メディアに登場した当初の純粋な「馬体の評価」が、後年になるほど「レースの予想」では難しくなった感がある。

やはり、彼も例外なく、日々強烈な「刷り込み」の支配下では、いつの間にやら「生産者」から「予想家」になってしまったのではないか。


以上、「ライスシャワー(の馬体)との出会い」が、既存の「馬体の見方」に疑問を抱くきっかけとなり、「名前の出せない生産者との出会い」で、確信を得る。また、それの原因である競馬の「刷り込み」に気づけたことで、それまで身に着けた競馬のあらゆる知識を、一度すべてを捨て去り、再度馬体について、一から「相馬の基本」を学ぶきっかけともなった。

それ以降今に至るまで、どんな理由があれ「馬体の見方」を変えることはない。

馬体の前では、唯々相馬の基本に忠実である

これは今後も変わらない、それが「予想」するためだろうと。


競馬から遠のく

さて、「ハシルショウグンの出会い」でどっぷり競馬ファンに浸かった私自身、「名前の出せない生産者との出会い」で、世の相馬や競馬予想から足を洗った状態になっていた。いわゆる「予想家」から脱したと言える。

がさらに、「競馬ファン」としての離脱、競馬そのものとも少し距離をおく出来事が起こる。

時代は、あのサイレンススズカ亡き後、海外では凱旋賞でエルコンドルパサーが2着となり、国内では怪物グラスワンダーダービー馬スペシャルウィーク、そして、現役屈指の馬体とみていたステイゴールドが活躍していたころ。この頃の競馬も、本当に楽しかった。


ここから少し話の趣向が変わることを前もって言っておく。

実は、私には、上京してまもなく付き合っていた女性がいた。奇しくも、競馬と同じようなタイミングで「出会い」、長年連れ添っていた。共に、遠い故郷を持つ二人だった。

しかしながら、私は、ある日突然、一方的な別れを告げ、有無を言わさず彼女を実家に帰らせるといった暴挙を働くことになる。理由は省略。

彼女を一方的に実家に帰して「第二の人生を歩め、幸せになれ」といった類の別れ方であったと思う。が、別れを告げた後も、今思えば、相手からの好意に甘えていたのだろう。連日の連絡や手紙にもそっけなくあしらっていた…そんな日々を送っていた気がする。

そんななか離れて1年以上が過ぎた頃か、彼女から「ようやく他に少し気になる相手ができた」という一報が届くのである。

つくづく思うが、男とは何と都合の良い生き物なのか。世の男性諸君がすべてそうだとは言わないが、私自身、例外なく「都合のいい男」だった。自分で一方的にフッておいて、「幸せになれ」などとかっこつけてみたところで、所詮、見せかけのみであり、結局、彼女の好意に甘えていたわけだ。

事実、この「一報」を聞いた次の日には…



私は彼女の実家に向う空の上にいた(苦笑。

もちろん、目的は彼女の奪還。が、今のように高機能なスマホや携帯など普及しておらず、実家に連絡をするのもしゃくなので、「アポ無しで仕事終わりを直撃」という強行作戦だった。

が、思い勇んで飛行機に飛び乗ったはいいものの、実家の住所も知らない。手紙など何度ももらっていたのだが、住所などメモしておくはずがない。たまに掛ってくる電話で、何となく「彼女が働いているビルの名前」を唯一記憶していた程度。その日はおそらく仕事であるとは言え、たった「一つの情報」だけで、彼女とアポ無しで会おうというのである。全く以ってノープランもいいところだった。

無論、朝一番の飛行機で飛び乗ったために、昼前には現地に到着してしまった。初めて降り立った全く見知らぬ土地だが、夜まで暇つぶしに観光しようなどという気分にもなれず、目的地のビルに最短距離で到着。その後、ただタバコをふかしてはビル周辺を歩き回る、その繰り返しではそうそう時間もつぶせない。我ながら、こんな盲目無謀な一面が自分にあったのかと、少し驚き感心しながら、ただただ時間が経つのを待っていた。

おそらく、そうしているうちに腹でも減ったのか、ふらふらと近くの商店街に足を運んでいた。そして、ふと商店街の軒先にあったテレビ画面かに目が留まった。…そこには

G1宝塚記念の発走直前の映像が映し出されていた。

「そう言えば、今日は宝塚記念か」と競馬のことを忘れるなど、当時はありえないことだった。それほどまでの己の心境にあきれながら、ふとグラスワンダーの姿が目にとまった。


この時の宝塚記念は、前年覇者でありグランプリ三連覇中の怪物グラスワンダーに、一時期の勢いが失われつつあり、逆に、古馬となったテイエムオペラオーが、春の天皇賞で新たな王者としての地位を築き上げつつある兆しがあった。そうした「世代交代に注目が集まっていた一戦」である。

その宝塚記念のテレビ画面を見ながら、私の中に競馬に出会った当時、あのハシルショウグンを応援した時と同じ心境が沸いてきて、自然とグラスワンダーの勝利を切望した。



「世代交代なるものか!グラスはまだ終わっていない。
頑張れ!勝ってくれ!グラスワンダー」…と。


結果は、ご存じのように、あのうなるような4コーナーを上がってくるグラスワンダーの走りが、ほんの一瞬だけ垣間見えたものの、直線は往年の姿になく惨敗。

その後、ゴール板を過ぎ、ふと向正面で立ち止まったグラスワンダーの姿が何とも寂しく映り、未だ目に焼き付いている。


この2000年の宝塚記念は、グラスワンダー時代の終わり、テイエムオペラーによる新時代の幕開けを感じさせた。同時に、グラスワンダーの走りが、自らの人生の転機を暗示している気もしていた。

実際、グラスワンダーはこのレースを最後に引退。テイエムオペラオーはこの後も連勝を重ね、2000年「年間8戦無敗のグランドスラム」を達成することになる。

このレースを境にして、彼女の私への想いと私の競馬熱は、風前の灯のように醒めていったのである。


競馬観の確立

さて、個人的な感傷話に浸るのはこのくらいに、競馬のスタンスの話をしておきたい。

今現在、私自身
馬体写真
馬体写真のみで予想

これまで同じ予想スタンスで競馬に向き合い、しかも、それで常勝を目指そうとした者は、自分以外いないのではないかと思う。

一見、適当&無謀のような競馬スタンスだが、実は、「馬体」「ギャンブル」という視点で考えた場合、「これ以上理想的なスタンスはない」と自負している。このあたり、私の配信しているレポートを読んでいる方なら、理解していただけるかもしれない。

少し話しておくと、そもそも、競馬はギャンブルであり、情報や知識など「敗者が支配するLose Game」。日常社会やスポーツの世界のような「Winner Game」とは本質が全く異なる。それ故、プレイヤーの大多数が「自然と納得できる、容易に受け容れられる、常勝と信じられる」モノに、本当の答えなどない。

また、ギャンブルではプレイヤーの大半が「目先の利益」を得たいがために身銭を投じている。ほとんどの人間が「長期の利益」つまり「常勝する」ことを本心では望んでなどいないのだ。

当然、「目先の利益」を得るためには、「予想」が重要となってくる。誰しも「当てたい、当たる」知識や情報に飛びつく。それ故、情報の送り手も、「常勝できるノウハウ」より、とにかく「当たるノウハウ」を探求優先する。

こと馬体も例外ではなく、情報の送り手は、「相馬の基本」はどこへやら、「目先当てるための情報」「情報を数配信して需要を底上げする」といったことが重要となり、結果、パドックなど目先の予想用に作られた「馬体情報」が主流となっている。


がしかし、忘れないでほしい。競馬で「当たる、当たらない」「常勝できる、できない」…こうしたことは、一頭のサラブレッドの馬体を見極めることと、一切関係ないことである。

もちろん、パドックで「馬券を当てるために、馬体から“状態”を見極めるべきた」という意見が大半なのはわかる。それ自体何も悪いとは言わない。否、そうした馬体パドック情報もありだと思う。「予想的中」のためにどんな見方をしようが自由だ。

ただし、これだけは混同すべきではない。

予想のため…これに合わせた時点で、
それはもう「本物の相馬」に非ず。


馬体から「状態」を見抜く相馬眼を極め、的中を量産しようともその「相馬眼」では永遠に「馬体の見極め」はできないのだ。


競馬の「刷り込み」の支配下にいる状態では、このあたりから「???」と、なんのことだかわからなくなってきているかもしれない。

そこで、よく使う例えを一つ。

英語を学ぶのと、相馬を学ぶのは似ている



パドックで馬体の「状態」を見極める相馬眼…受験英語
馬体写真等で馬体の「形」を見極める相馬眼…実生活の英会話

この二つは、似て全く異なるものである。

ズバリ、「サラブレッドの馬体(形)を見極める」とは、「英語を話せるようになる」のと同じなのである。

日本人が義務教育で何年「受験英語」を勉強しようとも、たった数カ月の海外生活で学ぶ「英会話」には、「英語を話す」ための経験としては圧倒的に劣る。これは、そもそも身に着くスキルが違うからである。

「いくら学んでも話せるようにならない」…この日本の英語教育の矛盾が競馬の馬体パドックの世界でも起こっているのである。

よく「馬体を見極める」ため相馬経験として、「馬体写真の1年は、パドックの60年に相当する」と述べているのはこれ故。


もし、本記事を読んでいるあなたが「馬体」に興味を抱いているとするなら、「英語が話したいのか」「大学受験の英語科目で高得点がとりたいのか」と同様


「馬体の見極めができるようになりたいのか」
・「馬体の見極めはできずとも、馬体を利用した当たる予想法を手に入れたいのか」


今一度、しっかりと自分自身に問うことをおすすめしたい。

無論、「馬体の見極め」が最優先ならば、パドックに立っている暇はない。その時間は無駄とは言わないが、それだけでは一生かかっても、気持ち程度しか「馬体の見極め」ができるようにはならないだろう。


と、馬体の話になると終わりがないため、このあたりで、先ほどの「刷り込み」の話に戻しておきたい。

~競馬の「刷り込み」一例~

「パドック」で馬体を見る
・馬体から「状態や気配」を見極める
・競馬で常勝しようと「予想する」
・競馬で常勝するために「色々な情報」を参考にする
・競馬で常勝するために「馬の能力を限りなく正しく」判断する


○○は、あなたの想像した通りだっただろうか。

ちなみに、ここに挙げた一文はすべて、競馬ファンなら誰しも例外なく受けている強烈な「刷り込み」である。「刷り込み」を忘れた方のために、もう一度…


自然界の「刷り込み」

動物の発育のごく初期に起こる特殊な形の学習。最初に目にした目の前の「動く物体」を、「親」として覚え込み、以後それに追従し、一生愛着を示す現象。

競馬の「刷り込み」

競馬に興味を抱いた初期に受ける学習。最初に目にした目の前の「競馬メディア、テレビ雑誌新聞、先輩談、著名人、書籍」を、常識として覚え込み、以後それに追従し、一生愛着を示す現象。

あなたは、なぜ「予想する」のか
あなたは、なぜ「パドック」を見ているのか


そこには、あなたの「意志以外の力」が働いている。


著者の実績など

この長文、ここまで読んでいただいた方、本当にありがとうございます。競馬を通じて、個人的な思い出を振り返りつつ、情熱そのままを書き綴ってきたわけですが、最後に、ブログのプロフィールらしい話を。


◆競馬情報配信歴
こうしてネット上で競馬の情報発信を初めて、例えば、メルマガ【無料版】は創刊5年目に突入。ちなみに、本メルマガは、「的中実績や馬体限定という独自性」より、創刊から一週たりとも休んでいない「継続」こそが一番の強み。
>著者メルマガ『馬体優先主義』

◆過去の若駒<相馬実績>
毎年『デビュー前2歳馬の馬体診断レポート』を配布。【06産駒】のランフォルセ指名にはじまり、【08産駒】には、オルフェーヴルを<父産駒No.1>、かつ800頭余りのなかで<総合TOP10>内に指名。マイPOG馬でもある。

さらに【09産駒】は、牡馬ではダービー馬ディープブリランテ、牝馬はジェンティルドンナ、ヴェルシーナを<父産駒おすすめ>に指名の当たり年。【10産駒】は、桜花賞馬アユサンを指名し、かつ前年と合わせ、<父ディープインパクト産駒おすすめTOP10>に指名した牡馬が、二年連続<勝ち上がり率100%>を達成。

そして昨年【11産駒】は、ウマニティPOGのスペシャル枠へ招待をいただき参戦。それに意気込んだわけではないが、【11産駒】の<総合No.1>には、<父ショウナンカンプ産駒>のショウナンアチーヴを指名。<朝日杯FS>2着と大健闘だったが、あそこまで行けば勝ってほしかったのが本音。


著者特典『11産駒馬体評価レポート』より

若駒の馬体診断は、本当にテンションが上がる。毎年、雑誌やカタログの最初の1ページをめくる時など、まるで、エ○本をはじめてみる小学生のような気持ちになっている。


こうした若駒の馬体診断以外にも、毎週の重賞馬体診断予想他、オッズ期待値の独自ロジックも配信しており、正直、毎週「週末を無事越せるのか」と、脅迫感に近いものに襲われることもある。

が、それをクリアし続けているのも、読者さんあってこそ。馬体の情熱や自分のためだけでここまで来れたとは到底思えない。

ちなみに、こうしてネットで馬体の情報発信を本格的にやってやろうと思ったきっかけは、とある目にした一つの「馬体に関する記事」だった。詳細は省くが、その記事読んだ後、「やるせない思い」「それを信じる人のせつなさ」が沸き起こり、自らの相馬の情熱に火が点いて、「よし!自分のブログで、本格的に馬体など競馬について綴っていこう」と思い立った。

しかし、あれからもう5年近くになるというのか。


最後に

最後の最後に、余談を一つ。実はネットではなく、公に『自らの競馬予想』を公開しはじめた経歴はもっと以前からである。

◆厳密には、公の競馬情報配信歴は19年目
実は、先のグラスワンダーの彼女が、当時毎週かかさずGaiiopを買い、馬体写真など競馬雑誌を読み漁っていた自分をみてあきれたのか…

ある日「そんなに好きなら、私のお店で予想を公開してあげる」と、その日以降、毎週彼女が働くお店で<私の本命◎馬>を公開してもらっていたことがある。

あくまで、手書きによる手作りチラシのようなもので、競馬ファンが通う店でもなかったので、誰も見てはいなかっただろう。公に公開というには、かなり大袈裟だが…

「厳密」に言うなれば

私の競馬情報発信、その最初のレースは
あのナリタブライアンとマヤノトップガンとの一騎打ち
名勝負となった1996年の阪神大賞典
そして、最初の本命◎はハギノリアルキングだった。



※杉本清の実況が最高だったのだが

予想を公開する今の原点がここにある。


以上、私自身、競馬に出会い、紆余曲折、人生を重ね、時に心震え、涙を流し、身銭も切り、人生を賭け、恋にも破れ、身も心もボロボロになり、無知を知り、全てを捨て、がむしゃらになり、…そうして今がある。

それにより手にした「相馬観」「馬券ロジック」である以上、ブレもなく、今後変わることはない。


本文含め、私自身の競馬スタンスやロジックは、既存の「競馬の常識」とは真っ向正反対な部分が多い。それ故、人によっては、この記事も自らの競馬観などを否定されたような不快さを抱くかもしれない。実際、そうしたメールを頂いたこともある。

ただし、これだけは最後に綴っておきたい。

あなたの競馬観(予想法)は、誰も犯すことができない唯一無二なモノである。それは、他人がどう言おうと汚すことはできない。そんなもので汚されるものでもない。

色々あって今がある、そんなあなたの競馬である

そのことを知っているつもりだ。

だからこそ、私自身、いかなる予想スタンスや競馬観の人々とも「競馬好き」この一点でつながっていると思っている。あなたがどう思おうと、この個人的な長話に、最後までお付き合いくださった方一人一人、同じ「競馬好き」としてハグしたいくらいだ。

少しでもこの記事を通じて、あなたの競馬ライフのいい「きっかけや刺激」になればと願って。

著者武虎

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