2014-01-13 16:30:39

著者プロフィール~前編

テーマ:はじめに


今更だか、少しこれまでの競馬歴を綴っておきたいと思う。

競馬歴

競馬との出会いはハッキリと憶えているわけではない。オグリキャップのラストランを憶えてはいるが、トウカイテイオーの有馬記念ほど「競馬ファンらしく」リアルに感動した印象はない。私自身、芦毛はオグリよりも、メジロマックイーンやホワイトストーンが好きだったし、そもそも、おそらく、この時期は競馬を観てはいるが、まだ魅了されてはいない。

オグリより前、イナリワン、スーパークリークも何となく憶えている。タマモクロスあたりになると、おそらく完全なリアルタイムではない。他、ミホシンザンは競馬の友人が好きな馬だった気がするが、これより前、シンボリルドルフなどリアルタイムで知らない世代である。


競馬のきっかけ-1993オールカマー

宇宙がビックバンで生まれ、未だその勢いで広がり続けているのと同様、私自身が競馬にのめりこむ「きっかけ」、今こうして2014年も競馬ファンで居続ける「最初の原動力」となったレースがある。それが有名なツインターボが大逃げで勝ち切った1993年のオールカマーだ。



大逃げで勝ち切ったツインターボでもなく、
東の横綱ライスシャワーでもなく
2着にきたハシルショウグンの走りに魅了された


ハシルショウグン。改めて思う、何とキャッチーなネーミング。実は、この馬との出会いは少し時間を遡ることになる。

前年のG1ジャパンカップで父子制覇を果たしたトウカイテイオーの遥か後方に、このハシルショウグンはいた。中央競馬を代表する前年の二冠馬テイオーや、並み居る強豪外国馬のなかにいて地方の雄である彼は、最下位でのゴール。それが、ハシルショウグンとの初めての出会いである。

このJC、確か個人的な馬券は外国馬ナチュラリズムが軸だった気がする。この頃ちょうど、今の「馬体の見方」を確立し始めていた時期。「馬券の買い方」については、ギャンブルが何かもわかっていない、いわゆる競馬予想家ド素人のそれだった。


時を戻しオールカマー当日。中山でなく東京競馬場に足を運んでいた自分にとって、ハシルショウグンとは、ただ「トウカイテイオーが勝ったJCで最下位だった地方馬」「あくまで地方の将軍レベル」…程度のイメージしかなかった。

私はその日が初めての東京競馬場だった。そのとてつもないスケールの大きさ、美しい緑の芝生の絨毯、疾走するサラブレッドなど、一瞬で生の競馬に魅了というより圧倒されていた。

東京競馬場

そして、手にした競馬新聞のオールカマー出走表をながめハシルショウグンの名前を見つけた瞬間、この馬しか見えなくなっていた。華やかな中央競馬の舞台に、再度地方から参戦してきたハシルショウグンに、大都会東京に夢を抱き、地方の片田舎から上京してきた自分自身を重ね合わせてしまったのだ。

G1帝王賞勝ち馬と、その名の通り、地方では「将軍」という名にふさわしい彼も、こと中央の舞台では、トウカイテイオーの影すら踏めなかった。その屈辱にまみれた敗戦から、再度中央の舞台にチャレンジしている彼の姿は、その「馬体」をみるまでもなく、「自分にとってのヒーロー」となっていた。自分の人生と照らし合わせた意味でも、心から「この馬に走ってほしい」そう願った気がする。


結果は、あのライスシャワーを抑えての2着激走。「一頭の馬の歴史、己の人生、初めて体験する生の東京競馬場、ツインターボの大逃げレース、博打の恩恵(馬券の的中)」など、これらすべてがハシルショウグンという一頭の馬を通じてもたらされた。この「競馬」がもたらした感動と興奮とお金は、片田舎の兄ちゃんが競馬にのめり込むには十分過ぎるものだった。まさに、このレースを境に、私自身、生粋の「競馬ファン」となったと言える。


競馬ファンの全盛期

こうして「競馬ファン」となった自分の前に、最初に現れた伝説的な名馬が、あのシャドーロールの怪物ナリタブライアン。ブライアンが勝った日本ダービー当日、生粋の「競馬ファン」となってしまっていた私は、東京競馬場のゴール板前、ブライアンの息使いが聞こえるほどの最前列にいた。



が、このレース、私が握りしめていた馬券は
ブライアンでなく、ナムラコクオ―の単勝だった


「なぜ、コクオーの単勝だったのか」…これは、今のように「馬体や馬券ロジック」から導かれた結論ではない。確かに、ナムラコクオーは、そのサスペンション長さや美しい全体シルエットなど、東京2400も問題ない素晴らしい馬体の持ち主だった。が、当時は、そうした「馬体」の造り以上に、単純に、その強そうな名前(北斗の拳のラオウの馬「黒王」)と、パリスナポレオン以下をちぎった重賞の走り、このイメージが後押ししていたと思う。

ちなみに、「相馬観」を身に着けた今でも、「馬体からダービーでナムラコクオ―は買えるのか?」と問われれば、「YES」と答える。それほど素晴らしい馬体逸材だった。



確かにブライアンは強い。が、この「馬」というより、「黒豹」のような馬体は、サラブレッドの美しさではない。コクオーの馬体にこそ「馬らしい」美しさとスケールがある

ナムラコクオ―は、ダービーの後、屈腱炎を患いながらも重賞を勝ち、さらに、中央から地方の高知競馬に移籍している。実は、何度かコクオーに会いに、高知競馬場に足を運んだことがある。高齢となっても、コクオーの馬体は、地方馬のなかではズバ抜けた軽さを保っていたのが印象的だった。彼の写真も何枚か残っているはずだが。改めて思うが、この当時の馬には本当に愛着を感じていたのだなと。


そして、いよいよ今もって最も好きな馬であるエイシンワシントンとの出会いがある。ブライアン、コクオーと同期である彼は、デビュー当時から、群を抜く特徴(長所)を持つ馬だった。抜群の首差しの造り、そこからの筋骨隆々の馬体、首の返しがいいピッチ走法など、ナムラコクオーとはまた違うタイプの造りで、「間違いなく重賞、否G1を獲れる!」と感じた馬体でもあった。

そして、現実にG1馬となる最大のチャンスが訪れたのは、デビュー後3年目のスプリンターズS。


ご存じの通り、このレースでエイシンワシントンはいつも通りロケットスタートを決め、逃げの一手で最終コーナーをまわり、最後の直線も抜群の手応えで先頭を走りながら、最後の最後ゴールの瞬間、G1史上最短着差となる「わずか1cm差」で1番人気のフラワーパークに敗れてしまう。1200mのうち、1999.99mまではトップで駆けぬけていながら、最後の1cmで交わされてしまったわけだ。



今見返しても、態勢はエイシンワシントンが残っており
負けたなどとは、到底思えないのだが…


このレース、私は後楽園のウインズで観戦したのだが、今をもって自己最高額の賭け金エイシンワシントンの単勝1点に突っ込み、夢破れている。その金額は、当時の自分にとって日常生活を破たんさせるに十分な額だった。「大丈夫、完全にエイシン態勢有利!当たれば帯確定!どころではない…」そんな儚い夢を、写真判定の結果を待つ間、念仏のように頭で唱えていた気がする。

結果として、こんな破滅的な賭けをしてしまったツケもあり、このレースを最後に「競馬ファン」から少し遠のくことになる。


競馬観の転換

さて、この当時、さまざまな馬との出会い以外に、己の競馬観が180度変わるきっかけとなるある人物を知ることになる。

…とかなり長くなったため、つづきは、
次回(著者プロフィール~後編)
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