けいーしげみのブログ-鹿瀬温泉赤湯:杖忘れの湯 けいーしげみのブログ

鹿瀬温泉  赤湯                        杖忘れの湯  源泉垂れ流し

                                   入浴後痛みが無くなり、杖を忘れた?

詳細は 奥阿賀観光ホームページ


この夏、義父のお墓参り、義母のお顔拝見で毎年恒例の里帰り。

 今回は重大任務も。

 と言いますのは81歳で元気に一人暮らししているのだが、最近リューマチが  出て、立位・座位・歩行等動くたびに痛いようだ。

 それに立った直後ふらつく様子はかなり不安でもある。

せめて豪雪の冬だけでも川越の我が家に越冬をお願いしたいとの意向を伝えること。

 娘である妻に説得役をお願いするが、気ままな今の生活を優先するとの結論。

 親戚への挨拶まわりを済ませて、一番の目的!である温泉に。

以前もこのブログで紹介したがなかなかの名湯である。と温泉めぐりのプロが言われています)

 その時は冒頭の写真やHPアドレスが添付出来ず悔しい思いをしましたが今回見事に挿入出来て感動してます。(実は簡単なものでしたが独学なもので〈笑い)


2泊3日で、二日間、一日1時間半で3回位入浴、2回の休憩時はビールでも飲みたいところだが牛乳で我慢、持参の本など読みながら体のほてりを冷まします。

 露天の縁に腰かけて休んでいると、残り少ない夏を惜しむようなヒグラシの悲しくも透き通るような鳴き声が聞こえ、樹齢が経っていそうな大きく太い赤松の美しい赤の木肌が絵を見ているようで心が休まる。

 そんな時にお客の気になる会話が。

 大きな手術の痕がお腹と左脇腹に見え大病のあとが生々しい。

 退院後、傷痕の痛みが取れず辛かったが、赤湯に数日通ったら、すっかり無くなったとのことでした

私の友人にも大きな手術をしたものがいるので是非紹介したいと思いました。


お時間のある方は、HPご確認の上、お出かけになってみて下さい。






                       

ワサビの香りが聴覚障がい者の命を救う!!

昨年9月アメリカハーバード大学で行われたイグ・ノーベル賞授賞式で日本のベンチャー企業が晴れの受賞なる!!イグ・ノーベル賞とは「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に贈られるもの)

128共用品ネットの年一回の報告会が行われ、そこで「ワサビの匂いを利用した火災警報器の開発から製品が出来るまで」の報告が行われました。

その開発に顧問の立場でかかわったのが「音の見本PT」の松森かりんさんだ。当日現物を持参頂き、匂いをかがせていただいたが本当に強烈なものでした。150種類ほどのサンプルテストの結果、熟睡している聴覚障がい者を「叩き起こす!」といった感じの匂いがわさびということらしい。

今まで、聴覚障がい者が火災で犠牲になったニュースは聞いておりました。

今回のような製品は本当に素晴らしいと思います。

問題は、まだ、「コストが高くつくこと」。

講演の最後に言われたのが、お寿司屋さんなどに協力いただいてわさび基金なるものを創設し、本当に必要な方が安心して購入できるようにしたいと云う事でした。詳細はイグ・ノーベル又は共用品ネットで検索してみて下さい。

そうなったら、ぜひ、寿司屋さんで食べて、貢献したいと思います。

皆さん是非宜しくお願い致します。

ここに、報告会の様子や、報告者(株)シームスの杉森さん・顧問の松森さんとの記念写真を掲載予定がまたも失敗しました。残念!

                       

大変ご無沙汰しておりました。

昨年8月以来の更新になにります。

 9月3日、秋田県横手市で行われた中学校の65歳の同期会に出席。

 翌日、かねてから一関の知人宅に訪問する予定を実行するため、朝9時前の電車で横手駅を出発、そのまま気仙沼駅まで直行し、タクシーで気仙沼港周辺を案内してもらいました。

 地盤沈下が激しいため、瓦礫の撤去は進んでいるものの、復興計画は?

 魚が海と反対側の水溜りの中で数匹泳いでいるのが見えましたので、「取り残されたのかな」と独り言をいっていたら、「今走っている道路もかさ上げしたから走れるが、満潮時には冠水しているので、その時に往復しているか、側溝か水路を行き来しているのでしょう」との説明でした。

 また、運転手さんの自宅、実家も流され、病気治療中の父は避難の足手まといになるからと自宅に残ると動かないので鹿折の自宅までは津波が来ないだろうと残して家族で避難しそうですが予想に反して奥深い鹿折の自宅も流されたそうです。翌々日自衛隊の捜索で奇跡的に救出された父の話によると、一階が仕事場になっておる関係で、がらんどうになっており、船のように浮いて流されたのが幸いしたのと、父は動かぬ体で二階の自宅部分で「一番安全なのはトイレの中」と、とっさに判断し、避難したのが生き延びた理由とか。

 更にはいまだに(4日現在)自宅前に船が港から流され、陸揚げされたままだと言っていました。大震災のシンボルとしてこのまま残しておけば観光の目玉になるのだが、地元では決めかねているようだと。

 少しの時間でしたが、被災現場の生の声を聴けて良かったなと思いました。次の予定もあり、後ろ髪ひかれる想いで現場を離れ、駅での待ち時間にお土産に「がんばれ東北」のボールペンを購入し、ここに貼り付けようと思いましたができませんでした。残念!!写真も数枚撮っているので近い内紹介したいと思います。