朝のテレビ

テーマ:
今日はナビスコカップ決勝のチケットを買うために朝から早起き。

たまたまテレビ(NHK)をつけていると、
無印良品の壁掛け式CDプレイヤーや、
AUのINFOBARなどで知られる
プロダクトデザイナー深澤直人さんが
小学生にプロダクトデザインを教えているではないですか。

ちょっと興味をもって見ていると、これが結構面白い。
小学生やその親御さんだけでなく、
そういった仕事をしている人にも見せたくなる内容で、

なかでも、
------------------------
「人が無意識にやってしまっていることに目をつける」
------------------------
という言葉は、刺さりましたね。久しぶりに。


ただ、前にも実は私は深澤さんのお話を聞いたこともあるので、
もし同じ話を聞いていたら、その記憶力の拙さは「・・・」ですね。
(おそらくそこでも同様に刺さっていたと思います。 苦笑)


そして、その教えのもと、小学生が街に繰り出して
フィールドワーク「人がなんとなくやってしまうこと探し」をはじめるのですが、

そこでも机に座ってウンウンうなっている後輩たちに、
-----------------------
「机で悩んでいるより、外にでなよ」
-----------------------
と、常々声をかけている自分のマインドとも合致し、
思わず「ウンウンそうだよな」と頷いていました。(笑


そして、その街で見かけたネタをもとに作品制作。
(いわば、アイデアを形にする作業です。)

こういった一連の流れを見て、
出来上がったものの良し悪しよりもむしろ、
そのプロセスにおける小学生たちの素直さと貪欲さ、
アクティブな姿勢にすがすがしさを感じました。


実際に、上記の作業はプロの現場でもやっていることだと思いますが、
内容自体は、「やるかやらないか。」のレベルの話で、
難しいことでもなんでもありません。

そのプロセスや外にでることの大切さを改めて感じた
よい番組だったと思います。




余談ですが、こういうのをきっと「早起きは三文の得」っていうのでしょうね。(笑

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ふと思うことがあったので、ちょっと備忘録的に書き留めておきます。


よく、何らかのアプトプットを出すためには、
インプットが必要と当たり前のように言われます。
しかし、さっきふと思ったのは、
そのアウトプットとインプットの関係は
決して1対1ではないのではないかということ。

以前紹介した(?)、「アイデアのつくり方」 という本でも、
--------------------------
新しいアイデアはいつくつかの既存のアイデアの組み合わせ
--------------------------
ということが書いてありましたし、
実際、私の経験上でも同様のことがいえます。

また、資料とかをつくる際にも、(振り返ってみると)
結構な量のデータや文献、参考資料をもとに作っています。

例えば、1つのアイデア(資料)をつくるのに、
50のインプットが必要だとしたら・・・、
単純計算で10のアイデア(資料)をつくるとして、
500個必要になります。

ただし、厄介なことに、このインプットは
(半分くらいは?)コントロール不可能だということ。
つまり、無意識の中での継続的なインプットによって、
意識的なアウトプットがなされているのではないかと思えるのです。

つまり、(当たり前のことを書いてしまいますが)
日々のインプットは自分の興味関心や、関わっている業務に限らず
常日頃やっていかなければならないということですね。

もちろん、全てがこれに当てはまるとは思いませんが、
なんとなく、アウトプットに苦労している人は、
このインプットの絶対量が欠けているのかもしれません。

そして逆説にもなりますが、
頻繁にいいアイデアを出す人やいい感じの資料を作る人は、
得てしてその「なんとなくの」インプットの多さゆえか、
話も豊かなように思えます。


私自身もネタ切れにならないように、
なんとなくのインプットを心がけていかなければ・・・。
と思った月曜の早朝でした。
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プロと基礎

テーマ:
いきなりですが、私はデザイナー出身です。

マーケティングとか企画とかに傾倒し始めたのも、
実はその最終的なアウトプットである
デザインから始まっています。


今でもよく口にすることですが、
デザインの前提(企画とか戦略とか)さえきっちりできていれば、
その上にのっかるもの(アウトプット)は
自然と出てくるものだと思っています。

しかし、だからといって、
そのアウトプットは誰でも創れるわけではありません。
それが職業になっている現状から見ても、
ある一定レベルのスキルが必要になることは
いうまでもありません。


基本的にどんなスキルでも通じると思いますが、
デザインにおけるスキルも構造的には階段状で、
一段目の階段は当然ながら「基礎」です。


思えば、デザイナーになりたての頃、
デザイナーの下働き期間とも言える
苦悩(?)の時期がありました。

『自分の過去の振り返り』にも書いていますが、
その頃にやっていたのは、本当に地味な作業の連続でした。
デザイナーのくせして、デザインの「デ」の字すら
関わることができていなかった状態です。

朝から晩まで暗室にこもって写真をなぞったり、
校正紙を何百枚も赤線だけを引いたり、
レイアウト用紙のフォーマットを作り続けたり・・・・。(苦笑)

しかし、そのときにやってきたことを振り返ってみると
実はその後のデザイナー人生(だけではありませんが)に活きていて、
やっていて無駄ではなかったと思えるのも事実です。

ではそのときに学んだことは何なのか。
------------------
それは、「基礎」です。
------------------

デザインに関わらずして
デザインの基礎を身につけることができるのかと
思われる方もいらっしゃるかもしれません。

しかも、そのときにやっていたことは、
他の人の手伝いというかはっきりいって雑用です。(笑)
デザインに関わることが憧れ以外の何ものでもありませんでした。

しかし、その雑用を繰り返すことによって、
いいデザインとそうでないデザインを見極める目を
養えたのではないかと思います。

実際にデザインに関わり始めたあとは、
養った目の中の「いいデザイン」にたどり着くまで
自分自身の手を黙々と動かし続けるだけだったからこそ、
人前に出せるデザインを作れるようになったように思います。


今日、あるデザイナー(といえるのかはわかりませんが・・)の仕事で、
そもそもデザインになっていないアウトプットを見せられて、
かなり戸惑いました。。(しかもまだ完成していません・・・。 汗)

もちろん「デザイナー」という肩書きがあるからには、
その業務に専門的に関わっている、いわば「プロ」です。

少なくとも「プロ」であるならば、
ある種の付加価値を創出して、
その対価として金銭を得るものでなければいけません。

その付加価値を端的にいってしまうと、
それは、依頼者の期待以上のアウトプットといえると思います。


その人の仕事は決して、「プロ」の仕事とはいえない代物でした。。。

もちろん、私自身がデザイナー出身だから
目が肥えているのかもしれません。
しかし、それを差し引いたとしても、
やはり、表に出せるレベルではないのです・・。

今回のブログの内容からいうと、
「基礎」ができていないのかもしれませんね。


デザインとは計画です。

最終的なアウトプットをゴールとして見据えて、
そのゴールに向かって計画的にアイデアや要素を組み上げていく。
その作業の繰り返しです。そこがうまくいかないから試行錯誤をし、
いろいろなテクニックを駆使するのです。

私が、「究極のデザインは何もしないことだ。」と
常日頃言っている所以はそこにも通じます。


実際、そのことを知ること自体が「基礎」だと思いますし、
「基礎なくして、応用もなし」ということも事実です。

もし、その道でご飯を食べているのであれば、
もっともっと精進してもらいたいというか、
もっともっと腕をあげて欲しいと切に思った一日でした。





正直、ダメだしする方も辛いんですから・・・。(苦笑)

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今日もまた、コピーのことで、

悩ましげな出来事があったので、

書き留めておこうと思います。

(ライターのT君、読んでくれるかな・・。苦笑)


まず、文章に対する考え方の前提例として、


「文章はカラオケのようなものである。

人が下手なのはすぐにわかるが、自分が下手なことには全然わからない。」


という言葉があります。


だからこそ客観的な視点が必要なのですが、

その客観性って、なかなか身につきにくいものですよね。。

しかし、文章を書いていく上で、

必ず欠かせない要素だと私は考えます。



そして、「いい(上手い)文章」とは何かというと、


それはズバリ、「人を動かす文章」 だと私は考えます。


そのために必要なことは、

動かす対象の人とその人が置かれている状況を

きっちりと考えて書くことだと思います。


当然ですが、動かす人のことがわからないと、

動かしようがありませんよね。(笑)


文章を読ませる相手は、

子供なのか、老人なのか、友人なのか、

目が悪い人なのか、文字が読めない人なのか・・。

はたまた、暗がりで読むのか、寒い日に外で読むのか、

本で読むのか、広告なのか、メールなのか、

忙しいのか、暇なのか・・。

それぞれによって伝わり方は違ってきますし、

伝わり方が違うからこそ伝え方も違ってきます。


まあ、相手のことを思いやり、

適切な状態で、その人にとって必要な情報を伝える。

ある意味、それだけのことです。

(それが一番難しいのかもしれませんが・・ 苦笑)


そして、ここで少し触れておきたいのは、

人間の理解って、過去の経験や知識によって

助けられているということです。


つまり、過去に経験があれば、

みなまで書かなくても理解してもらえる反面、

全く自分の経験以外の文章は

きちんと書かなければわかってもらえません。


さらには、人間は自分の中で

勝手に仮説をつくりあげていく性質があるため、

わかった気になってしまいやすい

(勘違いしてしまいやすい)らしいです。


その、過去の経験や仮説構築のことを

学問的な難しい言葉でいうと、

「認知心理学」というらしいのですが、

その学問のひとつの考え方に、

「人は常に物事を推測しながら行動に移している」

という理論があるそうです。


なので、経験によって理解や判断がされたり、

勝手に解釈されてしまうのでしょうね。


ちなみに、その認知心理学的なアプローチをした、

いい文章とは、


■人を「動かす」文書を作る
■ 「見せて」「読ませる」
■わかりやすさが鍵
■相手の知識に配慮を 
■相手の気持ちに配慮を 
■特定の人をイメージする 
■事前に評価してもらう


ことだそうです。


まあ、学問的な難しい話は得意ではありませんし、

「認知心理学とは・・・」という文章でもありませんので、

結局、いい文章の作り方をズバッと(T君に)いってしまうと、


まず、事前に文章の企画と構成を考える。(←これが大事です)

つぎに、相手のことをきっちりと考え、注意をひく文章で読ませる。

そして、わかりやすい文章で理解を促し、最終的に動かす。


これができればいい文章です。



まあ、簡単にいうと、

「何かの集まりのとき、集合してほしい日時と場所に、

きっちり仲間に集まってもらえる文章」 がいい文章だと思います。


つまり、来てほしい時間にきちんと集まってもらうために、

事前告知をするわけですが、

相手が忙しければ、前置きの長い文章は不要ですし、

伝え方も、箇条書きの方が理解が早くていいのかもしれません。


その反対に、きっちりと挨拶からはいり、

丁寧な文章の方が、呼ぶ相手にとってはいい場合もあります。


また、相手が時間通りに集まる必要性も

きっちり伝えなければいけません。

それが、電車やバスの時間が決まっているから。という理由なのか、

仲間的に待たせるのは悪いから。という理由なのか、

運営に支障をきたすのか。

いずれにせよ、時間通りにきてもらう文面が

必要になってきます。(直接的に伝える・伝えないの判断もありますね。)


そして、仲間にとってメリットのある集まりであれば

自然と集まるのでしょうが、

全員にとってそれほどいい集まりでなければ、

その難易度はさらにあがります。


そもそもの伝え方も、手紙がいいのか、PCメールがいいのか、

携帯メールがいいのか・・、といった

「場の考察」も必要にもなってきますね。


なんて、すごく身近な文章でも、

相手のことや伝えたい内容をきっちり考えて書いていますよね。


まあ、まだ自分につながりのある人間ならば、

文章力以外のところで動いてもらえる可能性は非常に高いですが、

それが、自分とはつながりがまったくない、

不特定多数に対する文章であれば、

さらに難易度はあがってきます。


そのことを意識できるかできないかで、

出来上がる文章も大きく変わってくると思います。


一応、補足として、

「よくない(下手な)文章」の基準についても

書いておきます。

 

それは、

 

■分かりにくい文章

 →長い文章や、過剰修飾の文章、

  回りくどい表現などがこれにあたるでしょうか。

 

■誤解を招く表現

 →そもそもの誤解を招くことはもちろんですが、

  かかる言葉が複数あるようにみえ、意味が見えにくい文章ですね。

 

■堅い文章

 →古文か何かを読んでいるような言葉遣いのことです。

 

■混乱した文章

 →私のブログです(苦笑)

  つまり、文章の構成をきっちり考えずに、

  思いついたことを手当たり次第書いた文章のことです。

  内容の核となる事象をきっちり伝えるべきですね。。(汗)

 

「いい文章」の条件を意識しながら、

上記の「よくない文章」の条件に当てはまっていないかを、

きっちり客観的に判断して書いていきましょう。


と、なんだか、

文章のことを書いているのに、

グチャグチャになってしまいましたが、(苦笑)

文章で日々悩むT君と、そして自分へのメモとして、

書き残してみました。(読みにくくてスイマセン・・ 笑)

品質

テーマ:

みなさん。「品質」と聞いて何を思い浮かべますか??


車ですか??

電化製品ですか??

家具ですか??

食品・飲料ですか??


上記のものって、基本的にメーカーが作り、

生活者に提供しているものですよね。

もちろん、選ぶ基準として「品質」があり、

そして、できるだけいい「品質」のものを手に取ろうとします。


しかし、「品質」とは、メーカーが作るものだけでしょうか・・?




いえ、私は違うと思います。

クリエイティブにも品質があるのです。

といっても、この話も前職時代に聞いたことなのですが、


品質には「一次」・「二次」・「三次」という段階があるそうです。


クリエイティブの「第一次品質」とは、

「ミスがないこと」です。

その機能的な面で問題がないこと、とも言えますか。

例えば、コピーですと「誤字・脱字」、

WEBシステムですと「リンク間違い」、

広告(だけではありませんが)「誤字・脱字」はもちろんのこと、

電話番号が間違っていないとか、値段が間違っていない、といった

本当に伝えるものとして、機能しているのかという

基本的な絶対条件です。(昨日はこの時点でミスをしていました・・・ 苦笑)


では、「二次品質」はというと、

「的確な表現で物事を伝えていること」です。

ここに関しては、最低限のクリエイティブ力を発揮し、

広告ですと、クライアントの求めることを忠実に行っている。

といった感じだと覚えています。(間違っていたらスイマセン・・ 苦笑)


そして、「第三次品質」は、

「新しさ」であったり「工夫」であったり、

よりクリエイティブという言葉の意味に近いものとなります。


といったように、

どんな仕事や行動にも、「品質」はあります。

今日も引き続きお願いしている、アンケートにも「品質」はありますし、

客先との交渉や会話にも「品質」はあると思います。


そして、前にも書きましたが、教育プログラムにももちろんのこと、

最近動き出そうとしているプロジェクトにも、

そして、このブログのタイトルでもある、新規事業にも。


「ミスなく、そつなく。」というのは当然で、

そのことが、どれだけ会社や世の中に対して、

新しい何かを提供できるか、が求められる世界です。

つまり、「第三次品質」です。


私は自分の中の基準として、

やはりずっと、「第三次品質」を求めていきたいですし、

もちろん実現していきたいです。



【おまけ】

今日は、一週間の疲れもあり、

ちょっと仕事を早めに切り上げて、

私が通っていたビジネススクールで開催されていた

セミナー(講演会?)に参加しました。


今日のセミナーは、「アルビレックス新潟」の現会長で、

Jリーグの世界では、スポーツ不毛の地といわれている新潟を、

今やJリーグ屈指の観客動員数を誇る、

人気チームのある街という認識までもっていった人物です。


私自身、スポーツマーケティングには非常に興味があり、

また、サッカーは私の大好きなスポーツのひとつですので、

かなり期待をして参加したのですが・・・


まあ、そこから先はやめておきます(苦笑)


ただ、誤解を招かないように書いておきますが、

別に、変な人物だったとか、話している内容が

全然わけがわからなかった

というわけではありませんので、あしからず・・・


ただ、「気持ち」や「誠意」などが、

すごく大事だということはしっかり伝わりました。



========================= 

引き続きおこなっておりますアンケート。

本日もたくさんの方のご協力、本当にありがとうございます。

まだ、回答されていない方も、是非是非ご協力お願いします。

 

【デジタルライフに関するアンケート】

http://www.geocities.jp/enquete0501/index_top.html

=========================

まず最初に、今朝更新したブログの中で

間違いがありました。。

お墓参りに行ったのは今日なのですが、

昨日書いたブログをアップして修正していたため、

最後に記述した日付が「明日」になっていましたね。。(汗)

遅まきながら修正しました。


というわけで、今日のブログを・・


というもの、つい先ほど、東京に帰ってきました。

やっと今日のブログを本日中に更新できる環境です。

なんだか、ホッとしますね。(笑)

おそらく、「いつでも」「気軽に」「タダで」

ネットに触れることからくる安堵感でしょう。


では、タイトルの

『表現するということ。「言葉(コピー)編」』について早速。



いきなりですが、地球温暖化に対するコピーです。



「いつか地球に住んでいたことを話すかも・・・」

「一日に一人が卵一個分ごみを減らせば地球が救える」

「乗りすぎ注意!やりすぎ注意!!」



上記にあげたコピー。誰が書いたと思いますか??




実は、これは今日街で見かけた小学校の

壁に書いてあったものです。


ということは・・・ そうです。小学生のコピーです。

もちろん、最後のものとかはビジュアルがないと

まったく伝わりませんが、

(ちなみに乗りすぎは車。やりすぎはパソコンとか

テレビゲームだそうです 微笑)

一番上のものとか、非常に意味深ですよね。


思わず、立ち止まってケータイにメモってしまいました。

私的には、すごく言葉のストレートさや素直さが

感じられるいいコピーだと思います。

2番目のものに関しても、

具体的にそれほど大きくない対象物をあらわすことで

リアリティを感じることのできるコピーです。


なぜ、このようなコピーを掲載したかというと、

「いいコピーは決して言葉遊びだけじゃないんだな。」

と実感したからです。

結構、コピー自体を難しく考えすぎているからか、

言葉をこねくりまわしたコピーを見かけることもしばしばあります。

もちろん、職場のチェックとかでしたら、

そこで修正をいれること等もできるのですが、

正直、実際のアプトプット物にも時おり見受けられ・・・


いいコピーとは、言葉の使い方を意識したものや、

小手先のテクニックだけではなく、

大前提として、「伝えたい気持ち」があるのかないのか。

そして、その気持ちがダイレクトに響くのか響かないのか。

だと、私は思っています。


「言葉とは伝えるためにある。」


当然のことを書きましたが、

人間が持ちえたコミュニケーションツールである言葉は、

使い方によっては、伝わりすぎるくらいに伝わるときもあれば、

反対に、誤解をもって伝わることもあります。

もちろん、相手と逐一話ができれば、

「ちがうちがう、これはこうゆうことやねん。」

と説明してフォローすることもできますが、

ポスターや広告は語りかけているだけに、

フォローは当然できませんし、また、できたとしても、

そんな説明を聞く時間(ヒマ)なんて誰にもありません。


何事も、まずはストレートに言葉にしてみることから

始まるのではないかと思っています。

それを、見る人の時間的な面や、

理解的な面を考慮して再構築していく。

それが必要かなと思います。


私は企画を立てるときや広告を考えるときにはいつも

「ラブレター」を書く気持ちで。ということを心がけていますが、

まずは、相手のことを「好き」という気持ちから始まり、

そして、その好きな気持ちをどう伝えるかを考えます。

使う言葉はもちろんですが、それだけではなく伝えるタイミングや

伝えるシチュエーションまでイメージします。

(それでも断られることも当然あります。 笑)


基本的に相手本位ですよね。


相手がうなずいてくれるか。断られるか。。

ちょっと強引かもしれませんが、

それを一言で言うと「共感」だと思っています。


今日小学校の壁で見たコピーは、

正直、「共感」しました。

「その要因はなんだろう。」と振り返ってみたとき、

やはり、ストレートに思ったことを書いているからかな、と。

小学生ならではなのかもしれませんが、

それを意識して作ることができてこそのプロだと思います。


コピーについて書いているのに、

その文章自体が支離滅裂になってしまいましたが、

今日のブログは、一緒に仕事をやっている

ライターのT君へのメッセージでもあります。


なんだか日常のちょっとした事ですが、

気持ちに残りましたので、ブログに残してみました。



【おまけ】

今日は、GW中の最大の目的である、

お世話になったおばさんのお墓参りにいってきました。

行く途中に生まれ育った街並みをみたのですが、

そのおばさんとの思い出はもちろん、

幼少からの自分の思い出もよみがえり、

ちょっとノスタルジーに浸ってしまいました。

また、今度はひとりでもお墓参りに行こうと思います。



【リンク】

「操体」という新しい体メンテナンスのプラクティショナーであり、

私の友人でもある『りょう』のブログです。

http://plaza.rakuten.co.jp/ohori/