今日は、朝から久しぶりにのんびり。


何にも無かったわけではありませんが、

まだまとまっていない(苦笑)ので、

久しぶりに「自分の過去の振り返り」 でも書こうと思います。

(本当に久しぶりになってしまいました・・。 苦笑)




【自分にとっても会社にとっても最善の選択】


前回までに書いた社内独立もそこそこ板についてきて、

小さいながらもポツポツと仕事が来ている状況の中、

業務においてひとつの変化がありました。


それは、会社都合でもあったのですが異動です。


新しく配属になった部署は、

その会社でも大きな収入源のひとつ。


私自身、前述でも書いた独自の業務を手がけていましたので、

一応、社長にその業務のことを確認したところ、

その独自の業務も続けながら、

新しい部署での業務もやっていって欲しいとのこと。


当然ながら、どちらの業務も中途半端になります。


実際、新しい部署はそこそこ忙しく、

レギュラー業務だけでも結構なボリュームだったのですが、

メンバーがどんなにバタバタしているなかでも、

私だけは独自業務をやることもしばしば。。


また、その業務量自体もまだまだ波がありましたので、

仕事の割り振りも難しかったのではないかと思います。


また、立場的にもアートディレクターを二人抱える状態になったので、

デザイン面でのやりとりも難しくなったように思います。



【川上への意欲】


そして、自分の中でも大きな変化がありました。


それは、出向時に体験した新ブランドの立ち上げや、

出向が終了してから体験した社内独立的な業務によって、

自分の中でなんとなく感じていたことが明確になっていたのです。


そのなんとなく感じていたこととは、

どれだけデザインのベストを尽くしても、

そもそもの企画がしっかりしていないと人は動かないということです。


つまり、これまでは、「いかにきれいなデザインをつくるか」ということに注力してきたのですが、

「デザインとは企画も含めてこそデザインである」という、

ある意味当然のことに気づいただけでなく、

その企画の部分をもっともっと極めていきたいという気持が大きくなったのです。


もちろん、それは自分が所属している会社でもできないわけではありません。

しかし、もしかするとその道にもっと適した場所があるのではないかと

外に目を向け始めたのです。



【離婚、そして転職】


そして、運のいいことにその道にふさわしい会社が見つかり、

転職をすることを決めました。


今思ってみても、この選択は大正解だったと思いますし、

所属していた会社にとってもいい選択だったと思います。



そしてそれと時を同じくして、

プライベートでも大きな変化がありました。


それは、見出しにも書きましたが離婚です。


当時結婚していた女性は、性格の非常によい美人で、

私にはもったいないくらいの素晴らしい人でしたが、
当時の自分が考えている(結婚像も含めた)将来像と

彼女の考えている姿のギャップがあったのです。


そして、これからの自分にとっては、

いろいろな意味で独り身でいるほうがいいように思えました。


まあ、簡単に言ってしまえば私のわがままです。(苦笑)


きっと若かったこともあって、

それらが解決できる問題だとはわからなかったのと、

仕事が段々面白くなり、ストイックにのめりこんでいる状況から、

気持ちが盲目的になっていたんでしょうね。


しかし、そんな身勝手な選択に理解をしてくれた

彼女と双方の両親には今でも感謝しています。




《つづく》

次回は、転職後の新しい環境での

学びや変化について書こうと思います。

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今日の仕事はずっと、今関わっているビジネスの

基礎工事の中でも土台作りともいえる地道な作業をしていましたので、

久しぶりに「自分の過去の振り返り」 でも書こうと思います。




【東京本社で社内独立的に動く】


いままでデザインの世界しか知らなかった私が、

デザイン以外の世界を肌感を持って感じ、

自ら動くことの大切さを実感し、

そして、知識面でもスキル面でも経験面でも

自分にとって大きな経験ができた出向期間が満了し、

いよいよ所属していた会社の東京本社に戻ることになったのです。


本社でのミッションは、会社の組織的な問題もあり、

自分の仕事は自分で見つけ、そして自分自身がデザインし納品する。

もちろん、請求・回収関係も全て担当するという、

会社に属していながらも独立状態という社内独立的な立場。


自由があっていいなと思われる方もいるかもしれませんが、

社会人になりたてでもあるまいし、

自分にかかっているコスト意識は当然あります。


それに加え、会社都合で東京に来た身でもあり、

住んでいる家の家賃の半分は会社もちです。


そういう手当て等も含めると、

正直、その年にしては異例(?)の

今より少し少ない程度の給与だったと思います。



【初めてのアポ電】


当然、自分が動かなければ会社にとっては無駄なコストになりますし、

何より、なんにも仕事がない状態で

ボケーっと会社にいるほうが私にとって苦痛に思えました。


しかし、私には東京に知り合いがいるわけでもなく、

ビジネスのつてもありません。


その当時、仕事として持っていたのは、

出向中に幸運にもめぐり合えたCDジャケットのデザインのみ。

それも、毎月決まってくる仕事ではなく、

リリースにあわせて依頼が来るという不定期なものでした。

(ありがたいことに、そのジャケットのデザインは今でも依頼をいただいております。)


それだけでは当然ながら私の給料はまかなえません。

そこでやったことは、ひたすら「調べる」です。

当初1週間はずーっとネットとのにらめっこ。

検索ワードを工夫して、なんとかデザインの仕事が

転がっていないか探しまくったのです。


そして、候補が見つかればメールをすかさず送ります。

アポ電話ももちろんかけます。


この泥臭い(?)営業的な仕事は私にとって始めての経験でしたし、

パーティとか結婚式以外でスーツを着ることも初めてでした。



【100求められていることに対して120の結果で返す。】


そうやって取れる仕事は本当に小さい仕事ばかりですし、

出向時の新しいブランドを作るなんていう

チャレンジングな経験もありません。


しかし、必死だったことも重なって、

この期間も私にとって非常に充実したものでした。


ひとつの仕事を取ってくる大変さ。

小さな仕事でも、手を抜いたりクオリティの低いものを納品していては、

次の仕事はこなくなるというシビアな環境。


なんだかデザインだけではなく、

仕事に対する考え方も大きく変わっていったと思います。


その時に身についた仕事に対する考え方は、

-----------------------

関わる仕事に対して「できない」は決して言わない。

-----------------------

100求められていることに対して120の結果で返す。

-----------------------

といった、取り組みや結果に対する「責任」です。


ある意味、環境が私を育ててくれたのでしょうね。



今思えば、仕事に対してのストイックさが

自然と身についた時期でしたし、

当然ながらこの経験も今に非常に活きていると思います。



《つづく》

次回は、プライベートでも変化があり、

仕事的にも次の展開がはじまりましたので、

そのことについて書こうと思います。





【今日のひと言: 『ドラッカー365の金言』より引用】

---------------------------

人の本性と、その社会における役割と

位置づけについての理念が、社会を規定する。

---------------------------

社会的に最上位の人間活動の領域を示すことによって、

社会の基本的な教義と信条を象徴する。

と本書にはあります。


人として、なぜこの世の中に生まれてきているのだろうか。

人間として目指していくべき姿はなんなのだろうか。


今日の言葉を読んで、

なんだか、こんな哲学的な考えが頭によぎりました。

結局は、人間としてのビジョンでありミッションでしょうか。


世の中には「お金」をたくさん稼ぐことを目的としている人がいます。

自身の会社でのポジションをあげることに執着している人もいます。


しかし、それは人生の中での最大の目的でしょうか。

はっきりいって「小さい」ですよね。


確かに、お金がなければできないことはたくさんありますし、

会社でのポジションがあってこそ実現できる想いもあるかもしれません。


しかし、それであるならばそれらは目的ではなく「手段」です。


今日のACTIONPOINTには

>今日の社会において最上位に位置づけられている領域はなんでしょうか。

>そのことは、あなたにとってどのような意味を持ちますか。


今日の社会において最上位に位置づけられていること。。

難しいですね。。




答えの方向性が間違っているかもしれませんが、

ひと言でいえば、『生存』でしょうか。(極端すぎますか? 苦笑)


具体的な例をあげると、

全世界的にいわれている地球環境問題などはもちろんのこと、

ちょっと身近なこととして日本に目をむけると、

『生存』のために、少子化が進む中での社会基盤を

今後どうしていくかということもひとつの例だといえます。


そこで自分の社会との関わり(いわば仕事)の中でどうできるのか。。


すぐには答えは出せませんが、

なんだか、今関わっているビジネスも含め、

ちょっと大きな視点で物事を考えることが出来そうです。

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今日一日の出来事で、書けることといえば、

今話題の六本木ヒルズに所用もあって行ったということくらいなので、

とりあえず、「自分の過去の振り返り」 の続きを書こうと思います。



【出向先のミッション】


デザインに対する考え方、自動車運転免許などなど、

出向先の社外で身についたことや手に入れたものはたくさんありますが、

もちろん、この出向自体、私の認識では、

自分の中でのキャリアの分岐点になったと思っています。


R-25風にいうと、「Break Through Point」というやつですか。

私の年齢でいうと、当時26、7くらい。

まさしく、あのインタビューで語れますね。(笑)


まあ、「Break Through Point」で語るには、

結局、自身がある程度の年になった時に

成功していなければいけないのですが・・。

(頑張らないと。。ですね 笑)


そのキャリアの分岐点になった出来事とは、

私の出向における最大のミッションである、

新ブランドの立ち上げでした。



【全ては「ロゴをつくって欲しい」から始まった】


出向先では一応肩書きはアートディレクター。

通常の業務として、販促企画であったり広告のデザインであったり、

企画書制作などを担当していたのですが、

その業務とは別に、所属している会社と出向先企業との

業務請負であったり、業務調整も担当していました。


そんな仕事をつつがなく(?)こなしていたある日、

商品企画の担当役員の方から、

「ロゴをつくってほしいんだけど」という依頼を受けたのです。


そもそも、出向時にそういったミッションがあるなんて

まったく知らされていない状況のなか、


新ブランドが立ち上がるということ。

会社としても本腰をいれて動いていきたい分野であること。

とりあえずその手始めにそのブランドのロゴをつくってほしいということ。

そのブランドが動き出した際には、

そのカタログ等の販促ツールを私の所属している会社に頼みたく、

その橋渡し役になって欲しいということ。

などなど、恥ずかしながら全てが初耳の状況でした。


そして、なぜアートディレクターが必要なのか、

なぜ、私の所属している会社に頼んだのか。

すぐに理解できたのです。



【ロゴに必要なものが無い・・・。】


しかし・・・・、


ロゴひとつつくるにしても、

ターゲットやブランドコンセプト、もっというとビジョンや信念。

服飾のデザイナーの意図をはじめとする関わる人たちの気持ち、

そのブランドをつくることによって世の中に提供したい価値など、

事前知識であったり必要なものがたくさんあります。

それがなければ、極端な話、「ただのお絵かき」です。


もちろん、それが用意されていることが大前提なのですが、

正直、無かったのです。。。


困りましたね。(ロゴのデザインではなく)考えましたね。


もちろん、無ければ無いなりにつくる事は可能です。

しかし、それだったら最大のミッションでも何でもないですし、

もっというと、私が何のためにその会社に行ったのか、

私が行った足跡であり価値はないと思えたのです。


そこで、ひとつの結論に至りました。



【ひとり合宿状態のお盆休み】


それは・・・、


「無いならつくればいい。」です。


やろうじゃないか、と。

コンセプトも何も不透明であるならば、

私が考えよう。自分でつくればいいじゃないか。と


そこからが大変でしたね。。(苦笑)


まず、その道のプロでもなければ、

ブランディングの知識もまったくありません。

しかし、信念だけは持っていました。


「絶対このブランドを立ち上げ、成功させてみせる!」


ちょうど、その話が来た直後にお盆休みに入ったこともあり、

役に立ちそうな本は手当たり次第読み漁りましたね。

そして、いつもの帰省はものすごく荷物の少ない私が、

カバンいっぱいにその書籍を詰め込んで、

実家へと向かったのです。


その時、第二の故郷である大阪経由で

実家のある九州へ向かったのですが、交通手段は船です。

所要時間は13時間。夜出て朝着くパターンです。


もう船上から寝るのも惜しんで、

変なモチベーションで取り組んでいました。


船内のレストランでやっていたのですが、

酔っ払ってイビキをかいているオヤジを横目に、

ずーーーっと、ノートいっぱいに殴り書き状態で

いろんなことを書き綴っていました。


もちろん、テーブルの脇には本を積み重ね、

灰皿はタバコが剣山状態です。

傍からみたら、苦学生か売れない作家みたいに

見えたでしょうね。(苦笑)


一睡もせずに到着した実家。


いつもなら「疲れたぁーー。」なんていってとりあえず一服なのですが、

家に着くなり、2階の自分の部屋に閉じこもり、「苦学生」の続きです。

もちろん、幼馴染の友人とかとも会わなければいけないのですが、

それ以外の時間は全て「苦学生」です。


そうして、お盆休みの最終日。


ついに一冊の企画書が出来上がったのです!!!

(もちろんノートパソコンなんて気の利いたものは

持ってませんでしたので手書きベースです 苦笑)



【専務に自主プレゼン】


今思うと、その企画はものすごく稚拙なものだったと思いますが、

とにかく嬉しかったですね。本当に。。。

帰りの船上では、添削も兼ねて、

何度も何度も読み返してにやけていました。

その時は、「苦学生」から「変な(危ない)人」に

昇格していたと思います。(笑)


そして、東京に帰ってくるなり、

愛用のMACを立ち上げてイラストレーターでまとめました。

(通常はパワーポイントだと思いますが、

デザイナーだった当時の私は、使い方を知りませんでした。。)


そして、休み明けのある日、

おみやげの焼酎と一緒に専務に持っていったのです。


「○○さん(←専務の名前)、○○さん(←担当役員の名前)から休み前にいただいたロゴの話ですが、ブランドコンセプトとかビジョンとかちょっと見えなかったので、勝手ではありますが、自分なりに今回のブランドについて考えてみました。とりあえず目を通していただきたいのですが。 あっ、これ九州に帰ったときのお土産です。(焼酎を差し出す)」


企画書の最初のページには、

私なりに考えた新ブランドのビジョンが。。


たしか・・・、

「働く女性の職場環境を衣服を通じて快適にする!」


みたいな言葉だったと思います。



【大きな大きな経験】


その自主プレから程なくして、専務から連絡が。


「keg君。明日の○○時から新ブランドのミーティングがあるので、

○○会議室に来てもらえるかな。」


嬉しかったですねえ。本当に!!!

本当に大変なのはこれからなのに、

なんだか全ての苦労が報われたと思いました。


いつの間にか私はアートディレクターではなく、

プロジェクトメンバーに加わっていたのです。


一応、職場は同じとはいえ、なんだかんだいっても社外の人間です。

その人間を絶対に社外には漏れてはいけない

一大プロジェクトの意思決定メンバーに加わったこと自体が

信頼と期待のあらわれだと思いましたし、


実際に販促企画だけではなく、ブランディングに関わっていくこと自体、

ものすごくチャレンジングな経験でした。


その時は言葉の存在自体しりませんでしたが、

まさしく、「自ら機会を創り出し、その機会によって自らを変えよ」

という、私の中での大切な言葉を地でやることができた時でした。


ロゴ、パッケージ、下げ札、ネームなどの

デザイン物のアートディレクションといった

当初予定されていた職務をこえて、

本当に貴重であり、充実した時間を過ごせたと思っています。


その後、紆余曲折はあったものの、

そのブランドは無事にサービスイン。

ひとつの大きなミッションが終わり、

所属先の会社の東京本社に復帰することになったのです。



《つづく》

次回からは、その後の私の仕事について

書き綴っていこうと思います。

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思うことは日々いろいろあるものの、

まあ、それに関連した出来事があったときに書けばいいかということと、

仕事面でも特に、記憶にとどめたり振り返りが必要なことがなかったので、

(ある意味ヤバいですね、その状況・・。)

いつもの自分の過去の振り返りを書こうと思います。



【はじめての普通の会社】


東京にやってきて、家も決まり、

生活に最低限必要なものだけを揃えた、

学生時代よりも質素な環境のなかで、

私のはじめての東京生活がはじまりました。


しかし、いざ仕事が始まると、

思わぬことが頭を悩ませたのです。。


その頭を悩ませたこととは、「朝」です。(笑)

なぜなら、その時の私の所属していた会社は、

なんと通常13時出社。(遅っ。。)

なかには、「お前は夜勤か!!」と突っ込みたくなるような

夕方出社の人もいるスーパーフレックスの会社だったのです。(苦笑)


もちろん、そのおかげでDJを続けていけたというのもありますが、

私も例に漏れず普通に13時とか14時とかに出社していました。


しかし、出向先は当然ですが、普通のメーカー。

出社時間はなんと、午前9時!

つらかったですねーー。本当に。。。


しかも、私は所属している会社を代表して

その会社に出向しているのです。

ということは、私の行動のひとつひとつが

所属している会社のイメージであり象徴でもあります。


つまり、「遅刻厳禁」の世界なんですよね。。

(といいながらも何度か遅刻しましたが・・ 苦笑)


家から駅まで自転車で5分。

出向先まで電車で10分程度。

朝日が辛かったのを今でも鮮明に覚えています。



【東京生活1ヶ月目で胃に穴があく】


そんな慣れない早起きと、

会社を代表しているというプレッシャー。

さらには初体験の満員電車。

そして、全然肌に合わない東京という街。。。


きっと、ものすごいストレスがかかっていたのでしょうね。


ある日、出向先の会社で仕事をしているとき、

急に胃が痛くなり、倒れてしまったのです。。

もちろん、胃が痛いなあ。。とは日々感じていたのですが、

乳製品(特に豆乳)でごまかしながら毎日を送っていました。


しかし、そんな付け焼刃の自分療法では完全なわけはなく、

ついにダウンしてしまったのです。(苦笑)


倒れてしまったとき、出向先の会社の人が救急車を呼んでくれ、

痛みも落ち着いた時、ふっと夜に食事に行く約束を思い出し、

救急車の中から欠席の連絡を入れました。

他にも、実家とかに、「いま救急車乗ってんねん!」と

心配する家族を尻目に普通に電話してしまいました。。(苦笑)


おそらく救急車の中で携帯かけた人って

あんまりいないですよね。。。(笑)


運ばれた病院で、十二指腸潰瘍ということが判明し、

東京生活にも慣れていないのに、

もっと慣れない(ある意味慣れていた?)入院生活が始まったのです。

もちろん、仕事は完治するまでお休みをいただきました。

(その節はご迷惑をおかけしました。。)



【出向しながら身につけたこと (その1)】


そして、約1ヶ月の療養期間のあと、ついに職場に復帰。

しかし、慣れないことはまだまだあったのです。。


それは、(出社時間だけではなく)「退社時間」です。

9時出社の会社ですので定時は18時までです。


もちろん残業はありましたが、

夜の時間は今までと比べ物にならないくらい

手に入れることが出来ました。


当初は、正直ものすごく戸惑いましたね。

時間の使い方がわからないのです。

人間なれない状況では戸惑うものです。(笑)


しかし、この夜の時間を有効に使えないものだろうか。

とも思っていました。

きっと、いままで出来なかった何かができる。と。。


ちなみに当時従事していた仕事は、デザイナー&アートディレクター。

必然的に、雑誌はジャンルを問わず、

常にものすごい量を読んでいたのですが、

その中のひとつに「ブレーン」(宣伝会議刊)がありました。


ある日、その「ブレーン」に「宣伝会議アートディレクター講座」の

受講生の募集が掲載されているのを見つけたのです。


私は、出向先でデザインよりも企画に関わる機会も多かったので、

夜の空いている時間も有効に使えることだし、

「よしっ、いっちょやってみるか」という気持ちで申し込んだのです。


そこでは、世の中の著名なクリエーターたちが

毎週講師を務め、自分の創ってきたクリエイティブや、

キャンペーンなどの実例を紹介しながら、

その背景であったり意図であったりキモとなる部分を

丁寧に解説しながら進めてくれるのですが、


本当に、デザインに対する考え方が変わりましたね。


もちろん、課題なども出され、

仕事をやりながらの大変な状況ではありましたが、

その課題作品に対する講評などもいただけ、

さらには講義終了後には一緒に食事をする機会もあったりと、

ものすごくためになりました。


当時の私は「デザイン=きれいにまとめること」だったのですが、

この講座を受けてからは「デザイン=企画」という風に、

考えが大きく変わりました。


もちろん、自身のデザインレベルも

飛躍的に向上したと、自分の中では思っています。



【出向しながら身につけたこと (その2)】


そして、出向時に身につけたもうひとつのことは、

「自動車運転免許」です。


恥ずかしながら学生時代~この当時まで、

必要性がなかったということもありますが、

運転免許なるものは、原付免許しか持っていませんでした。


しかし、まあ使う使わないは別として、

普通に自動車の免許ぐらいもっておかないとな。と思い、

そして、取るなら今のタイミングしかないとも思え、

新小岩自動車学校に通いだしたのです。


ただ、仕事もそれなりに忙しかったので、

こっちの時間の都合で自動車学校の予約がフレキシブルに取れ、

しかもいろいろと通学等に関してもメリットのある、

「VIPコース」なるものを申し込みました。


しかし、「VIPコース」はその名の通り、

値段もVIPで、通常の料金の約1.5倍以上のお金が必要でした。。

(安いところからみると2倍以上したと思います。。苦笑)

まあ、高いとは思いつつも、そこでケチって

かえって時間がかかるのも良くないと思いましたので、

思い切って払い、無事免許を取ることが出来たのです。


しかし、「VIPコース」はやっぱりすごい!!

予約が取れなくて四苦八苦している人を尻目に、

すいすい通えます。


やっぱり世の中お金だなあ。。

と変に実感してしまった自動車学校通学でした。(笑)


ちなみに現在、「ペーパーゴールドドライバー」まっしぐらです!!(苦笑)

《つづく》

本当はここから、前回でも書くといっていた、

出向がきっかけで変わったキャリア感等について書こうと思ったのですが、

少し(かなり?)長くなってしまいましたので

そのことについては次回書いていこうと思います。

久しぶりになりましたが、ちょっと時間が出来たこともあり、

自分の過去の振り返りを少し。


前回までデザイナーとDJのダブル生活のことを書きましたが、

そのデザイナーのキャリアとは別に、

プライベートでも変化が起きました。



【社会人1年目で結婚する】


その大きなものは結婚です。

相手は学生時代から付き合っていた人。


特に結婚を意識していたわけではありませんでしたし、

その必要性を感じていたわけではありません。

しかし、相手は性格もよいきれいな人で、

当時、付きあっていたので当然ですが、

結婚相手として、その人以外に考えられませんでした。


結婚して、引越しもし、

いよいよ仕事に集中できる環境が整ったのですが、

仕事の時間帯が変わるわけでもなく、

昼に出勤して、夜中に帰るという生活はそのままだったので、

ある種のすれ違い生活ともいえる毎日を過ごしていました。。。



【仕事の転機も訪れる】


そして、デザイナーとしてやっている自分にとっても、

結婚と同じくらいの転機がやってきました。

デザイナーとして3年くらいたったある日、

社長が来阪した際に、取引先のクライアントへの

出向を打診されたのです。


ちょうど、情報誌のデザインに関しては、

3年やってきたこともあり、慣れやマンネリを感じていた私は、

出向先での仕事もまったくわからないままではありましたが、

ひとつの大きなチャンスをもらえたと、

即答でその出向を受けることにしました。



【そしてさらにプライベートで大きな出来事が。。】


出向することを決め、その日までの職務を

こなしている毎日ではありましたが、

仕事量は自然に増え、帰る時間もさらに遅くなっていきました。


当時は原付で通勤していたのですが、

そんなある日、4時まで仕事をこなし家路に向かう途中、

交通事故にあってしまったのです。


いろんな意味で集中力を欠いていたのかもしれませんし、

もしかしたら、原付で居眠り運転をしていたのかもしれません。

(ないとは思いますが。。 笑)


その時の傷は今でも残っていますが、

正直記憶はまったくありません。。


前に、北野武が事故にあったときにいっていましたが、

人間は、危機的状況になると、脳が自殺するというのを

リアルに体験してしまいました。。


ただ、ひき逃げだったこともあり、

病院に運ばれる時間も遅くなったとの事。

死んでいてもおかしくないくらいの事故でありながら、

奇跡的に命は助かったのです。


その時に感じたのは、若干霊脳的な話になりますが、

誰かに生かされている感と、

何かまだやり残していることがある。

という気持ちです。


いまだに、具体的ではありませんが、

いつか自分が生きている意味を見つけなければと

思った出来事でした。


そして不思議なことに、そういうこともあってか、

事故に対する憎しみや後悔はまったくありませんでした。



【初めての東京という場所での家探し】


しばらく入院した後、神経麻痺などの後遺症は

若干残っていたものの、無事(?)退院することができました。


そして、この事故のために延期になっていた

出向の話も進み、すぐに東京で家探しを始めたのです。


一応、ネットで東京の家の目安はたてていたものの、

土地勘もまったくないなかでのスタートです。


本当に苦労しましたね。。


9月の3連休をつかって家探しをしたのですが、

場所は本社と出向先の間という都心の本当に真ん中あたり。

家賃は大阪相場での感覚。もちろん住環境も大阪感覚です。(笑)


今となってははっきりいえますが、

そんな条件で探そうという事自体がある意味無謀ですよね。(苦笑)


なので、自然と(?)不動産屋さんの件数も多くなり、

場所も都心なので山手線沿線の不動産屋さんを中心に、

3連休を分刻みのスケジュールで駈けずりまわりました。

中には、入り口の雰囲気だけで物件を見ずにお断りした不動産屋も。。


そんなこんなで、今の家がようやくというか奇跡的に見つかり、

後は東京生活をスタートさせるのみという状況になったのです。



《つづく》

次回は、出向がきっかけで変わったキャリア感と

その後について書いていこうと思います。

というわけで、本日二本目のブログ。


別に、ここ二日アウトプットが無かったから、

というわけではありませんが、ほったらかしにすると、

どんどん時間の方が先に進んでいってしまいますので、

続きを書こうと思います。



【デザイナーとDJのダブル生活】


まだまだ駆け出しとはいえ、

ある意味、「モノを創る楽しみ」を感じながら

デザイナー生活を送っていた私は、

もうひとつのクリエイティブワークがありました。


それは、学生時代から続けていたDJです。


デザイナーという本業をもちながら、

ある意味副業的に続けていたDJは、

別にお金が欲しかったとかではなく、

単純に本当に好きだったんでしょうね。


DJのある日は、仕事を時間までに終わらせるため、

出社時間を早めて、DJをする場所がある駅のコインロッカーに

レコード一式ぶち込みます。

そこから、時間に間に合うように仕事をこなすわけですが、

今思うと、よく続けることができたなあ・・と思います。


ただ、唯一の救いは、当時の職場がフレックスもフレックスで、

通常が13時出社だったことでした。

(もちろんそれ以上遅くなっても連絡さえいれればOKです。)

これだったら前の日、朝まで回していても大丈夫です。


っていうか、今思うと、この出社時間は異常ですね・・・。(苦笑)



【モノづくりの基本はDJから教わった(学んだ)】


しかし、DJをやっていて本当に良かったと思うことがあります。


それは、「もうひとつのクリエイティブワーク」と書きましたが、

実際にDJから学んだクリエイティブがたくさんあったのです。


私は、DJをやるときに、

レギュラーのイベントがほとんどでしたが、

まずその日のイベントのことを考えます。

何のイベントなのか、ジャンルはなんなのか・・etc。


そして、その日の流れと雰囲気、お客さんを

ざっくりとではありますがメージし、

そのイメージにあわせてレコードを選びます。

<ここまでって、デザインでいう素材集めですよね>


イベントが始まると、まずどんなお客さんが来ているかチェックです。

騒ぎにきているのか、飲みにきているのか。

若いのか、年配なのか・・etc。


そして、だいたいの雰囲気がイメージできたら、

プレイの最初にちょっとだけ、探りを入れます。


そこで、かける音楽は本当に探りのためで、

一応の体裁は保ちながらも、お客さんの顔色を伺うのです。


そこで、お客さんがこっちを向いてくれたり、

リズムとかを取り始めたらしめたものです。

<ここまでって、実際にそのデザインを見る人を知る作業ですね>


あとは、お客さんが気に入りそうな音楽のなかで、

一番盛り上がりそうな曲と場面を作って、

それを中心に曲を組み立てていくのです。

<ここは実際のアウトプットイメージです>


そして、それからはミスをしないように注意しながら、

曲を回していけばOKです。

<ここは実際のデザイン作業です>


最後に、自分のイメージどおりに、

お客さんが楽しんでくれたり、

お客さんから曲とかについてきかれたりすると本当に最高です。

<これは、自分が創ったモノで人が動く状態ですね>


と、まあ、簡単には書きましたが、

一見、かけ離れていそうな事柄ではありますが、

実は、根底はつながっていて、

私はデザインというかモノづくりにおいて、

それに気づいたときに、「Break Through」というか、

上手くなっていった気がしますし、

今でも、モノを創るときの

ひとつの大きな考えになっていることは間違いありません。


いわば、モノづくりの基本はDJから教わった(学んだ)という感じですか。


そして、月に1~2本程度の平日と、

ほぼ毎週の週末のイベントをこなしながらの、

へんてこ(?)なデザイナー生活を送っていったのです。


《つづく》

ちょうど社会人になってからしばらくして、

プライベートの方でも変化が起きましたので、

次回は、少し脱線してそのことから書いていこうと思います。

書くことがないわけではありませんが、

最近、ご無沙汰していましたので、

『自分の過去の振り返り』 の続きを書こうと思います。



【入社してからしばらくは雑用&作業ばかり・・・】


デザイナー生活が始まった私は、

正直、「デザイナー」という名前にあこがれていた節もありました。


しかし、その全てが叩きのめされるのです。。。


入社して、数ヶ月は本当に雑用係という言葉が当てはまるくらい、

先輩デザイナーたちのアシスト的な作業をずっとこなしていました。


その作業をちょっとだけ紹介すると・・・、


■アタリとり

当時、Macもそんなに普及しておらず、

事務所にも1人に一台あるわけではありませんでした。

今でこそ、写真はスキャナで取り込んで・・、とか出来ますが、

当時は、暗室にこもって「トレスコ」という引き伸ばし機で、

鉛筆で写真の投影された画像をなぞる作業をしていました。

一枚二枚だったら別にいいのですが、

なにせ、写真も文字も詰め込みまくりの情報誌です。

そのアタリをとるために半日くらい暗室にこもるのは普通でした。。(苦笑)


■赤線引き

これは、印刷所から戻ってきた校正に

トンボにあわせて赤ペンで線を引く作業です。

上記のようにMacが普及していないなかでのデザインですので

こちらで作った原稿を、印刷所のオペレーターさんがおこしてくれます。

それをデザイナーがチェックするのですが、

デザインチェックをしている証拠というか、

トンボにそって赤線を入れる作業もしていました。

これは、会社に来たら山積みになっている校正紙

一枚一枚にやっていましたので、

かなりめんどくさい作業でした。

終わった後は手の横側が真っ赤です。(笑)


■デザイン指示入れ

これも、版下入校でしたので、

先輩デザイナーが作ったデザインの

文字枠や写真枠に「PHOTO」とか「CAP(キャプション)」とかの

ハンコをおして、合番をふる作業です。

雑誌は、文字に関してはそれぞれの場所に合わせて、

指示が固定されていますので、流れ作業的に合番をふってましたね。


■フォーマット作り

雑誌のページは全ていちからデザインするわけではなく、

連載記事とかはある程度フォーマットが決まっています。

なので、デザインする際に決まった場所を作らなくていいように

あらかじめフォーマットを作ります。

引き出しのフォーマット入れを常にチェックして、

なくなりかけていたらすぐに補充するために作っていました。


■その他雑用

実際のところ、上記以外にもおそらくいろいろあったと思いますが、

そのほかにも、先輩デザイナーの雑用を多々こなしていました。

仕事が無くて手が空いたときは、

「手ー空いてますけど、なにかやることありますか??」と、

お伺いする毎日です。


こうやって振り返ってみると、

本当に「修行」ですね。(苦笑)

まあ、未経験からの仕事なので、

その全てが新鮮でしたが、

ただ、本当に雑多なめんどくさいことばかりだったので、

正直、ちょっとブルーでした。(笑)



【初めてデザインをする】


そうやって修行の日々が過ぎていったある日、

ひとつの仕事をもらったのです。


それは、雑誌の様々なページがある中でも、

特に簡単なページである、音楽情報のページです。


もう、嬉しかったですね。


もちろん、上記の作業はこなしながらではありましたが、

とりあえず、ようやくデザイナー人生がはじまったような気がしました。


ただ、そのページは正直、

ほとんど何もすることが無いフォーマットページ。

もちろん、いきなりいろいろとやらせてもらえるわけはありませんので、

まあ、当然といったら当然ですか。。(笑)


でも、初デザインは初デザインです。

ほんとーーーーーーに、ものすごく考えました。

どうやってつくろうか・・。

今まではどんなデザインなんだろう・・・・。


今となってはある意味笑い話ですが、

本当に必死でしたね。。(笑)


そして、ようやくその音楽情報の1ページができたのです。



【編集者はわからずや???】


なんどか、アートディレクターの直しを受けつつも、

ようやく完成した私のデザイン。

そこから編集者に確認をとるのですが、

思ってもない、一言を言われたのです。


「ジャケ写、こんなに大きくなくていいし、

なんかバランス悪いので、直してくれる!!??」


ショックでしたね。。


自分がいいと思ってつくったデザインを、

頭ごなし(ちょっとキレ気味)に否定されたのです。。


もちろん、未経験からのデザイナーですが、

それなりに(根拠のない)プライドもあります。。


向こうはベテラン編集者です。

しかし、口では「わかりました。」といったものの

なんだかしっくりこないまま修正に取り掛かったのです。



【完成&喜び】


ちなみに、その音楽情報ページは、

これも今となってはありえませんが、

夜中までかかって、ようやく完成したのです。


そこから、自分のつくったデザインが、

印刷所にわたり、校正をみて、

いよいよ雑誌になりました!!!!!!!


もう、嬉しかったですね。。 ほんとに。


初めて給料をもらったときの給与明細以上に、

穴が開くほど、何回も何回もそのページを見ました。


まあ、本当にフォーマットページなので、

自分のデザインといえるかどうかは???ですが、

その時の私は、本当に嬉しかったのを覚えています。


そして、この嬉しさをさらに大きくしてくれる出来事があったのです!!!


まず、発売日のコンビニに

私のデザインした(?)ページが含まれている、

雑誌が並んでいるではないですか!!


そしてその日の通勤電車のなか、

なんと、その雑誌を開いている乗客が

目の前にいるではないですか!!!


もちろん、私はそのめくる手を目で追いかけていました。(苦笑)


そして、私の作ったページ。

心の中では、「見ろ。見ろ。見てくれ。。。」

祈ってましたね。本当に。。。(笑)


そのページを目の前の乗客が見たとき、

「うわーーーー。俺の作ったページ見てるよーーーーーー。。」

と、かなり感動したのを覚えています。


別に他のページを見るように、

そして、見ていたとしても、デザインではなく、

単純に記事内容だと思うのですが、

なんだか、自分のページだけ長めに見てくれているような気がしました。


その日から、

「モノを創ることによって人に影響を与える」

その楽しさに病みつきになっていったのかもしれません。。


《つづく》

私のデザイナー人生と、その後については

また次回以降で書こうと思います。

【就きたい仕事を見つける】


開業話を断った私は、とりあえず自分の興味のある

というか、面白そうな仕事に就こうと思いました。

もともと、職人の親とパートの母という環境に育ったせいか、

営業職とかにはまったく興味がなく、

DJをやっていたときに、自分でMacをさわっていたこともあり、

Macを使った仕事をしようと思いました。


そして、アルバイトをしていたバーの常連さんに

デザイナーの方がいたこともあり、

デザインの道に進もうと思ったのです。



【いざ就職活動開始】


しかし、法学部に通っている私に、

デザインの技術や知識があるはずはありません。

しかも、世の中的には就職活動は終わっています。。


そこで、考えた就職活動は、

もともと、目指している職種の求人が、

学校にはなさそうだったこともありますが、

残りかす(といっては失礼ですが)のような新卒枠を目指すのではなく、

B-ingのような中途採用向けの求人誌を見ようと決めたのです。

そして、アルバイト先の常連さんにも、

いいところ(というか働けそうなところ)がないか聞き始めたのです。


なんともへんてこりんな就職活動を始めた私ではありますが、

しばらくして見つけた、ひとつの会社があったのです。


その会社は某出版社のデザインを一手に引き受けている

デザイン会社だったのですが、

求人自体はその出版社から出ているものでした。

その求人情報は、よく耳にする雑誌のデザイナー募集というもので、


はっきりいってダメもとで、

職歴も経験もまったくない履歴書を送ったのです。

(いまから思うとかなり無茶ですね 笑)


しかし、履歴書を送ってから程なくして、

書類通過の連絡を受け、面接へ。

そんな、吉報の電話の向こうからは、

「書類審査は通りましたので、次回は面接にお越しください。

その時に今までの作品等を持参してくださいね。」 との一言が。


さ、さ、作品!!???


え、、、私が法学部の新卒で、

しかもデザイン未経験者だということを知って

書類通過させたのでは???


と、少々驚きながら、

しかし、そんな動揺を電話越しに察知されるわけにはいきません。


なので、平然と、

「ありがとうございます。では、作品を用意してお伺いいたします。」

「よろしくお願いします。」 と答えたのでした。(笑)



【緊張の面接】


そして、とうとうやってきました。

面接当日。私は全然着慣れていないスーツと、

首がなんだかもどかしいネクタイをしめて、

面接会場へ。


持参してくれといわれた作品は、

DJ時代に作った白黒コピーのフライヤーと

そのフライヤーで使ったイラスト。

あの思い出のイベント の時に奮発してつくった

2色刷りのフライヤーの

なんともチープな合計3点の作品を持っていったのです。(苦笑)

もちろん、いずれも自作のものではあります。


朝9時からの面接にも関わらず、

8時過ぎには会社の前についてしまった私は、

向かいにあるさびれた喫茶店で、

その時付き合っていた彼女と一緒に

何を話そうか、必死に思案していました。



【そして、面接へ】


何を話したかは、正直ほとんど覚えていません。

しかし、


「なぜ、新卒なのにこの時期に就職活動をして、

しかもなんでデザイン業務のうちの会社で働こうと思ったの?」

という質問には、


・自分が大学院へ進もうと思っていたこと。

・しかし、母が事故にあってベッドに横になっている姿をみて、

 働かなければと決意したこと。

・ただし、世の中の就職活動は終わっていること。

・そして、今までの経験やデザイナーの常連さんの話を聞いて、

 デザイナーになりたいと思ったこと。

・しかし、未経験なので人に見せられる作品はこのくらいしかないこと。


などなどを

正直に、そして緊張しながらも話しました。

(というより打ち明けました。 笑)


後から知ることになるのですが、

その時の面接官は、デザイン会社の社長と取締役、

大阪支社長的な立場の人とリーダー

そして、出版社の取締役と人事部長という

そうそうたるメンバーでした。


まあ、二次面接とかがありませんでしたので、

一回で終わらせるためには必要なメンバーだったのでしょうね。


正直な手ごたえとしては、完全に落ちたと思いました。

なぜなら、未経験であるだけでなく、

面接もなんだか身の上話チックな内容になってしまい、

世の中でいう、面接の際に必要な企業研究なんてしていなければ、

面接にはこう答える的な内容も、ほとんどないままだったからです。(笑)


そして、頭を切り替えて次を探さなければと動いていたある日・・。

その出版社から電話があったのです。


「kegさんですね。」

「はい・・(不合格通知を受け入れる心の準備中)」

「面接に合格されましたので、3月00日から出社していただけますか?」

「えっ、、、は、はいっ!!!!!! ありがとうございます!!!」


そうなのです。

書類審査からかなりの高倍率(だったらしいです)をくぐりぬけ、

なんと、もう社会に出ている人や、経験者等を退けて、

この私が合格してしまったのです!!!


新卒採用枠とかではまったくありませんでしたので、

出版社所属のまま、デザイン会社の業務を行うという、

普通ではあまり理解できない内容ではありましたが、

しかし、私のデザイナー人生が始まった瞬間でした。


《つづく》


ちょっと今回は長くなってしまいましたが、

この続きはまた次回以降で書こうと思います。

家に帰ってきました。

なんだか、自分の今日のブログを読み直すと、

もう一本くらい書いておいたほうがいいように思えましたので、

最近ご無沙汰でした、『新規事業に魅せられるまで』の

続きを書こうと思います。



【大学院断念】


大学院に行く気満々で、就職活動には全く目を向けていなかった私に、
ひとつの大きな(?)出来事がおきました。


それは、私の母の事故です。


別に、保険もありましたので、
金銭的にどうとかもありませんでしたし、
命に関わるような大きな事故でもありませんでした。

しかし、入院してベッドに横になっている母を見たとき、
あと2年間(?)遊ぼうとしていた自分に対して、
申し訳なさと、責める気持ちがよぎったことは事実です。


もともと、政治とか法律とかの道というか
学部を選んだ動機もたいしたことはありませんでしたし、
大学に入ってから目覚めたわけでもありません。


もちろん、大学院に行くなんて思ってもいませんでしたし、
たまたま、ゼミの教授から声をかけられただけでした。


もし、そのまま大学院にいっても、
きっと自分には何も身につかなかったでしょうし、
なにより、社会人としてのスタートが

他の人より遅れていたと思います。


しかし、就職活動をはじめるにも、

二月の時期では、世の中的にはもう終盤も終盤。

というか、ほとんど終わっています。


そこで、私にできることを振り返ったのでした。



【開業話を断る】


私に出来ること・・。

それは、単純に大学時代の経験でいうと、

バーテンダー、イベント主催、DJ・・・、ですか。。


実際、就職をしようと決めてからしばらくして、

DJをやっていたときにお世話になった、

レコード店の方から、ありがたいお話をいただいたのです。


それは、倉庫に使っている2Fを使って、

ワインバーをやらないかという、打診です。

しかも、そのワインバーの家賃は格安でしたし、

バーテンダーをやっていたノウハウを活かすという点でも、

好きな音楽に囲まれた自分のお店が持てるという点でも

本当に、ありがたく魅力的な話だったのです。


これには、本当に迷いましたね。。(笑)


しかし、現状をみていただくと明快ですが、

もったいなくも、お断りしたのです。


その理由は・・・、


単純にバーをやるとなると、経験からもありますが、

本当に様々な人がお客さんとしてやってきます。


ただ単純にお酒を楽しみたい人から、会話の相手を探すというか、

なんだかひとりでいるのが嫌でお店に訪れる人もいます。

もっと他の目的をもってくるお客さんも当然います。


結局、目的やバックボーンに関しては、

本当に人それぞれなのです。


そんな多種多様な考え方や生き様をもっている、

ひとりひとりのお客さんに対して、

学生を卒業したばかりのまだまだ未熟な私が、

きっちり相手できる自信がなかったのです。。


例えば、仕事に日々従事しているサラリーマン。

仕事の愚痴もあるでしょうし、会社の今後の話もあるでしょう。

はっきりいえば、そのどちらもきっちり応えられる私を

正直、想像できませんでした。


ある種、ものすごく恵まれたような、

人をも羨む話(?)を断った私は、

とりあえず、自分のできることやりたいことを

さらに深堀することにしたのです。


そしてぼんやり見えてきた、ひとつの仕事がありました。




その仕事に関しては次回以降で。

ひさびさに書いていこうと思います。

『新規事業に魅せられるまで。』


今回からは社会人編です。


まあ、いきなり社会人になってからよりも、

なる直前の私にもちょっとしたストーリーがありますので、そこから。



【大学院生になる】


DJ業も順調に進み、いよいよ大学4回生。

まわりは、スーツ姿の学生や

汗をぬぐいながらハガキの束をポストに放り込む

就職活動生をちらほら見かけるようになりました。


そう、当時は就職氷河期真っ只中。


みんな必死にやっています。



人ごとのように書いていますが、

私だけ氷河期ではなかったわけではありません。


成績も芳しくなかった私は、卒業に一生懸命だったということもいえますが、

私には、就職活動をしなくてよかった理由がありました。


表題の通り、大学院生になるつもりだったのです。


しかし、成績も良いわけでもなく、

それと比例してか、勉強熱心だったわけではありません。

というか、卒業すら危ない状況でした。(苦笑)



そんなある日、ゼミの飲み会があったのです。


その飲み会のときに教授から、


「もう一年覚悟しといてね。」と言われました。


「はい。」とはこたえたものの、

正直、目の前がグレーがかりました。

親になんて言おうって・・・・。(苦笑)


しかし、そのとき、私の強運(?)なのか何かわかりませんが、

同級生の一人が、よく通る甲高い声で、

声をかけてくれたのです。


「kegくん大丈夫??? こないだ病院に運ばれたんやろ??」と。


その大きな声は、もちろん教授の耳にも飛び込んだのはいうまでもありません。



そして、帰り際に教授がスタスタと横まで歩いて来てくれたのです。


その時にかけられた言葉はただ一言。

「今日、私はkegくんに何かいったかな??」だけです。。


その教授の優しさに、男気を感じたのと同時に、

なんだかいたたまれない気持でつつまれました。



たしかに、胃がものすごく痛み、病院に運ばれたのは確かです。

そして、その後もずっと胃痛は続いていました。


しかし、その痛みが、DJの大きなイベント のせいであったことはもちろんですが、

そもそも、ゼミを休んでいたのは事実であり、自分です。


そこで、そんな気遣いをを見せてくれた教授には

普通の感覚ならば、やっぱりいたたまれなくなりますよね。。


しかし、今の自分があるのも、その教授の一言から。

と考えるのであれば、今でも感謝しても感謝しきれません。



そのちょっとした事件から、私と教授の距離は非常に縮まり、

ちょくちょく話をするようになっていきました。


そして、その教授が私の通っていた学部の学部長であったこともあり、

「kegくん、大学院でみっちり勉強してみないか??」

という言葉につながったのです。


私は、そこから就職活動とは無縁の

卒業だけを考える4回生の夏を過ごすことになったのです。



その時の私について少し。。


私は法学部に通っていたのですが、

そもそも法律についてとか政治についてとかの

専門性を求めていたわけでも、

プロになろうと思っていたわけではありません。


法学部を選んだのも、単純に

まわりがみんな、経済・経営関係の学部に行くのをみて、

人とは違うことをしたいって思っただけです。(苦笑)


そんな自分が大学院に行くとなっても

明確な目標なんてあるわけもありませんし、

正直、その教授には申し訳ないですが、

あと2年くらい遊べるってな程度のものでした。(スイマセン。。)



そして、必死に汗をかいて活動している就職活動生を横目に、

今までの3年間と変わらない大学生活を過ごしていたのですが、

こんな自分に影響を与える、ある事件が起きてしまったのです。。



その事件と、その後の私については次回で。