今日も地道な作業を終日やっていたのですが、

それと並行してちょっとした話も進んでいます。


これらのことは、ひとつのサービスをオープンさせるためのプロセスなのですが、

その企画からアプローチ、そして交渉まで一人でやっていますので

正直、疲れが出ないといえば嘘になります。


そんな作業ベースの地道な業務や難易度の高い(?)交渉を

こうやってコツコツくじけず粘り強く行えたのも、

きっと、今創りあげているそのサービス自体に

何か確信というか実感値の伴った夢があるからなのかもしれません。


もちろんすぐにその夢が実現するわけではありません。

しかし、第一歩がなければ第二歩も第三歩もないのも事実です。


そして、その第一歩を踏み出すときは、

得てしてそういった地道な作業も頭を悩ませる様々なことも

いろいろあるのが普通だと思いますし、

逆に簡単にできるものじゃないからこそ価値があるとも思っています。

まあ、「生みの苦しみ」というやつですね。(笑)



ただ、気をつけなければいけないのは、

第一歩を踏み出したのはいいけれど、第二歩がない状態です。

いわば「点」が「線」になっていない状態ですが、

「点」は「線」にならなければ人に見えないのです。


では、きっちりと「線」をひくために必要なことはなんなのか。


「線」が「点」の連続体であるならば、結局のところ

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次の一歩がきっちり見えていて、そしてそれが実行可能である。

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このことに尽きるのではないでしょうか。



まだまだ目に見えない「点」(もしくはそれ以前の)状態のこのサービス。

しかしなんとかここまでこれたのも、

これまでのいろいろな積み重ねがあったからこそだと思います。


その積み重ねを無にしないためにも、

しっかりと、「点」を「線」に、もっというと「面」にまで

つなげていけるようにやっていければと思います。

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「人の振りみて我が振りなおせ。」という言葉がありますが、

今日はまさしくそれを感じた一日でした。


というのも、今日夕食で話していた会話の内容が

今の職場に異動した当時の私の状況にそっくりで、

その会話の話し手が私と一緒に仕事をしていた人の状況に酷似していたのです。



当時の私を振り返ってみると・・・、


(ある事情により)その業務につく期間が、

おおよそ2ヶ月という限られた時間という状況でした。

なので、その理由だけではありませんが、

一緒に仕事をしている人の気持なんて気にする暇もなく、

ただがむしゃら(?)に結果を残そうとしていたように思います。


しかし、それって私自身はそれでよかったかもしれませんが、

その時一緒に仕事をしていた人の気持については、

極端な話、無視していたのかもしれません。

もしくは無視しているとまではいかなくても、

少なくとも受け止めることは出来ているとはいいがたい状況でした。



今考えてみると、その2ヶ月という与えられた時間の中で

どうやっていくかであったり、もしくはどのような結果を残すかという視点は、

結局、私の勝手な独りよがり以外の何物でもないんですよね。


もちろん早く結果を残すことに越したことはありません。


ただ、その前提はビジネスのためということ以上に

自分のためだったようにも思います。


なぜならば、その2ヶ月という時間は私だけの機軸であって、

他の人には関係ないからです。


そんな状況のなかで結果を出そうとする私の動きは、

結局いい循環を生み出すものになるはずもなく、

今日の話をオーバーラップしながら、

「そうか、きっと一緒に仕事をしていた人もこういう風に感じてたんだろうな。」

と、容易に感じ取ることができました。


もちろん、今の私の置かれている状況は、その当時に比べると変わってはいます。

しかし、だからといって過去のものだと風化しては意味がありません。


なので、これからは今日の話を決して他人事にせず、

私自身の教訓のためのいい機会だと受け止めて、

今後そうならないように意識していこうと思いました。




きっと物事においてはいろいろな要素要因が複雑に関係してくるものだとは思います。

もちろん、その当時の状況自体もそのいろいろな要素要因が絡んでのことだったのかもしれません。


しかし、少なくともその原因が自分にあるのであれば、

今後は一緒に仕事をやっている人が、

今日聞いたような話をしない状況を提供できるように、

さらなる向上を目指していこうと思います。




そして、あくまで後日談というか結果論になってしまいますが、


その当時から2ヵ月後の自分はといいますと、

その当時予定していた状態にはなっておらず、

もっというと全然予期していなかった別の変化も起きており、

「あのときってなんだったんだろう・・。」という感じでもあります。(苦笑)


結局、今から考えると、その変化がいい悪いという視点以前に、

とらわれる必要のない小さなことに

単純に振り回されていただけかもしれませんね。


今日はそんな話にうなづきながらも、

自分もそう思われていたんだろうなとつくづく感じた一日でした。

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反省

テーマ:

今日はいろんな意味で自分に反省です。


ちょっとこれまでを振り返ってみると、

なんだか自分の正論を振りかざし過ぎていたのかなと。。


ビジネスなんて所詮正解のない世界だけに、

いろんな視点やいろんなアプローチがあって当然です。


もちろん、定石は確かに存在します。

しかしそれが必ずしも正解とは限りません。

いわば定石に従えば正解に近づき「やすく」なるだけです。


確かにこれまで、運よくいろいろな場面で

「結果としての成功」を経験してきたと思います。


しかし、それはひとつの結論というか見方であって、

もしかすると別の方法でアプローチしたらもっとうまくいったかもしれません。

だとすれば、それは極端な話、成功でもなんでもなくて普通(もしくは失敗)です。


もちろん、これまでの成功(と思われること)を否定するつもりはありませんが、

もうちょっとそういったことも踏まえて

自分の正論押し出しすぎるのを控えてみようと思いました。



ミーティングなどで時々、他の人が口を開かないことが気になります。

でも、それってもしかすると他の人が単純におとなしいのではなくて、

私の意見のせいなのかもしれません。


例えば、ロジックがしっかり通ったディスカッションの場合、

受けるほうもロジックを通さなければダメだという空気になりがちですよね。

「ちゃんと話せないもの口を開くべからず」のような。。


でもそれっていいことでもなんでもなくて、

自由な意見の自由な発想から生まれるものだってあるのです。

実際私自身もこれまでそれを地でやってきた人間だと思います。(笑)

なので、もっともっと自由な発言ができる空気をつくるように心がけていこうと思います。



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組織に緊張をもたらすべからず。

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ですね。


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今日は仕事終了後、喫茶店(というかモスバーガー)で、

ドリンクを飲みながら、今ぼんやりと頭に浮かんでいる

ふたつのことに思いを巡らせていました。


ひとつは今関わっているビジネスの今後について。

こちらは、なんとなくですがストーリーが浮かんでいましたので、

それを整理する意味も含めて、そもそも目的と

その目的を実現するためのあるべき姿から逆算した大まかな流れを。


そしてもうひとつは今頭に浮かんでいる新しいビジネスについて。

こちらは、世の中の人に受けるサービスだとは思うのですが、

いまひとつ収益性が見えていないので、

どこで収益をあげるのかをその姿と照らし合わせながら考察。


最近、ずっと頭を使わない地道な作業が続いていますので、

たまにはこういう機会を持って頭の体操をするのも必要です。

(ある意味息抜きなのかもしれませんね。 笑)

ただ、前者に関してはいまやっているその地道な作業を

今後のサービスにいかに活かしていくかという視点も入っています。



ただこうやって改めて考えてみると、いろいろなことが頭をよぎります。


その中でも今関わっているビジネスに関して思ったことを、

ちょっと書き留めておこうと思います。


今関わっているビジネスは、(例に違わず?)限られたリソースの中で進めています。

ですので、当然ながら一気に全てのことをやっていくのは不可能です。

なので、ひとつひとつの業務が現状において最も解決しなければいけない課題というか、

注力すべきところにきっちりつながっている必要があるのですが、

いまひとつそれぞれの動きがリンクしていないというかバラバラな印象をうけます。

おそらく、それぞれの業務のそもそもの必要性やあるべき姿が見えないからでしょうね。



ビジネスモデルとか戦略とか良く耳にしますが、

これって私的には同一線上にあると思っています。

ビジネスモデルが「儲けを生み出す仕組み」であるならば、「儲かる」理由が必要です。

そして、その「儲かる」理由は、当然ですが「顧客」のニーズにつながります。


例えば、そもそも外でお酒を飲みたいというニーズがなければ、

バーをつくっても意味がありません。

結局、前提として外でお酒を飲みたいというニーズがあるからバーをやるのです。


ただ、そこで漠然とバーを始めてもどうすれば繁盛する(儲かる)かわからないから、

外でお酒を飲みたいと思う人の気持やシーンなどを知る。

そして、その気持やシーンにマッチしたメニューや内装を作る。

その人たちの目につく場所に広告を打つ。

その人たちが足を運びやすい場所に店をつくる。

その人たちの価値観やシーンや満足度に合わせた価格を設定する。


であるならば、「顧客」を知るということはどんな状況でも必要になります。

もし明確なビジネスモデルが無いならば、まずはそれを徹底的に考える必要があります。

もちろん、起点は「顧客」です。


それらの行動を行うことで、もしかすると、今なんとなく進んでいる業務を

全面的に見直すことが必要になるかもしれません。

しかし、それは今までやったことが無駄になったわけでもなんでもなく、

これ以上無駄な時間を費やすことを回避できたという意味では有益だと思います。


正しい行動は正しい前提(方向性)のもとにやらなければ意味がありません。


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「ないならつくればいい。」

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この言葉は、私が東京に出てきて始めて新規事業に関わったときに学んだ

自分にとっての大いなる行動指針ですが、

その時の気持に立ち返って、今こそやるべきなのかもしれませんね。

上野で日本画鑑賞

テーマ:

若冲展


今日は、午前中から人的資源管理のキリンビールのケースで頭を沸騰させた後、

本日で最終日となってしまった「伊藤若冲と江戸絵画展」を観るために上野へ。


伊藤若冲も江戸絵画もそんなにポピュラーでもないし、

まあ気軽に観覧できるものかなとタカをくくっていたら、

上の写真の通り、入場規制で大行列。。。(なんと40分待ち)


館内に入っても、ヒトヒトヒトヒト、そしてヒト。。。

絵画を見たのではなくヒトを観にいったようなものでした。(苦笑)

(実際に「なんとかしてくれ」と係員に詰め寄るお客さんもいました。)


ただ、たくさんの人が来るのは避けられないとしても、

この状況のなかで、もっと観覧者(いわばお客さん)にとって、

例えば、スタッフが誘導をしっかり行ったり、

観覧順路に完全に沿って2名以上歩けないようにロープなどで制限したり、

(銀行のATMのイメージです。)

入場者をグループ化し時間ごとに観覧フロアを移動させるなどのアプローチによって

もっと快適に見られる環境を提供することもできたのではないかと思います。


ま、そもそも私が混雑が予想される最終日の

混雑する時間に行くことを避けるといったことが一番賢明だったのかもしれませんが。。。(笑)



そして、肝心の絵画に対する感想ですが、

普段間近にしっかりと見ることのない日本画に触れられた新鮮さはもちろんのこと、

そのなかでの発見として、○○派といった代々受け継がれる世襲的な側面があるがゆえに、

求められるテイストの絵画をコンスタントに提供していくことが前提になるので、

アーティストとして本来持っていると思われるオリジナリティを

なかなか発揮できにくい環境にあったといえます。

なので、作品のディテールに対するこだわりが、

日本画の緻密で繊細な世界観を生み出したのではないかと思いました。


たまには絵画展もなかなかいいものですね。

(今日は疲れましたが・・・。 苦笑)

よく、経営資源として「ヒト・モノ・カネ・情報」といわれていますが、

私は最近、それに加えて「時間」という概念が

非常に重要だと考えるようになりました。


その「時間」を有効に使うには、

当然ながらスピードを上げていかなければいけないのですが、

スピードをあげるためにはどうすればいいのでしょうか。


例えば、掃除を考えると、

(求められているレベルのクオリティを実現することを前提として)

やり方や道具を変えることで効率をあげれば

当然ながらかかる時間は短くなります。

では、掃除をする人間を増やせば時間は短くなるのでしょうか。


私は、単純に増やすだけでは時間は短くならないどころか、

かえって時間がかかる場合もあると思います。


確かに、量的要素として大きなインパクトを生み出す可能性はあります。

しかし、極端な話、そもそも増えた人が掃除をする意識がなかったり、

掃除をしようと思っても、例えば掃除機が必要な場所の掃除であるにも関わらず、

掃除機を他の人が使っているという、物理的に掃除ができない状況に陥ってたり、

掃除をしていたも、誰かがやったところと同じ場所の掃除をしたりといった

意味のない掃除をしていては、当然と言えば当然ですが時間は短くなりません。


その状況を避けるためにも、

掃除取りまとめ担当(昨日のブログでいう現場監督)は

しっかりと掃除要員の交通整理をしなければいけません。


まずは、求めているレベルのクオリティになるためには、

どこをどのくらい綺麗にするかを認識し、

そのために、どのくらいの時間と人数が必要かを把握する。

そして、そのために適正な持ち回りを設定し、

あとは、道具をそろえたりして動きやすい環境を用意する。

時には頑張っている掃除要員にジュースの差し入れなどをして

息抜きやモチベーションアップのための施策を講じる。


そいうことを行っても、いざ実際の掃除が始まると

例えば、上記のように他の部屋の作業が長引いて、

使えるはずの掃除機が使えないといったような問題も起きてきます。


そういった状況を打開することも当然「交通整理」に含まれます。


そこで何の手立ても打たず(打てず)、

その掃除要員の空き時間を作ってしまえば、

結果として全体の時間はかかってしまいます。


その掃除要員は「ヒマだ」と思うかもしれませんが、

それは、決して「良いヒマ」ではなく、

いわば後々に大きな影響を与える「悪いヒマ」です。

結局最後は自分たちの首を絞めかねませんしね。(苦笑)


では、「良いヒマ」とはどういう状態をいうのでしょうか。


私は、ひとつに予定していた業務が予定以上の速さで片付き、

余裕をもっている状態だと思います。


というのも、その余裕があるからこそプラスαのことが行えて、

結果、時間的にも状況的にもよい状態を生み出すことができる。

そして、それがあるからさらにまた余裕が生まれる。

このサイクルが見えるからです。


であるならば、掃除取りまとめ担当は「悪いヒマ」をつくらずに、

「良いヒマ」をつくりだせるように注力すべきで、

それができなければ、決して良い掃除取りまとめ担当とはいえません。


掃除機が使えないなら、掃除機を使わない他の作業を見つけ、

それを手が空いた掃除要員にあてがったり、

もしくは、その時間のかかっている部屋が人数を増やすことで

もっと早く終わらせることができるなら、

そこにその人員を向かわせるなどの施策があるはずです。

(もちろん本当にヒマなのかどうかを把握する必要はあります。)



なんだか最近私の周りが静かに感じますが、

それが「悪いヒマ」でなければいいのですが・・・。

チームとしての理想形は、やはり個人個人のシナジーを発揮し、

1+1が4にも5にもなる状態を作ることだと常々考えています。


では、その状態を作り上げるためにはどうすればいいか。


「TPO」というキーワードもそのひとつかなと思います。


適切なタイミングで(適切な時間をつかって)、

適切な場所で、適切な場合において物事を進める。

不必要に個人の時間を奪っては、足し算になるどころか引き算になってしまう場合もあります。


その最たる例のひとつがミーティングだと思います。


例えば、個人の課せられた業務に充てる時間を割いてのミーティングの場合、

そのミーティングが緊急を要すものであったり、重要なものでないなら目も当てられませんが、

もし重要なものであったとしても、場合やタイミングを間違えれば同じです。


ではそのTPOをどうやって見極めるのか。


シンプルにいうと「目的」とそこにたどり着く「プロセス」の明確化だと私は思います。


ミーティングはなんらかの目的のもと行われ、

その目的達成へのプロセスも当然ながらあります。

そしてそのプロセスの中には外すことのできないポイントが存在し、

極端な話、ミーティングはそこについて「だけ」行うものかなと思います。

(それもできる限り短い時間で)


そもそも結果としての状態(←姿や形ではありません)が明確になってないとか、

そこまでのプロセスが固まっていなかでのミーティングは

時間の浪費に終わってしまう可能性もあります。



なので、(あくまで理想形ではありますが)ミーティングを行う際には、

まずは、求める結果の状態を明確にし、そこまでのプロセスを共有する。

そして、そのプロセスの中で全員が必要なポイントとそうでないポイントを明確にし、

短期的でも目安的なスケジュールを設定する。

あとはそれに沿ってやるべきことと、(必要であれば)役割分担までできればベストだと思います。


そして、そのことをミーティングの主催者がしっかり認識していないと

結局、出ている人が「何だったんだ」と疑問に思うばかりか、

業務負荷等で忙しい場合、「おいおい、こんな無駄な時間をつかわせるなよ」と

必要のない不満の種にもなり、悪影響にもなりかねません。


時に、ミーティングを設定する人が円滑な議事進行や議論のために、

たたき台的な材料を用意する場合もありますが、

それはあくまで正しいプロセスの上で行うべきであり、

前提としてやるべきはたたき台を用意するよりも前に、

大枠のプロセスの中でのアジェンダを設定することなのかもしれません。

結局それが「ゆるい(甘い)」状況の中でのアクションは、

意味のないものになってしまう可能性もありますしね。



「建設的な議論」とよく言われますが、

いわばミーティングも建築も一緒のように感じます。


的確な設計図がない中では目指すアウトプットは導けない。

まずはきっちり設計図を作り、必要な過程や材料を洗い出す。

そしてその材料調達や細かい組み立ては個別に行い、

それらを総合的にまとめる作業は全員で行う。


もし、現場監督が家が建つまでの過程を知らなければ、

現場の作業員がそれぞれ持ち味というかスペシャリティを持っていたとしても、

それを活用することはできないばかりか、

そもそも家を建てることすら危うくなるかもしれません。


現場監督はあくまで建築を行う場を整備することが仕事です。


実は私自身、このことに最近気づいたばかりですが、

今日はそのことを改めて実感した一日でした。

ターゲット設定

ビジネスを起すにしても、広告を制作するにしても、雑誌の特集を創るにしても、

それが商業ベースである以上、「誰に向けてのものか」という視点は非常に大切です。

(というかそれがないとできません 笑)


まあ、「誰に」「何を」「どのように」の「誰に」の部分です。


というわけでターゲットを決めようという話になるのですが、

そこでのターゲット設定って私の実感値ではありますが、

結構中途半端になっているのをよく目にします。


「年齢と年収と家族構成を考えてハイ終わり」というのは論外ですが、

それに毛が生えた程度では、「どのように」なんて見えるわけありませんし、

「何を」すら見えないこともあります。


結局、ターゲットを考えるという作業は、

的確なアクションを導くための手段であって、

決してそれ自体が目的ではありません。


にも関わらず「こんな人がいそうだから」だとか

「自分がイメージしやすいから」とか

もっとひどいのになると、「なんとなく」なんて

目も当てられないノーロジックな言葉を耳にすることもあります。


極端な話、そこを見誤るかどうかでビジネスの成否すらわけることにもなるのです。


そこはきっちり、

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1)「○○だから○○な人がいる」

2)「そしてその○○なひとはきっとこういう不○があるはずだ」

3)「その不○を解消するためにこんなサービス(モノ)を提供しよう」

---------------------------

と、言葉のしりとりロジックを積み上げていくべきだと思います。


もしくは仮説逆算的に、

---------------------------

1)「○○に対して○○な不○があるかもしれない」

2)「その不○を抱く人は○○のような人かもしれない」

3)「もしそんな○○な人がいるならば○○の方法でその不○を取り除いてはどうだろう」

---------------------------

という考え方もあるかもしれません。

(もちろん上記2つともに要検証であることはいうまでもありません)


ちなみに、上記のいたるところに「不○」という言葉を使ったのは、

「世の中のサービスのヒントは「不」のつくところにある」という格言(?)からですが、

結局、人間が行動に移さない(移せない)のは、

何らかのキーとなるボトルネックがあるわけで、

シンプルにいえばそれを解決できる「何か」を「適切に」提供すればいいのです。


ただ、そのボトルネックを見つけるのも難しければ、

それに対する解決案を提示するのも簡単ではありません。


なので、ターゲットをしっかり把握する必要があるのです。



例えば、自転車に乗れない小学生がいたとします。

そこで、その小学生の家族構成とかお小遣いの金額とか、

勉強ができるできないがわかったところで、

その小学生が自転車に乗れる方法を提示できますか。


このケースの場合、その小学生が自転車に乗れるようにするためには、

背が低くて足がとどかないという身体的要因なのか、

(↑ex:足の届く自転車を用意する)

バランス感覚が悪いなどの運動神経(?)的要因なのか、

(↑ex:補助輪をつけてあげる)

そもそも自転車に乗ったことがないという経験的要因なのか、

(↑ex:こけても怪我をしないサポーターをつけて、練習する時間と場所を用意する)

はたまたそれ以外の要因なのかをしっかり見極める必要があります。


そのためには、その小学生と置かれた状況を知らないといけません。


結局はイシューに直結した要素をひとつひとつクリアにしていき、

そして、そこにイメージを助けるためにその人の環境を添えていく。


「自転車に乗ろうと思っている小学生がいる」(←事実)

「その小学生は背が低い。」(←事実)

「その小学生が乗ろうとしている自転車は大人用だ。」(←事実)

「だから、その小学生は自転車に乗れない。」(←(精度の高い)解釈)

「なので、子供用の自転車を用意しよう。」(←その解釈に対するアクションプラン)

といった一本通ったロジックですね。


もちろん、世の中のことはこんなに単純ではありませんので、

いろいろな要素・要因が絡み合っています。

直接的ではなく間接的にその「不」のある状態に結びついている場合も多々あります。

しかし、ロジックが通っていればターゲット設定ができたときに、

具体的なアクションプランまでは見えなくても、

解決のためのベクトルの方向くらいは見える状態になっているはずです。


前にも書いたネズミの話でいうと、

「近くにネコが住んでいる」(←事実)

「しかし、(何らかの理由で)別の場所に引っ越すことはできない」(←事実)

「だから、いつもビクビクしながら生活しなければいけない」(←解釈)

※「ネコが近づいたことが事前にわかればその不安も解消する」(←大枠のベクトルの方向性)

「よし、ネコの首に鈴をつけよう」(←大枠のアクションプラン)

「でも、どうやって鈴をつければいいのだろう」(←具体的なアクションプランの思案&試行錯誤)

というの中の※部分くらいの感覚ですね。



もっともっとターゲット設定を行う意味を考えるとともに、

時間ではなく思考をかけるというスタンスが必要だと思います。

(もちろん私自身も常に意識しなければいけないことですが。。)


ちなみに私が私なりにターゲット設定に際して心がけていることは、

いきなり年齢とかから入るのではなく「なんで」からスタートすることです。

日曜はブルーノートでファラオ・サンダース、

本日はSTB139にて綾戸智恵と

二日連続でジャズライブを聴きにいきました。


ファラオ・サンダースに関しては、

私自身JAZZレコードを漁りまくっていた時代に、

大きな衝撃を受けたアーティストの一人です。


その時の感動は今でも覚えていて、

こんなに魂のこもったサックスを吹くアーティストはいないと

すぐに他の作品を探しにいったのを覚えています。

(しかもリイシューではなく貴重なオリジナル音源を探しました。)


そのアーティストが間近に見れるとあって、

日曜は朝からファラオ・サンダース祭り。

手元にある音源をずっとかけてテンションをあげまくってのライブ。。


開演してさっそくジョン・コルトレーンのナンバーを演奏しはじめたところで、

「いよいよくる、いよいよくる」と、もう期待満々でした。


ところが・・・・・、





なんと、そこからスピリチュアルなライブを展開するどころか、

ステージの袖まで歩いて座りはじめるじゃないですか。。


しかも、その間はバックバンドのピアノやウッドベースのソロ。


その後も、期待していたスピリチュアルなライブも無く、

サックスもメインでガンガン吹くわけでもなく、

サラサラッと吹いては再びステージの袖へ。。。

マイクを持ったと思ったら歌いだす始末。。


いや、メインのサックスプレイをしっかり聴かせてくれれば、

もっというと期待通りのスピリチュアルなステージを見せてくれれば、

バックバンドのソロも意外性のある歌声も、

『それも』聴けてよかったね。となっていたはずなのに・・、


まるでメインディッシュのない前菜とデザートだけのディナーといっても過言ではない内容でした。


そして、「年も年だし、きっと最後の最後にとってあるんだ」という淡い期待もむなしく、

アンコールも無いまま終了。。


結局、血眼になって探したオリジナル音源のレコード3枚に

サインをしてもらって家路につきました。


しかし、この文面から十分伝わると思いますが、

別にサインが欲しくてライブに行ったわけじゃないんです。

あの脂がギトギトのったサックスが壊れるくらいの楽曲を

本人を目の前に生で聴く贅沢を楽しみたかったんです。


行く前のイメージでは汗だくになって演奏している姿を想像していました。

(しかし、実際は汗ひとつかいていませんでした・・ 苦笑)


期待しすぎたのが悪かったのですかね。

いや、プロであるなら客の期待に応える(いやそれ以上の)

価値を提供すべきだと思います。(間違ってないですよね??)


なんだかイメージをずっとイメージのまま

思い入れのたくさん詰まったレコードに閉じ込めておけばよかった

と切に思った日曜でした。



ちなみに、今日のライブはテレビやラジオで受ける

綾戸智恵のイメージそのままのおしゃべり&ライブで楽しめました。

読書会

テーマ:

今日(というか昨日)は、4月に受講した「組織行動とリーダーシップ」の

講師とメンバーにて読書会を開催しました。

読書会のお題は、ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則 です。


ビジョナリーカンパニー2


事前に本書を読んで、自分にとっての学びと示唆、

そして疑問点を簡単なレポートにまとめ、読書会にて共有するのですが、

内容自体非常に面白く、そして学び多き会でした。


というのも、実際にピックアップする点に関してはそれほど差異はありません。

ただ、それに対する解釈や考えや視点が違う。

もちろん正解のない世界ですので、それが非常にいい刺激というか

「なるほど、そういう見方もあったのか」と感心させられました。



本書の内容に関しては、「良好」から「偉大」へと成長した

11社の企業の共通点を膨大な資料の中から見つけ出し、

その中でのリーダーシップや組織運営、

事業への取り組みなどについてまとめられたものでしたが、

そのひとつひとつが非常に示唆に富み学び多き良書です。


レポートにも書いたのですが、私自身特に印象深かったのは、

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■適切な人をバスにのせる

⇒最初に人を選び、その後に目標を選ぶということ。

反対に適切でない人は雇わない(もしくは去ってもらう)ということ。


■針鼠の概念

⇒「自社が世界一になれる部分」、「経済的原動力になること」、「情熱をもてるもの」の

3つの円の重ねあったところのみに目を向けてそこに注力していくという点。


■弾み車の概念

⇒「偉大」への成長へのきっかけは大きな出来事ではなく、

「針鼠の概念」にそった小さな活動の積み重ねであるということ。

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の三点。


前作「ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則 」も非常に学び多き良書ですが、

続編(?)である本書もそれにもましておすすめです。



また読書会についても今回に引き続き、第二回もぜひ開催できればと思います。