効率と生産性とクオリティ

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効率と生産性とクオリティ。


いきなり、変なタイトルをつけてしまった今日のブログですが、

結構、深い問題だと私は考えているので、

あえて今日のテーマにしようと思います。


辞書で調べると、

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こう‐りつ〔カウ‐〕【効率】
1 機械などの、仕事量と消費されたエネルギーとの比率。「―のよい機械」「熱―」
2 使った労力に対する、得られた成果の割合。「―のよい投資」

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せいさん‐せい【生産性】
生産過程に投入される生産要素が生産物の産出に貢献する程度。

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クオリティー 2 [quality]
品質。性質。
「ハイ-―」「―-ライフ」

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と、ありました。


まあ、これを見ると(というか見なくても)、

効率と生産性は近似性をもっていて、

こと、制作においては、最後のクオリティがでてくると思います。


では、効率よくクオリティの高いものを、

世の中にだすためにはどうすればいいのかという話になるのですが、


その時に、考えなければいけないのは、

クオリティが高いという時の「高い」の基準は、

どこにあるのか。ということです。


例えば、「効率(もしくは生産性)」

これって、数対時間で算出できますよね。

単純に1時間に60個作る人と、1時間に20個作る人では、

生産性という観点では、60個の方が高いです。


では、ロークオリティのものを60個と、

ハイクオリティのものを20個。


どっちがいいのでしょうか。。


もちろん、求められている状況にもよります。


しかし、同じ人間が、

ロークオリティのものを1個つくるのに、1分必要。

反対に、ハイクオリティなら1個、3分。

ならば、まったく同じ条件ですよね。

もちろん、3分かかってロークオリティ1個は問題外です。


ここで、私はひとつの考えがあります。


それは、上記の計算はあくまでインプット(プロセス)であり、

どちらがいいのかの判断はアウトプットで見るべきだということです。


例えば、作るものが製品だとして、

ロークオリティのものが、1ヶ月もつとしましょう。

反対にハイクオリティのものが3年もつならば、見えてきますよね。

同じ条件でハイクオリティが2ヶ月でも同じように見えてきます。


しかし、物事はそんなに単純ではありません。


その判断って、それ以外に何を機軸にすればいいのでしょうか。


主観だけならば、間違いなく「ハイクオリティ」なんですけどね。。(笑)

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今日は特にトピックスもなければ、特に大きな出来事もなく・・。

こんな日は、ブログを書くのも困ります。


まあ、いつもなら小さなことを拾い上げてネタにして書くのですが、

うーーん。難しいですね。。


というわけで、今日あった出来事だけではありませんが、

日々感じていることについて書こうと思います。


その日々感じていることとは、

ズバリ、「コミュニケーション」です。


世の中では「コミュニケーション能力が大事だー。大事だー。」

と声高に叫ばれていますが、


果たして、「コミュニケーション」とはなんぞや??

という疑問に明確にこたえることのできる人は

どのくらいいるのでしょうか。


確かに、会話もコミュニケーションですし、

このブログも、広義ではコミュニケーションです。

しかし、ビジネスにおいて、本当に大事なコミュニケーション能力は

きっちり存在すると思っています。


私なりの言葉でそれを書くと、


・伝えたいことをきっちり最短の時間で伝えること

・相手の気持を損なわずに自分の意図している方向へもっていくこと

・「で??」といわれないこと


ですか。。


もちろん他にもたくさんあるとは思いますが、

このコミュニケーション能力をうまれ持った人もいますし、

意識しても出来ない人もいます。


その違いはなんなのでしょうか。


私は、これはちょっと考えるだけで解決すると思っていました。

相手の立場で考える。ということであったり、

相手が何を言わんとしているか即時に察知することであったり。。


でも、できない人もいるんですよね。。


ちょっと考えればわかるはずなのに、

ちょっと意識すれば出来ることなのに。。


そういう人に、コミュニケーション能力を身につけさせるためには

どうしたらいいのでしょうか。


もしかすると、先日のブログで書いたように、

「育てるということ自体が間違っている」のかもしれません。。。


話に論理性を求めても、きっとそういう人はできないでしょうし、

社交的になれ。というのも間違っていると思います。


ただ、コミュニケーション能力は、

全てのビジネスの基本であり、それがあることによって、

様々なことが解決していくことも多いと思います。


まあ、それを教えることのできない私が言うのもなんですが、

社会人として、最低限必要な能力はコミュニケーション能力であり、

そればかりは、避けて通れない道だと思っています。


うーーん・・。


「コミュニケーション。。」


簡単なようで、できない人には実は難しい、この概念。

だれか紐解いていただきたいですね。

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すべては相手のために

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昨日の今日ではありませんが、

今日、ひとつの大きな(?)決断をしました。


それは、いままで育てて、なんとか戦力にしようと思っていた

ライター君には忍びないですが、

今やっている仕事の主要なライティングに関しては、

外注の人にお願いすることにしました。


その外注の人は、前職からの付き合いで、

私が前職を辞めるときに、

本当に残念に思っていただいた方のひとりです。


まあ、自分がそれだけの人間かどうかわかりませんが、

少なくとも、辞めるときに、

「もし、一緒に仕事が出来る機会があれば是非声をかけてほしい。

その時は、絶対に一緒にやりましょう。」

といってくれた言葉を信じて、


この状況で頼めるのは、そのライターさんしかいないと思い、

忙しいのは承知で連絡をとりました。


正直なところ、金額的においしい仕事ではありませんし、

今、その方がやっている仕事に比べれば、

面白みもそんなにあるわけではありません。


しかし、その方は私のそんなお願いを、

快くうけてくれたのです。


本当にありがとうございます。


これで、私の心の中での懸念事項がひとつ減りそうです。


ただ、無理をお願いしているのはわかっていますので、

スケジュールや依頼方法などを考慮して、

できるだけ書きやすい状況を提供できるようにしたいと思います。



今日のこの出来事を通じて感じたのは、

あの時のあの言葉は社交辞令ではなかったんだなということと、


自覚があったかなかったかは別として、

私という人間を信じてもらえる仕事が、

今まで出来ていたんだなということです。(手前味噌ですね 笑)


それは、仕事をやっていくうえで、ものすごい喜びです。



前々回にも書きましたが、

人のつながりはずっと残ります。


もちろん、それに頼りきりでは続きませんが、

その人に対して誠実に仕事をする。

って本当に大事だと再認識した今日の出来事でした。


おそらく、そのライターさんは読んでないとは思いますが、

とりあえず、本当にありがとうございます。





そして、今仕事に関わっているライター君へ。


いきなり、仕事量を増やした私の責任もあります。

そして、基準を前職までのレベルにおいていたことも。


しかし、今後ライティングを仕事としてやっていくためには、

今の状況くらいは、ラクラクこなせるくらいでなければ無理だと思います。


これからは、外注の方の仕事をみて、自分を見つめなおしてください。

なぜなら、いま自分がやっている仕事量を、

金額面や時間面で三分の一でこなしていけるのですから。


ただ、見捨てたわけではありません。

成長のための道は残していますし、

成長すれば、今回外注の方にお願いした仕事を

再び戻すこともできます。


しかし、本当にそれは「成長」が大前提です。


そして、もし、今と変わらない仕事をしていくのであれば、

残念ですが、その次のステップを考えざるを得ないかも知れません。。


まずは、「悔しい」を実感してください。

そして、自分をもう一度振り返ってください。

何が足りないのか、何が出来るのか。


そして、もう一度チャレンジを。


今のままでは、自分だけの問題ではなく、

他の人に迷惑をかけすぎています。


それを自覚してください。



とってつけたようにいうけど、「頑張れ!!!!!」


それだけです。

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人の成長を支えるもの

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私の師匠が、自身のブログで、先輩から聞いたこととして、


>「社員を育てよう、というのは発想が間違っている。

>『社員を育てる』のではなく、『育ってくれそうな社員を

>見極める』べきだ。」と言ってました。


ということを書いていました。


以前にも、「育てる」ということでかなり悩んでいたときがありましたが、

今日は、本当に実感しました。


もちろん、この引用したブログでは、

「意識レベルが大事だ。」とつなげているのですが、

私は、もうひとつそこに付け加えたいと思います。


それは、

「意識レベルと自身のスキルの自覚が伴わない限り、決して成長はない」

ということです。


では、「自身のスキルの自覚とは。」

ということになるのですが、普通に「自覚」と書けば、

「謙虚さ」であったり、「学ぶ姿勢」であったりします。


しかし、ちょっと考えてみてください。


これって、基本的に普遍的に人間が持っている成長欲求の手段ですよね。


私の言っている「自身のスキルの自覚」は、

この考えとはちょっと違います。


ある意味、感覚的な話になってしまって、ちょっと恐縮ですが、


「自分に、その道に対する嗅覚があるかないかを認識できること」


だと思っています。


たとえば、「プロサッカー選手になりたい!」と熱望して、

努力に努力を積み重ねても、

その天分を与えられた一部の人間しかなれないように、


特に、特殊(?)な力量が必要になってくる分野では、

「なりたい(やりたい)」=「できる」にはならないのです。


もちろん、経験や知識を増やしていくことは必要ですし、

実際にそれがなければやっていけません。


しかし、この場合の経験や知識とは、

その業務において最低限のベースがあってこそ

積み上げられるものだと思っています。


だからこそ、世の中の特殊な力量が必要な仕事は

収入が得られるわけで、


これがそうでなければ、ある意味、Macが普及したときの

「自称デザイナーくん」増加現象のように、

もっと言えば、ギターのスキルも、歌唱能力もない人たちが、

簡単に音楽表現のできる場と勘違いした、

「家DJくん」が増えたのと、まったく変わりません。


まあ、私が言うのもなんですが、

プロとそうでない人の間には、

ものすごい違いというか距離があるんです・・・。



とまあ、ちょっと熱く語ってしまいましたが、


端的にこのことをあらわすと、


簡単に○○になれると思うな。

○○になるためには、基本的なベースがあって、

さらにその上に努力を積み重ねてこそなれるものだ。

まして、最低限のベースをつくるための場所として、

会社は存在するわけではない。


ということです。


基本的に、というか当然なんですが、会社は学校ではありません。

利益を追求して存在しています。

その会社の利益に貢献するために、自身の経験や知識を提供します。

そして、その見返りとして給料をもらっています。


そこから始まり、さらに貢献していくために、

自身の経験を磨き、スキルをつけて、会社にもっと貢献する。

それによって、その対価として、より多くの給料がもらえる。


そんな循環なんですよね。実際。


まずは、自分のいる土俵に何が必要で、

何が欠けているのかを認識すること。


そして、それが絶対届かないものであるなら、

諦めて違う道を探すのもひとつの生き方ですし、

もしかしたら、そっちの方が自分にとって「幸せな道」かもしれません。


というか、無駄な時間を過ごす前に、

見切りをつけるのもひとつの手段だと思っています。


もし、それでもどうしても自分の志した道を選ぶなら、

決して、不平不満(というか文句)を言わないこと。

そして、絶対に人に迷惑をかけないこと。(←これが一番大事です)


それだけは、社会人としてというか、

ひとりの人間として、自覚してやってもらいたいものです。




ふぅ・・、なんだか熱く自論を展開してしまいました。(苦笑)

しかし、「やりたい」だけでなれるなら、人間は誰も苦労しません。

そして、悲しいかな、もって生まれたスキルもあります。


私も、こうやって書くと同時に、

自分にきっちり投げかけ続ける必要がありますね。




<おまけ>

実は今日、財布を落としました。

運よく、駅に届けてくれた人がいて、

なんとか事なきを得たのですが、


ふっと気が抜ける瞬間。


そのエアポケットをなるべくなくせるように、

日々気をつけていこうと思います。


人のつながりの大切さ

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今まで、私は自称というか、自認していることとして、

人脈に非常に恵まれた人生を送ってきたと思います。

(思い上がりだったらスイマセン・・。)


しかし、今日もそれを再び実感した一日でした。


今まで、自分の想いを実現するために、

色々な人に助けていただきました。

もちろん、私自身にものすごい人脈があったわけではありません。


そして今日も、事業の「要」とも言うべき場所に、

ものすごい方が登場してくれたのです。

といっても、ものすごい著名人であるわけではありません。

(というか、この場合、著名人とかは関係ありませんよね 苦笑)


いままで、事業を起こすにあたって、

解消しなければならない、様々な要因がありました。

しかし、その度に、ひとつひとつを、

ことごとく解決してくれる素晴らしい人物が現れ、

助言をいただき、協力を申し出てくれました。


しかし、今回の「要」ばかりは、

どうすることも出来ないかな。と

ちょっと思っていたのです。


そんな時(というか本日)、私の考えているビジネスに、

ばっちりマッチした会社の方を紹介していただいたのです。

しかも、私の考えている事業に非常に興味を持っていただけ、

なんと、協力も確約してくれたのです。


人のつながりは人から生まれる。


まさしくこの言葉を実感した一日でした。



そもそも、何の知識も経験も持っていないこの若造に対し、

相談する会社の方々(しかも偉い方)が協力を申し出てくれます。


私よりも一回りも二回りも年上の方が、

本当に、楽しそうに話に乗ってくれ、

そして、協力を申し出てくれるのです。


本当に、本当に、感謝、感謝ですね。


この若造に何かあるなんて、

自分ではまったく思っていません。

というか、そう思ってしまうことは全て、

過信以外のなにものでもないことはわかっています。


私は、飾らずに、そして真っ直ぐに、

自分の考える実現したい未来を話しているだけです。


ただ、誠実に。ただ、真っ直ぐに・・・。



もしかすると、ただ騙されているだけだと

思われるかもしれません。

上手い話には裏があるとも言いますしね。


しかし、私は信じています。


自分の考えていることを実現できることを。

そして、その実現のために協力していただける人たちを。


私の今回の事業は、

あるひとつの部分を除いて、全てが整いました。

あとは、それをまとめ、判断を仰ぐだけ。


ここで、決意を述べるつもりはありませんが、

自分の進むべき道を信じて、頑張っていきます。

事業アイデアの作り方

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今日は、都内某大学で開かれていた、

「事業アイデアの作り方」というセミナーに参加してきました。


内容は、

・自分の資産の棚卸し

・それらを組合わせて事業のタネを作る

といったことと、パネルディスカッションの二部構成でした。


自分の資産の棚卸しとして、

・自分自身が持っているもの

⇒専門性・知識・ハウツー・資格・趣味など


・自分の周りの人が持っているもの(特徴)

⇒社内外関係者・友人・知人・家族など


のふたつをあらい出し、


そこから、事業のタネをつくる段階で、

その特徴的なものをマトリックスを使って結びつけるという作業です。

これは、全ての新しいものが、何かの組合わせによって作られる

という観点から考えると納得ですね。


そして、その後、ブレストやKJ法などの

アイデアの思考法についてのレジュメをもらい、

パネルディスカッションへと移りました。


パネルディスカッションについては、

特に印象的な話も、パネラーについても

特筆すべきことはなかったので、

割愛させていただきますが、


パネルディスカッション以外は、

とりあえず、日々過ごしている中での、

ちょっとした再認識にはなったかなと思います。



そして、新規事業についての考え方自体の

再認識もあったので、書いておきます。


それは、新規事業の「新規」という言葉が何を指しているか。

なのですが、


そもそも、事業自体の新規性ももちろんあります。

しかし、事業自体の新規性がなければ新規事業といえないか

といえば、そんなことはないですよね。


例えば、

・提供する商品が新しい

・提供するカスタマーが新しい

・提供する方法が新しい

というのでも、新規事業ですし、


もっと言えば、

同じものでも切り口が違ってくれば、

それは新規事業ですよね。


例えば、

性別や年齢といった、属性でカスタマーをとらえるのと、

カスタマーがアクティブになる時間帯でとらえる。

といった切り口の違いのように。


確かに世の中で「新しい」ことを行うといっても、

その「新しい」の定義は、ちょっと深いな。

と、改めて実感できた一日でした。



【おまけ】

今日は、そのセミナーの帰りに、本屋に寄って、

「さおだけ屋はなぜ潰れないのか」という本と、

「考具」という本を買いました。

どちらも非常に面白そうで、楽しみになのですが、

私の家には、まだ読んでいない本がたくさん・・・。。。

私にとっても、本にとってもこの状態は不幸ですよね。

通勤電車は、いつも新聞タイムだし・・とは言わずに、

なんとか時間をとって、読んでいこうと思った一日でした。


ひさびさに書いていこうと思います。

『新規事業に魅せられるまで。』


今回からは社会人編です。


まあ、いきなり社会人になってからよりも、

なる直前の私にもちょっとしたストーリーがありますので、そこから。



【大学院生になる】


DJ業も順調に進み、いよいよ大学4回生。

まわりは、スーツ姿の学生や

汗をぬぐいながらハガキの束をポストに放り込む

就職活動生をちらほら見かけるようになりました。


そう、当時は就職氷河期真っ只中。


みんな必死にやっています。



人ごとのように書いていますが、

私だけ氷河期ではなかったわけではありません。


成績も芳しくなかった私は、卒業に一生懸命だったということもいえますが、

私には、就職活動をしなくてよかった理由がありました。


表題の通り、大学院生になるつもりだったのです。


しかし、成績も良いわけでもなく、

それと比例してか、勉強熱心だったわけではありません。

というか、卒業すら危ない状況でした。(苦笑)



そんなある日、ゼミの飲み会があったのです。


その飲み会のときに教授から、


「もう一年覚悟しといてね。」と言われました。


「はい。」とはこたえたものの、

正直、目の前がグレーがかりました。

親になんて言おうって・・・・。(苦笑)


しかし、そのとき、私の強運(?)なのか何かわかりませんが、

同級生の一人が、よく通る甲高い声で、

声をかけてくれたのです。


「kegくん大丈夫??? こないだ病院に運ばれたんやろ??」と。


その大きな声は、もちろん教授の耳にも飛び込んだのはいうまでもありません。



そして、帰り際に教授がスタスタと横まで歩いて来てくれたのです。


その時にかけられた言葉はただ一言。

「今日、私はkegくんに何かいったかな??」だけです。。


その教授の優しさに、男気を感じたのと同時に、

なんだかいたたまれない気持でつつまれました。



たしかに、胃がものすごく痛み、病院に運ばれたのは確かです。

そして、その後もずっと胃痛は続いていました。


しかし、その痛みが、DJの大きなイベント のせいであったことはもちろんですが、

そもそも、ゼミを休んでいたのは事実であり、自分です。


そこで、そんな気遣いをを見せてくれた教授には

普通の感覚ならば、やっぱりいたたまれなくなりますよね。。


しかし、今の自分があるのも、その教授の一言から。

と考えるのであれば、今でも感謝しても感謝しきれません。



そのちょっとした事件から、私と教授の距離は非常に縮まり、

ちょくちょく話をするようになっていきました。


そして、その教授が私の通っていた学部の学部長であったこともあり、

「kegくん、大学院でみっちり勉強してみないか??」

という言葉につながったのです。


私は、そこから就職活動とは無縁の

卒業だけを考える4回生の夏を過ごすことになったのです。



その時の私について少し。。


私は法学部に通っていたのですが、

そもそも法律についてとか政治についてとかの

専門性を求めていたわけでも、

プロになろうと思っていたわけではありません。


法学部を選んだのも、単純に

まわりがみんな、経済・経営関係の学部に行くのをみて、

人とは違うことをしたいって思っただけです。(苦笑)


そんな自分が大学院に行くとなっても

明確な目標なんてあるわけもありませんし、

正直、その教授には申し訳ないですが、

あと2年くらい遊べるってな程度のものでした。(スイマセン。。)



そして、必死に汗をかいて活動している就職活動生を横目に、

今までの3年間と変わらない大学生活を過ごしていたのですが、

こんな自分に影響を与える、ある事件が起きてしまったのです。。



その事件と、その後の私については次回で。

どっぷり

テーマ:

今日は、毎週恒例(?)の学びの日です。

実際、この生活が始まってから、大好きなサッカーにも行けず、

映画にももちろんいけるはずもなく、

どっぷり学び生活に浸っています。


しかし、ここで学んでいるおかげで、

色々と見えることもあり、

決して安くない受講料を払っている甲斐もあるかなと思っています。


いつか自分にとって、今学んでいることが必要になる日を夢見て、

日々頑張って生きていこうと思います。


というか、そろそろ、

「新規事業に魅せられるまで」の社会人編を書かないと・・ですね。


ちょっと筆休めが長すぎる自分に反省!すると共に、

明日からの日々をちょっと夢見て眠りにつこうと思います。

結論から先に

テーマ:

物事を伝えたり、考えたりするときに大事なこと。

それは、「アウトプットから先に。」ってことです。


なぜなら、その方が理解が早いから。


論理のプロセスより、論理の結果がわからないと、

判断できませんよね。


サッカー(大会)に例えると、

目的・・・優勝する

優勝するために・・・勝つ

勝つために・・・ゴールを決める

ゴールを決めるために・・・いいパスを出す

いいパスを出すために・・・パスを出す選手をフリーにする

パスを出す選手をフリーにするために・・・マークを外す

マークを外すために・・・他の選手がひきつける


・・・・


といった感じで、あくまで一例ですが、

それぞれの選手のひとつひとつのプレーが

優勝するということに対して整合性がとれていると思います。

もちろん「ゴールを決める」ではなくて、

「点を与えない」という切り口もありますね。


ただ、ここでひとりひとりの選手に対して、

右サイドを駆け上がれだとか、

中盤で激しくチェックしろ、といっても

ここでいう優勝という目的(結論)が見えないままでは

効果的ではないばかりか、半信半疑になって

逆効果になってしまうときもあると思うのです。


私の友人に言われて今でも心に残っている言葉があります。

それは、


「相手が何を求めているか瞬時に察知しろ、

そして、そのために適切な言葉や態度を提供しろ」


ということです。


まあ、これは出来る営業マンの条件として聞いたことなのですが、

これって、相手に対する結論を出来るだけ早く提示しろってことですよね。


私の同僚は人に物事を伝えるのがものすごく下手くそです。

なんだかまどろっこしいのです。

物事を聞いた後に必ず、「で???」と聞いている自分がいます。

今日、彼に足りないのはコミュニケーション能力なのではなく、

結論から先にいう話し方ということに気づきました。


その話し方も含めてコミュニケーション能力というのかもしれませんが。。。


といいながらも、私のブログ。

うーーんまどろっこしいですね。(苦笑)



【おまけ】

今日はインタビューで、あるタレントさんと話す機会がありました。

テレビで見る彼女のイメージとは違って、

ものすごく言葉に深みのある人なんだなって感じました。

結局、イメージに踊らされていた自分に反省すると同時に、

その道で頑張って生きている人は、それなりに言葉に重みがあって、

心地よい(自然と湧き出てくる)説得力があって、非常に面白かったです。

私も、そんな言葉が自然と使えるようになりたいですね。

自分の甘さ

テーマ:

タイトルにはこう書きましたが、

別に「自分の甘さ」を実感した出来事とか、

反省点があったわけではありません。


ただただ、なんとなく、

自分って自分に甘いよな。。って思っただけです。


もちろん、今日も昨日と同じく徒歩帰宅。

ライター君のスキルというか業務については相変わらず。。

仕事も、自分の仕事ではないことに振り回されまくり。。。


でも、これって・・・。


そう、自分の甘さが生んだ副作用なのではないかと思うときもあります。


確かに、私は自分に甘い人間だと思います。

辛くなったら逃げ出しそうにもなります。


でも、それに甘んじたままだからこそ、

何にも成長すら出来ていない自分がいるのでは??

と、ふと思いました。


別に成長することが目的ではなく、

自分のやりたいことを実現するための成長であるなら、

あくまで、このときの成長って手段ですよね。


もちろん、人間には本能的に成長欲求はあると思います。


しかし、今のままじゃダメだっていう意識よりも、

自分に甘いままじゃダメだっていう意識の方が、

今日は特別、強く感じました。


こうやって書くとなんだかストイックな人間に思われてしまいそうですが、

そんなんじゃありません。


この程度の私がストイックなら、

世界チャンピオンを目指して過酷な日々を過ごしている

ボクサーはどうなのでしょう。


比べるまでもありませんよね。


結局、私は自分の今いる生ぬるい状況に甘んじて、

そして、生ぬるいことへの打開策ではなく、

その環境への批判しかしていないのではないかと思います。

(人には打開策のない批判はするな・・と言っていますが・・ 苦笑)



また、収拾つかなくなってしまいましたね。。。


しかし、もっと自分を突き詰めて、

もっとなりたい自分になるために、


自分の甘さをなくしていきたいです。本当に。



正直、何もない一日でしたが、



悔しいです。





明日から、その悔しさを晴らすために頑張ります。

もちろん、表面上に出すのではなく、

自分の心の中だけでやっていきます。


自分に甘くない自分になるための方法論。


見つけれたらいいですね。