staffの辻です。
昨日も京都では気温も上がり良い天気でした。
先日に引き続き、昨日もお寺巡りに出かけてきました。
今回訪れたのは京都鴨川のほとりにあります
『本能寺』へ行って参りました。
歴史上の出来事で『本能寺の変』で思い出す方が
多いのではないかと思いますが、『法華宗本門流の大本山』であることを
意外と知られていないのではないでしょうか。
1415年に日隆聖人によって油小路高辻と五条坊門の間に
『本応寺』を建立し開山されました。そして日蓮大聖人の念願である
人々の口に「南無妙法蓮華経」を唱えさせるべく教化されました。
実は1432年までは寺名を「本応寺」と使い
1433年から現在まで「本能寺」として使用されています。
その理由は「本門八品相応能弘之寺」の言葉より
付けられているそうです。
実際には本能寺の「能」の字は右側の2つの「ヒ」が
「去」のような字に替えられています。
これは本能寺が5度も火災に遭っているため、
「『ヒ』(火)が『去』る」という意味で
字形を変えているといわれているそうです。
大寶殿には織田信長公のお位牌や太刀等を見る事が可能で
間近で歴史を感じる事が出来ます。
表門と呼ばれ明治12年恭明院の門を移築されたそうです。
京都の繁華街の中に立地している「本能寺」
アクセスもとても便利ですので皆さんも
一度訪れてみてはいかがでしょうか。
また、他の寺院へも訪れて
ご紹介したいと思います。
昨日も京都では気温も上がり良い天気でした。
先日に引き続き、昨日もお寺巡りに出かけてきました。
今回訪れたのは京都鴨川のほとりにあります
『本能寺』へ行って参りました。
歴史上の出来事で『本能寺の変』で思い出す方が
多いのではないかと思いますが、『法華宗本門流の大本山』であることを
意外と知られていないのではないでしょうか。
1415年に日隆聖人によって油小路高辻と五条坊門の間に
『本応寺』を建立し開山されました。そして日蓮大聖人の念願である
人々の口に「南無妙法蓮華経」を唱えさせるべく教化されました。
実は1432年までは寺名を「本応寺」と使い
1433年から現在まで「本能寺」として使用されています。
その理由は「本門八品相応能弘之寺」の言葉より
付けられているそうです。
実際には本能寺の「能」の字は右側の2つの「ヒ」が
「去」のような字に替えられています。
これは本能寺が5度も火災に遭っているため、
「『ヒ』(火)が『去』る」という意味で
字形を変えているといわれているそうです。
大寶殿には織田信長公のお位牌や太刀等を見る事が可能で
間近で歴史を感じる事が出来ます。
表門と呼ばれ明治12年恭明院の門を移築されたそうです。
京都の繁華街の中に立地している「本能寺」
アクセスもとても便利ですので皆さんも
一度訪れてみてはいかがでしょうか。
また、他の寺院へも訪れて
ご紹介したいと思います。