あめ

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最近の天気は狂ってるね。

竜巻やら洪水やら、加減てもんを知らん。

特別な感性や霊感があるわけじゃないけど、今年の後半から来年にかけて、なんかあるかもしれない。
なにがあっても自分を見失わないように、しっかり足場を固めながら目の前の現実に取り組んでいかなければと思う。

人のために何かをするより、自分のために何が出来るのかを探して、自分の感性を磨き自身を成長させる。それが結果的に人の役にもたち変革をもたらすものになると感じる。人間の社会は、互いに影響しあいながら構築されていくものだから。

数年前に、仕事で行き詰まった人が苦渋な表情から、「自分が変わればいいんだ。」と一言つぶやき、穏やかな表情を見せたことがあった。
そういった追いつめられた環境がもたらすある種の悟りのようなものが、理屈が実感に変わる瞬間なのだろう。

生きていく上では、良いことも悪いことも沢山あって、ああしておけば良かったとか後悔の連続だったりすることもある。
でも仮に自分にとって黒歴史のような過去だったとしても、その経験が今の自分を作っているのは事実であり、その経験が他の人にはない個性につながっていくものだ。否定を肯定することから始めれば、どんな人生だってそれなりに楽しめるんじゃないかと思う。

「あんなことも、こんな大変だったこともあったけど、それでも自分は幸せだ。」
そんな風に言い切れる人生を送れたら、きっとその人の一生は大成功なんじゃないかと思う。

自分よ。今この瞬間を生きろ。




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逃げる

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仕事でかなりストレスを溜め込み、様々な体調不良が発生していることから、もしかしたら精神科のお世話にならないといけないかなと、ここ1ヶ月くらいマジで考えてました。


世で言う「5月病」とも言えなくもないけど、やっぱり鬱なのかねぇと。


色々調べてみると最近の20代~30代くらいに多く見られる「新型」の鬱というのが目を引いた。

従来の型が、すべてのことに対してやる気を喪失するのに対し、新型は自分の趣味や興味のあることは一生懸命活発に動くが、仕事や興味ないことについてはやる気を喪失する。しかもそれを人のせいにする。「環境が悪い」「上司が悪い」と。


それを見たとき、あー自分に当てはまるなーと思い当たったと同時に、自分が一番嫌いなタイプの人間になってしまっている現実を突きつけられた感じがしました。これじゃただのナマケモノじゃないかと。


世の中には新型だろうが従来型だろうが、鬱に苦しんでいる人はたくさんいるんだと思う。


でも自分に当てはめたとき、ただ単に目の前の困難から逃げているだけだなとやっぱり思ってしまう。


逃げたくても逃げられない、そんな追い詰められた状態とどう向き合うのか、そのことに尽きるんだと思う。


必ずどこかに道がある。



自分で考える価値観は、誰であっても自身の中で無視できないある種の正義であると思います。


その価値観にそって考えて行動して結果を出す。自分が生きるための指標のようなものだよね。

でもやっぱりそれがすべてではない。10人いれば10通りの価値観があって当たり前だ。


最近仕事で、知恵遅れ(あまり好きな言い方ではない)というか発達障害の人たちと接することがあります。

直接その人たちと仕事の打ち合わせをしたりするわけではないのですが、その人たちのちょっとした行動が時々はっとさせられることがあります。素直に笑ったり怒ったり泣いたり。たしかに人より出来ることは少ないのかもしれないけど、今の自分にはないものをたくさん持っているように感じるためです。


そういった人たちであってもやっぱり価値観をきちんと持っている。自分だけの正義。

自分の価値観だけを押し通そうとすれば、当然摩擦も起きるし反感も買う。相手にだって価値観があるわけだから当然のこと。お互いの価値観を尊重しあいながら妥協点を探るか、どちらを選択するか正劣を討論するか。そこから逃げれば社会からは取り残されるし、自分の中のちっぽけな価値観がすべての人生になることだろう。


自分自身を振り返ってみて、上司や先輩から怒られたり嫌味を言われたりしたとき、むかついたりやる気を失ったりします。まあ多分オイラだけではないと思うけど。


でも最近思うのです。「俺は何でむかついてるんだろう」「俺は何でやる気を失ってるんだろう」と。


そこには自分自身の価値観やプライドが大きく居座って、まわりの意見を排除していないだろうか。つらいことや面倒なことから逃げ回ってあーだこーだと言い訳していないだろうか。見て見ぬフリをしていないだろうか。感情のままむかついて悪態をついて、それを抑えられない人にはなりたくないものです。そんな感情のまま突っ走る人も仕事関係の人でいます。でもその人にだってやっぱり自分の正義があるわけです。その価値観が「感情のまま突っ走れ」と命令するからそうなるんだろうからね。


その人が望むものは何なのか。何に対して怒りを持つのか。どうしてほしいのか。

言葉だけでは表しきれない様々な価値観を汲み取ってあげることがコミュニケーションの真髄なのかもしれない。今の自分には到底無理なんだろうけど、それをするためには自分自身が何色にも染まっていない状態でなければ、相手の価値観を正しく汲み取ることはできない。


「心が綺麗な人」というと「やさしい」とか「温厚」みたいな良いイメージが思い浮かびますが、本当はそういった澄んでいて正しく相手の価値観を把握できる心の持ち主のことを言うのかもしれないなと。

気分を紛らわす方法

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何だか最近神経を使う仕事が多くて、帰ってくるとメシ食ってそのまま部屋で気絶寝ってパターンが多い。どんな仕事だって楽なものはないし、ストレスも溜まるんだろうけど、問題はいかにそのストレスと向き合って解消するかだよね。

ちょっと強力なストレスを溜めたときにトリスタを始めた。その甲斐あっていい気分転換になってストレス解消になった。ガンプラだってケロロだって部屋に居るときに良い気分転換になる。


でも時々思う。それってストレスから逃げているだけなのかもって。問題解決することから目を背けて自分の興味があることだけ取り組んで問題から逃げているだけなのかもと。

自分のストレスの原因は何なのか、どうすればそんなストレス溜めなくて済んだのか、辛いこと面倒なことから目を背けてたって何が解決するんだろう。楽しいことだけ自分に興味あることだけを追い求めて何が得られるんだろう。


たまには辛いことや面倒なことと正面きってぶつかってみると何か見えてくるかもしれない。

もっともそれには勇気と思い切りが必要。結果的に返ってストレスを溜めることになるかもしれないけどね。

とりあえずわかっていることは、今までと同じことしてても何も変わらないということだ。


じゃあ、ちょこっとだけ違うことしてみよか?


楽しい?

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先週に引き続きかぐらってきました。


雪は重くコンディションとしてはあまり良くない状況ではありましたが、楽しく滑れました。

でも家について何となく虚しい感じになってしまって気分が落ち込んでる。原因はわかっているけど、どうしょうもないことだし今更オレに何ができるわけでもない。疲れていたから余計そんな風になってしまったのかもしれないけどね。


楽しいことを楽しみきれないのは心が病んでいる証拠なのかもな。

お仕事

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昨日後輩の送別会がありました。


営業で3年近く働いていたんだけど、他の仕事を見つけたから転職するとのこと。

色々な仕事があって、一つの仕事を長く続ける人もいれば頻繁に転職する人もいる。とうぜん人それぞれの考え方があるからどっちが良いか悪いかなんて言えない。たまたまオイラは大学卒業してから一つの職場にずっと居るから、転職を経験した人の気持ちとかは良くわからないけど、そんなオイラでも今まで何回会社辞めようと思ったかわからない。でも、今の会社にとどまっている。


理由は何なのかと聞かれると、一つに絞ることは難しいけど、「就職活動がめんどくさい」というのが一番の理由なのかな。


アタマじゃ理解していることであっても、「とりあえず他を探すのめんどくさい」とか「仕事が楽しくない」とか「適当にやってもこなせちゃう」なんて状態で仕事をしていると、仕事が金を稼ぐためだけの存在になり、仕事に楽しさを見出すことはできない。

そんな状態を自覚したとき、それじゃどうやったら仕事が楽しくなるんだろう、と考えることにしています。残業時間を減らせばいいとか、もっと有給休暇をたくさん取ればいい、もっと人を増やせばいい、たぶん仕事に対するテンションが低い状態の時ってこんんなことしか思い浮かばないんじゃないだろうか。


それって、「どうやったら仕事が楽しくなるのか」を考えるんじゃなくて、「どうやったら仕事が楽になるのか」ということを考えている姿に他ならないんじゃないかな。


こんなこと書いて会社の人に見られたらクビになるかもしれないけど、数年前あまり仕事に対してやる気をもてなかった時期があって、そのときは結構公園で昼寝したりしてサボってた。もちろん問い合わせ対応や納品作業なんかはこなしているけど、ほんとにそれ以外のものを自分から進んでやろうとはしなかった。そのときの状態って、「仕事を楽しむ」という姿ではなく「サボっている」姿だよね。そんなときって仕事に対する充実感や達成感なんて持てるわけもなく、後味悪い感じを引きずっているような気分になる。そんなとき「辞めよっかな」って気分になる。


不思議なんだけど、オイラがやる気がないときって仕事もポツポツとしか入らず、逆にやる気があるときって作業依頼がガンガン入ってくる。その中で自分の仕事(新製品情報の収集や提案書作成など)しようとするからサボっている時間がない。ってかサボろうと思わなくなる。こういった状態が充実感をもって仕事を楽しんでいる姿なんじゃないかなと思うようになりました。


忙しいというのは大変なことなのかもしれない。

でもヒマより全然良い。


自分の心をメンテナンスすることで、どんな仕事だって楽しみが見出せるんじゃないかな。

その仕事を楽しく充実したものにするのも、楽してネガティブになるのも、結局は自分自身の取り組み方一つなんだというお話。



えーっと、ちょっと前に人から言われたこと。


「自分らしく生きていけばきっと幸せになれるよ」

うーん、励ましのお言葉?良く解らなかったけど、これを聞いて思ったのは「自分らしく生きる」ってなんだろうということ。

ちょっとしたことでもクヨクヨ悩んだり、怒ってみたり、突然オモロイことが浮かんで一人でニヤニヤしたり、人間なんて色んな表情があって、どれも自分自身の姿のはず。その中で、「これが一番自分らしい」なんて決められるのかな。


というわけで、自分の中で会議。

「やっぱみんなと遊んでるときの楽しい自分じゃねーの?」(オレA)

「どうやったら釣果だせるかあれこれ考えながら釣りを楽しむ自分じゃないの?」(オレB)

「コロをいじって遊んで楽しむ自分じゃないかな?」(オレC)

「好きな音楽をクルマの中やカラオケで大声で歌ってる自分じゃない?」(オレD)


考えてみて思ったこと

結局、ネガティブな自分も結構あるはずなのに、楽しいとか自分の好みにあってるものしか浮かんでこなかった。

ってことは、やっぱりネガティブな自分は自分らしくないということか。でも実際はそのときの感情に左右されるから、一つの事柄だけをとってもあるときはポジティブに考えられて、あるときはネガティブになるなんてよくあることだ。

それじゃ、めんどくさいものすべて取っ払って自分の好きなことを楽しむだけの人生ってホントに自分らしいって言えるんだろうか。なんかそれも違う気がしてね。

そんなことが最近アタマの片隅に残ってて、なんかスッキリしない感じだったけど、今日の通勤途中の車中で突然キーワードが浮かんでスッキリした。それは、


「自分が一番楽な姿勢でいられる状態」


たしかに色んな問題や悩みなんかがあるだろうけど、その中での判断基準をコレにしてしまうのもありなのかもと。良い悪いは別にしてだけどね。それが一番自分らしいと言えると思った。


さて勉強勉強っと。

ここ最近の話

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どちらかというといつも友達に相談とか愚痴を言ってばかりの僕ですが、ここ最近後輩であったりお客であったりから仕事以外の相談をもらうことが多くなりました。まあ自分自身、人生相談なんてやれる器ではないことは120%承知しているのですが、こうゆう悩み事って他人に打ち明けるだけでもかなり楽になることも知っているので、一通り話を聴くようにしています(その分割り増し料金徴収したいくらいです)。


そんな中、ある中堅企業の40代くらいの管理職についてらっしゃった人からもうすぐ退職する旨の連絡があり、使っていたパソコンからデータを削除して欲しいと依頼を受けました。40代っていったら結構バリバリ働ける年齢ですが、何度か訪問を重ねていたときから気になっていたのですが、どうも覇気がないというか元気がないというか、そんな感じの人だったので失礼ですがもしかしたらリストラにあわれたのかなとかんぐってしまいました。

ところが、いざ訪問してみると妙に明るい。逆にちょっと引いてしまうくらい。

まあ元気がいいのはいいことですし、普通リストラされたら落ち込むけどそうゆうことがない分、こちらとしては気分的に楽でした。


話の口ぶりからすると、なんでも自分のやりたいことが見つかってイナカに引っ越すのだということ。自ら辞表を提出したらしい。

定年してから老後をイナカで~とかは良く聞く話ですが、ちょっと早くないか?ってのがオイラの率直な感想。

失礼ついででそのことを聴いてみました。そしたらこんな回答がかえってきました。

「人はね、他人に必要とされるところに行くのが一番輝けるんだよ。逆に必要とされなくなればそこに居る価値はない。絶望してしまうものなんだ。」と。

ん?でもそれって自分の生き方を人のせいにしてないか?人が良いといえば輝けて人がダメと言えば自信を失う。まあわかる話ではあるけど、他人の顔色伺って一喜一憂してるだけなような気がして、それで会社辞めてしまうなんてどうもオイラには理解できないなと思いました。


でも明らかにその人は明るく元気になった。それはまぎれもない事実。

そのことから考えれば、その人がとった行動は間違いではないのだろうし、その人がそれで幸せなのであればオイラが「それってどうなん?」って水を刺す必要もない。オイラが出来ることは目の前のパソコンからデータを削除し、にっこり笑って「がんばってくださいね!」と声をかけることしか出来ない。まあそれに不満はないけど、ちょっと考えさせられる一コマでした。


オイラが居なくなるときは人のせいにせず、自分の意思で居なくなる。

そんな生き方のほうがいい。


なんだか

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いろいろあって、もうどうでもいいやーって感じになっている。


どんなに一生懸命にやったって、どんなに真心込めたって伝わらないときは全く伝わらないもんだ。

バカバカしいというか、めんどくさいというか。


でもきっとそんな俺自身が周りの人にめんどくさがられているんだろうな。

それってすごく悲しいことのように思える。


この闇、いつか晴れるのか。



どちらが良いのか。

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例えば慢性的な生活習慣病を抱えていたとします。


医者Aは検査結果を見ながら、厳しく生活習慣改善の話をしました。

医者Bは同じ検査結果を見ながら、やさしく話をしました。


でも言われてることは同じ。


医者Aに厳しく言われた患者はムカつきながらも2ヶ月間禁酒をすることに成功。

普段あまりない食欲も大幅に増加し健康面の改善が見られました。

その後医者Aが気に食わない患者はやさしい医者Bに切り替え、やさしく対応してもらってホッとして帰ってきました。状況は前回受診してから日も経っているので、むしろ悪くなっている。

医者Aのときに奮起して禁酒したような節制生活が出来るかどうか甚だ疑問です。


自分に厳しい人ほど大事にするべきと思うんだけどどっちが良いんだろうね。