大塔宮護良親王を偲ぶ会 渡辺一美ブログ

ブログの説明を入力します。


テーマ:

新暦だと旧暦は毎年かわる。

今年は9月13日が旧暦7月23日。

嫌な日だ。

気は重くなる。

故あって明日

9月13日鎌倉宮に参詣します。

 

いつもは

宮さまにお逢いでき

嬉しいのですが

この日は特別な想いで胸がふさがる。

 

682年前の今日の夜は

何をお考えだったのだろう。

姫さまのこと。

御子のこと。

比叡山のこと。

十津川でのこと。

吉野山の男たちのこと。

それを想うと胸が張り裂けそうだ。

 

後醍醐帝は

「大塔宮さま御最期の命令書簡」を

なぜ書いたんだ。

 

帝の地位が

おびやかされるとおもったのか。

絶対王政に執着してただけか。

阿野廉子の讒言か。

呪術か。

真言密教立川の文観か。

いや、このすべてが絡みあっている。

 

帝は衝動的に書いたわけじゃあない。

帝は「大塔宮孤立」のため動きだしている。

北条の残党にさえ行われなかった

凄惨な仕打ちを宮さまの臣下に下している。

都においての皆殺しだ。

 

四条隆貞は最期のとき叫んだ

「大塔宮さま危険ですぞ」

 

帝は大塔宮さまの手足をもぎ取った。

すべては謀どおりに動いている。

 

「大塔宮を窮地に追い込め」

「大塔宮の望みを断ち切れ」

 

よくも、ここまで。

腸が煮えくりかえる。

 

宮さまは

皇太子宣下などかけらもお考えでない。

捨て駒なのは解っている。

ただ父君である帝に

認めてもらいたかった。

質素でも姫さまと笑顔の絶えない

暮らしを望んでいただけだ。

 

宮さまが生きつづけていたなら

その後60年間に亘る

南北朝の戦はなかったんだ。

足利も反旗は翻さない。

 

書簡一通のため

何人の若いかけがえのない尊い命が

かりだされ戦のなか

散って逝ったと思ってるんだ。

 

数年前

吉野神宮の駐車場でのことを思いだす。

吐き気がする。

気分が悪くなる。

その場から離れたくなる。

 

「おまえは入って来るな」

 そう感じる。

 

「俺がおもっていることが

 的をはずれていないからだろ」

 

「痛いところをついているからだ」

 

「すべては図星なんだろ」

 

 

宮さまは仰る。

 

「私は誰もうらんではいない」

「私が決めたことだ」

 

宮さまには申し訳ないが俺はちがう。

輪廻転生がほんとうなら

俺は何度ぶん殴っただろうか。

俺が死んだらまた行くぜ。

 

DSC_0064.jpg

AD
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
最近の画像つき記事  もっと見る >>

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。