アフリカ大陸リアルタイム旅日記

アフリカ大陸を彷徨うバックパッカーが、旅の様子をリアルタイムに報告します。


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ご無沙汰しております。


旅を再開することになりました。


また、旅を再開するにあたって、ブログも新しくすることにしました。


今後の更新はここではなく、下記で行っていきます。



純情バックパッカーのリアルタイム旅行記


http://kazetairiku.blog.fc2.com/



出発は2014年11月20日です。


よろしくお願いします。

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お待たせしました!(?)


アフリカから帰って既に2ヶ月、ようやくホームページの



「アフリカ大陸縦断旅行記」



 を始めることにしました。おヒマがありましたら、是非読んでやってください。




http://www.kazetairiku.com/log/diaries.htm






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9ヶ月間の海外旅行を終えて日本の空港に到着した時、私は旅の最後の壁と対峙することになった。今回の長旅の間、数多くのライバルと戦い、幾多の困難を乗り越えてきた私であったが、その私にとってさえ、この最後の難関にはかなりの恐怖を感じるのを認めないわけにはいかない。暗黒大陸と呼ばれるアフリカに滞在していたときでさえ、私にここまでの恐怖を与えたものはいなかった。この最後の敵は言うならば最強、相手にとって不足はなく、壮大な旅のラストを飾るにふさわしい。


ちなみに最後の敵の名は、正式には「入国審査」「税関」というのだが、長旅をするバックパッカーの間では、日本というゴールマウスを守護する彼等の仕事ぶりは何故かイタリア語で


カテナチオ


とも呼ばれていて、その鉄壁の守備はACミランのDFネスタとマルディーニに勝るとも劣らない。まさしく最後の双壁である。しかしながら、いかに相手が強大であろうとも私は絶対にあきらめない。読者には今まで秘密にしてきたが、私だってバックパッカー界のシュフチェンコと呼ばれているのだ。必ず彼等を突破して日本への帰国を果たしてみせるぞ・・・・・


と、息巻いてみたが、正直に言うと少しばかり気がかりな事もあるのだ。特に「税関」に対して。実を言うと私のバックパックの中には、


「無修正の〇〇本」


が入っているのだ。これは南ア・ケープタウンで購入したものである。そして読者の皆に伝えたいのであるが、これはもちろん日本にいる友人への土産物として買ったものである。もう何度もこのブログで言い続けてきたことであるが、私は幾つになっても少年の心を忘れない純情な男性であり、「無修正の〇〇本」などには全く興味は無い。旧知の友人から頼まれて、仕方なく購入しただけである。まあ、そんな説明はどうでもいいが、とにかくこの「無修正の〇〇本」は、ひょっとしたら税関で問題になるかもしれない。


かもしれないというのは、実に曖昧な表現だが、どうしてこのような表現をするのかというと、実は私は税関の仕組みとかルールとかに、あまり詳しくないのである。もっと言ってしまうと、どんなモノが持ち込みできて、どんなモノを持ち込んでイケナイのかが、よくわかっていないのだ。なぜなら、私の旅行はほとんど飛行機を使わない。最初の旅では日本からポルトガルに辿り着くまで行くまで一度を使わなかった。今回の旅ではエジプトから南アまで、やはり一度も使わなかった。だから税関チェックの経験が少ないというか、ほとんど無いのである。


「陸路の旅だって国境越えの時には税関のチェックはあるだろう?」


あるいは読者の中にはそう思う人もいるかもしれない。でも現実には違うのだ。前回のユーラシア横断でも今回のアフリカ縦断でも、僕は沢山の国境を越え、沢山のイミグレーションを通過した。その際に当然税関のチェックもあるにはあるのだが、国境越えの際の税関チェックというのは大抵の場合日本のパスポートを見せただけで、


「日本人ですね。オーケー、行っていいですよ。」


 とか言われて、バックパックの中身をチェックされたことは皆無に等しい。また場合によってはパスポートを見せる前に係りが私の顔を見て


「貴殿はスーパーバックパッカーであらせれる故、チェックは不要。どうぞお通り下さい。」


 などと言われることも多々あり、私にとっては税関などあって無い様なものだった。とにかくそういうわけで私は沢山の国を旅行しているわりには税関チェックの経験が少なくて、要するに「〇〇本」が日本に持ち込んでよいモノなのか、そうでないのかを知らないのである。もちろん普通の旅行者であれば日本へ向かう飛行機の中で他の乗客に、


「〇〇本って日本に持ち込んでも構わないんですかね?」


 と、質問できるからよいのだが、以前にも記事に書いたかもしれないが私はスーパーバックパッカーであり、どちらかと言えば旅行初心者から相談を受けることが私の職務であり、自分から人に教えを請うなど許されないし、何よりも飛行機の中で隣の席に座っていたのが若い日本人女性だったということもあり、
結局相談できずに日本へ到着してしまったのである。どうしよう・・・。


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そしてそんな悩みを抱えているうちに場所は既に到着ロビー。すぐさま入国審査の列に並ぶ。私は正直言って緊張しながら自分の順番を待っていたのだが、係員は私のパスポートを普通の旅行者の3倍くらいの時間をかけてチェックしたにもかかわらず、あまりのスタンプとビザの多さに日本出国時のスタンプを見つけられずに、私にとってはとても貴重な白紙のページに帰国のスタンプを押されてしまったものの、何とか入国は許可されることになった。当然といえば当然のことだが、とりあえず壁の1枚、ネスタはかわした。あとはマルディーニだけだ。


そのあと私はターンテーブルから自分の荷物をピックアップし、税関のゲートへと向かう。そこにはゲートがふたつあり、私はどちらへ進むべきか少しばかりの間考えた。私は酒は持っていない。タバコも1カートン以内だから問題ない。検疫が必要な食料品なども持っていない。だから私は


『 Nothing To Declare 』


 のゲートへ進んだ。一瞬脳裏に「無修正の〇〇本」が浮かんだが、その事は2秒で忘れて何食わぬ顔で係員にパスポートを提示した。そして係員は私の顔を見て、何故か怪しいものでも見るような表情で


「今回はどちらへ行かれてたんですか?」


 そう尋ねた。そして私は


「アフリカです」


 と、素直に答えた。すると


「アフリカのどちらのですか?」


 と、何故か更に追求してくる。一瞬私は何と答えたらよいのか迷ったが、私の旅は日本人なら誰でも一度はやる、高級ホテルに泊まって優雅に観光地を見学して美味しい食事をするだけのハイソなグルメ旅行であり、何ら恥じることはないので、エジプトから・・・


スーダン、エチオピア、ケニア、ウガンダ、ルワンダ、タンザニア、マラウイ、ザンビア、ボツワナ、ジンバブエ、モザンビーク、スワジランド、


・・・南アフリカまで陸路で。」と、答えたところ係員は何故だか呆れたような表情で


「アフリカがお好きなんですねえ」


 と、言った。もちろんである。私はアフリカが大好きだ。主食がバナナの国とか、外国人を「ユー!ユー!」と呼ぶ国とか、バスが朝の4時に出発する国とか、街を歩いただけで武装強盗に襲われる国とか、私はそんなアフリカの国々が本当に大好きで、あんまり好きになりすぎて最近では


「アフリカでの思い出を消したい。」


 とか、


「もう二度と行くもんか。」


 と、思っているくらいである。それでそのように和気あいあいと係員とハナシをした後、ゲートを抜けようとしたのだが、私は係員に呼び止められた。何だろう?スーパーバックパッカーのサインが欲しいのだろうか?それとも一緒に写真を撮りたいのだろうか?いずれにしても私は厳格なバックパッカー界の中で徳を積むことのみを目的に生きる人間であり、サインや写真というような軽薄な行為は許されていないので、「残念ながらお断りする」と言おうとしたら


「申告が必要なモノはお持ちじゃありませんか


 と、尋ねてきた。どうやらサインが欲しかったわけではないようだ。しかしそれにしてもこの係官の質問もおかしくはないだろうか?質問の意味が全くわからない。だって私は申告をするものが無いから『 Nothing To Declare 』のゲートに来たのである。全く意味がわからない。だが、ここで文句を言うのも大人気ないので私は


「いえ、何も持っていません。」


 と、いつもの『さわやか笑顔』を見せながら答えた。すると係員はニコニコしながら


「では荷物の中身を見せて下さいね。」


 と、こちらも私に対して『微笑返し』で要求してきたのである。


・・・・・超ヤバイ。私の『さわやか笑顔』が全く効果が無いなんて。こんなことはアフリカでは一度も無かった。私の最強の必殺技が通用しないとは、さすがマルディーニだ。カテナチオだ。ゴールはもう目の前だというのに、なかなかそこに辿り着けない・・・なんて考えている間にも、マルディーニ(係員)は私のバックパックの中身を探っていく。そのときの私の心情を文章にするならば


「僕はドキドキしていた」


 という感じだ。ハッキリ言って私は『北の国から』の純クンばりに緊張していたのである。しかし緊張はしていたものの、一方ではまた自信も持っていた。何故なら私はこれあるを予期して『〇〇本』をカモフラージュしていたのである。いったいどんなふうにしていたのかといと、実は『〇〇本』をTシャツやトランクスで包んで衣類圧縮袋に入れておいたのだ。まさか衣類の袋の中に『〇〇本』が入っているとは誰も思うまい。「男性の下着が大好き」という奇特な人間でない限り、見破ることは不可能だろう。我ながら素晴らしいアイデアと、先見の明だ。アフリカでも私はこの先読みの能力で、数々のトラブルを予測し、回避してきたのである。さすがは私、スーパーバックパッカーだけのことはある。一部の心無い読者の中には


「それならどうしてスーダン暴動を予測できなかったのか」


 と、指摘する者もいるかもしれないが、そんな指摘はこの際無視することにしよう。そしてそんなことを言っている間にも、マルディーニの触手は私のバックパックの中に伸びていき、私に向かって質問する。


「これは何ですか?」


 それは私が旅の間に使用していたノートパソコンだった。だから私は素直にこう答えた。


「旅先でホームページを更新していたんです。」


 答えるときに一瞬、「ブログ書いてただけで、ホームページの更新なんて全然してなかったじゃねーか。」という読者の声が私の耳をかすめたが、これは聞こえなかったことにした。そして更にマルディーニの追求は続く。


「これは何ですか?」


 それはDVD-Rのディスクだった。中のデータは映画である。これは旅の間に知り合った


タビフーフ


 という素敵な御夫婦から映画のデータで『8マイル』、『Shall we dance ?』、『華氏911』をいただき(アリガトね)、それを書き込んだものである。ちなみにこのタビフーフの旦那は映画のデータを私にくれるかわりに、私のパソコンから『アダ〇ト・ビ〇オ』のデータをコピーしていったが、あのデータがどうなっているのかが非常に気がかりである。それ以前にどうして純情バックパッカーである私のパソコンに『アダ〇ト・ビ〇オ』なんて入っているのか、不思議に思った女性読者も多いと思うが、これは全てエジプト・カイロのスルタンホテルが悪いと、責任転嫁しておこう。


まあ結果から先に言うと、バックパッックは散々調べられたけれど『〇〇本』は発見されずに空港を出ることができた。私は最後の壁カテナチオを突破し、無事に日本へ帰国したのである。最後までいろいろあったけど、非常に内容の濃い充実した旅だった。このブログを見て「アフリカ大陸を縦断したい」と思った読者もいるのではないだろうか?そんな人達のために私から一言アドバイスして、今回の記事をしめくくりたい。↓




スーパーバックパッカーのアドバイス


「日本に『無修正〇〇本』を持ち込む際には、衣類でくるんでしまおう。」


 以上


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注釈:以下の単語は全てサッカー用語です


カテナチオ   ― イタリア語で「カギをかける」という意味。相手フォワードにディフェンダーをマンツーマンでつけ、更にリベロを余らせる守備重視のイタリア代表の戦術。
ネスタ     ― アレッサンドロ・ネスタ。イタリア・セリエAのACミラン所属。イタリア代表ディフェンダー。
マルディーニ  ― パオロ・マルディーニ。同じくACミラン所属でイタリア代表ディフェンダーでキャプテンでもある。
シェフチェンコ ― アンドリュー・シェフチェンコ。ウクライナ代表の点取り屋。現在イタリアでプレーしている。

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スーパーバックパッカー・ファンの皆様、こんにちは。


今回の記事はこのブログを開設してから32回目になり、当初は「帰国記念」として日本に帰ってからアップする予定でしたが、急遽予定を(内容も)変更して、現在滞在している中国は上海から更新したいと思います。


えー、今たぶん読者のほとんどが



「どうしてコイツは上海なんかにいるんだ?」



 と、考えているんじゃないかと思うので簡単に説明しますと、僕が帰国のために買ったエア・チケットが、バンコクから上海を経由して日本へ帰るチケットだったんです。本当は直接日本に帰りたかったんですけど、ダイレクト便は日本の卒業旅行シーズンのせいで価格が異常に高く、それで仕方なく現時点で一番安い「中国〇〇航空」というエアラインで帰ることになったのです。このチケットはダイレクト便よりも2万円くらい安く、また上海の空港でのトランジットは2時間だけだというので、そのときは、「まあ安いし、2時間トランジットするくらいかまわないや。」と思ってチケットを購入したのですが、それがこんなことになるなんて・・・。


いや、実はそんなたいした事じゃないんですけど、「バンコク→上海」の飛行機が悪天候のせいで、上海への到着が3時間遅れてしまったのです。もともと上海空港でのトランジットは2時間しかなかったので、当然のことながら上海に到着したときには、僕が上海から日本へ乗る予定だったフライトは既に出発しちゃった後で、ようするに乗り遅れてしまったのです。ただ悪天候で飛行機が遅れたのはもちろん乗客のせいではないので、僕は問題なく「次の便」で日本へ帰れると、航空会社の係員が説明してくれたんですけど、その「次の便」というのが、・・・・・なんと24時間後だと言うんですよ・・・。


まあそんな事情で僕は今、航空会社が用意してくれたホテル(もちろん無料、3食付、ネットもできる)にいて、この記事を書いています。上海で丸一日時間ができちゃったので、観光とかしてもよかったんですけど、前に一度来たことあるし、そんなに面白い街でもないのでそれはパスし、同じく日本行きの飛行機に乗り替えできなかった若い日本人女性と、ずっとホテルのロビーでハナシをしてました。


その女性もタイ旅行の帰りだったのですが、彼女はバックパッカーではなく、スーツケーサーでした。(そういう言葉があるのか知りませんが、ようするにスーツケースで旅行する人と理解してください。)けっこう気さくな女性だったんですけど、僕は正直言って最初は緊張しながら話してました。だって普通の日本人女性とハナシするなんて、すごく久しぶりだったものですから。


読者もご存知のように、僕は今時珍しいぐらいの純情で内気な日本人男性です。気心が知れた女性バックパッカーとハナシをするときでさえ緊張してしまう、そんな僕がバックパッカー以外の日本人女性とハナシをするなんて、しかも9ヶ月ぶりですよ!!9ヶ月!!緊張するなというほうが無理というものです。それで彼女といったいどんな会話をすればいいのかわからないままに、とりあえずベラベラと自分のアフリカ旅行について喋りまくったのですが、ふと彼女を見るとその表情に



「私アフリカに興味ありません」


 

 というメッセージがありありと出ていたので、慌てて僕はタイ滞在の話題に変えようと思ったんですけど、
よく考えてみたら僕がタイでした事といえばデモ集会に参加したぐらいだし、




「バンコクで 『オッパイ』 って叫んでいました」



 なんて言ったら変態扱いされるのは目に見えているし・・・などと困っていたら、しだいに彼女のほうがいろいろとハナシを盛り上げてくれて、なんとか間をもたすことができました。ちなみに彼女が僕にしてくれたハナシというのは、日本の話題でした。僕が久しぶりに日本へ帰るというので、彼女は親切にも日本のニュースをいろいろと教えてくれたのです。彼女が教えくれたニュースのうちの幾つかは、僕も知っていた内容でした。なぜならアフリカにいた頃、僕は可能な限りネット屋に行くようにしていたので、日本に関する大きなニュースについては、インターネットから時々情報を仕入れていたのです。


大黒将志がフランス・リーグへ移籍したとか、浦和レッズが天皇杯で優勝したとか、自分が興味がある分野はもちろんですが、時事ニュースなんかも真面目にチェックしてました。例えば昨年の総選挙で自民党が圧勝したこと、僕がこのニュースをエチオピアで知ったときには、



「僕が日本にいれば、バックパッカー党』を旗揚げしたのに・・・。」



と、残念に思ったことは言うまでもありません。


それから紀宮さまが結婚の際に皇族の身分を返上し、民間人になったことはザンビアで知りました。
このニュースを読んだときには



「僕も日本に帰って民間人に戻ったら、スーパーバックパッカーの称号』を返上しなければならないのだろうか?」



 などと思い悩んだことも今となっては良い思い出です。


まあ、そんな感じで時事ニュースとスポーツ記事に関してはマメにチェックしていました。逆に全然チェックしてなかったのは音楽とか芸能の分野です。このテの情報は知らなくても全然困らないだろうと思ったので、ほとんどノーチェックでした。なので僕はこの機会に彼女に今日本で流行っている芸能人をいろいろと尋ねました。確か音楽の分野では僕が日本を出た頃は


タッキー&翼 の 「仮面」


 とか


Gackt の 「メタモルファーゼ」


なんかが流行っていたんではないかとかすかに覚えているのですが、それから僕が海外で9ヶ月過している間に日本の音楽シーンにどのような変化があったのか、それとも無かったのかを尋ねたところ、つい最近まで日本で大流行していたのは



「修二と彰」


 というミュージシャンとのこと。それで曲名は


「青春アミーゴ」


 というらしい。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?





何ソレ? なんかグループ名も曲名もヒドくないですか? どんな歌なのかも全く想像できませんよ。


あと彼女によれば、



「アキバ48」



とかいうグループもブレイクしているのだそうだ。なんかモーニング娘みたいな女の子達のグループらしいけど、それにしても48人もメンバーがいるなんてすごい。学校だったら1クラス作れるじゃないですか。


それからお笑いの分野では、HGとかいう芸人が出てきたらしい。HGがどういう意味なのかしらないけど(ハイ・グレード?)なんでもこの人の



「ふぉー!」



 とかいう持ちネタが大流行らしい。なんでも両手をアタマの上に挙げて、



「ふぉー!」



 と、叫ぶとのことなのだが、彼女の説明はイマイチわかりにくかった。なので僕が



「ちょっと実際にやってみてよ」



 と、頼んだところ



「こんなところじゃ恥ずかしくてできない」



 と、顔を赤らめながら言い、やってくれなかった。いったいどんな芸なんだ?



まあとにかく、僕が9ヶ月間離れている間に日本のショービジネスに変化があったのはわかりました。そういうわけで軽い「浦島太郎」状態で、明日日本に帰ります。とりあえず日本に帰ったらまず、



「ふぉー!」



 を覚えようと思ってますので、皆様ご指導よろしくお願いします。



P.S ちょっと小耳に挟んだんですけど、「イナバウアー」って何ですか? どんな分野の言葉なのかさえ、わからないんですけど・・・。


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ついに日本へ帰るチケットを購入した。昨年の6月に日本を出て以来、およそ9ヶ月。最初の約1ヶ月はヨーロッパとモロッコ・エジプトだったので楽勝だったけど、エジプト出国の難民船としか思えないナイル川上りから始まって、モザンビーク南下のクレイジー・バスぐらいまでのブラック・アフリカ7ヶ月は本当にきつかった。それであんまりきつかったので今はタイのバンコクで旅の疲れをとっているわけなのだが、そのバンコク滞在も既に半月を超え、もうバンコクはお腹いっぱいって感じだ。


物価安いし、安全だし、言葉なんて下手すると日本語が通用しちゃったりして、ようするにすごく快適で、
日本食たべまくったり、漫画喫茶で日本語のマンガ読んだりするのが楽しくて楽しくてしょうがなかったんだけど、よく考えてみたらそういうことは日本でもできることであり、別にタイじゃないとできないことではないということに、



つい最近気がついた。



 そんなわけで日本へ帰る今になり、あわてて



「やばい、何かタイらしい経験しないとタイに来た意味がないぞ!」



 と、遅まきながら思うようになり、他の旅行者とタイスキを食べに行ったり、王宮を見学しに行ったりしたのだが、これがいまひとつピンとこない。タイスキはもちろんタイの料理だけど、食べた場所はなぜか中華街だった。そして王宮はもちろんタイの建築物だけど、そこにいたのはなぜか外国人観光客ばっかりだった。マトモに考えてみれば、そもそもタイらしい経験をしようというのに中華街へ行ったのが間違いだし、外国人しか集まらないような観光チックな場所に行ったのも、やはり間違いだったと言わざるを得ない。どうもタイに来て以来、私は旅人の感覚をニブらせてしまったようだ。これではいけない。なにしろ私は未来のバックパッカー界を担う少年少女たちの目標



スーパーバックパッカー



 である。そのスーパーバックパッカーが、普通の外国人旅行者でもできるような経験でタイの旅行を終わらせてしまっては、私に憧れる少年少女たちの夢を壊しかねない事態になってしまう。アフリカにいた頃の自分を思い出し、何かタイじゃないとできない経験を得てから日本に帰らなければ。


ではタイらしい経験とは何だろうか?


ここはやっぱりウルルン滞在記ばりの「地元の方々との触れ合い」がベストなのは百も承知だが、しかし私はタイ到着以来ずっと外国人旅行者の溜まり場であるカオサン・ロードに滞在し続けている。ここは地元タイの人たちがいないというわけではないのだが、いたとしてもそういう人達はたいていの場合外国人慣れしているので、失礼ながらスーパーバックパッカーの相手には適さない。


では私はいったいどうすればいいのだろう?


そんなふうに思い悩んでいたときに声をかけてきたのが、同部屋のK君だった。
K君はこんなふうに声をかけてきた。



「KOGさん、これから王宮に行きませんか?」


「王宮ならこの前行ったから、もういいよ。」


「いや王宮って言っても王宮自体じゃなくて、王宮広場に行くんです。」


「広場?」


「ええそうです。王宮前の広場で今日もデモやるらしいんですよ。僕、それに参加してみようかと思ってるんです。」


「ああ、例のやつね・・・。」



現在タイの首都バンコクでは、連日のように大規模なデモ集会が行われている。日本で報道されているのかどうかわからないけれど、これはタクシン首相一族の不透明な株取引に端を発したもので、首相の辞任を要求する10万人にもおよぶバンコク市民が、毎晩のように抗議集会を行っているのである。タクシン首相は議会を解散して事態の収拾を図ろうとしたが、バンコク市民はあくまで首相の退陣を要求し続けており、「タクシン首相が退陣するまでデモを続ける」と、その鼻息は荒い・・・


・・・と、さも自分で調べたように書いてみたが、実は上記の文章はみんな長期滞在者から聞いたハナシであり、私はといえば毎晩デモが行われていたのは知っていたが、いったい何のデモなのか全然に知らずに毎晩宿でビールを飲んでいた。何故宿で飲んでいるのかというと、タイでは夜12時を過ぎると酒類を販売してはイケナイという法律があって、バーに行ってもコンビニに行っても酒が手に入らないのである。聞くところによると、この法律はタクシンが首相になってから施行されたとのことで、私個人としても首相には是非とも退陣してもらいところだ。そんなわけで今日も夕方から宿で昼間のうちに買い置きしていたシンハ・ビールを飲んでいたわけなのだが、ちょうどほろ酔い加減になったところでK君が誘ってきたのだった。



「KOGさんも一緒にデモに参加しませんか?」


 そうK君は言う。しかしながら私は


「うーん、あんまり行きたくないなあ・・・。」



 と、答えた。確かに私としても首相には辞任してもらいたい。そしてデモに参加するというのは普通の旅行者はあんまりやらなそうだし、「海外でしかできない経験」を求めている私には良い機会だと思えなくもない。
しかしながら私はいまひとつ踏み切れないのだ。タイの政治問題に日本人である私が口を挟むことについて、どうしても躊躇してしまうのである。何故なら私のようなスーパーバックパッカーが口を出してしまうと、
きっと事態に大きな影響を与えてしまうことは必至であり、その結果タイ政府から内政干渉と思われたらとても困るし・・・・・などと考えていたらK君が



「デモの参加者には食事の差し入れとタイの国旗がもらえるんですけどね・・・。」



 と、意味深な笑みを浮かべながら言った。


その言葉を聞いて私は思った。もしタイの政治に汚職と腐敗が存在しているのが事実だとすれば、やはりそれは許されないことであり、誰かが正さなければならない。良い事を実行するのに国境の壁なんて関係ない。我々人類みな兄弟であり、お互いに協力し合わなければならないのだ。正義感に燃えた私はK君と一緒にデモ集会に参加することに決めた。読者のみんなには理解できると思うが決して私は差し入れという



「タダ飯」



 に釣られて参加するのではない。スーパーバックパッカーとしてタイの世直しに協力するのは私の当然の義務であり、参加者に配られるタイの国旗が



「お土産に最適だ」



 などと思ったからでは、決してない。間違っても誤解しないでもらいたい。



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王宮前広場は、群集で埋め尽くされていた。皆、タクシン首相の退陣を要求するシュプレヒコールを大声で叫んでいる。その光景に私もK君も圧倒された。なぜなら私もK君も今までデモのようなものに参加した経験はなかったから。しかしそれは仕方のないことだろう。今の日本で10万人規模の集会なんてまず起こらないし、もし起こったとしたら、それはデモではなくてたぶんグレイのコンサートだ。


しかしそれにしてもこれだけ大規模な集会であるにもかかわらず、暴力的な匂いが全くしないところがタイの良いところだ。外国人が参加しても全く危険な感じがしない。実を言うとスーダンにいた頃にも大きな集会に参加する機会があったのだが、残念ながら私は参加しなかった。何故ならそれはデモというよりはハッキリ言って暴動であり、何よりも



命を落とす



危険性がメチャクチャ高く、スーパーバックパッカーが旅半ばにして倒れたとあっては大勢の女性読者を悲しませることになるので、あえて辞退したのだった。まあそんなハナシはともかくとして、とにかく我々はデモの熱気に圧倒されていた。


そしてもうひとつ付け加えるなら、わからないことがひとつだけあった。デモ参加者の叫んでいるシュプレヒコールである。彼等の叫びが私にはなんだか恥ずかしく聞こえるのである。ちなみ彼等はこんなふうに叫んでいた。



「オッパイ!! タクシン!! オッパイ!! タクシン!!」



 ・・・私は何故だかすごく恥ずかしかった。そしてそんな私の表情を見たK君が言った。



「日本語の『やめろ』をタイ語に訳すと『オッパイ』って言うんですよ。だから『オッパイ タクシン』っていうのは『タクシン辞めろ』っていう意味なんです。」



 そうだったのか。それで彼等はあんなふうに叫んでいるのか。一瞬だけど私は彼等が首相に対して



「オッパイが欲しい」



 と、要求しているのかと思ってしまったが、どうやらそれは私の勘違いだったようだ。



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その後、私達はデモの状況をしばし見学していた。けっこう長い間見学していた。そして見学を始めてから1時間ぐらい経ったころだろうか?K君が、もう我慢できない、というような表情で僕に言った。



「KOGさん、僕達もやりましょう。」


「何を?」


「僕達も叫ぶんですよ。だって僕達はデモに参加するために来たんじゃないですか。」


「でも『オッパイ タクシン』だよ・・・。本当にやるの・・・?」



ハッキリ言って私は乗り気じゃなかった。確かに私はこのデモに参加するために来た。しかしいい年をした男が『オッパイ』などという言葉を大声で叫んでよいのだろうか?もちろんその言葉がタイ語だということはわかっている。それはあくまで「やめろ」という意味であり、「女性のそれ」を意味する言葉ではないということはわかる。だが頭でわかっていても、どうしても私の純情すぎる少年のような心が歯止めをかけてしまうのだ。いったい私はどうすればいいのだ・・・。そしてそんなふうに悩んでいる思春期の私に対し、K君が言う。



「KOGさん、こんなチャンスめったにないんですよ。」


「チャンス? 何が?」


「よく考えてくださいよ。KOGさん、日本で『オッパイ』って叫んだことあります?」


「あるわけないだろう。」



 私はそう答えた。あるわけがない。日本でそんな言葉を人前で大声で言えるはずがない。例えば私が東京・渋谷のスクランブル交差点で



「オッパイ!! コイズミ(首相)!! オッパイ!! コイズミ(首相)!!」



 と、叫んだらどうなるだろう。ひょっとしたら周りから「気の触れた変態」と思われるかもしれない。いやそれだけながらまだしも最悪の場合、警察に逮捕されることも考えられる。私が警察署で



「首相の退陣要求を『タイ語』でしていただけです。」


 
 と、説明しても、きっと誰も信じてはくれないだろう。そしてそんな事を考えていたらK君がとどめの一言を私に放った。



「でしょう? 僕も日本でオッパイななんて叫んだことなんてないですよ。でもね、今ならそれができるんです。絶対に良い思い出になりますよ。KOGさんもうすぐ日本へ帰るんでしょう? 今やらなっかたら、日本に帰ってから後悔しますよ。」



確かにそうだ。私はアフリカで最凶最悪都市ヨハネスブルグに平和をもたらした。アジア人である私がアフリカでさえ民衆のために働いたのである。そんな私が地元のアジアで民衆が戦っているというのに、ただ指をくわえて見ているだけでいいのだろうか? いや、いいはずがない。もし今ここで何もしなかったら、私は日本に帰った後で必ず後悔するだろう。世界のどこの国にいても民衆のために全力を尽くすのが、スーパーバックパッカーである。そして今タイで全力を尽くす事とは、それはすなわち民衆と一体になってシュプレヒコールを叫ぶことである。私は決断した。



「K君、やろう! 一緒にタイのために頑張ろう!」



それから私とK君はタイ人に負けないくらいの大きな声で



「オッパイ!! タクシン!! オッパイ!! タクシン!!」



 と、叫んでいた。最初のうちはちょっと照れくさかったけれど、慣れてくるとだんだん調子が出てきて、タイ人の参加者よりも大きな声で叫んでいた。そして最後のほうになるともう、なんだかタクシンと言うのが面倒で、ただ



「オッパイ!! オッパイ!!」



 と、だけ叫んでいた。自ら率先して叫んでいた。そして私は女の子と一緒に来なくて本当によかったと思っていた。


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あくまでK君の予測であるが、おそらくタクシン首相は退陣に追い込まれるだろうとの事。これは汚職と腐敗の無い政治を求める民衆の「オッパイ」という声が、タイの政治を変えることを意味する。しかしながらその民衆の中に日本人がいたという事実に、タイ人が気づくことは無いかも知れない。そしてその日本人がスーパーバックパッカーであったという事にも彼等は気づかないかもしれないが、これに関しては



「できればこのまま気づいてほしくないな・・・」



 と、スーパーバックパッカーは考えているそうである。



追伸 : そんなわけでスーパーバックパッカーは、バンコクでやるべきこともやって満足したので、
もうすぐ日本へ帰ります・・・。


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降り止まない雨はない。そして明けない夜もない。
どんなに暗く深い闇に包まれようとも、必ずいつかは光が差し込んでくる・・・。


ヨハネスブルグ


この街は永きに渡り暗黒の雲に覆われていた。国家でさえも手におえない悪党が跳梁跋扈し、多くの外国人旅行者が襲われた。地元住民は恐怖の中での生活を余儀なくされ、ここに生を受けた自分達の運命を呪っていた。この街に平和が訪れることなど未来永劫あり得ない事だと、誰もが思っていた。


しかしそんな魔界都市にも、遂に神の祝福が授けられた。この街に巣食う悪党どもに、ケープタウンより風のように訪れた一人の清々しい好青年が闘いを挑んだのだった。その戦いは三日三晩にも及んだ。圧倒的多数を誇る悪党たちに対し、青年はたった一人、不眠不休で闘い続けた。戦況は明らかに彼にとって不利であり、誰の目にも敗北は必至だと映った。

しかし青年は最後まであきらめなかった。彼はどんな苦境にも


「少年のような心」

 と

「さわやか笑顔」


 というリーサル・ウエポンを持って闘い続けたのだ。そして戦いが終わった時、勝利は彼の手の中にあった・・・。


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最後の敵を倒したとき、彼は少年のような微笑みを浮かべながら


「ご安心下さい。戦いは終わりました。これでこの街も平和になるでしょう。」


 と、ひとりの住民に声をかけた。住民は青年のあまりの清々しさに感極まりながらも


「あなた様はもしやメシア(救世主)では・・・?」


 そう尋ねると


「私は救世主などではありません。私はただのバックパッカーです。」


 男はそう答えて、名前も告げずに立ち去ったという。しかし住民達は彼が誰なのか気付き始めていた。ただのバックパッカーが僅か3日でヨハネスブルグを平定するなど不可能である。もしバックパッカーのなかでそのようなことを可能にする者がいるとすれば世界にただ一人、バックパッカー界の最高位に立つあの男、スーパーバックパッカーの称号を持つ、あの男しかいないのだから・・・。


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スーパーバックパッカーが僅か3日でヨハネスブルグに平和をもたらしたというニュースは、APやロイターといった外電を通じて瞬く間に世界中に流れることになった。当然それはタイにも伝わっているはずであり、救世主がヨハネスブルグの次にバンコクを訪れるとなれば、国を挙げての歓喜の嵐でスーパーバックパッカーを迎えると思われたが、実際に到着してみると、何故だか全然そんなことはなかった。私は不思議に思い、試しバンコクの街を歩いてみたのだが、やっぱりこの超有名人、スーパーバックパッカーに誰も声をかけてこない。

バンコクは夜中に外国人が一人で街を歩いても襲われないという不思議な街なので、沢山のお気楽な旅行者が深夜まで酔っ払いながら街を徘徊しているのを見かける。ケニアのナイロビやジンバブエのハラレに滞在している旅行者から見ればちょっと信じられない光景なのだが、それくらい大勢の旅行者がいるにもかかわらず、私に


「アフリカ陸路縦断達成おめでとうございます。」

 とか

「旅の武勇伝を聞かせてください!」

 とか

「ヨハネスに平和をもたらした今の心境は?」


 と、言って声をかけてくるものが一人もいない。私はそれならばと思い、カオサン・ロードにある日本人しか泊まっていない宿にチェックインしてみたのだが、やはりここでも状況は同じだった。スーパーバックパッカーがやってきたというのにほとんど誰も私に関心を示さない。

これはいったいどういうことなのだろう?日本人同士であれば言葉の壁もないから遠慮なくハナシができるはずなのに、ちっとも言葉を交わすことがない。ブラック・アフリカにいた頃は日本人と出会ったりすると、驚きのあまり絶対に声を掛け合うのが自然のなりゆきだったのに、ここではそういうことが全然無い。こっちが「こんにちは」と、声をかけているのに、目で会釈するだけで一言も返さない奴すらいる。この原因はどうやら、「タイに日本人旅行者が多すぎる」ことにあるようなのだが、だからといって誰とも口をきかないのでは、わざわざ日本人宿に泊まっている意味が全然無いので、仕方なく自分から他の宿泊者に


「スワジランドの安宿について教えてあげるよ。」

 と、声をかけたところ

「それ、どこにあるんですか?」

 と、一蹴されてしまった。それならばと思って

「じゃあウガンダのピグミー(小人族)に会う方法を知りたくない?」

 と、質問を変えてみたが 

「いや、別に・・・」

 と、これまた気の無い答えが返ってくる。なのでこうなったら最後の手段で

「じゃあこれはとっておき! ザンビア - ボツワナ間の陸路国境越え情報を・・・」

 と、説明を始めたところ

「あ、僕ちょっと用事を思い出したんで・・・。」


 と、言って部屋を出て行ってしまった。私の親切心はなんだか逆効果だったみたいだ。


確信はないのだが、ひょっとしたらタイにいる旅行者はアフリカ縦断とかユーラシア横断とか、そういう旅行にあんまり興味が無いのかもしれない。あと気のせいか私からすると、何だかみんな「死んだ魚のような眼」をしているようにも見える。やる気があるのか無いのか、表情から読み取るのが非常に難しい。


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そんな感じで、予想もしていなかったバンコクでの滞在に、私は戸惑っていた。本来であれば「アフリカを陸路縦断」し、ヨハネスブルグに平和をもたらした」私は、少なくとも日本人宿なら皆の尊敬の眼差しを集めることができるはずだと考えていたのに、現実はそうではない。

その理由が何であるのかを数日間考え続けているうち、ひょんなことから私はこの宿に、私以上に旅行者の尊敬の眼差しを集めている旅人がいるというハナシを耳にした。これは聞き捨てならないハナシである。私のレベルを上回るの旅人なんて・・・。そのため私はその旅人がいったいどのような男なのか、調査をすることにした。そして現時点で判明したのは以下の事実である。


その旅人の名前は


「アニキ」


むろん本名ではない。しかし彼は皆から親しみを込めて「兄貴」と呼ばれている。年齢は40歳に近いということだが、正確なところは誰にもわからない。聞くところによるともう4ヶ月以上もバンコクに滞在しているらしい。一箇所に4ヶ月以上の滞在なんて、私にはどう考えても「沈没」としか思えず、ハッキリ言って


「旅行者じゃないじゃん」


 と、言いたかったが、それは何とか自重した。それから私は少しの間、彼の事を観察していたのだが、彼は本当に無口で物静かな男で、昼間は大抵の場合日本語のマンガを読んでいる。彼が自分から人に話し掛けるということはほとんどない。しかし宿の旅行者たちが、

「アニキ、ちょっと教えてもらいたいことがあるんですけど・・・。」

 とか、

「アニキ、今夜連れて行ってもらいたいんですけど・・・。」

 というふうに声をかけると、口数は少ないが一応何かしら返答している。そんな様子を私はずっと観察し続けていた。しかし観察し続けたがよくわからない。何故みんなアニキに頼るのだろう?


教えてもらいたい事があるのなら、私に尋ねればいい。


「ハラレでの闇両替の仕方」でも「ヌビア砂漠縦断情報」でも、何でも教えてあげるのに・・・。


連れて行ってもらいたいところがあるのなら、私に言えばいい。


「モザンビーク」でも「ルワンダ」でも、どこへでも連れて行ってあげるのに・・・。


アニキは私のように「清々しく」も見えないし、「少年の心」を持っているようにも見えない。しかし現実には、宿のみんなは彼の事を頼り、慕っている。それもこのスーパーバックパッカーをさしおいて・・・。わからない。私には何故彼がそこまで皆の支持を得ているのかが全くわからない。恐らくアニキは皆の尊敬を集める何か特別な秘訣を知っているのだろうが、今の私にはそれを見抜くことができない。

しかし手をこまねいているわけにもいかない。このままではいつまでったても私はこの宿ではナンバー2だ。そんな事は絶対に駄目だ。そんな事になったら、これまでの戦いで私に敗れた強敵達が私のことを笑うだろう。

牡牛座のアルデバラン、双子座のサガ
ドイツのカール・ハインツ・シュナイダー、アルゼンチンのファン・ディアス・・・。
彼等は私のことを笑うだろう。
我が師である「魔鈴」「ロベルト本郷」も、決して私の事を許さないだろう。
早く何とかしなくては・・・。

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その後も私はアニキの調査を続けたが、残念ながら数日を無駄にしただけだった。さすがに私は少々焦ってきた。意気込んでみたものの、なかなかアニキの秘密に近づく事ができない。いったい私はどうすればいいのだろう。ツーリスト・インフォメーションに「アニキの秘密」について尋ねに行こうかと、真剣に思い始めた頃、私は同宿の旅行者から


「KOGさん、アニキが今夜、酒飲みに行くみたいなんですよ。それで俺もついていく事になったんですけど、どうです?KOGさんも一緒に行きませんか?」


 という、唐突な誘いを受けた。思わぬお誘いだった。しかしこれは良いチャンスだぞ。アニキがどれほどすごい男なのかを、自分の眼で確かめられる絶好の機会だ。おそらくこれは旅の神様が、


「激闘の末にヨハネスブルグに平和をもたらした私」


 に対して褒美として与えてくれたチャンスなのだろう。この好機を逃すことはできない。私は自分も行くと即答した。


そしてアニキと私、他3名の同宿の旅行者(いずれも会社を辞めて旅している)の計5人は、酒を飲む為にタクシーで夜のバンコクへと繰り出すことになった。しかし何故タクシーに乗ったのだろう?カオサン・ロードには酒を飲む場所なんて吐いて捨てるほどある。小洒落たバーもあれば、屋台で飲むことだってできる。それで不思議に思った私は尋ねてみた。


「どうしてタクシーに乗るの?飲み屋ならそこいらに沢山あるじゃん。」

「アニキは『タニヤ』に行きたいんだそうですよ。」

「そうなんだ、なるほどね。」



 と、私はさもわかっているように答えたが、実は初めて耳にした専門用語に戸惑っていた。


『タニヤ』ってなんだろう?


なんだかさっぱりわからないが、まさか「タニヤって何?」なんて訊けるはずがない。私は世界にただ一人のスーパーバックパッカーであり、外国のことに関しては誰よりも詳しいことになっているので、旅の初心者のように簡単に人にものを尋ねてはいけないのである。そんなわけで私はタクシーに乗っている間、ずっと「タニヤとは何か?」考え続けていた。

そして数十分後、我々を乗せたタクシーはタニヤに到着した。そしてタクシーを降りたとき、私は唖然とした。そこはまさしく日本だった。日本語で書かれた看板を掲げた店が、これでもかというくらいに存在していた。しかもそのどれもが高級店のように見える。

店の前ではタイ人の客引きが



「カワイイ子イマスヨー。」



 と、何故だか流暢な日本語で呼び込みをしていた。私はそんな光景を目にして、



「ここは本当にタイなのだろうか?」



 と、驚いていた。とにかくタニヤという地域の全てが日本だった。私はそのエリアの中でも少しくらいタイらしいところがないかと見回していたのだが、タイらしい店というのが全然見つからない。一軒だけ屋台があって、

「お、タイらしくちゃんと屋台もあるじゃん。」


 と、思ってのぞいてみたら、それは「たこ焼き」の屋台だった。ちょっと信じられない光景だ。私はあんまりビックリしていたので、まるでおのぼりさんのようにキョロキョロと日本語の看板を眺めていた。


「クラブ純」、「クラブ天使」、「カレッジ・パブ 屋根裏」


いろんな店があった。しかしどうでもいいことだけど「クラブ~~」というのはともかく、「カレッジ・パブ」というのは一体どのような店なのか想像もつかない。あとついでに、「屋根裏」というネーミング・センスもよくわからない。

とにかくタニヤの全てが私にとって未知の世界であった。そして私は世界を股にかけるスーパーバックパッカーなのに、タイのことについて何も知らない自分を恥じた。

そしてアニキはといえば、何一つ驚いた表情を見せずに我々の先頭を切って歩いていた。どうやらアニキはタニヤについては詳しいようだ。そしてアニキは数多くあるクラブのうちの一軒へと、足を踏み入れた。我々はただ金魚のフンのようにアニキの後をついて行くことしかできなかった。


「イラッシャイマセー!!」


店に入った瞬間、いきなり大勢の若い女の子達がそう言って我々を出迎えた。私は



「何故こんなところに日本の若い女の子が沢山いるんだ。」



と、驚いたが、よく見てみるとみんなタイ人の女の子だった。それにしてもどうしてこんなにも多くのタイ人が日本語を話すのだろう?ひょっとしたらタイの第二外国語はジャパニーズなのかもしれない。それはともかく、私が店の女の子達に驚いていると、突然アニキが


「今夜は5人もいるからね。ボトルを入れるのと飲み放題とどっちが安いか計算するから、その間に女の子を選んでおいて。」


 と、言ってどこからか電卓を出し、そそくさと計算を始めた。普段は無口なあのアニキが今夜は率先して皆に的確な指示を与えている。そんなアニキのリーダーシップぶりに他の旅行者達は皆感心している。あと彼等はなんだか女の子を選ぶのにも夢中になっている。

しかし酒を飲むのにどうして女の子を選ばなければならないのだろう?別に男だけでも酒は飲めると思うのだが・・・。幾つになっても「少年のような心」を忘れない私には、その理由がまるでわからない。他の旅行者達が次々に好みの女の子をチョイスしていくなか、状況が把握できていない私は、ニコニコと私に対して笑顔を送ってくる女の子達の前でただ立ち尽くしていた。すると見かねた店のマネージャーが私に声をかけてくる。


「好キナ娘ヲ、選ンデ下サイネ。」


完璧な日本語でそう言われたのだが、それでも私は女の子を選ぶことができなかったので、結局マネージャーが薦めてくれた女の子を隣に座らせて酒を飲むことになった。そして皆が女の子を選んだとき、アニキが言った。


「計算したら飲み放題のほうが安かったよ。1時間600バーツね。」



1時間600バーツ(1800円)? 飲み放題とはいえ、なんでそんなに高いんだ?宿代4泊分もするじゃねーか。タイの物価からすると以上に高いぞ。何故バックパッカーがそんなに高い店で飲まなきゃならないんだ?

私はアニキについてきたことを後悔しはじめていた。いくらアニキの秘密をあばくためとじゃいえ、600バーツは大き過ぎる代償である。しかし飲み始めた以上、今更自分ひとりだけ帰るわけにもいかない。

私は仕方なく隣に座っている若いタイ人の女の子と日本語で会話しながら酒を飲むことにした。読者のみんなはわかってくれると思うが、あくまでも仕方なくである。間違っても誤解しないでもらいたい。それを証拠に私は女の子と酒を飲みながらも、常にアニキの動きをチェックしていた。何故なら今夜飲みにきたのは、あくまでアニキの秘密を探るためだからである。だから私は、なんだかやたらと甘えてくる女の子をすかしながら、アニキのほうをチラチラと盗み見ていた。

アニキもチョイスした女の子と会話していた。というか、女の子が一方的に話していて、アニキはただ聞いているだけという感じだ。私は二人がどんな会話をしているのか知りたかった。それを知ることが出来れば、アニキの秘密に少しは近づけるかもしれないからだ。あまりほめられる行為ではないが、もはや手段を選んでいる場合ではない。私はデビルマンに勝るとも劣らない地獄耳で、彼らの会話を盗み聞く事にした。


「ねえ、社長・・・」


・・・な、なんだって!? アニキが「社長」!?そ、そうか、ただの旅行者ではないと思っていたが、それにしてもまさか「社長」だったとは・・・。どうりで威厳があるはずだ。それなら他の旅行者達が「アニキ」と呼び、彼に一目置くのにも頷ける。なぜなら日本人は「社長」という言葉に弱いからだ。しかしこれは強敵だぞ。社長」を相手に宿のナンバー1の座を奪わなければならないのだから・・・。


ん?しかし待てよ?アニキは社長なのにどうして安宿なんかに泊まっているんだろう?しかもドミトリーに。社長なら金を沢山持っているはずなのに・・・。


・・・わからない。全然わからない。今夜は何だかわからない事ばかりだ。ライバルである私をここまで悩ませ、女神より


「黄金聖衣(ゴールドクロス)」「スーパーバックパッカーの称号」


与えられたこの私をここまで苦しめるとは、さすがアニキだ。どうやら今夜のところは私も自分の敗北を認めるしかなさそうだ。しかしアニキ、私は決してあきらめないぞ! いつの日か必ずアニキからナンバー1の座を奪ってみせる!


アニキと私の戦いはまだ始まったばかりだ・・・。

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バスは朝靄の中、パークステーションを目指してハイウエイを滑るように走っていた。そしてそのバスの中では一人の男が窓からヨハネスブルグの街を眺めている。周りの乗客は誰も気付いていなかったが、彼の身体は小刻みに震えていた。しかしそれは不安や恐怖のせいではない。男はこれから始まる闘いに、武者震いしていたのだった。


「ついにやってきたぜ・・・。」


男はそう呟いていた。血塗られた過去を思い出しながら。


エジプトではリビア人に間違われ、エチオピアではテントも無いのに路上で野宿した。ジンバブエでは風邪ひいて高熱を出し、モザンビークでは生まれて初めて南京虫に刺された。そして魔鈴さんとの「ペガサス流星拳」特訓の日々・・・(以上、「血塗られた過去」)。



今思えば、それらの過去は全て今日のこの日のためのプロローグだったように思えてくる。今日、このヨハネスブルグ到着のための・・・。


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旅人の誰もが恐れるという、魔界都市・ヨハネスブルグ。そこでは最強の魔物たちが手ぐすねひいて外国人旅行者を待ち構えているという。彼等の戦闘能力は世界のどの国の強盗団よりも高く、ここを突破するのはブラジル代表FWアドリアーノといえども容易ではない。事実、数々の歴戦を経験した旅の猛者たちの中にも、彼等の刃の前に倒れた者は多いのだ。

しかし俺は負けるわけにはいかない。ここで敗れては遥か遠い日本から俺を応援してくれる、5億8000万人のファンに顔向けできない。スーパーバックパッカーの名に恥じぬ戦いをして勝利し、散っていった戦友たちの仇を討つのだ・・・。

俺はそう誓いながら、ケープタウンのバス・ターミナルからヨハネスブルグへと向かうグレイハウンドに乗り込んだ。ちなみに俺がグレイハウンド社のバスに乗ることになったのには理由がある。実はケープタウン在住の日本人から薦められたのだ。


「いいですか、絶対にグレイハウンド、トランスラックス、インターケープ、この3つのうちのどこかのバス会社を使ってください。ヨハネスブルグのパークステーション内に入るバスはこの3社だけです。他のバス会社だとヨハネスブルグでバスを降りた瞬間に襲われて身包み剥がされます。でもパークステーションの中は安全です。だから必ず直接パークステーションに入ってから、次の行動に移ってください。」


 彼は俺にそう忠告したのだった。そして俺は


「う、うん。わかった。そうするよ・・・。」


 そう言って彼の忠告を0.01秒で勇ましく受け入れた。いや、別に襲われることが怖かったわけじゃない。武装強盗なんて俺の敵ではない。何故なら俺には必殺の「ペガサス流星拳」があるからだ。彼の忠告を素直に受け入れたのはあくまで彼を心配させない為であり、他意はない。


そして今、俺が乗っているバスはヨハネスブルグの中心部へと着々と近づいている。過去を回想するのにも飽きた俺は、昨日から通算すると20回目くらいになる質問をバスの乗務員に投げかけていた。


「こ、このバス、パークステーションの中に入りますよね? 絶対に入りますよね?」


俺は威風堂々とそう質問した。そして乗務員は俺のそんな質問に対し、「そんなに心配しなくても大丈夫だから。」と、答える。彼の表情は優しく、まるで泣いている幼稚園児を慰めるような答え方だった。彼が俺に対して何故そのような言い方をしたのかはわからない。きっと他の人間と間違えてていたのだろう。


やがてバスはハイウエイを降り、ヨハネスブルグの中心地に入った。
しかし中心部入ったにもかかわらず、街からは活気というものが全く感じられない。
まるで見捨てられた街のようだ。
いや、これは気のせいだろう。南ア最大の都市に活気が無いはずがない。

さらにバスは中心部からヨハネスブルグの最深部へと入った。
しかし何故だかわからないが、白人や東洋人が歩くのを全く見かけない。
とても白人が政権を握っていた国とは思えない。
いや、これは気のせいだろう。南ア最大の都市で外国人がいないはずが・・・


「・・・気のせいじゃないし。・・・何だか怖そうな黒人しかいないし。」


どうやらヨハネスブルグはケープタウンとは全然違う街のようである。


-------------------------------------------------------------------------------------------



パークステーション


ヨハネスブルグの中心地にありながら、魔物の進入を許さない唯一の聖地。その砦は金属製の強固な柵に囲まれ、多数の衛兵(警備員)による警戒を絶やさない。バスは遂にそのパークステーション内に入ることに成功した。

そして駐車場にはスーパーバックパッカーを出迎える群衆が・・・・・
と、思ったらほとんど人影が無かった。どうやら早朝のせいらしい。仕方ない。歓迎の催しはあきらめてさっさと宿へと向かうことにしよう。スーパーバックパッカーに立ち止まることは許されないのである。だから俺はバスの乗務員にこう言った。


「す、すみません。明るくなるまでバスの中にいさせてもらえないでしょううか?」


 いや、勘違いしないでもらいたい。夜行バスの中で上手く眠れなかったから、もう一眠りさせてもらおうと思っただけだ。決してバスから出るのが怖かったとか、そういうことではない。まあ、そんなことはともかく、俺の問いに対して乗務員はこう答えた。



「悪いがこのバスはヨハネスブルグじゃなくて、次のプレトリアが終点なんだ。だからすぐに出発しなきゃいけないんだ。」

「そんな・・・」

「休みたいならすぐそこにウチのオフィスがあるから、そこで休みなさい。」

「そのオフィスはパークステーションの中にあるのですか?」

「そうだ。だから安全だ。心配するな。」



俺はその言葉を聞くやいなや、バスを出てグレイハウンドのオフィスに駆け込んだ。


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そのオフィスで数時間ビビッテいた休息した後、俺は行動を再開することにした。とりあえず今日泊まることのできる宿へ向かわなくてはならない。俺はガイドブックを開き、安宿をひとつチョイスした。そしてそこに電話をかけることする。何故電話をかけるのかというと、宿から迎えにきてもらうのである。

誤解しないでもらいたいが、俺は一人で宿まで行くのが怖くて迎えにきてもらうわけではない。実はヨハネスブルグの大抵の宿には「無料の」ピックアップサービスがある。これはヨハネスブルグを訪れる旅行者の安全確保のために宿がサービスの一環として行っているのだが、俺の場合はもちろん女神に認められたセイント(聖闘士)だから、自分の身なんて自分で守ることができる。それは魔界都市ヨハネスブルグにおいても同様である。俺がこのサービスを利用するのはあくまで「無料だから」である。スーパーバックパッカーとして、いついかなる時でも倹約の精神を忘れてはならない。決して一人で街に出るのが怖いからとか、そんな理由ではないのである。

そういうわけでパークステーション内の公衆電話から俺は目当ての宿に電話をかけた。相手はすぐに出てくれた。


「すみません。今日そちらに宿泊したいんですが。」

「部屋は空いてるから泊まれるよ。」

「あと無料でピックアップしてくれるってガイドブックに書いてあるんですけど・・・。」


「うん、できるよ。ただこれからチェックアウトする宿泊客をを空港に送って、それからまた別の宿泊客を空港から拾って来なきゃならないんだ。だからパークステーションに行けるのは2時間後くらいになっちゃうけど、それまで待てるかい?」



「待てます!待てます! 2時間でも20時間でも待ちますから、必ず迎えに来てください!!!」


約2時間後、宿からの迎えがパークステーションにやってきた。俺は彼等に連れられて、中心部から離れたヨハネスブルグ・イーストゲート地区にある宿にクルマで無事に送り届けられた。結局ヨハネスブルグ初日、俺の身には何事もおこらなかった。俺は最危険地帯を無傷でパスできたのだ。まあ無傷なのは当たり前だ。だって魔物達が襲ってこなかったのだから。しかし魔物達は何故襲ってこなかったのだろう・・・・・


・・・・・そうかわかったぞ!、魔物たちは逃げ出したのだ。奴らにはわかっていたのだ。俺に立ち向かっても勝てるわけがないと。だから襲ってこなかったのだ。そうだ、きっとそうに違いない!


決して


「メチャクチャ怖かったので、ヨハネスブルグ到着で強盗に一番襲われにくい方法を使った。」


 から襲われなかったとか、そういうことではないので、くれぐれも読者の方々には勘違いされないようにお願いしたい。


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管理人のKOGです。


タイのバンコクに着きました。前回のブログ記事の反響が大きかったので、急遽これを書くことにしました。


ヨハネスブルグには3泊滞在しましたが、危険な事には遭わずにすみました。皆さんにはご心配をおかけしてしまったようで、本当に済みません。


これから少しタイで休憩してから日本へ帰ります。

アフリカ縦断は既に完了してしまいましたが、ヨハネスブルグとかタイのこともブログに書こうと思っているので、これからもブログよろしくお願いします。

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どんなに勇猛果敢な戦士にも、時には休息が必要である。それはたとえスーパーバックパッカーといえども、例外ではない。僕ぐらい高レベルのバックパッカーにとって、陸路アフリカ縦断なんてお茶の子サイサイ、赤子の手をひねるよりも簡単なことだから、今回の旅で辛いと感じたことなど一度もないし、ましてや泣き言を吐いたことなんてあるわけがないけれど、本音を言うとさすがにちょっと疲れた。

だから僕は日本へ帰る前に少し休憩しようと思っている。休憩する場所は東南アジアのタイに決めた。別にこのまま南アで休憩してもよかったんだけど、安宿のドミトリーで一泊1300円という「スーダン暴動」よりも恐ろしい物価高の為に、これ以上の南ア滞在は不可能と判断し、さっさとこの国を出ることにした。

そういうわけで先日、現在滞在しているケープタウンの旅行代理店でタイ行きのチケットを探したところ、なんと最安の片道でかるく10万円を超えるという。ちょっと信じられない価格だ。高すぎる。そこで困った僕は担当してくれた女性にいろいろと相談したのだが、彼女によればケープタウンからではなくてヨハネスブルグから飛べばかなり費用を節約できるという。しかし・・・・・


ヨハネスブルグ


最凶最悪犯罪都市。戦時下の都市を除けば「世界で最も危険な街」と呼ばれる都市である。ケープタウン在住の日本人によれば


「外国人が街の中心部を一人歩いたら、平日の昼間でも200%の確率で襲われる。」


そうなのだ。首締め強盗、銃器を持った武装強盗は言うに及ばず、男性でもレイプされることが多々あったりして、全ての面においてあのナイロビの比ではないという。

恐ろしいハナシだ。しかしながら、ちょっと恐ろし過ぎやしないだろうか?だいたい人から聞いたハナシというのは次第に尾ひれがついていくものである。ヨハネスブルグについての情報も旅人の間を渡っていくうちに誇張されたのではないのだろうか? きっとそうに違いない。

そう思った僕は正確な情報を得るために、現在僕が最も信頼しているガイドブック「ロンリープラネット・サザンアフリカ」を開き、ヨハネスブルグのページを読んでみた。そしたらこんな項目があった。


「SARVIVING IN JOHANNESBURG」

(ヨハネスブルグで生き残るには)


・・・・・ヒドイ。最初は筆者がジョークで書いたのかと思ったけど、その項目を読んでみると、どうやらマジで書いているようである。さすがにこれはちょっとヤバすぎる。このぶんだと僕のような少年らしく清々しい好青年なんてきっと格好の標的となってしまうに違いない。


ハッキリ言って行きたくない・・・。


僕は自分がどうすべきか、かなり時間をかけていろいろと考えた。ケープタウンからバスでヨハネスブルグまで行き、そこから飛べば確かに飛行機代は節約できるかもしれない。でもそれが何だというのだ。ヨハネスブルグに行くにしたってバス代がかかるのだ。いくらかかるのか知らないが、少なくともタダではない。それを考えれば合計で節約できる交通費なんてたいしたことないだろう。日本人から見ればきっとたいした金額ではないはずだ。そんなはした金のために命や貞操を失うなんて馬鹿馬鹿しいことだ。


そういうわけでヨハネスブルグから飛ぶのはやめることにした。ただ、ひょとしたら本当にお金に困っていてヨハネスブルグから飛ばざるを得ない日本人バックパッカーと数日以内に出会うことがあるかもしれない。そのときに正確な情報を提供することができれば、きっと喜ばれることだろう。心優しい僕は一応バス会社のオフィスへ行き、ヨハネスブルグ行きのバス代を尋ね、ケープタウンから飛ぶのと比べてどのくらい金額に差が出るのか調べることにした。

以下、バス会社での会話。


(僕)「すみません。ヨハネスブルグまでのチケットはいくらでしょうか?」

(係)「270ランドよ。」

(僕)「えっ?そんなに安いんですか?」

(係)「普段は450ランドくらいするんだけど、今は2月28日までの期間限定割引中なのよ。」

(僕)「そうなんですか。それにしてもすごい割引ですね。」

(係)「ところであなたは学生? 学生証持ってる?」

(僕)「ええ、持っていますけど。」

(係)「持っているなら、270ランドから更に5%割引できるから256ランドになるわよ。」

(僕)「256ランド? 本当に? じゃあ買います! 今すぐ買います!」


ヨハネスブルグまでのバス代256ランド。本来450ランドが256ランド。43%OFFだ。ビッグカメラも真っ青の割引率じゃないか。いやあ、かなり得したぞ。よかったよかった、って・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ウソ! 俺、ヨハネスブルグ行きのバスチケット買っちゃったよ!つい勢いで買っちゃったよ!


・・・・・どうしよう。つい勢いで買っちゃったけど、本当にどうしよう。とにかくまず落ち着こう。そしてしっかりと対策を考えよう。きっと何か良い方法があるはずだ。

それからとりあえず僕はそのバスチケットを無駄にしないために仕方なく



「ヨハネスブルグ → バンコク」


のエアチケットを購入した後、宿へ帰ることにした。宿への道すがら僕は今後の対策についていろいろと考えた。

いくらヨハネスブルグが危険と言っても、全ての旅行者が被害に遭うわけじゃない。餌食になっているのは多くの場合、個人旅行者だ。そうだ、誰か誘えばいいのだ。仲間を募ってグループで行くならリスクも軽減されるに違いない。


「一人一人は小さくても、みんなで力を合わせればきっとできるはず。」


素晴らしい考え方だ。まるで「週間少年ジャンプ」のメインテーマのようだ。いつまでも少年のような心を忘れない僕だからこそ思いつくことができたアイデアだ。そして僕は意気揚揚と宿へ帰り、同じ宿に滞在している日本人旅行者達に、


「みんなで力を合わせてワールドカップヨハネスブルグに行こう!」


 と、大空翼クン(キャプテン翼)なみの朗らかさで声をかけてみた。すると僕の想いとは裏腹に、皆それぞれ自分の予定があるので、残念だけど僕と一緒にヨハネスブルグに行くことはできないと答えた。でも彼等は僕と一緒に行けない代わりに、僕にとても温かい言葉をかけて激励してくれた。こんなふうに。


「絶対に嫌だ。」

「どうしてそんな危険な所に行かなきゃいけないの。」

「死にたければ一人で死ね。」



あまりに温かい言葉だったので、本気で泣きそうになった。


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ええい、もうゴチャゴチャ考えるのは止める!強盗だかレイプだか知らないが、襲われたら返り討ちにしてやればいいだけのことだ。いつでもかかってこい。ペガサス流星拳(聖闘士星矢)でぶっ飛ばしてやる。あの技なら1秒間に100発も撃てるから、たとえ20人に襲われたって大丈夫だ。

そうそう、大丈夫さ。心配ない。もうヨハネスブルグのことなんて考えないで、そのあとのタイでの過ごし方でも考えよう。


あー、タイ本当に楽しみだなあ。
タイに行けば、タイに行けばきっと


安くて美味い料理を食べることができるだろうなあ。

安くて快適で安全な宿に泊まることができるだろうなあ。

アフリカと違って日本語が使えるネットカフェもすぐに見つかるだろうなあ。

そうすればこのブログもすぐに更新できるだろうなあ。

少なとも2週間以内には次回の記事をアップできるだろうなあ・・・・・だけど、



だけどもし2週間経ってもこのブログが更新されないときは、誰でもいいから


「在南アフリカ共和国日本大使館」に連絡して!


お願いだから連絡して! あとついでに僕の家族にも連絡して・・・・・



P.S 日本からの電話のかけ方

在南アフリカ共和国日本大使館 +27(12)4521500

大使館に連絡する際には、こんなふうに伝えてください。


「少年のような心を持ったスーパーバックパッカーが、まさしく少年らしくヨハネスブルグで迷子になってしまったので探してください。」


みんなよろしくね。


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喜望峰にて




2006年2月

 一人の勇敢な、そして笑顔の素敵なスーパーバックパッカーがエジプトから南アフリカまで陸路でアフリカ大陸を縦断するという偉業を達成した。この好青年がアフリカ縦断という偉業を完成させるまでには、これまで本当に数多くの苦難があった。しかし彼はどんな時にも決して失うことのなかった



「少年のような心」



 と、持ち前の



「爽やか笑顔」



 で幾多の困難を乗り越えてきたのだった。特に最後の南アフリカ共和国では、サイモンズタウンから喜望峰へ自転車で到達しようという



「NASAのアポロ計画」



 や、



「リンドバーグの大西洋横断飛行」



 に勝るとも劣らない厳しい試練を自らに課し、そしてそれを見事に実行した。今回の記事は「アフリカ縦断達成記念」とし、彼がいかにして喜望峰へ到達したのかを知ってもらいたい。


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15世紀にポルトガルの航海者バーソロミュー・ディアズによって発見されたと言われる喜望峰は、エジプトから陸路でアフリカ南下を志すバックパッカーの目的地であるとともに、多くの一般ツーリストが見学に訪れる観光スポットでもある。しかし、それだけ著名な場所にもかかわらず、喜望峰周辺には公共交通機関というものが全く存在しない。もしケープタウンから喜望峰へ行こうとするならば、パッケージツアーに参加するか、あるいはレンタカーを利用するのが一般的なやり方だ。

けれども僕はツアーに参加するのも、レンタカーを借りるのも嫌だった。エジプトから南アフリカまで主に乗合バスを使って移動してきた僕にとって、最後の最後でラクをするのはどうしても嫌だったのだ。だから僕は第三の方法で喜望峰へ行くことにした。それはどのような方法かというと



「自転車」



 である。僕らはまずケープタウンと喜望峰の中間地点であるサイモンズタウンまで列車で行き、そこで1泊した翌日に自転車を借りて喜望峰を目指すことにした。

僕らというのは僕と、他の日本人旅行者のことである。一人は男性で、もう一人は女性。僕ら三人はケープタウンの宿で知り合い、そして1泊2日でケープ半島へ行こうということになった。ちなみに今回の旅では、道中で知り合った女性と一緒に旅をするというのは初めての事ではない。このアフリカの旅では、一緒に旅をした女性はその日本人女性で3人目である。これはただ宿で知り合ったというだけでなく、少なくとも一緒に都市を移動し、同じ部屋に泊まって旅行するということを意味している。別に自慢するわけではないが、過去の二人の女性は素敵な女の子達だった。そして今回の女性も、もちろん素敵な女性だった。本当に本当に素敵な女性だった。あまりに素敵すぎて、危うくもう少しで恋に落ちてしまうところだった。喜望峰へ到達することによってアフリカの旅は完結するが、僕の旅はまだもう少し続く。しかしながら女性と一緒に旅することは、もう無いであろう。そういう意味では彼女が僕にとってアフリカで一緒に旅する最後の女性ということになる。このブログは本来、僕がアフリカでどのように旅しているのか記事にして報告するものだけど、たまには僕のことだけじゃなく、ロマンチックに女性のことも書いてみようと思う。


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彼女は会社を辞めて旅に出た、20代中頃の一人旅の女性。世界一周エア・チケットを持って旅している。現在日本を出て約3ヶ月。香港を皮切りに、東南アジア、インド、中東をピンポイントで廻って南アに飛んできた。

その女性と僕、そしてもうひとりの日本人男性はサイモンズ・タウンを朝8時に出発。借りた自転車でアスファルトを走る。喜望峰までの道のりはアップダウンが多く、あと海からの横風が強いために決して簡単なサイクリングではないのだが、僕にとっては今回の移動が最後であり、これをクリアして喜望峰へ到達すればアフリカ縦断達成されるということもあって、ペダルをこぐ脚も軽く感じられる。天気は僕の旅の終わりを祝ってくれるかのように快晴、そして左手に見えるインド洋は素晴らしく美しい。



その景色の中を、僕は風を切って爽快に走っていた。



普段からただでさえ爽快な僕なのに、これ以上爽やかになったらどうなっちゃうんだろうと心配してしまうくらいに爽やかだ。とにかく最高の気分である。旅の終わりを飾るにふさわしいサイクリングだ。

ただひとつ残念だったのは、お尻が痛かったことである。実は借りたマウンテンバイクのサドルが細い上に固くて、普段自転車に乗ってない人間にはかなり辛かったのだ。僕らはサイクリングの合間に何度か休憩をとったのだが、その休憩中にも美しい海を見ながらよくお尻の痛みハナシをした。




(彼)  「あー、サドルが固くてお尻が痛いよ。」


(僕)  「そうだね、お尻痛いねえ。」


(彼女) 「あたしはアソコが痛いんだけど。」


(僕達) 「アソコって?」


(彼女) 「アソコっていったらアソコよ。」


(僕達) 「・・・・・・・・・・」




念を押すようだが、このサイクリングは僕にとってアフリカ縦断の最後であり、僕の清々しい旅の締めくくりにふさわしいものにならなければならないはずで、そのためにはたとえ休憩中といえども清々しい話題が最適であり、間違っても「女性のアソコ」の話などして僕の爽やか旅行を台無しにしてはイケナイ。そういうわけで僕は彼女に直に、今後そういった発言はやめてもらえるよう丁重にお願いした。

初めにも言ったが彼女は本当に素敵な女性だし、そもそも日本人女性というのは西洋人女性なんかと比べたらずっと慎み深いはずだからきっと魔が差したか、あるいは何かの弾みでついそんな言葉が口に出てしまったのだと思う。彼女の名誉を守るためにも敢えて言わせてもらうが、そうでなければ例え本当に「アソコが痛かった」としても、若い日本人女性が、つい最近出会ったばかりの男性を前にしてそんなことを言えるはずがない。

まあ、そんなどうでもいいハナシはともかく、僕らはその後も走り続け、喜望峰国立公園のルックアウトポイントへと到着した。サイモンズタウンを出てから約4時間が経っていた。身体はかなり疲れていたが、とても心地の良い疲れだ。

僕等はルックアウトポイントでケープポイントを眺め、そしてそこにあるレストランで食事をした後、そこから更にハイキングコースを1時間歩き、遂に喜望峰へと到達した。僕のアフリカ陸路縦断が達成された瞬間である。エジプトを出発してからここまで7ヶ月で14カ国、とにかくハードな道のりだった。正直に告白すると、実は途中で止めてしまおうかと思ったことも何度かあった。苛酷な気候、厳しい移動、得体の知れない病気、そして何よりも治安の悪さ。今まで本当に辛い事が沢山あった。しかしそんな辛かった思い出も、この喜望峰の頂上に登って広大な海を見た瞬間に全て吹き飛んでしまった。


「僕はついにアフリカ縦断を達成したんだ!」


 僕は心の中で、そう叫んでいた・・・。


その後は記念写真を取り、僕達は再びハイキングコースをルックアウトポイントにあるレストランへと戻った。ちなみにこのレストランの名前は



「ツー・オーシャン・レストラン ( Two Ocean Restaurant) 」



 という。直訳すると



「2つの海のレストラン」



 という意味である。2つの海とはインド洋と大西洋のことを指す。ケープ半島の先端はインド洋と大西洋が交差する場所だから、このレストランにはそのような名前がついているのだ。そんな洒落た名前のレストランの前で、僕はまだ喜望峰到達の余韻に浸っていた。アフリカ大陸縦断達成の感動に、ただ一人震えていた。インド洋と大西洋が交わる光景を眺めながら・・・・・。

しかし僕が無言で海を眺めている間、くだんの彼女は何故か僕が背負っているリュックの中をあさっていた。実は今朝自転車を借りるときに、僕等は大きな荷物を全て宿に預け、サイクリングに必要な最小限の荷物だけ持っていくことにした。その際に僕は彼女に頼まれて彼女の携帯品を預かり、それを僕のリュックに入れたのだった。

そして彼女は今、僕のリュックの中から自分の所持品を取り出そうとしているのだが、それがなかなか見つからないようである。そして彼女は、爽やかに海を眺め感動に酔いしれている僕にむかって、こう問いかけた。


(彼女) 「ねえ、あたしのタンポンどこいったか知らない?」

(僕)   「は?」

(彼女) 「だからあたしのタンポンよ。」

(僕)   「・・・タンポン?」

(彼女) 「あっ、よかった。あった!あった!」



彼女はそう言って僕のリュックの中から自分のタンポンを取り出し、近くにあるトイレへと消えていった・・・・・。


そして彼女がトイレへ行っている間、僕は今日の自分について考えていた。



「その景色の中を、僕は風を切って爽快に走っていた。」

「その景色の中を、タンポンの入ったリュックを背負った僕は風を切って爽快に走っていた。」




初めにも言ったが、彼女は本当に素敵な女性である。そして控えめで慎み深い日本人女性のはずである。だけど、だけどそんな彼女に一言だけで構わないから言わせてほしい。




「自分の生理用品を数日前に出会ったばかりの男の荷物の中に入れるな! そのぐらい自分で持て!」


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もう一度言わせてもらうが、このサイクリングは僕にとってアフリカ縦断の最後であり、僕の清々しい旅の締めくくりにふさわしいものにならなければならないはずであり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「全然清々しくねえよ!!」


ああ、僕のアフリカ縦断のラストなのに・・・・・
爽やかに旅行を終えるつもりだったのに・・・・・



どうして・・・・・


旅の神様・・・・・


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