これこそ長生きの秘訣

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これこそ長生きの秘訣

太極拳のお教室の皆さんと、NHKのTVであった高齢者施設の方々の話になりました。90歳を越えて、お元気で耳も目も、足も達者で暮らしている姿に、何がいいのだろう?と、あれこれ話をしているうちに、「結局、あれよ、楽しくお友達たちと、わいわい暮らしているのが、一番なんじゃない、」ということに落ち着いて、

そのTVに出ていた90代同士のカップルの言葉に、感心したのでした。それは、90代にして、生涯のパートナーに出会った。というものでした。それこそ、人生に遅い、ということはないのかも知れません。お教室の皆さんは、楽しそうに皆で話しながら、お稽古できる喜びを、口々にしています。

これから、生涯のパートナーに出会うかも知れませんよ、そんな私の言葉に、爆笑しながら、お稽古を終えました。先生が、明るい色着なさいって言うから、先生が、お化粧しなさいって言うから、と、わはは、笑いながら、明るい色のシャツを着て、明るいお化粧をして、お稽古に来てくださいます。

食べ物は、なんでも長生きの薬、ありがたく、好きなもの食べてれば、いつまでも、元気で長生き。そうですよね、先生、って、また、わはは、と笑って、太極拳をしています。この人たちと、毎週お稽古ができる私は、なんと幸せなのでしょう。

年をとるほどに、素直になって学び、楽しみとともに、過ごすことができる人の、なんと素晴らしいことか、これこそが、長生きの秘訣なのではないかと、思えるのです。太極拳をやってきて、こころから、よかった。

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あつがりさんの中の偽健康体の人

みなさんからだを冷やさないように、この夏の時期でも、色々と工夫してくださっているようです。当然、夏は暑いですから、ひんやりした物が、気持ちいいし、とても美味しく感じます。それは、無理もないことです。

現代の日本では、冷房がないと、とても生活ができるような気候ではなくっています。むしろ冷房を使わないために、熱中症になってしまえば、命の危険さえ起こりかねません。からだを冷やすな、ということだけではいかない事情もあり、なかなか難しいものです。

しかし、からだが冷える、ということも、よく考えてみれば、最後は、血液の流れ、ということになってきます。つまり、からだが温まるのは、温かい食べ物が、そこへ行って直接、温めてるわけではなく、

血液の流れが活発で、からだの内部で温められた、温かい血液が、そこに次々届けられるから、温かくなってくるのです。そう考えると、あまり、食べたり飲んだり、冷房なども、関係ないような感じがしてきます。

確かに、血流の良い人にとっては、あまり関係ないようです。例えば、元気一杯の若者など、特にからだに凝りなどもないような状態であれば、外からの影響は、ほとんど感じないのかも知れません。冷房よりも、自分のからだの中の保温装置の方が、効きが良いのでしょう。

ただここで、気をつけなければならないのは、一見、からだの正常な保温装置のように見えている、あつがりさん、の中に、偽健康体の人がいることなのです。からだなどの物質は、圧がかかると、熱が生じて、暑く感じてしまうということがあるのです。

若者の、流れが良くて温かいからだと、からだの凝りが強くなって、血圧がかかり、暑く感じているのでは、それこそ、天と地ほどの差があります。これは、そのまま放置しておくわけには、いきません。その上、そういうあつがりさんの多くが、自分は健康的に温かい、と思い込んでいます。

そういう方は、自信たっぷりに、私には冷え性がない、とおっしゃいます。それを、そうじゃないですよ、と説得するのも、また大変なことです。なにせ、健康には自信のある方なのですから。それでも、なんとか、治療をして徐々にからだの凝りがなくなってくると、

面白いことに、冷え性の症状が、自覚できるようになってきます。そうなると、もう治療は、終了間近です。陰陽の交流ができて、からだの内側から、温かい血液が、手足の先まで巡るようになって、本当の温かいからだになっていきます。

もちろん、食べたり、飲んだり、また冷房なども、直接冷やすというより、徐々にからだを硬くしていき、血流を悪化させ、冷えを間接的に作り出す要因として、重大なことに変わりありません。そういった意味でも、まずは、流れを良くするための方法に、関心を向けてみると、良いのかも知れません。

その上での、食事や環境の工夫は、とても効果的なものになると思います。さて、最後に、からだの冷えを作るのは、食べたり飲んだりだけではなく、相手の肝を冷やす言葉や行動も、相当な冷えの要因になることも、忘れてはいけません。そういう人のこと、本当に冷たい人、と言います。

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お灸は、愛の結晶なのです。

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お灸は、人の業を、焼くのだそうです。

「灸が、熱かった。」そうですよね。ぬるい火って、ないんですよ。業を、燃やす火は、熱いのです。お腹の、硬くて、痛いところを、シャク(積)と、言います。前回、お話しましたが、シャクは、我、なんです。このシャク、我、の正体は、冷え、なのです。

温かい、愛の心とは、反対の、冷たい、かたくなな心。それで、お灸を、体にして、業を焼くと、シャクが、やわらかく、痛くなくなります。我が、少しだけ、消滅したのです。お灸は、愛の結晶なのです。灸を、すえる、のは、愛のある人、しか、できないことなんですよ。

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意識の居場所

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こころを、かき乱されるような、そんな出来事があると、まるで血液が逆流するようだ、などと言うことがあります。

脈をとってみると、その言葉の通り、血液の流れに乱れが生じているという、兆候が表れています。正常な状態から、バランスが崩れた状態になった。ということになります。

こうなると、物事に集中できなくなってきます。この状態を、気が散る、と言います。

集中して考えることが、できないので、冷静な判断は、期待できません。

また、あまりの出来事に、ショックを受けてしまうと、冷静な判断どころか、全くものを考えることができない状態になってしまうことがあります。

我を忘れる、とは、そんな状態のことを指す言葉です。

例えば、その時に、誰かが、頬を叩いたとします。すると、叩かれた人は、その衝撃に、ハッ、として、意識がはっきりすると思います。

それを、我に帰る、と言います。

あまりにも、ストレスがかかると、意識は、その体と一緒にいられなくなって、まるで体の外に、避難してしまったかのようになるのです。

けれども、誰かに頬を叩かれなくても、からだを楽にしてやることで、意識は、安心して自分の居場所に戻ることが、できるのです。

それが、気が休まる、という状態なのです。

意識の居場所は、他のどこでもない、自分のからだ、だけです。

そんなこと、当たり前だと思われるかも知れませんが、からだのことを、置き去りにしている人は、案外多いのです。

こころを整える、のであれば、同時にからだも整えなければ、収まるところに収まることが、できないと言えるのです。

自分の居場所を、整えておくことが、まず第一なのです。

 

 

からだの中にある麻酔機能

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からだの中にある麻酔機能

少し前ですが、学生がひどいめまいで、学校に来る前に耳鼻科によって来たということでした。簡単な検査をしてみると、確かに回転性のめまいの状態が続いています。そこで、私はめまいにとても効果のある、耳のツボに置き鍼(長さ0,3ミリ)を貼り付けたままにしました。

効果はすぐに現れました。めまいは、徐々に軽くなっていき、授業も休むことなく出ることができました。それで、一件落着のお話のようですが、今日、話したいのは、そこまでのことではなくて、その続きからです。

数日たって、だいぶめまいも落ち着き、もういいだろうと、耳のツボの鍼を外したとたん、また、めまいがしてきた、というのです。ポイントは、そこです。耳のツボは、アメリカ軍も認めるほどの、鎮痛、消炎、ストレス緩和作用がありますが、

それは、からだの持つ機能を最大限に生かした、脳内での痛みコントロール結果なのだろうと考えられています。とても似ている作用のものとして、麻酔が上げられるでしょう。よく考えると分かりますが、例えば怪我をして痛みがあるすると、その痛みが無くなるためには、怪我が治るまで待たなければなりません。

しかし、例え怪我があったとしても、麻酔を使えば、痛みは感じなくなってしまいます。つまり、治療をして、すぐに痛みがなくなった、という現象は、からだの中にある、麻酔機能によって、一時的に避難している状態で、決して修復が終わったわけではない、ということなのです。

そう考えると、風邪薬になんだかよく似ています。風邪の症状を抑えて感じないようにしていますが、風邪が治っているわけではないですね。ちなみにですが、風邪の時に、耳のツボは、抜群に効きます。風邪薬と大差ないというか、個人的な印象では、風邪薬よりさらにいい感じがしています。

整理してみますと、即効性をうたう治療と、徐々に変えていく治療とでは、役割が違う、ということなのです。そのことは、現在たくさんのSNSなどの情報を見ていれば、すぐに確認できると思います。非常によく効く治療というのは、即効で症状を緩和しているようですが、後日、同じ治療を、同じようにしています。

その答えは、それが脳内の一時的な知覚を利用したものだからです。また、徐々に効果を上げていく治療の場合は、細胞を介して長期の記憶に持ち込むもの、ということができるでしょうか。その場合には、からだの方が、治療を記憶していくために、回を重ねるごとに、反応の速度が増していきます。

そうです、スポーツのトレーニングと、全く同じ現象なのです。いち鍼灸臨床家の私は、それこそ大学病院にあるような検査機器も、またお医者さんのような知識も持ち合わせていません。ですから、現れた現象と結果を見て、その事実を思考していくしかありません。

若い鍼灸師の皆さんが、いま、自分は何をしているのか、この方法と、その方法は、どう違うのか、そこを考える足がかりになれば、と思い今回のお話を書いてみました。目先の結果だけを、判断の基準にしてしまうと、大きなものを、見逃してしまいかねません。そんなお話でした。

フォローアップ 迷いが出るのは、主客が曖昧だから。 

しっかりと確認しておいて欲しいのは、からだというのは自分の身を守るために、幾重にも防御機構を働かせているということです。外からの刺激が、ダイレクトで中枢に伝わらないようになっているのです。それは、お薬でも物理刺激でも同じです。

逆に言えば、その防御機構を突破してしまうような強さの刺激だと、からだの方がショック状態に陥ってしまうのです。そのために、外部からの強い刺激は、かえって局所的な影響に留まることが、多いのです。強い刺激に案外耐えられる背後には、そうした仕組みが関わっているようです。

そこから考えれば、外からできることは、限られてきます。その防御網のスイッチを切って中枢に進むか、または、防御網自体を破壊してしまうかの、いずれかになるでしょう。防御網を破壊するのは、同時にかなりの精気の消耗も、覚悟しなければなりません。

多くの効果的な治療が、そうであるように、この防御網のスイッチをいかに切って、中枢に届けたい刺激を入れられるか、そこに心血を注いできました。これだけ様々な分野で、現象の理解のための認識が進んでいる現代、治療法の優劣云々を、この期に及んで最早語る必要はないでしょう。

どのような治療でも同じことです。まずは、からだの防御のためのブロックを外す、その後に、開いたからだに、中枢に向けて刺激を入れる、後は、からだの修復機構にすべてを委ねる。そういうことになります。ですから、講座でお伝えしてきた通り、まず知覚に合わせて、からだを緩めます。

十分緩んだことを確認できたら、次に、正中に高熱を加えます。いきなり、高熱が、芯の冷えに届くことは、ありません。何度も実際に触って確認してもらいましたが、からだが緩んで、防御網が開いた時に触れられる、あの氷のような冷たいスポットが、からだの冷えの本丸です。

どのような治療法でも、根本から変えられる治療ができる人であれば、結果的に、その冷えスポットは、解消されています。その反対は、言うまでもありませんが、冷えスポットは、そのまま残っています。そのままであれば、拡大していないだけ、まだ良心的かもしれません。

話がそれましたが、今回、一番確認しておいて欲しいのは、主体と客体をはっきり認識しておくことです。何に対して何を中枢まで届けたいのか、そこを考えなくてはなりません。これまでずっと、実際に私の横で見てもらっている治療と、その結果を思い出してもらえれば、迷いは、大幅に減ると思います。

冷えると太るのは、なぜ?

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からだは、それぞれの場所に合わせた、必要な温度を保とうと自動的に、体温を調整していきます。

からだが、冷えてしまうということは、生命にとって、危機的な状況に陥ることを、意味しています。

例えば、食べ物を消化するための酵素は、体温が低下すると働きが悪くなり、十分に栄養素を取り込むことが、できなくなります。

また、からだを、守る免疫も、体温の低下とともにその働きが、数十%落ちてしまうことが、わかっています。反対に、体温が上がれば、免疫力も、酵素の働きも、上昇していきます。

発熱が、バイ菌と戦うための、免疫力を上げてくれる役割をしているのは、よく知られた事実です。

ですから、からだは、冷えてしまうと、もうこれ以上、冷えないように、防衛措置をとるようになります。その中でも、効果的な手段が、皮膚の下に、断熱材を敷き詰めて、熱が逃げていくのを防ぐことです。

これを、皮下脂肪、と言います。

からだは、冷えが、強くなれば、強くなるほど、断熱材を厚くしていきます。その結果、確かに熱は、逃げなくなるのですが、同時に、外からの熱も遮断してしまいます。

そう、温まりにくい、からだに、なってしまうのです。

これは、ちょっと困ります。お風呂に入っても、なかなか温まらない。というのもありますが、夏場に、暑くなると、今度は、冷えにくい、というのも起こります。

まあ、それが、断熱材としての脂肪の役割ですから、確実な仕事をしているといえば、そうなのですが。

さて、もう一つ、からだが、冷えを防ぐための、防衛措置があるのです。それが、排泄のコントロールです。簡単に言うと、便秘、という現象などです。

大、小、便を出すと、一瞬からだが震えます。これは、便に貯め込まれた、熱が、一気に放出されたために、起こる反応です。放出された熱を、補うために、皮膚を震わせて、熱を、作っているのです。

熱のある時に、浣腸をしたり、利尿剤を使ったりすることは、よくあることです。排便は、余分なものを排泄しているだけではなく、熱を外に捨てる、という働きも、しているのです。

そこが、問題です。からだが、冷えてしまっていて、これ以上、熱を捨ててしまうと困る、という状況では、便による熱の放出を、防ぐため、便を出さない、という防衛にでるのです。

これが、冷え症の人の、便秘です。

こうなると、脂肪が、ついたうえに、便秘という、ダブルパンチになってきます。これが、冷えると、太る、という理由です。

ダイエットとしての、肉中心の食事も、運動も、いずれも、熱量を上げて、からだを、温めようとするものです。サラダだけ食べて痩せようとする人がいますが、菜食のお坊さんなど結構、恰幅のいい方が多いもので、動物を見ても、菜食の方が、大きくなるのも事実です。

野菜中心で痩せた人は、単にカロリー不足になっただけです。よく、水しか飲んでいないのに太る、という方がいますが、水を飲んでいれば、必然的に体は、冷えるので、太り安くなるので、当然の結果です。飲むなら、白湯を飲んでください。

痩せたいなら、からだを、温めること。そういうことです。

意識を音に変えるということ

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意識を音に変えるということ

からだは、本当に自分の中にある意思に、忠実なのです。私たちは、この宇宙の中に満たされたエネルギーを、様々な形で取り出し、使うことができるように、進化してきています。からだも、エネルギーを使うための一つの形態なのです。

それをコントロールしているのは、私たち一人一人の意識に他なりません。物質を突き詰めていくと、最終的に、意識に到達してしまうのは、間違いのない事実のようです。ですから、何よりも自分たちの意識が、優先されてしまうことを、自覚しなければなりません。

けれども、ここで勘違いしがちなのが、ただ、意識すればそうなってしまう、という勘違いです。もしも、意識イコール現象、であれば、この世界に、これほどの物質は、必要なかったでしょう。生命も含め物質がたくさん生み出されたのは、エネルギーを使うために、必要であったからではないでしょうか。

ちょっと前置きが長くなりましたが、エネルギーを利用すると言うのは、そこに物質的な変化が伴う、という実態があるのです。でも、それは、何も固形の物質のことだけでないのは、ここでもよくお話してきました。その代表的なものに、音、があります。

音も、強力なものになれば、衝撃波として、物を実際に破壊するほどの、エネルギーがあります。私たちの使う言葉も、全く同じように、エネルギーを持っている、といっていいかも知れません。言葉は、まさに存在を破壊する力があるのです。

それは、人に対しての言葉はもちろん、自分に対しての言葉も、使い方によっては、破壊的な力があるのです。ですから、ここでは、特に注意が必要になってきます。例えば、空気や、環境、家族や、知人、社会、など、ずっと、批判して、嘆いて、こんなところは、嫌だ、そう言い続けていた方がいました。

その方は、結果として、認知症になってしまいました。その方の意識に応えて、世の中のことを、憂いていなくてもいいように、からだが忠実に調整した、ように見えてしまいます。また別な方は、出された食べ物に、いつも、不満を言っていました。これは、食べられない、あれは、からだに悪い、こんなもの、誰も食べない。

結果的に、食べなくてもいいように、胃を摘出することに、なりました。同様に、女性性を否定し続けた方は、その方が考えていた、女性としてのの象徴を、取り去ることになりましたし、男性性を否定すれば、男性機能は、その役割を失っていきます。

意識を、音に変えるということは、そのように実態を伴ってくるものなのです。ただ、それも、言葉にしたらいきなり、というわけでは、ありません。物質としてのエネルギー使用量の違いで、時間差が生じてしまうからです。

簡単に言えば、顕在意識から、潜在意識に、バトンタッチさせるための、移行時間ということになります。潜在意識の圧倒的なエネルギー使用量になった時点で、物質の世界が、動き始めるからです。これまで、私自身、抑えきれない感情を繰り返し、潜在意識に書きこんでしまったせいで、取り返しの付かない結果を、目の当たりにしてきました。

それ以降、言葉にすることの重大さ、を自覚せずにはいられなくなりました。それが、私たち一人一人に与えられている、力なのです。その力を、どのように使うかは、やはり、一人一人に、委ねられているのです。どのような事態も、すべて、自分の使った力の結果なのです。

だからこそ、いつも使う自分の言葉に、注意する必要があるのです。人に言うことは、自分に言うことと、同じです。人を傷つければ、被害者は、必ず二人です。相手と、自分です。その行為は、決して自分を守ることには、なっていません。無駄なエネルギーの使い方です。

最終的に残るのは、消耗、だけです。個人も、国も、それは、全く同じです。本来の寿命を前に、早世します。

いわゆる引き寄せとか物質化からわかること

いま、潜在意識に書き込む、という作業を物凄く簡単にした方法を、あちらこちらで試してもらっています。まだ、試験段階なので、なんとも言えないのですが、それでも、とても効果がある、という反応が返ってきています。

ただ、効果があると言うことは、それだけ注意が必要なことも、考慮しておかなければならなりません。具体的にどうするのかは、機を見て掻くとして、考え方はこんなところか来ています。臨床をよくよく観察してみると、病と言うのは、その背後にある、当人を作り上げている自意識が、変化をしない限り、必ずまた元に戻ってしまうのだ、という結論にたどり着くのです。

さらに、その自意識は、病のみならず、あらゆることに関わっているのです。この自意識を別の一言で表現すれば、それは、我、という言葉に言い換えることができます。仏教的に言えば、執着、でしょうか。普段ものを考える時に使っている脳の働きで、顕在意識の領域、ということになるでしょう。

この顕在意識を使って、執着すると言うことは、例えて言うなら、ものを囲い込んだり、奪ったりするような、からだの使い方になってきます。私たちの脳では、実際にからだを使うかどうかは、あまり関係なく、そんな意識をしただけでも、からだは実際に使ったのと同じ力が、入ります。

それが、何もしていないのに、からだが凝ってしまう原因です。つまり、我であったり執着であったり、そんな想像、イメージをすることは、からだを硬くすること、と同じことなのです。これでは、気のめぐりが、悪くなる一方です。

目的から、遠ざかっていきます。もはや常識であるように、私たちは、すべてのものを生み出している、エネルギー空間に存在している、やはりそこから生み出された、一つの現象としてのものであるのです。私たちが、まさに生み出されたその瞬間は、執着などない、純粋な意識であったのでしょう。

純粋な意識には、エネルギーの滞りがありません。それが、無から有を生み出す、エネルギーを物質に変換するための法則なのです。滞り、すなわち、我です。仏の教えも、真の引き寄せも、すべては、執着としての、我を捨て去ることにあります。

そこで、こう思います。偉いお坊様でも執着を捨てるのは、至難の業だというのに、こんな凡人の自分に、そんなことができるのだろうか、誰でもそう思うことでしょう。しかし、一方、お釈迦様も、イエスも、またたくさんの宗教的グルが、そんな、大変なことじゃないよ、もっと楽にすることだよ、と最終的に言っています。

それは、いったいどういうことなのでしょう。それを現代科学的な視点で見直してみます。私たちが、欲しいものに一所懸命になっているときに使っている脳は、顕在意識の脳であって、実に使える脳の割合から言えば、20%にも満たないものです。

残り80%以上は、潜在意識が使っています。ボーっと何も考えず、楽にしている時、一見脳を使っていないように思えますが、使っていないのは顕在意識だけで、潜在意識のほうは、フル活動してたりします。どうやら、グルたちが言いたかったのは、このことなのではないでしょうか。

我を介さない、純粋な意識は、常にエネルギー空間に、働きかけます。そして、その間、時空を自由自在に超えていっているのです。なんのために、そうするのかって?それは、あなたの純粋な意識を受け、そのことを経験するために、エネルギーを物質に、変換させようとしているのです。

すべては、あなたという、宇宙のメモリーに、経験値を書き込むためです。最終的にそれは、ブラックホールに集積され、データとして残されます。なんで、それを知っているのかって、その答えも簡単です。みなさんそれぞれのからだの中に、始まりから終わりまで、すべてそのデータが書き込まれてあるからです。

瞑想は、祈りは、荒行は、何をしているのかって、それは、我を取り去ることで、書き込まれたデータを、読み込もうとしているのです。人の中には、ごくまれに、生まれながらに、データを読み込んでしまう人がいます。そんな人は、子どもの頃から一風変わったところがあります。

普通に暮らしているのに、ところどころ、根元的な情報が混ざってしまいます。今までの世の中では、それはとても大変なことでしたが、やがてそれもなくなるでしょう。科学が、そこに追いついてきているからです。その子たちが見ていたものと、物理学の計算したものとが、同じものだったと分かるからです。

そうした現象は、いかにも特別なことのように思えますが、ただ、視点を変えてみれば、世の中で名人芸と言われている多くのものが、できる限り我をなくし、無の境地でやろうとしていることも見えてきます。結局は、すべて同じことをしていたのです。

治療も、宗教の儀式も、職人仕事も、いかにルーティーンなところに持ち込むかが、鍵のようです。それこそが、自意識を消滅させる、人の知恵なのでしょう。そんなところから、今回のはじめのテーマを考えていくと、意識を無意識に、移行させていくこと、という核心が見えてきます。

やり方は、たくさんあるので、自分の気に入ったものを、取り入れればいいのですが、簡単な方が長続きするのは、間違いないですかね。もちろん、修行好きの方には、ハード系もいいと思いますよ。