天職起業で「人生は逆転できる!」講演家・作家

創業・起業・小さな会社やお店の成功事例
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横須賀講師

 




 

 

 

 








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横須賀2

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※以上は2007年セミナー直後のブログ。先ほど2014年6/23、このCDの注文入り、久々に聴いたら唸るスゴい内容。当時も相当売れたんです。今聞いても素晴らしい。ので、ここに再掲します。かやの

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※昨日のつづき

■高額納税起業家・山川雅之の創業物語【5】

※現在、日本美容外科学会会長。業界有数の聖心美容外科を
福岡で創業して全国展開。30億円で事業売却後、医院コンサル
を経て、再び「ザ・クリニック」を創業。高額納税番付で
3年連続全国ベスト50位にランキング。

■爪の穴

11月を迎えた。                                                                   
私は、通勤スタイルを半袖シャツから衣替えすることさえ、すっかり忘れていることに、人の指摘を受けるまで気づかなかった。

ふと、爪に目をやると穴が開いている。
その穴は指10本、すべての爪の付け根に生じ、次第に大きくなってきた。
まるで通帳の残高と反比例するかのように。

たまりかねて皮膚科に相談に行った。
何か悪い病気なのか?皮膚科のドクターも首をひねっている。
あまり見かけない症状だ。大学でも習った覚えがない。
ドクターは医学書を引っ張り出してきて言った。
通常、強いストレスにさらされると円形脱毛の症状などが現れるが、1000人に一人くらいの確率で、頭皮に来ないで、爪に来ると言う。
どちらも角質の形成不全から来る症状だ。
ほっといても命に別状はなさそうだ。もっともこれといって対処方法もない。

一日の診療状況に一喜一憂を繰り返した。3ヵ月後には運転資金は底をつく。そうなれば、ゲームオーバーだ。気丈には振舞っていたが、自覚以上に強いストレスを体は感じていた。 それでも暗中模索で進むしかない。
嵐の中に漕ぎ出した小船のような心境だった。

■正しい情報提供

福岡は、全国でも珍しく、地域情報が充実したフリーペーパーが発達していた。
OL向けのオフィス配布雑誌のエルフ、ガリア、アバンティ、主婦層など広いターゲットを狙った家庭配布雑誌のめさーじゅなどが代表的だ。
これらを活用することで自分なりに勝算はあった。
とはいえ、福岡は全国でも有数の美容外科激戦区、地元資本に加え、支店経済といわれるように全国チェーンも軒並み進出しており、その数は30クリニックを超えていた。

地方雑誌は、掲載基準が比較的甘く、雑誌の特性に合わせたきめ細かい紙面対応を行うことで、広告レスポンスの改善余地があると見ていた。
前職に在籍中に一度、本部にその対応の具体的提案をしたことがあった。
しかし、本部からの回答は、「先生は診療に専念してくれればいい」という内容だった。
どうしても自分で試してみたい。開業を決めた理由の一つであった。

例の異業種交流会を主催しているK氏は、我々のクリニックのアカウント(担当窓口)として、昼夜を問わず、相談に乗ってくれた。
後で聞いた話だが、彼の勤める広告代理店の役員会では、私のクリニックとの取引に難色を示していた。資金回収に不安があるとの見解だ。彼は強引に推してしてくれた。
「面白い男だから、賭けてみましょう。だめだったら私が責任を取ります。」
もちろん、当時、平の社員の彼に責任が取れるわけはない。
しかし、取引は始まった。
毎月の広告費用の前払いという異例の条件付きではあったが。

それから、K氏との連日の戦略会議が始まった。
私がレスポンスマーケティングの基礎を学んだ時期だ。
K氏は外回りの営業の合間を見ては、一日に何度もクリニックに訪問してくれた。
スタッフ、患者さんをはじめほとんど女性だけの職場だったので、男の人と話するのは、彼だけのような状態が続いた。クリニックから一歩も外に出ないでひたすら患者さんを待つ私にとって、社会につながる唯一の心の支えだった。

一つの原稿は何度も何度も書き換えられた。クリエイティブ(デザイン)にもこだわった。
費用の割りに手間のかかるクライアントだった。
そしてパートナーのK氏も徹底した顧客主義を通し続けた。
この場合、顧客というのは、広告を発注する私のクリニックでなく、サービスを受ける患者さんのことだ。
患者さんに正しい情報を伝える、いわゆるインフォームドコンセントのコンセプトが我々の発する強いメッセージとなって紙面を飾った。

「水曜日はカウンセリングの日です。我々は正しい情報提供のため、毎週水曜日はすべての手術の手を休め、カウンセリングに専念しています。」実際に手術の手を休めていたのは、水曜日に限らず毎日のように続いていた。

「腫れます、痛みます、その日にデートの予定は入れないでください。」  隣の紙面に大手の美容外科の、腫れない、痛まない、その日からデートも可能、と二重手術の手軽さを謳った誇大広告がコントラストをなしていた。

異例の広告は、賢い消費者に、徐々にではあるが、確実に支持されている手ごたえがあった。
11月の売り上げは、400万に達した。 
それでもキャッシュフローのマイナスが解消されるまでには至らなかった。
爪の穴はさらに大きくなり続けた。

つづく??w

↑ 1ヶ月前、栢野事務所に遊びに来た時のスゴい雑談です。

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※昨日のつづき(高額納税起業家・山川雅之の創業物語④)

※現在、日本美容外科学会会長。業界有数の聖心美容外科を
福岡で創業して全国展開。30億円で事業売却後、医院コンサル
を経て、再び「ザ・クリニック」を創業。高額納税番付で
3年連続全国ベスト50位にランキング。


日本一を目指す

一日でも惜しかった。

29歳となった私は、前のクリニックを退職した2日後、
19931016日をはじめてのクリニックの開院日に決めた。

あの独立を決めた電話の日から、わずか5ヵ月後のことだった。

 

前職の院長に最後の挨拶に行った。

「経験も、お金も、信頼も院長にはかないませんが、一つだけ勝てることがあります。」

「それは私が29歳で、院長の歳まではあと10年あるということです。」

「それまでには、きっと院長を超える日本一のクリニックを作って見せます。」

なんと生意気なことを言う若者だろう。

しかし、院長も負けずに言った。

「君に10年あるとしても、そのときは私にも10年あるのだよ。だから決して追いつくことはできない。」

この時のやり取りは、それからの10年、私に目標を与え、経験することになる多くの試練を乗り越える原動力となった。


工事は本格化していた。

内装の下見では、20数人の工事の人が連日追い込みの作業を進めている。
一人の夢にこれだけ多くの人が動いているという現実を始めて実感した瞬間だ。
そして、ついに、小さいながらも夢見たクリニックが完成した。決して華美ではないが、今までのクリニックのイメージにはない優しさと上品さがある。
43
坪のフロアーに、創業スタッフは受付2人、看護婦2人の計4名。

事務室に集合すると、クリニックがやたらと広く感じた。

もしかしたらここは、この天神地区で最も人口密度が低い空間かもしれない。

がらんとした待合室、手術室。ここが患者さんで埋まる日は来るのだろうか?

 

1日の予定を大学ノートの1行に記入していたスタッフに、見開きのページを1日分として使うように指示した。
スタッフに慣れてもらうのも兼ねて、知り合いの人にモニターとして患者さんになってもらう。

本当の患者さんの予定はいまだ入っていない。
予定表は、見開き白紙のまま、ページだけが進んでいった。

 

数日後、開院に伴う雑用のあわただしさが去り、再び静かなときを迎えた。
私自身の落ち着きのなさを感じ取ったのか、スタッフの顔にも若干の不安の色が見て取れた。
スタッフを集めて、はじめてのミーティングが開かれた。
これから微力ながらもクリニックの院長としてみんなを率いていかなければならない。
冒頭の挨拶にも自然と力が入る。
「皆さん、私たちの診療理念にもあるように、私たちの商品は医療をベースとしたサービスの提供です。」

「社会のニーズに高い水準で応えることが私たちの使命です。」

「夢を共有して誠心誠意仕事をして得られる喜びを皆さんと共に分かち合いましょう。」
さらに続けた。
「これから先見性と独創性をもって美容外科医療界をリードし、そのステイタスの向上に寄与します。」

静かなクリニックが、さらに静まり返った。
そして、誰ともなく、噴きだして、笑いが広がった。
皆、美容外科医療界のステイタス以前に、日本一若い院長が、日本一を目指して率いるこのクリニックのことが心配だった。

 

開院して1週間後、はじめての患者さんの予約が入った。
ふくらはぎの脂肪吸引の患者さんだ。
緊張感とともに、皆の活気が戻った。
皆できる限りのサービスを尽くした。
患者さんを無事エレベーターまで送り終えると、自然と患者さんの後姿に感謝の気持ちで手を合わせていた。
十数年たった今でもその患者さんの名前は忘れない。

 

結局、この月患者さんはこの一人だけだった。
記念すべき最初の月の売り上げは38万円。
通帳の残高はどんどん減っていった。

 つづく


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先月、久々に山川さんが栢野オフィスに来てくれました。
ザ・クリニック福岡院でミーティングのついでに。

数人で緊急勉強会をやったんですが、すんごい言葉の
数々に皆唖然。が、わかりやすい。納得。

その時の音声を以下で公開しましたが、
その反響もスゴいです。

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現実と情熱の間   高額納税日本一になった山川雅之の創業物語③

話を進めるにあたって、そのころの私が、いかに世間知らずの起業だったか
ということについてもう少し触れておく必要があるだろう。


所属するクリニックの院長に、独立の旨を伝えに東京に出向いた私は、その足で渋谷の街へ向かった。
この街はなんとなくエネルギーを与えてくれる。
世の中にはこんなにいっぱいのビジネスがある。
起業を決めた私にとっては見るものすべてが、刺激的だ。

西武百貨店に入ると、すぐに、日本最大手の化粧品会社のロゴが目に入った。

やっぱりかっこいい。

そのロゴにあこがれて、先日なけなしのお金を払って、クリエーターにCIを発注したばかりだ。


次の瞬間、私は、そのショップの販売員に声をかけていた。
何を思ったのだろう。今でもその行動はよくわからない。

「すみません。今度、福岡で美容外科を開業するんですけど、御社と業務提携したいと思いまして。商品開発の担当の人とつないでいただけませんか?」


30
分ほど粘ってみた。
隣でメイクを体験している女性客と目があった。

気まずい空気が流れている。

この場が自分にふさわしくないことをほんの少し理解した。

 

時は流れ、十数年後、上海の美容ビジネスに、その会社の会長から出資の意向を伝えられた。
会社の名前を聞くまで、そんなエピソードはすっかり忘れていた。

現実と情熱の間のギャップを埋めるためには、それくらいの時間は必要だったのかもしれない。

それほど大きなギャップだったのだ。

 

起業に最も必要なのは、人、金、物などの自分の置かれた状況ではなく、
情熱だと言い切っていい。


そこに悲壮感はなく、むしろ現実を楽しむ姿勢がある。

 

重圧

故郷(米子市)に帰り父親に独立の報告をした。
父親は地元で小さな設備業を営んでいた。

私が育つプロセスでは、景気のいいときもあったように思うが、
その頃には、既に父親一人で、たまに以前からの付き合いのある知り合いの仕事を受けるくらいであった。
つまり、決して余裕がある状態ではなかった。

父親は特に反対することもなく、
「まあ、失敗すれば、自宅がなくなるだけだ。」といって、

自宅を担保に地元の信用金庫から、
会社の事業資金として
3500万円の融資を引き出してくれた。

父親には、徹底した放任主義で育てられてきた。いつも報告するだけだ。

地元の国立の医学部に進学を決めたときも、「なんだ。東大じゃないのか。」といわれたくらいだ。

ともかくはじめてまとまった事業資金を手にすることができた。
これを見せ金に、国民金融公庫、福岡市の制度資金などで、総額5000万円の用意ができた。
ノンバンクからのマンション融資があったので、28歳にして借金が1億円に達することになる。
失敗すれば、父親をはじめ、多くの人に迷惑をかけることになる。


当時好きだった言葉に「用意周到な楽天家」という言葉がある。

何度もこの言葉に助けられた。

考えられるできる限りのことをやりつくして、あとはくよくよしてもしかたない。

このときも自分にそう言い聞かせたのだが、
事の重大さを自覚するとともに、それまで経験したこともない、なんともいえない重圧が胸にのしかかってきた。


小さな賭け

開業候補地の選定に入った。
とはいえ、なにしろ実績のない若者、そして当時は美容外科の社会的イメージも良いとは言えず、物件の絞込みは難航した。

「包帯をぐるぐる巻きにして出てこられては困る。」
「病院の臭いがするとほかのテナントに迷惑がかかる。」

と、もちろん誤解から来るイメージだ。


そもそも美容外科って何するところだ?それは医者の資格が要るのか?

ほとんど年配の男性が占めるテナントのオーナーには理解できない領域でもあった。
しかし、若い女性のニーズは確実に広がっていた。

このとき心に誓った。

「必ず、美容外科の社会的ステイタスを上げてやる。」

 

どうしても天神という地名にこだわった。天神といえば九州一の商業の中心地である。
その中で、とうとう一等地の物件を見つけた。
すぐにでも契約したかったが、手元資金は少しでも残したい。

テナントを借りて、内装や設備を入れれば、
開業後の運転資金は
3か月分しかなかったのだ。

既に交渉で、家賃は月
90万円のところ72万円まで下がっていた。
私はここで賭けに出た。

「今日の夜11時まで待ちます。持ち帰っていただいて60万円でOKならお電話ください。」

交渉担当者には、明日の朝一に別のテナントで契約することをにおわしていた。
もちろん、そんな話はできていない。

電話帳には、既に交渉中の住所で掲載申し込みを済ませてしまっていたのだ。

 

11時、電話が鳴った。

振り返れば、当時はバブル後の不動産不況のピークだった。
物件は借りる側にとってかなり有利に交渉できる状況だったのだ。

不況は絶好の起業の好機だ。

 

その後、そして今でもこの手は良く使う。

交渉では期限を区切ることが大切だ。

 

最初の、そして小さな賭けに勝った。

運がすこしずつ味方をしはじめた。

 

一通の内容証明

開院を目前にして、一通の内容証明が届いた。

「広告を拝見しました。御社の聖心美容外科という名称は、
当院の保健所登録名称になっています。
直ちに使用を差し控えてください。
勧告に従わない場合は...」

そんなばかな。
開業に先立って、保健所に事前相談をすると共に、
近隣の美容外科に開院の挨拶に回っていた。

クリニックの通りに面して、2件ならびにAクリニック(仮称)を開業している先生がいた。名前をH氏(仮称)という。

昔、勤務医として福岡院の院長として赴任したときに、
副院長として同じ職場にいたが、その後退職し、
私に先駆けてまもなく独立した。

役職はともかく、年は私より上だったので、挨拶回りをしたその日も、
開業医の先輩として忠告をしてくれた。

「あまり、開業に先立って、クリニック名など言わないほうがいいよ。S美容外科とか、Kクリニックに嫌がらせされるから。」

SとKといえば業界1位、2位のクリニックだ。

そんなクリニックが、できたばかりの聖心美容外科を攻撃するだろうか?
信じられなかった。

世の中がそんなに悪意に満ちているとは思えない。
「むしろ相手にしてくれるなら光栄なことです。」
私はそのH先生の忠告を聞き流した。

しかし、彼の忠告は別の形で現実になった。

 

「勧告に従わない場合は、損害賠償の請求をします。聖心美容外科Aクリニック院長H」

あのH先生からだ。


医療法上、クリニックの登録は開設後1ヶ月以内に行うとなっていた。
あわてて保健所に問い合わせた。

「はい。Aクリニックさんは、数日前名称変更の登録をされまして。
聖心美容外科Aクリニックとなりました。」

「おかしいじゃないですか。事前に相談していたのに。」

「はい。私もおかしいとは思っていましたが、
手続きを受けない訳にはいきませんので、先方とよく話し合ってください。」


ためしにNTTの番号案内に“聖心美容外科”で問い合わせてみる。
「天神の聖心美容外科で2件見つかりましたが、どちらになされます?
聖心美容外科Aクリニックでよろしいですか?」


その後も、我々のクリニックを予約した患者さんが間違えてAクリニックに行き、
「あれ、聖心美容外科じゃないですか?」と聞くと受付の女性が、
「はい、“聖心美容外科Aクリニック”です。お持ちしておりました。」
と対応するという。

無断キャンセルされて手術をしていないはずの患者さんから、
手術後のクレームの電話がかかってきて、
それに気づくといったこともしばしばあった。

 

すぐに弁護士に相談し、内容証明を送り返した。
開院に前後し、その後何度かやり取りを繰り返した。

弁理士にも問い合わせてみたが、幸い商標登録はまだされていなかった。
ロゴマークと共にサービスマーク登録を申請した。

数ヵ月後、実態を反映して、勝ち目がないと思ったのか、やがて先方が折れた。
しかし、その後も広告表現のパクリなど、彼の嫌がらせは続いた。

あたかもそれが彼のプレゼンスを示す最高の手段であるがごとく。

いつまで続くのだろう。私は思った。

挑発に乗っては負けだ。共倒れしてしまう。

診療理念に掲げた、
美容外科全体のステイタスを上げるという志を実現するためには、
このようなレベルでの戦いを続けているわけにはいかない。

もっと力をつけなければ。。

 

時は流れ、我々が東京に進出して隆盛を極めているその頃、

彼のクリニックがつぶれたことを風のうわさで聞いた。

思えば、彼は私の可能性と実力を認めて、脅威と感じた最初の人だったのかもしれない。

 
続きと音声はコチラ

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【ゲスト講師】山川雅之・起業家トライアスラー ②
https://www.facebook.com/masayuki.yamakawa.12
29才で聖心美容外科創業。39才で医院を上場企業へ30億円で売却後、医院コンサルを2年。2007年、ホリエモンが所有していた赤字の美容外科を買収し、再び美容外科の経営へ。現在はザ・クリニック経営+起業家アスリート・高額納税全国ベスト50を3年。

事業計画書

さて、勤務医として仕事をしていた福岡で開業を決めたものの、何から手をつけていいかわからない。

地元でもないので知人もほとんどいない。金なし、コネなし、経験なしの3拍子そろっている。

とりあえず異業種交流会に参加して人脈を作ることにする。

最後まで勤務の仕事はやり遂げると決めていたので、週2日の休日を使っての準備だ。

 

開業の仕方などの本を数冊買ってきて勉強する。

知らない言葉だらけだ。

起業には、事業計画書というのが必要らしい。

ほこりをかぶったワープロを取り出して、本の内容をパクって3枚の事業計画を書いてみる。

完成した。なかなかいい出来だ。

まず、資金が必要だ。

銀行に融資を頼んでみよう。

 

どうしたらいいかわからないが、とりあえず有名な銀行に行ってみよう。

なにかヒントがあるはずだ。

第一勧銀に計画書を持って訪問。

窓口の女性に、「あの、融資を受けたいんですが。。」と言ってみる。

「当行とお取引はありますか?」

「いえ、これからお取引をしたいのですが??」

1年以上のお取引のある方しかご融資はできません。」

 

そういえば、給与振込みで1年以上取引がある銀行がある。

気を取り直して住友銀行に出向く。

ラッキー、融資担当の人が出てきた。

計画書を一瞥すると、

「おもしろい計画ですね。頑張ってください。」

またも融資の道は閉ざされた。

 

美容外科の世界では、患者を集めるには、広告が必要だ。

電通に出向く。

なんといっても広告代理店の大手は電通だ。

いい仕事をするに違いない。

受付でさんざん待たされた挙句、予算を聞かれた。

「月に300万円はかけようと思っています。」

その後、連絡はなかった。

 

異業種交流会の主催者にアポイントが取れた。

「それでは今から、西鉄グランドホテルに来てください。コーヒー代がもったいないのでロビーの2Fのソファーで話しましょう。」

 

は、福岡の起業を目指す若手サラリーマンの勉強会を組織し、月1回、成功した経営者のお話を聞く異業種交流会をボランティアで主催している。

後に創業の片腕となり、師匠となる人物だ。

どこの馬の骨ともわからない若者の熱く語る事業計画を熱心に聞いてくれた初めての人物だ。

それだけでもうれしい。

彼が地元の中堅の広告代理店で勤めていることを聞いた。

「是非、仕事を発注させてください。」

「交流会の仲間には、営業をしない方針だ。」

またも道を閉ざされたのか。

 

数日後、彼の会社のオフィスの応接室にいた。

彼が紹介してくれた広告代理店の人たちは、オレンジ色のポロシャツ姿の若者を怪訝そうに見ている。

クリエーターの人にお願いした。

「まずはCI(コーポレートアイデンティティー)をしたい。洗練されて繊細なイメージのロゴマークを作ってほしい。」

当時、美容外科業界ではCIという概念は普及しておらず、本格的なロゴマークを持っているクリニックはどこにもなかった。

その重要性について得々と語った。数日前勉強した本に書いてあったのだ。例の事業計画の最初に盛り込んである。

素人ながら、説明を通じて、クリエーターのやる気のスイッチが入ったのがわかった。

手持ち資金の450万円のうち、50万円をロゴマークに投入した。

 

数週間後、紺とベージュでデザインされたロゴマークが完成した。

見た瞬間、震える思いを感じるとともに、またも成功を確信した。

しかし、このロゴマークが、後に数十億円という価値にプライシングされることになろうとは、このとき誰も想像できなかった。

もちろん、世間知らずで、自信満々の本人さえも。


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私の友人で億万長者になった起業家です。以下は本人談

■創業物語


1993年10月16日。

この日は私にとって、特別の日だ。

20代最後の年を迎えた私は、世の中のことをよく知らないまま、
大きな決意を持って聖心美容外科を福岡の地に開設した。

そして無謀とも思えるその壮大な夢を実現した。

干支が一周して2004年11月、30代最後の年を迎えた私は、
この愛した組織を手放すことになった。
そして、現在のような新しいステージを迎えることになった。

当時とは世の中の景色が違って見える。

仕事を通じて今まで出会った多くの人たちに、今はただ感謝したい。


■はじめに

29歳で創業したころは、どれくらいのレベルで始めたのか、
今振り返ると恐ろしくもあり、いとおしくもある。

知識も経験も明らかに平均以下だ。

勤務医時代は、医学しか勉強していなかったので、
まったくといっていいほど社会性がない。

事務の女性に言われて、「源泉徴収ってなんですか?」
と聞き返したくらいだ。

しかし、夢を見る力と行動力には自信があった。

そのギャップをどう埋めていったのか。

最近、若手経営者に相談されることも多くなってきたので、

原点に返って連載してみたい。

これから起業を目指す人にとっても、
会社を大きくしようと考えている人にとっても、
勇気を与える内容になると思う。

■マイナスからのスタート

そのころの私(1993年)は、その当時最大手だった
美容外科で勤務医として働く28歳の青年だった。

若干の頑張りを評価されて、
雇われながら院長として福岡に赴任していた。

節税対策が必要と、D京の営業マンに勧められるまま、
9割のローンでマンションを購入し、
ノンバンクから6.6%の高利で融資の返済をしていた。

貯金は450万円。

借金の残高は4500万円くらいあった。

開業を決めたのは、その年の5月、急速に勢力を伸ばしてきた、
業界2位のクリニックチェーンの院長から
引き抜きのお誘いを受けた時だ。

今の給与の1.5倍を出すとの提案で、
借金を抱える身としては、多少魅力は感じたものの、
マネージメントに興味があった私は、
そのような立場での転職でなければ意味がないと思っていた。

6時間にわたる話し合いの結果、先方の院長から
「君は自分でやるタイプだね。」と切って捨てられ、
結果的にその言葉が決め手となった。

自分の実力を試すには開業しかない。

それまでは、漠然といつか独立したいという
夢はもっていたものの、
まだ時期が早すぎると思っていたのだ。


決心を決めた私は、次の日から開業の準備を始めた。

まず、所属しているクリニックの総院長に
アポイントをとり、東京へ向かった。

独立したい旨を伝えると、

「君は優秀だけど、すごくできるというわけではない。
 今独立するには状況がよくない。
 開業しても成功するのは10人に一人だ。」

その言葉でますます成功への確信を深めた。

なぜならその院長は常々、所属しているドクターに、
独立しても成功するのは
100人に一人だと口癖のように言っていたからだ。

日本一のクリニックチェーンの院長に君の成功率は、
ほかのドクターの10倍だとお墨付きをもらったのだ。

恐ろしい、プラス思考である。


今、振り返ると思う。

もし、独立を願う100人の人がいるとしたら、
そのうちの90人は同じ理由で成功しない。

なぜなら90人の人は、夢見るだけで実際に実行しないからだ。

ゲームに参加しなければ、勝つことはできない。


つづきは
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■完読&完聴しました。とても価値有りです。(デリズ井土社長・年商10億の宅配外食)

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■昨夜、鹿児島の天才起業家「吉田アイエム研究所」吉田社長から携帯に電話!「栢野くん!あの山川さんの10分音声はイイ!ボクと同じ考え!こりゃ4時間聞かな。今から注文するよ!」「吉田さんと似てますね!」(年商12億の育毛剤と化粧品通販メーカー創業者)

■宮崎弥生「勉強になったこと、確認できたこといろいろあってすばらしい会でした!」カツラで日本初のネット通販会社を経営

■こりゃすごい。感謝です!三者の視点と、ホントの意味で、競わない経営。ポイントは戦わない経営が、単なる理想論ではなくて、低レベルの争いをしたくないという、極めて実戦的な理由。そして他業界は徹底してベンチマークする。要は継続的に勝つことを追求したら、戦わない経営になったと理解しました。(化粧品会社・マネジャー)

【ゲスト講師】山川雅之・起業家トライアスラー
https://www.facebook.com/masayuki.yamakawa.12

29才で聖心美容外科創業。39才で医院を上場企業へ30億円で売却後、医院コンサルを2年。2007年、ホリエモンが所有していた赤字の美容外科を買収し、再び美容外科の経営へ。現在はザ・クリニック経営+起業家アスリート・高額納税全国ベスト50を3年。

創業後、全国主要6都市(札幌、東京、名古屋、大阪、広島、福岡)に全国展開。この間、医療のIT化に取り組み、日本最大の美容医療ポータル byou web、顧客管理システム SYNAPSE 、WEB集客システムcyber counseling system などを開発。従来のプッシュ型からプル型の集客モデルを確立。2001年 全国高額納税者番付17位となり、日本で最も収益の高いクリニックグループを構築。2004年 これらクリニック群を上場企業へ事業売却。2007年、ザ・クリニック開業 

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1993年10月16日。

この日は私にとって、特別の日だ。

20代最後の年を迎えた私は、世の中のことをよく知らないまま、大きな決意を持って聖心美容外科を福岡の地に開設した。そして無謀とも思えるその壮大な夢を実現した。

干支が一周して2004年11月、30代最後の年を迎えた私は、この愛した組織を手放すことになった。そして、現在のような新しいステージを迎えることになった。当時とは世の中の景色が違って見える。

仕事を通じて今まで出会った多くの人たちに、今はただ感謝したい。

■はじめに

29歳で創業したころは、どれくらいのレベルで始めたのか、今振り返ると恐ろしくもあり、いとおしくもある。知識も経験も明らかに平均以下だ。勤務医時代は、医学しか勉強していなかったので、まったくといっていいほど社会性がない。事務の女性に言われて、「源泉徴収ってなんですか?」と聞き返したくらいだ。

しかし、夢を見る力と行動力には自信があった。

そのギャップをどう埋めていったのか。最近、若手経営者に相談されることも多くなってきたので、原点に返って連載してみたい。これから起業を目指す人にとっても、会社を大きくしようと考えている人にとっても、勇気を与える内容になると思う。 

■マイナスからのスタート

そのころの私(1993年)は、その当時最大手だった美容外科で勤務医として働く28歳の青年だった。若干の頑張りを評価されて、雇われながら院長として福岡に赴任していた。節税対策が必要と、D京の営業マンに勧められるまま、9割のローンでマンションを購入し、ノンバンクから6.6%の高利で融資の返済をしていた。貯金は450万円。借金の残高は4500万円くらいあった。

■開業を決めたのは、

その年の5月、急速に勢力を伸ばしてきた、業界2位のクリニックチェーンの院長から引き抜きのお誘いを受けた時だ。今の給与の1.5倍を出すとの提案で、借金を抱える身としては、多少魅力は感じたものの、マネージメントに興味があった私は、そのような立場での転職でなければ意味がないと思っていた。6時間にわたる話し合いの結果、先方の院長から「君は自分でやるタイプだね。」と切って捨てられ、結果的にその言葉が決め手となった。

自分の実力を試すには開業しかない。

それまでは、漠然といつか独立したいという夢はもっていたものの、まだ時期が早すぎると思っていたのだ。

■決心を決めた私は、次の日から開業の準備を始めた。

続きと音声はコチラ

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