天職起業で「人生は逆転できる!」講演家・作家

創業・起業・小さな会社やお店の成功事例
ベストセラー16万部


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第八章 堕ちた
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■初めての独立起業。しかし・・・

●わずか半年で廃業

 こうして33歳の時、異業種交流会で知り合った行政書士に頼み、資本金150万円の(株)アントロポス・データ・ジャパンという法人を設立。新宿御苑の家賃15万円ワンルームマンションに自宅事務所を構えた。貯金は約300万円。

 アントロポスとはギリシャ語の「人間」で、当時創刊された日経の自己実現雑誌「月刊アントロポス」と、憧れていた日野浩三さんの会社「オゥトゥジャパン」から拝借した。

 昼間はフトンを三つ折りにしてカバーを掛けたソファーにし、机やイスは中古や知り合いの不要品。パソコンは初めて購入し、ワープロも見よう見まねではじめた。

 この時点で顧客企業はゼロ。転職相談・登録者もゼロ。今、考えると、無謀意外の何ものでもない。失敗する可能性は限りなく高かった。

(事実、私の場合はすぐに失敗したが、あの無謀さがなければ、いまだに独立できてなかったかも知れない。事前に失敗の可能性が高いとわかっていると、行動できないことが多い。逆に、世間知らずだからの挑戦も多いと思う。挑戦→行動→失敗→改善→行動の繰り返しこそが貴重な経験となる。素人や未熟さ、無知、若さゆえの挑戦は素晴らしい)

 開業後、知り合いへハガキを出した。形は開業案内だが、転職に悩む人を助けたいとの趣旨を文章で綴ったところ、期待以上の反応で転職相談者が立て続けに来た。彼らの多くは20代後半から30代前半で、そのほとんどはどこかの異業種交流会で知り合った人。

 考えてみれば、今の会社に満足している人や必死にしがみつこうとしている人は、異業種交流会なんかには出ない。そんな暇はないし、良くも悪くも全勢力を会社にそそぎ込む。自分もヤマハ発動機~CSLまではそう。会社以外に目を向ける精神的余裕はなかった。 ミッドで会社に失望し、前向きに悩みはじめ、時間もあったので異業種交流会へ参加しだした。勤めていた会社のことは考えず、自分のことだけを考えた。

 もちろん、違う理由で異業種交流会へ出る人も沢山いる。今の会社は辞める気はなく、自己研鑽の勉強をしたい人、純粋に社外人脈を広げたい人、仕事のパートナー、お客を捜す人、参加理由は様々だと思う。

 それはさておき、相談者の話を聞くと、大半の人は自分の希望する業界とか職種は決めていない。つまり、自分と同じように、自分の適職とか天職がわからないのだ。まあ、だからこそ、こういう場に来るのだ。わかっている人はすでにその職場に収まっているだろうし、ダイレクトに企業へ就職活動をするだろう。わからない人だけが相談に来るのだ。

 大半は雑談、相談で終わったが、そのころ、希望会社が特に決まっていない人によく紹介したのが、池袋に本社があったテレマーケティング会社「ベルシステム24」。転送電話装置メーカーでベンチャーの雄「チェスコム」の子会社だったが、チェスコムの経営危機でCSKグループ入りしていた。

 私が転職してもいいなあと思う会社の1社で、かつ、ここの人事担当者は30代半ばの人妻だったが、なかなか私好みで色っぽかった。ここには半年で4名が入社し、「人材コンサルティング料」として1人あたり40万円ほどもらった。

 他に紹介した会社に、異業種交流会で知り合った絵画の販売FC本部「アートレンタシステム」があった。社長からは「君は僕にいろいろよくしてくれると思っていたが、人材紹介で金をくれということか・・」とコチラの魂胆を見透かされて恥ずかしかったが、30万円くらいの紹介料を振り込んでくれた。「ぱど」の倉橋社長も、君は頑張っているからと、半ば無理矢理紹介した人を採用していただき、それなりの紹介料を頂いた。

 出だしは順調に思えたが、売る商品=求職相談者はすぐに枯渇した。なんとか売れる転職相談者を集めねばならないが、広告を出す金はない。求職者、失業者、転職希望者はどこにいる?本屋で求人誌を読んでいる人に声をかけようとしたが、どう見ても怪しまれる。 そうだ、職安だ。失業した求職者は、失業手当や職探しで職安・ハローワークに行く。そこで飯田橋のハローワークに行き、失業手当の説明会に潜入。参加者を見渡し、20代後半で売れそうな風貌の若者に雑談のふりをして声をかけた。まさに人買い同然。

 職安の周辺では求職者に声をかけている人がいるが、あれは保険会社やネットワークビジネスのリクルーターだ。歩合で使い捨ての人員集めで、職がない不安を抱えた失業者にすり寄るハイエナだが、いつのまにか俺も同類になっていた。

 雑談した若者は最初から私を信用し、何度か転職相談に乗った。彼は気胸の持病持ちでたまに発作を起こしていたが、当時、伸び盛りで業界2位の大手パソコンソフト商社「ソフトウエアジャパン」へ紹介。目出度く入社し、良い会社だったので双方とも大喜びした(しかし、その5年後に「ソフトウエアジャパン」は倒産。申し訳ない気持がした)。

 また、いわゆるスカウト活動も1回だけやった。これは古巣のリクルート人材センターの営業マン・六郷から依頼された。既取引会社からスカウトを依頼されたが、リクルート人材センターは登録者を斡旋するのみでスカウトは出来ない。そこで私に声がかかったのだ。依頼先はアメリカ半導体検査装置メーカーの日本法人。その社長からある技術セミナーの参加者名簿を渡され、この参加者なら誰でもいいと言われた。

 私はスカウト活動などやったことはない。いったいどうやればいいのだろう。勤務先の出入口で待ち伏せするか。テレビドラマの刑事のように。でも怪しいな。

 うーん、まあ、要は本人に会って話すこと。まずは単純に会えばいいのだと、セミナー参加者リストの上から、各所属会社に友人を装って電話した。かなりドキドキしながら。

「かやのと申しますが、開発一課の山下さんお願いします」
「どちらの栢野さまですか?」
「友人です」
「わかりました」
「はい、山下です」
「あ、どうもすみません。わたくし、栢野と申します。実は、私は人材スカウトです。ある会社が山下さんに興味を持っています。一度、お時間を頂けませんでしょうか?」

 人材スカウト=何やら陰の世界で暗躍するスパイのような後ろめたさがあり、嫌がられたり怒鳴られたりするのではと心配しながらエイヤで3人ほど電話したが、意外にどの人も好意的だった。

 結果的には「今は転職は考えていません」と拒否されたが、スカウトの声がかかるということは、自分が認められているということ。言ってみれば、既婚者の男性が、妻以外の女性からあなたに興味があります。好きですと言われるようなものだから、悪い気はしないのだと気づいた。

 そして5人目、シーメンスというドイツ系の会社に勤めるエンジニアAさんが気軽に会ってくれた。たまたま職場に不満があり、スカウトを依頼してきた米系企業との条件も双方一致。接触から半年後、スカウトに成功した。報酬は約50万円だった。

 これで俺もスカウターになったと満足感はあったが、徒労感もあった。初めてのスカウト活動だったが、おそらく今回は相当順調に行った方だろう。それでも半年かかった。たった一人のスカウト活動だったが、気疲れした。

 スカウトがうまく行くか不安もあったが、それ以上に、今回の転職がAさんにとってプラスになるのか。一人の人生を変えることになるが、もしダメだったら申し訳ない。そんなことでは仕事にならないぞと自分を叱咤激励したが、二人目のスカウト活動に入ることはなかった。

 こうして独立半年で7人の人材紹介やスカウトが成立。売上は350万円となった。しかし、食って行くには足りず、資金は100万円を切るまでに減っていき、同時に、急速に人材紹介やスカウト活動にやる気が失せていった。

 表向きはボランティア的な転職相談を装いながら、実際はその人を売るという良心の呵責。でも、それは言い訳だろう。どんな仕事にも、そういう後ろめたい部分はある。営利を追求する民間企業なら当たり前だ。ボランティアではないし、ボランティアは結局続かない。そのためには、転職希望者が満足する紹介先企業をもっと開拓せなば。

 しかし、どうもやる気が出ない。こうして迷いが深くなり、貯金も100万円を切り、創業した年の秋には自宅事務所移転を決断。わずか半年で15万円のマンション事務所から四谷4丁目の木造風呂なしアパートへ転落した。

●木造風呂無しアパートの悲哀

 ボロボロアパートの6畳一間は家賃6万円。床や階段がギシギシ音を立てる。階下には正体不明のパキスタン人、隣は50歳位の姉さん女房と20代後半でいかにもヤクザ水商売系旦那の奇妙な夫婦。新宿駅まで歩いても20分強という大都会のど真ん中だが、この四谷4丁目の路地には貧困の悲哀が漂う。

ああ、俺も堕ちた。またも堕ちた。

 車は前の新宿御苑の事務所に来たとき、駐車料がバカ高く、ホンダのシビックは売却。交通手段はヤマハのオフロードバイク・セローに変更していた。

 学生時代以来、約10年ぶりに銭湯通いをすることになった。33歳にもなって・・・。

 学生時代の貧乏は全然苦ではなかった。俺には輝ける未来、大企業で華やかにエリートサラリーマンとして活躍する。そんな将来が確約されていると思っていた。それがこのざまだ。金が無く、アパートの流しで体を洗った時は、情けなくて涙が出た。

 堕ちた、墜ちた、落ちた。本当に俺は堕ちた。

 ヤマハ発動機、リクルート人材センター、コンピューターシステムリース、ミッドと就職転職に失敗し、5社目の独立も半年で実質廃業状態。かといってどうすればいいのかわからない。まさに闇夜のトンネルを一人彷徨うばかり。

 自宅にいると気が滅入るので、とりあえず外に出る。しかし、金のかかる場所には行けない。となると、行くところは公園か図書館のような場所。するとそこには、仕事や人生の行き場のない浮浪者や失業者が溜まっている。

 その何割かは服装や顔や頭が汚れていて、明らかに夜は新宿の公園あたりで寝泊まりいているホームレスだ。昼間に金も職もないヤツが落ち着ける場所は・・・・考えることは同じなのだ。いや、俺はまだ住む家はあるが、実質的には彼らと同じ。表向きは株式会社の代表取締役だが、その実態は貧乏で先の見えない失業者だ。

 図書館では過去の新聞や本を乱読し、何か自分を奮い立たせるきっかけを探した。ビジネスのアイデアは?心を元気にする方法は?こんな人生を打破するヒントは?俺を救ってくれる文章を探しながら、日々が暮れていくのを待っていた。

 金はじりじり無くなっていく。ある日、新宿三越の地下食品売場を通り過ぎようとすると、あちこちのブースから試食を勧められた。そうだ、これで晩飯代が浮くかもなと、おかず、焼き飯、サラダと3つの売場で試食をして腹に流し込んだ。

 翌日も三越に行こうと思ったが、またあの人が来たと思われるのが恥ずかしく、その日は小田急百貨店、3日目は伊勢丹の試食コーナーでお世話になった。

 しかし、これはまさに乞食同然。お腹の飢餓感は満たされても、逆に心の飢餓感は益々高まる。新宿高層街の地下には、浮浪者が列をなして段ボールで創った家に住んでいたが、とても他人事とは思えない。見ているとふっと吸い込まれそうで、足早に立ち去った。

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第六章 失業者
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●東京で失業者。人生やり直し

 まさに人生の敗北者。

30才を前にして、今後の人生をどうしようか考えた。

もはや大阪にはおれない。恥ずかしい。この土地を出るしかない、出たい。
というか、逃げたい。

どこへ行くか。

故郷へ帰るか。それも嫌だ。恥ずかしいし、都落ちで帰りたくない。

 ならば、リクルート時代、少しは良いことがあった東京だ。土地勘もあるし、良くも悪くも東京は懐が深い。人口が多い東京砂漠だから、人のしがらみもない。成功を目指す人も、失敗した人も、すべてを受け容れてくれるのが東京だ。

 以前のリクルート人材センターへの復帰というか、正社員での中途入社ができないかどうか、一縷の望みを託して前の上司の澄谷さん経由で尋ねたが、結果は不可。そうだろう。こんなダメ人間が採用されるはずがない。

 しかし、ともかく東京へ出よう。東京の清瀬に住んでいた弟を頼り、数日泊まって自分のアパートを探した。そして残り少ない貯金を計算しながら、再就職活動を開始。といっても、最初の3カ月は就職情報誌を眺める程度で、毎日、近所の川や海へ車を走らせた。 やはり心の痛手は大きく、なかなか履歴書応募する意欲が湧かない。日々、ユーミンとサザン、オフコースなど失恋の歌を聴きながら、傷ついた心を癒していた。

 俺はなんでこうなったのか。今回の退社原因はリース会社の仕事が合わなかった、できなかったこと。仕事が自分の能力の限界を超え、ウツ、ノイローゼになった。

 が、以前から仕事には違和感があった。合わなかった。リクルート時代のようなやり甲斐やワクワク感はなかった。でも、同じ職場で嬉々と仕事している同僚は沢山いた。だから。私個人の職場不適合。単純にダメなヤツだったのだ。

第七章 芽生え
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■4社目:(株)ミッドに入社

●大企業を諦める

 東京に出て2ヶ月が過ぎた頃、元婚約者から手紙が来た。

「あなたを待とうと思ったが、やはりもう心が離れました。新しい人もできました。さようなら」。

 実はあんなサイテー事件の後も、彼女は「あなたが再起するのを待つ」と言ってくれていた。今回の破談は100%自分の責任。彼女に落ち度は全くない。彼女にとってはまさに青天の霹靂。結婚披露宴の1カ月前に社内恋愛の新郎がノイローゼで会社を辞めるとは。本当に俺は最低の男だ。捨てられて当然。彼女にとっては破談で良かったのだ。(風の噂で、今は幸せな人生らしい)

 しかし、ともかく働かねばならない。3カ月が過ぎ、貯金も無くなってきたので就職活動を開始。株式上場しているセンサーのキーエンスは、まあ受かるはずはないと軽い気持で応募したが、意外にも一次試験、二次面接を通過。「おいおい、俺みたいな人間を採用しちゃダメだぜ」と心の中で心配したが、最終で落とされホッとした。

 「惜しかったねえ。君はあと少しだった」と人事担当は言ったが、俺はもはや一流企業には最初から落とされて当たり前の滅茶苦茶な人生。でも、俺の経歴=まあまあの大学で有名企業系に在籍していたことを過大評価したのだろう。30歳ですでに3社を渡り歩き、次は4社目になるのだが、表面上の学歴と社歴の知名度は相手によっては効果があるのかと思った。「真実」を隠しての転職活動は心苦しかったが。

 しかし、他の大手企業や大手関連会社にも応募したが、やはり、プロの人事担当の目は誤魔化せないのか、書類審査だけでことごとく落ちた。年齢のわりに転職歴が多く、どこも3年続いてない。勤務内容もヤマハとCSLは最悪だし、リクルートも少しは実績出したとはいえ、正社員試験に落ちている。そんな経歴に自分でも引け目を感じていたし、自信の無さが出ていたと思う。そして気づいたというか観念した。

 「栢野、お前の経歴はもはやズタズタではないか。表向きは名のあるヤマハ発動機、リクルート、IBM子会社の履歴だが、お前はビジネスマンとしては最低じゃねえか。

 リクルート時代はまあまあの実績だったが、正社員にはなれなかった。他の2社は両方とも仕事が出来ずにノイローゼ・ウツ退社。最低最悪の辞め方だ。

 なあ栢野。もう一流企業とかその系統の会社へ転職するのは諦めよう。まぐれで入っても後で苦労するぜ。CSLみたいに」
 こうして大手系は諦め、中小ベンチャー企業へ就職活動をシフト。最終的には求人誌で見た(株)ミッドという従業員25名くらいのチラシ宅配ベンチャー企業に採用された。

●FC本部の中小企業へ転職

 ミッドはチラシやDMなどの宣伝物を、主婦組織を使って宅配するFC本部。今でいうポスティング会社の親玉だが、当時、全国約25都道府県にFC加盟企業を構築。全国に約5万人のミッドレディを500世帯ごとに置し、全国約4000万世帯中、約2500万世帯にチラシ類を配布できるネットワークを築いていた。

 FC加盟企業には東京コカコーラボトリング、加ト吉、プラント大手の日揮、九州産交運輸、長崎バスなど、意外にも各県で名の売れた名前が並んでいた。

 また、ミッドの栗林社長が書いた本「脅威のネットワーク・ビジネス」や「営業管理職が読む本」がビジネス書としてはベストセラーになり、ベンチャー系や一部の広告業界ではちょっとした話題の会社だった。

 栗林社長は元ミサワホームの営業本部長として、全国の地場企業と合弁でミサワホームの販売会社を設立。フランチャイズで全国販売網を築いた実績と経験を踏まえ、ニュービジネスに乗り出しているというふれこみだった。

 出社日は12月1日。半年の失業者を経た初出社の日だったが、こともあろうに寝坊をして昼過ぎに出社した。いやはや最低の出だしで、もしかしたら採用取り消しになるかと思ったが、人事担当が「何をしている・・・」と一言苦虫を潰したように呟いただけで、粛々と入社手続きをした。

 四谷3丁目にあったその会社は、今まで勤めたヤマハ発動機、リクルート人材センター、CSLとは明らかに雰囲気が違っていた。それまでの会社はすべて大企業かその系列。今回は典型的な中小企業。ビルはもちろん、オフィスの玄関から内部のインテリア、社員の人相と外観・・・なんというか、落ちたなあと思った。

 先入観と偏見もあるのだろうが、すべてが見劣りする。ああ、俺は中小企業に来たな、堕ちたなと思った。同時に、ここなら俺の居場所もあるのではないか。俺のような汚れた経歴の人間が多そうな感じがした。

 健康保険証を貰おうとすると、総務の女性が言った。3ヶ月経ってからだと。なぜだと聞くと、入社してもすぐに辞めるかもしれないでしょうと。試用期間もあるのだろうが、やはりこの会社は人の出入りが多いのだなと思った。

 そして、一通り事務的な話が終わった後、その女性が小声で言った。

「社長がねえ、あんな男には惚れるなよ。女を不幸にするヤツだって言ってたけど、栢野さん、何かしたの?」。

 「えー?何それ?・・なに冗談言ってるの?・・」と私は直感的に受け答えして、薄ら笑いを浮かべて聞き流しながらその場を去った。

 「ばれている」

 社長は俺の過去を知っている。興信所か自分で調べたかわからんが、俺が前の会社を滅茶苦茶な状態で辞めたのを知っていると思った。一瞬、ヤバイとは思ったが、そんな人間でも採用せざるを得ないほど、中小企業は人材不足なのだ。過去を知られたのは恥ずかしいが、こちらも嘘や隠すのは心苦しい。なるようになれ。

 時は、後で考えると、まさにバブル経済真っ盛りの頃。個人の人生が最悪だったからか、好景気やその恩恵はまったく感じなかったが、なんとか就職でき、固定給をもらえるようになったのは幸運だったのだ。

 仕事は対法人営業だった。新規事業を考える会社にミッド事業を提案し、FC加盟契約を結ぶ。ミッド事業とは、チラシやDMなどの広告宣伝物を一般家庭や事業所に配るポスティング事業。全国主要都市で宅配エリアを決め、約500世帯ごとに宅配する主婦を1人設置して配る。当初は宣伝物の宅配だが、近い将来は全国に商品の流通網・販売網を構築して物販を行う。そのニュービジネスをFCとしてしませんかと。

 日々、帝国データバンクや東京商工リサーチの企業名簿を元に電話をかけ、資料をFAXや郵送。FC説明会への参加勧誘を行った。我々下っ端の営業マンの仕事はそこまで。セミナー集客以降はベテラン営業マンがFC契約の営業を行った。

 当時すでに全国4000万世帯中、約2500万世帯にポスティングする体制にはなっており、そこに流すチラシやDM配布の受注営業もやった。配布料金はチラシで一枚2,7円からだが、私は飛び込みで営業に行った日本勧業角丸証券の本社営業企画部から、全国で配るポケットティッシュDMの配布を受注。新人としては受注額が1000万円を超える大型受注となり、入社早々鼻高々だった。

●自ら左遷を申し出る

 しかし入社3カ月が過ぎた頃、このミッド事業に疑問を感じ始めた。FC加盟には1000万円以上の加盟金と毎月のロイヤルティが必要だったが、黒字になっていたFCは皆無に近かった。「このFCは詐欺かも」

 現場のFCは日々マジメにチラシを配っているが、本部は口から出任せにFCを増やしているだけ。不信感が確信に変わったのは、幹部が元羽毛布団のマルチ商法に関わっていると知ってから。また、転職に失敗した。本当にオレはついてない。
 その頃、神奈川県相模原のFCが撤退することに決定。次のFCが決まるまで本部が直営で現場を運営することになり、誰か行かないかということになった。期間は3カ月。

 本部社員から見れば左遷人事のようなもの。が、私は手を挙げた。どうせこんな会社は辞める。しかし、FCの現場はマジメにチラシ配布作業を行っている。どうせなら現場を経験してから辞めよう。

 案の定、他に希望者はなく、すんなりと私の異動が決まった。実はその頃、本部事務員との社内恋愛に破れたこともあり、本部を離れたかったのだ。まったく俺は懲りない男だ。

 神奈川県相模原市。相模大野の駅裏にその事務所というか作業場はあった。清瀬の自宅からは遠すぎるので、私は相模大野の木造アパートに引っ越しをした。これで社会に出て6回目。毎年のごとく年賀状の住所が変わり、会社も変わっている。しかも、転職の度に会社の格も下がっていく。ダメ人間の証明をするようで、恥ずかしかった。

 事務所には撤退するFCの人がいた。FCの親会社は平塚の米問屋で、本業の苦境を打開しようとミッド事業にFC参画したが、毎年赤字の垂れ流しで撤退することになった。

 FCの所長は50代半ば。このあと親会社へ帰って閑職に飛ばされ、嘆いていたが、海運関係の資格をとって第2か第3の人生を歩もうとしていた。

 在宅でチラシを配るミッドレディ約200人の他、各レディを統括し、割り当てられたチラシを届ける主婦リーダーさんが15人。事務所の常駐は事務パートさん2名と私の3名で、この人員で相模原市約13万世帯をカバーすることになった。
 
 クライアントは車ディーラー、薬屋、不動産、宅配ピザ、クリーニング屋、飲食店、塾、スーパーなど。仕事の大半はチラシ配りで、新聞折り込みが1部3円のところ、我々は2円70銭で配った。クライアントから印刷物を受け取って事務所内へ運び込み、エリア事の仕分け作業。それをエリアリーダーに渡し、各エリアのレディさんが毎週木曜、金曜で各家庭のポストに配る。これが一連の仕事の流れだった。

 私の仕事は営業所長代理として、ミッドレディ全体の統括と顧客への営業。だけのはずだったが、思いもかけぬ重労働が待っていた。

 赴任してすぐ、本部が決めたオフィスに移転することになった。家賃のコストダウンのためである。しかし、そのオフィスを訪れて愕然とした。以前は1階で約20畳だったが、今度はマンション2階の10畳。しかも1階から2階へのエレベーターがなかった。

 ポスティングするチラシは、まずオフィスでエリアごとの仕訳作業をする。そのために受注したチラシを2階まで上げねばならない。紙のチラシは数枚程度はなんてことないが、まとまると重い。毎週では何十万部で数トンになる。

 これをマンション1階から2階まで人力で運ぶのは相当な労働となった。かつ、マンション内でエリア毎に仕分けした後は、再びチラシの束を1階で待つリーダーさんの車まで人力で運ぶ。逞しい主婦の方が多かったとはいえ、女性が重い荷物を運ぶ作業を無視できない。レディさんとの人間関係を築くためにも、私は積極的にチラシ運びを率先した。

 また、相模原市内のエリアは約200ヶ所あったが、毎回どこかのレディさんが休みになり、換わりに私や内勤の女性が配りに行った。1エリア500世帯にポスティングするのに2時間はかかる。1000世帯や2000世帯配ることもざらで、私は上半身ワイシャツにネクタイ、下半身はジーパンで、汗みどろになってチラシをマンション事務所に運び上げ、荒野の部分も多かった工業地帯の相模原の家にチラシを配布した。

 当初は新しい職場に来た緊張感と新鮮さもあったが、すぐにまた落ち込んだ。

「俺はいったい何をやっているんだ。こんな場所でこんな肉体労働を」

 世間的には名のある大学を出たのに、つぎつぎと転職に失敗。結婚にも失敗し、気づけば30歳を越えている。やっているのはチラシの運搬作業と配布作業。ここは首都圏とはいえ、東京都内からは2時間弱もかかる田舎。会社は無名の中小企業。さらに俺がいるのはその末端の代理店が撤退した後の、チラシだらけのワンルームマンション。

 落ちたなあと思った。本当に俺は落ちた。落ちる所まで落ちた。人生の落伍者だ。毎日毎日、営業の合間やチラシ配布のあと、埃っぽい相模原の台地に沈む夕陽を見ながら、自分の人生の黄昏を感じた。なんで俺の人生はこんなことになったのだ。

 しかし、当初3カ月だけの営業所運営の予定だったが、事務所を大幅にリストラしたことで、なんと黒字に転換。FCが見つかるまで継続営業することに。これは誤算だった。 当初は3カ月で辞めるつもりだったが、現場は一所懸命に頑張っている。近隣に接する町田の東京コカコーラのFCとも仲良くなり、立場上辞めにくい。

 まあしかし、次にやることも思いつかない。そのまま、毎日単純作業を繰り返し、気づけば半年があっという間に過ぎた。

●転職活動?を開始

 このままでは茹でガエルになる。ダメになる。会社にも未来がない。会社の中で自分なりの生きがいとかやり甲斐とか、夢や目標を見いだせない。自分の能力不足もあるのだろう。が、とにかく、今のままではダメだ。もう32歳。既に4社目。どうするか。

 幸い、この事務所には上司がいない。行動は好き勝手にできた。その点は自由で良かった。かつ、弱小事務所とはいえ、パートが大半とはいえ約200名のマネジメントする立場だ。まあ、実際はほったらかしというか、現場の主婦の方に自主的に動いてもらったが、今までにはなかった経験だ。

 そんな時、同じ主婦組織で面白いタウン誌を発行・配布している会社があると聞いた。横浜本社の「ぱど」。社長は荏原製作所からの出向で、会社の新規事業として無料配布のタウン広告情報誌を発行していた。同じ広告系の主婦組織と言っても、こっちは単なるチラシ配りで、「ぱど」は個人広告+商業広告でしっかりとした自社媒体に仕上げている。

 憧れの気持とあわよくば転職できないかとの想いもあり、社長の倉橋さんに思い切って電話して会社を尋ねた。1990年当時でオフィスにはパソコンがズラリと並び、20代の若者が熱気ムンムンで仕事をしていた。起業のヒントは、倉橋さんがアメリカで見た個人広告情報誌だというが、「ぱど」の電子出版プログラムは倉橋さんが自分で作成したという。何もかもがミッドとは比較にならない。素晴らしい。

 倉橋さんから転職の打診も遠回しに受けたが、「ぱど」は20代中心の会社。30歳過ぎの自分が入っても追いつけないと思い、後ろ髪を引かれるように事務所をあとにした。

 <その後「ぱど」は全国に展開し、発行部数は毎週約1200万部と世界一に。株式も公開して大成功をしている>

 もう一社、東京に「ドゥハウス」という会社があった。こちらは主婦組織で、食品や家電などの大企業商品企画室などから、モニター・アンケート・市場調査を受注していた。私が会った創業者は小野さんという、学生運動のリーダーのような魅力的な雰囲気を持っっていた。その後に社長となる稲垣さんは、台所に飛び込んで主婦の日常を調査する泥臭さを持ちながら、高度なマーケティング理論をわかりやすく話す論客。

 このドゥハウスにも憧れて転職も考えたが、やはり自分の能力や年齢を考えると、もはや太刀打ちできないと諦めた。

 が、こんな感じで相模原から都内に行く機会が増え、セミナーや異業種交流会というものがあると知った。そこには様々な会社のサラリーマンや中小企業の経営者が参加していたが、私と同じように模索している人も多くいた。

 自分の進む道がわからなかった私は、他の人はどうやっているのか、人生勉強のために参加した。そして、転職ではなく、「独立起業」という選択肢があることを知る。

★明日のために・その6/この「ぱど」「ドゥハウス」の社長とは、起業後に貴重な人脈となった。気になる人には思い切って会いに行こう。井の中の蛙にならぬよう、異業種セミナーにも出てみよう。

●独立起業への芽生え

 中でも熱心に通ったのは、脱サラコンサルタント「創業開発研究所」の小久保社長がやっていた「自分興し会社興しの会」。毎回、創業経営者をゲストに招き、独立起業のケーススタディを聞いた。

 他には出版社「PHP研究所」のサラリーマンで中島孝志という人がやっている「キーマンネットワーク」などに参加した。
 活動するうち、自分なりに独立起業のアイデアが浮かぶ。その一つはデータ情報誌の発行。当時、「オゥトゥジャパン」という企業内起業・新規事業のケーススタディ会員誌があった。社長は日野公造さんといい、私と同じリクルートの契約社員出身だった。

 「創業」や「脱サラ」は小久保さん、「企業内新規事業」は日野さん。毎月毎週の日経新聞や日経産業新聞に、二人のコメントや記事がよく載っていた。創業や新規事業の情報を集めていた私にとって、この二人はカリスマだった。カッコ良かった。憧れた。

 しかし、自分は文章も書けないし、講演も出来ない。やったことがない。ましてや本や雑誌を発行するなど無理だと思った。
 他に気になったのは、広島本社の週刊「キウイ」という週刊誌。新聞の切り抜き情報誌の発行と、読者の異業種交流事業をやっていた。自分も情報収集で様々な切り抜きを集めていたし、異業種交流会にもあちこち参加していたから、それで起業できれば最高だなと思った。でも、そんなのは無理だよなあと諦めた。

 他には「データマン」。これは週刊誌のデータを集めたもの。自分自身が様々な新聞や週刊誌や本から脱サラや新規事業の情報を集めていたので、その手の必要性は感じていた。しかし、これも自分では今さら起業できない。経験も金もない。

●独立起業研修への参加

一体自分は何をしたいのか、できるのか。毎月毎週毎日考えたが、わからない。迷った末、創業開発研究所の小久保先生が2日間の「独立起業研修」をやると知り、3万円と当時の私には高額だったが、思い切って参加した。

 参加者は私の他に50歳くらいの中堅企業サラリーマンが1名。計2名だったが結果としては小久保先生とのマンツーマンでラッキーだった。小久保先生は当時40代前半。脱サラの本も数冊出していた。

 講義を受けた後、メインの作業である、「自分の過去を振り返るシート」の作成をした。それまで32年間の人生を振り還って長い履歴書を書き出し、改めて自分が得意なこと、できること、好きなこと、興味があることなど、思いつくままに書き出した。

 結果、出てきたのは、「無料職業相談業」+人材紹介業。自分は就職・転職に次々失敗した。リクルートという就職と転職をビジネスにする会社にいたにも関わらず、自分の適職・天職が分からずに会社選びを失敗した。ならば、一般の人はもっとわからないのではないか。その手助けができないだろうかと。

 就職や転職活動の際には求人情報誌を見るが、あれは情報誌とは言っても実態は企業にとって都合のいい広告誌なので、真実は書いていないことが多い。本来はその企業や業界や職種の厳しい現実も知り、果たして自分が合うかどうか判断せねばならない。

 職業相談の場としては職安・ハローワークや民間人材銀行があるが、職安の担当者は所詮は公務員で、企業の実態まではわからない。民間人材銀行は、登録者の1割くらいの「売れる人材」しか相手にしないし、紹介する会社は、金がもらえる人材紹介契約を結んだ会社のみ。大事なのはお金をもらう企業で、真の意味で転職相談者側には立てない。

 私はあくまでも転職相談者側に立ち、共に悩み、共に適性を考え、その相談者に成り代わって就職情報を探し、天職となる会社を見つける。人材を紹介して採用に至った会社からは、年収の3割から2割を人材紹介料としてもらいたいが、場合によっては紹介料がもらえなくてもいい。一番大事なのは、転職に悩む人を救うことだ。やればなんとかなるだろう。こうして私は、無料職業相談業・民間人材紹介業で独立することに決めた。

 人材紹介業は本来、労働省の許認可とか数百万円の供託金が必要だったが、無許可でやっていた外資系のスカウト会社と同じく、表向きは人事コンサルティング料という名目でやることにした。

●左遷された人の悲哀

 秋、勤めていた(株)ミッド相模原センターの後を継ぐFCも見つかった。協和広告というポーラ化粧品を主力クライアントとする中堅の広告代理店で、年商も100億円を超えていた。なんでこんな立派な会社がこんなFCに加盟したのか。ミッド本部がうまく騙したか。もしくは、協和広告がよほどアホなのか。

 いずれにしろ、これで私は足かせが取れ、独立へ向けて自由になれる。仲良くなった現場の主婦たちに別れを告げて離れるのは寂しかったが。

 協和広告から相模原の現場責任者として送り込まれたのは、いかにも気の弱そうな50代前半の男性だった。完全な左遷。東京都内のきれいなビルでの華やかなマスコミ広告から、こんな田舎の、同じ広告関係とはいえ、まさに場末のチラシ配りの子会社へ出向。生まれつきなのか、逆八の字の眉毛が悲壮感に拍車をかけ、私は可哀想にと同情した。

 他に左遷で来たのは二人。一人は「なんで私が、こんな田舎のチラシ配りの会社に送り込まれるのよ!キー!」とでも言いたげな40歳前後の女性。おしゃれな服とブランドバッグが悲しかった。もう一人は65歳前後の定年間近か、定年後の第2の人生で気楽なモンさという感じの穏和な初老の男性。様々な人生があるのだ。

(その後、しばらくして撤退したと風の噂で聞いた。さらに、その数年後、本体の協和広告も倒産した)

 こうして年末で相模原事業の引継を終え、私は本社に辞表を出した。その際、人事から、部下はない「本社・営業係長」の名刺を提示され、社長からも引き留められたが、もはや私の頭は独立への期待と夢と不安で一杯だった。

 その頃にはミッド本社は、サンゴの健康食品や車の燃費倍増アイデア商品など昔ながらの詐欺悪徳商品の総代理店にもなり、全国のFC加盟店に流そうとしていた。まさに断末魔というか末期的症状で、会社には何の未練もなかった。

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第五章 どん底
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●格上の会社へ転職成功!

 26才にして3社目の転職活動は苦しかった。リクルートの正社員試験は1年後、またチャレンジできる機会もあったが、その時の私には、「お前は必要ない」と言われた相手に、再びアタックする勇気と自信はなかった。

 バイト契約社員の身分のまま、かつ、アルバイトを統括するリーダーという名の閑職の合間に、試験落第から3カ月ほどして徐々に転職活動を始動。帝国データバンクや日経BPの営業マン、新卒採用でリクルートと同業のダイヤモンドビッグ社、外資系広告代理店のスタンダード通信社、キャノン販売などを受けたが、ことごく落ちた。

 一方では、リクルート100%出資の専属代理店から誘っていただき、グループも仕事内容も同じだったのでかなり心が動いたが、今さら「お前はいらない」と言われた会社の格下組織に入るのは、一生、リクルート本体への屈辱心を持ちそうで辞退した。

 そんな頃、リクルート人材センターから人材紹介業で独立したばかりの先輩を訪ねた。雑談をしている中で、半ば冗談でCSLを受けないかという話が出た。略称CSL、正式社名コンピューターシステムリース(株)は、各業界でトップの日本IBM、オリックス、モルガン銀行の3社が設立したIBM専門のリース会社で、当時の中途採用市場ではちょっとした話題の会社だった。

 毛並みの良さと将来性で人材紹介業、転職希望者双方に人気があったことに加え、東大や京大、早慶などの一流大学卒かつ一流企業の職歴の応募者でも、なかなか合格しなかったからだ。いわば、転職市場における難易度・偏差値が高い会社だ。

 当然、私も知っていたが、まさか自分のような中途半端な経歴の人材が採用されるはずがない。が、もし受かれば華々しいこと。ある意味でリクルートよりも偏差値が高い会社に合格すれば、俺を落としたリクルートの連中に鼻が高い!そんな見栄と虚栄心に加え、受かるはずもないという気軽さから試しに受けてみたところ、なぜか合格してしまった。これには自分も周囲も驚いた。

 でも、この会社なら自慢できるし、周囲への転職理由も説明もしやすい。リクルート社内では、栢野は正社員試験に落ちたからリクルートを辞めるのは周知の事実だが、社外の人への説明がしにくかった。対外的には俺はリクルートの正社員。仕事にも満足している、頑張っていると見られていたはずだし、自分でもそう振る舞っていた。

 それが格上のIBM・オリックス系の会社に転職するのであれば、世間体も問題ない(この世間体を優先したことで後日、またも墓穴を掘ることになるのだが・・・)。

 26才にして3社目の転職はある意味恥ずかしかったが、CSLなら問題ない。今ひとつ、どんな会社でどんな仕事なのかわからないが、会社の経歴や内容では、リクルートのメンバーや友人知人に自慢でき、俺の自己顕示欲も十分満足できる。これ以上の転職先はないなと、CSLへ転職することを決めた。

 入社の意志を伝えた後、配属先が大阪になると聞かされたとき、公私ともに気に入っていた東京を離れるのは寂しかったが、再度の転職活動の労力やCSL以上の会社へのチャンスは滅多にないと自分へ言い聞かせ、私は大阪へ旅立った。

■3社目の転職:IBMとオリックスの合弁会社へ 

「サラリーマン・人間失格で自殺未遂」

●学歴コンプレックス

 CSLはその数年前に設立されたばかりの新会社で社員は50名程度だったが、株主は前述したとおりの大御所ばかりで、資本金も30億円あった。社長は日本IBMの専務取締役が兼任。ナンバー2はオリックス、ナンバー3はモルガン銀行からの出向。部長以上も全員が3社からの出向で、課長以下はほぼ全員がプロパー。

 私が転職した前年に新卒第一期生が入社した他は中途採用だった。大企業の子会社なので生え抜きのプロパーが社長になれる可能性は低かったが、新会社で会社は毎年倍々成長。各部署でのポストも増え、出世の可能性は十分あった。

 しかし、入社早々、軽いジャブを立て続けに受けた。入社手続きをしている最中、人事の天野さんが私の履歴書を見て「ほう、立命館か、珍しい」。CSLは無名だが中途採用市場では最難関クラスの会社で、親会社はそうそうたる一流企業。入社をクリアするには、日本IBM、オリックス、モルガン銀行3社の基準を満たさねばならなかったが、それは実力に加え、相当の学歴も必須だった。

 少し不安はあったが、やはり社員の出身校は東大や早慶を筆頭に一流大学ばかり。偏差値では私の立命館レベルが一番下だった。配属された大阪支店では、同志社大学や関西学院大学出身者がいたが、立命館は関西大学と並んで社内では最低クラス。

 天野さんは慶応出身で、格下学歴の私を露骨に見下してきた。他にも、同じ関西で「関関同立」と同じ枠で括られているが、上格の同志社や関学出身者からは白い目で見られた。自意識過剰かもだが、不利な状況だなと感じた。

 出身大学による就職差別や出世差別。バブル崩壊後、実力主義への移行で無くなりつつあるとは言うが、いわゆる一流大企業では今もかなり残っている。私の時代も東大早慶などのAクラス、その他東京六大学や関関同立のBクラス、それ以下のCクラスの大学と。

 ヤマハ発動機の場合、一流大企業にしては「多彩な」出身大学の採用だったが、それは同業他社では高卒がやる仕事だったからだ。あとで知ったが、ヤマハ発動機でも本社の管理職候補と研究開発の理系新卒採用は一流大学出身者で、私ら現場兵隊・大量採用社員とは別枠だったらしい。

 リクルート社の場合も、社内は完全実力主義ではあったが、正社員の学歴は一流大学卒が非常に多かった。

 とにかく、よく考えれば前々から予想はついたが、私はCSL内では学歴で最低だと認識した。学歴一覧などはないし公表もされてないのだが、ほぼ全員が誰がどこの大学出身かを知っていた。私も含め、この手の会社ではそういう人種が多い。

 仕事で実績を上げると、「あの人は東大だから」、失敗すると、「やっぱ三流大学だしね」と人間自体を見下す。これは中小企業や起業家の世界ではほぼ皆無だが、当時の私は、学歴重視+見栄えのするエリート系企業のサラリーマンであることに価値があると思っていた。

 しかし、社内で学歴最低。これは相当なプレッシャーとなった。かつ、26才で中途入社したばかりということは、実務実力も最低。だが同年齢はもちろん、新卒入社の24才や25才の年下社員に負けるわけにはいかない。早く中堅社員としての力を付けねばと、日々焦っていた。

●この道はいつか来た・・嫌な予感

 入社数日後、実際の仕事に同行するようになり、なんとなく嫌な感じがした。CSLはIBMコンピューター専門のリース会社。リースとは、簡単に言えば長期の賃貸契約みたいなもの。IBMのコンピューターは当時、一式入れると数千万円から数億した。

 導入する企業は現金で購入するのではなく、長期契約で毎月のリース料を分割支払いとすることが多かった。我々リース会社の役割は、コンピュータを導入した企業に換わってIBMへ一括で支払い、導入企業からは5年前後のリース契約を結んで毎月リース料を回収する。個人生活で言えば、カード会社や信販会社とほぼ同じ役割。

 IBMにとっては、売ったコンピューターが即現金で回収でき、企業側は手持ちの現金がなくても気軽に分割払いできる。リース会社は銀行などから資金調達し、毎月のリース料に調達金利以上をオンし、その差額で収益を上げる。

 我々リース会社の営業マンの仕事は、いかに多くのリース契約を取るか。契約先はIBMのコンピューターを導入する企業。その導入会社をいかに探すかがキーポイントとなるが、一番手っ取り早いのはIBMの営業マンから情報を入手すること。つまり、我々CSL営業マンの仕事の最初は、IBMの営業所を訪問し、IBMの各営業マンに会い、IBMのコンピューターを導入することになった企業を紹介してもらうこと。

 いち早く、IBMコンピュータ導入情報を取得し、他のリース会社よりも早く顧客企業にアプローチ。与信審査を通し、一番大事なのは、他のリース会社と競合しないこと。競合すると、リース料の値下げ競争になることが多く、当然、利益は減少する。

 いかに早く顧客情報を入手し、合い見積もりにならないようにするか。それはマメにIBMの営業マンと接すること、日々、IBMの営業所に顔を出し、「何かあったらよろしくお願いします!」と愛想を振りまくこと。

 これはどこかで経験した嫌な感覚。そう、ダメだったヤマハ発動機時代のルートセールスと同じだ。主導権が取れない営業。コバン鮫、金魚の糞。人が苦労して取ってきた案件におんぶにだっこ。しかし、逆に言えば「ウ飼いの鵜将」と自分を慰めたが・・・。

 私はIBMの営業マンにペコペコするのが嫌で、自分で飛び込み営業もしてみた。CSLはIBM専門のリース会社だったので、「IBMのコンピューターはいりませんか?」と。リクルート時代で実績を上げた、新規開拓営業力を見せてやるぞと。

 しかし、数十万円程度の広告とはわけが違う。IBMのオフィスコンピューターは、小型でもハードとソフトを合わせ最低でも一千万円前後。かつ、私はコンピュータのことは何も分からないど素人。1週間程度だったが、飛び込みは空振りに終わった。

 仕方なく、IBMの営業所廻りで愛想を振りまくしかなかった。ブラッと顔を出し、IBM営業マンと目を合わせ、彼らが営業先に出す提案書のリース料試算をする。総購入金額と機器の種類とリース期間と残務価値(中古価値)を金利計算できるヒューレットパッカードのポケットコンピュータに打ち込み、「はい。それだと月々のリースレートは1,9です」とか。実に退屈な営業だった。

 極端に言えば、相手に提示できるのは値段だけ。企画や提案はほとんど関係ない。IBMのリース子会社なので、IBMが全部主導する。中には複雑なリース取り組みもあり、裏では複雑な金利計算や契約条項の練り直しをするような案件もあったが、表向きは毎月のリース料の安さが勝負だった。

 会う相手もIBMの営業マンの他は、コンピューターを導入した企業の電算室担当者のみ。こっちは単なるリース屋。相手もこちらもお互い、コンピュータを通じた経営合理化とか戦略の話し相手にはならない。リクルート時代に比べると、経営者に会う機会も皆無に近く、いわゆるやりがいに欠けた。

 もちろん、皆がそうではない。私個人の能力やヤル気不足が一番の原因だ。

 こうして、IBMの営業マンからリース料の見積もり計算を依頼されるのを待ち、単調な計算をし、競合のリース会社が出れば、うやうやしい安値了解を求める稟議書を書いた。 なんというか、パワーがエンドユーザーではなく、身内のIBMと稟議を通す社内に向いている。かつ、自分に合っていない、自分より高学歴で仕事もできる人が多く、今後の出世の可能性も低い。違和感がある。

 などと思いながらも、社会に出て三社目の会社だ。もう辞めるわけにはいかない。

●新人教育が出来ない!

 翌年、新卒の社員が大阪支店に数人配属されてきた。私にとっては後輩。年齢は5才ほど下だった。その頃には社内にも仕事にもなんとか慣れ(たと思っていたが)、社内の若い連中と週に数回はカラオケに行ったり、週末にはテニスをやったり、正社員としてのサラリーマン生活を楽しめるようになった。

 ヤマハ発動機の時は入社9カ月でノイローゼ退社、リクルートは3年弱勤めたが正社員になれず、身分が安定していた時期はなかった。やっと手に入れた正社員の身分。しかも、世間的には無名だが、CSLは資本金30億円の大企業。かつ、入社2年を過ぎた頃に社内恋愛を始め、目出度く婚約。仕事に恋に、人生で最高に充実した時期を迎える。

 まさに我が世の春を謳歌していた中途入社3年目の春、私に初めての部下が出来た。同じ立命館大学出身で新卒入社の女の子。

美人で隠れグラマー。心がかなり動揺した。

 私は新人教育係として、日々、彼女と行動を共にするようになった。同じような教育係は大阪支店では私の他に4人。役職はないが、入社3年目、4年目の中堅社員。新しい競争の始まりだ。普段の営業の他、教育係として、いかに新人を育てられるか。マネジャーの登竜門、管理職への一歩。実はこれが私の、地獄への転落のはじまりだった。

 新人からは様々な質問を受ける。しかし、私はほとんどマトモに答えられない自分に愕然とした。曖昧に仕事をこなし、難題を誤魔化してきたつけが来たと思った。他の教育係に比べると明らかに見劣りする。「いかん。こんなところで汚点を表面化させてはまずい」。その焦りがますます私を追いつめた。
 私は初夏に社内結婚を予定していた。しかも相手の父親は親会社IBMの管理職。ここで粗相をしでかすわけにはいかない。式まであと3カ月弱。一番格好をつけねばならない時期。しかし、新人に何も教えることが出来ない。今さら周囲に聞くわけにも行かず、焦りに焦った。

 そして運悪く、私にとっては複雑で難しい案件がIBMから来た。リース料の計算、契約条項の変更稟議、与信審査などを巡り、私はIBMと社内との板挟みになった。おそらく、社内の平均的な社員にはそう大した案件ではなかったが、私には難しかった。

 しかし、新人の教育係も兼ねていため、「その程度もわからないの?」とバレルのが恐く、問題は上司に相談しなかった。そして自分で抱え込み、事態は益々悪化していった。

●あの悪夢が甦る

 5月の連休を悶々とした気持ちで過ごし、6月になる頃には朦朧とした日々が続いた。業務は何とかこなしている。しかし、影では隠した未処理案件がある。新人教育も行き詰まっている。一方で結婚式は1カ月後と目の前に迫る。披露宴の招待状もすでに出した。今は人生で一番カッコつけねばならぬ時期なのだ。

 が、ある日、私は会社を休んだ。体調が悪いと。あのヤマハ発動機時代の悪夢が蘇った。出社拒否。私は仕事から逃げた。
 うまく行かない。通常業務がこなせない、部下を指導できない。つまり、私はダメ社員ですと証明したようなもの。1カ月後には社内結婚する予定なのに。そのプレッシャーは文字通り私を潰した。

 出社拒否と出社を繰り返し、悩んだ末、生まれて初めて精神科の門を叩いた。精神科に行くこと自体がサラリーマン失格と思ったが、悩みが薬で治るならと。

 結果は「うつ病」。やる気がない、落ち込んでいる・・・。が、それは仕事ができないから。出世競争に敗れたから。一番大事な結婚式前に恥ずかしい事態になったから。原因ははっきりしていた。

 数日休んだ後、なんとか這うように会社へ行った。その週末、社内ゴルフコンペがあり、3人のパーティと廻った。病気明けで体に余分な力が抜けたからか、ドライバーがジャストミート。得意げに、同じパーティだった白石常務の顔を見た。

 ところがその顔は私のナイスショットには感心もなく、明らかに軽蔑の表情。


「お前は仕事に行き詰まっているらしいな。うつ病だって?社員失格じゃないの?ああ?」


と声が聞こえるような顔だ。

 愕然とした。打ちのめされた。同時に、終わったとも思った。

 もうダメ社員だとばれてしまった。もうダメだ。心の中の最後の緊張の糸が切れる音がした。精神的に弱っている人間を殺すには、無視する、軽蔑する表情だけで良いのだ。
 
 それから数週間のことはよく覚えていない。またも出社拒否。もう会社は辞めるしかない。同時に社内恋愛の結婚もお終いだ。会社に辞表を出し、式場に破談を伝えに行き、披露宴の案内状を出していた友人知人に電話をした。

挙式直前の破談。最低。恥ずかしい。

 電話を受けた友人も、破談になったと伝えた瞬間、理由も聞かずに「まあ、よくあることだから」と慰めてくれたが、気まずいのか早々に電話を切られる。

 もうすべてはお終いだ。人生で最も大事な、仕事、女・家庭、そして友人知人・親類縁者の信頼も一気に失った。仕事と私生活すべてを失う大失態。まさに自滅だった。

●自殺未遂

 本来なら、会社の上司・同僚・先輩・後輩、取引先、友人知人、親兄弟や親族一同・・・・自分の今までの人生で一番大事な人たちに、一番かっこよく見せ、人生最高の時を迎えるはずだったのに、まさに天国から地獄への転落。婚約者はもちろん、周囲にも多大な迷惑をかけた。全部、自分の責任。最低最悪。こんなに惨めで恥ずかしいことはない。


 絶望


 まさに望みは絶えた。俺はもう生きる価値はない。死ぬしかない。マイナス発想100%。友人知人のすべては去り、声をかけてくれる人もなく、助けてくれる人もなく、自分でも何をどうしたらいいか全くわからない。相談する相手も頼る人もいない。逆の立場で考えれば、こんなサイテーなヤツとは関わりたくないはず。当たり前だ。

 こんな人間は生きる価値はない。すべては終わった。

 朦朧とした意識で、私は夢遊病者のように外へ出た。自宅だった大阪府茨木市千里丘のアパート近くにJR京都線があり、鉄道自殺を考えた。が、踏切で事後の損害賠償で家族に迷惑がかかるらしいと気づき、かつ、バラバラ切断は痛そうだと引き返す。

 ガス自殺は痛みはなさそうだったが、爆発したら周囲に迷惑がかかるし恐い。次は睡眠薬自殺を考えた。これが一番安らかに死ねそうだったが、実際に薬局に行くと「すみません。睡眠薬を下さい」となかなか口に出せない。結局、リポビタンDを買って帰ってきた。
 ビルの屋上からの飛び降り自殺も考えたが、私は高所恐怖症で怖い。

車にひかれるのはどうだ。刑事ドラマなんかで、追われた犯人が道路に飛び出して車にぶつかり、宙に飛ばされて息絶えるシーンがある。あれなら即死でいいかも。

 実際に大通りに出かけ、歩道から車道に「さあ、行くぞ!」と何度か飛び出そうとしたが、かけ声だけで足が動かない。やはり死ぬのは怖い。死にたくない。そう考える余裕はあったようで、自殺は諦めた。

 すべてが白紙になった最後の出社日、会社を出るシーンはよく覚えている。机を整理して持ち物をカバンに入れ、ばつの悪さと恥ずかしさで頬が震えた。それを誤魔化そうと薄ら笑いを浮かべながら、頭だけを中途半端に四方へ下げ、逃げるように出口へ向かう。

 皆が仕事をしながら、横目で私を見ているのがわかる。

「あーあ、栢野さんは結婚式1カ月前に会社を辞めるなんて。仕事も結婚も滅茶苦茶ね。何とも無惨」

 本来はキチンと退社挨拶をするものだろうが、とてもそんな余裕はない。送別会もない。会社側も腫れ物に触るような感じで、何も言わなかった。

 社内の元婚約者は皆と同じく、私が出ていくのに気づかないように仕事をしている、ふりをしている。無理に笑顔を浮かべ、健気な姿が痛ましい。

 本来なら、今頃はホテルで挙式と披露宴をしていたはず。女性にとって、結婚式は一生のうちで最高の思い出になるのに、俺がすべてを滅茶苦茶にしてしまった。

 俺は人類史上最低の男。日本一、最悪最低な人間だ。本当に申し訳ない。しかし、私は一刻も早く、この場を去りたかった。

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第4章「転職」

■2社目。リクルート人材センターへの転職


●公務員試験の前にバイトでもするか

 本気で決断したのではなかったが、とりあえず警察官採用試験の参考書を買ってきた。ただ、試験は来年の夏だ。それまでには半年以上も時間がある。ヤマハを辞めたことは実家には話していないし、恥ずかしくて田舎には帰れない。当分、この東京に居続けねばならぬ。そのためには稼がねば。

 何かバイトでもしようと、週刊就職情報という求人誌をめくっていると、日本リクルートセンター(現在の(株)リクルート)という会社が、原稿取材のようなアルバイトを募集していた。

 日本リクルートセンター? 下宿にダンボールで山のような就職情報雑誌を送ってきた会社だ。自分は大企業しか行かないと決めていたから、情報源はダイヤモンド社の上場企業ガイドしか見ず、リクルートブックはほとんど見ずに捨てていた。

 仕事はあの雑誌に載っている企業情報を取材することか。なんだかよくわからないが、取材バイト程度ならできるかも。大学時代、ゼミ論文で外食産業の実態取材でいくつかの会社に訪問して取材したことがあった。バイトだし、気軽に受けてみるかと試験へ応募。

 ところが、試験会場へ行って驚いた。たかがバイトの試験なのに、面接官が6人もいる。なんでだろうと思いながら、ヤマハを辞めた理由や自己紹介を、どうせバイトだからと脚色することなく平然と話した。

 結果は日本リクルートセンターではなく、その子会社のリクルート人材センターでの採用通知。バイトだし、別に本社でも子会社でもなんでもいい。

 こうして西新橋にあった(株)リクルート人材センター(現在のリクルートエージェンシー)へ出社した。通称RJC。本業は民間人材銀行、転職を考える人の相談にのり、その人にあった会社を紹介する人材バンクだ。

 しかし、私が配属されたのは新しくできたばかりのKD課という部署で、仕事は週刊就職情報の求人広告営業だった。営業?取材じゃないの?お客さんは?ゼロ?自分で探す?どうやって?

 とりあえずは飛び込みでビルを廻ってみて?飛び込み営業?そんなことが俺に出来るはずがない。営業先が決まっていたヤマハ発動機の、バイク屋さん周りのルートセールスでさえダメだった俺。でもまあバイトだし、とりあえずやってみるかと。

 人材募集をする会社から求人広告をもらう仕事。その求人ニーズがある会社をどうやって探すか。まず、やってみたのが飛び込み営業。名刺を持ち、担当エリアである東京都中央区、港区、千代田区の目に付いたビルに飛び込み、受付で「リクルートの栢野と申します。求人広告の案内に来ました。人事担当の方をお願いします!」。

 100件廻っても担当者に会えるのは1割くらいで、会っても席に座って話が出きるのは2、3件。大半は「間に合ってます。いりません!」と断られる。こりゃー厳しい仕事に就いたなあちうのが第一印象。

 しかし、ヤマハ時代と違うウキウキした気持ちが芽生えてきた。厳しいが楽しい。

●同じ営業でも全然違うことに気づく

 ヤマハ時代は、相手がいらないといってもバイクを押し込み営業しなければならなかった。売る相手は自分の担当エリアの国分寺、府中、国立にあるバイク店だけ。そこに会社で決まったノルマの台数を、在庫として毎月買ってもらわねばならない。店頭で売れた分を補充するだけでなく、空いたそのスペースはホンダやスズキにとられないよう、バイク屋の親父に頼み込んでヤマハのバイクを置いてもらう。

 私はこの、相手が「いらない」というのに、無理に頼んで買ってもらうというのがものすごく嫌だった。相手が希望する時に希望する台数だけ買ってもらう。しかし、そんな待ちの姿勢では、ホンダやスズキに店頭シェアを奪われる。理論や理屈を越え、バイク屋の親父に気に入ってもらい、同じバイクならヤマハを店頭に多く並べ、来たお客にヤマハのバイクを優先的に薦めてもらう。

 そのためには、ヤマハの営業マンとして、出きる限りバイク屋のためになることをしなければならない。店頭でよりよく良くバイクが売れるように、様々な販売促進策を提案するなど。

 そう持っていくのが本来の営業の使命だったのだろうが、私は単にバイク屋に顔を出し、何の提案もなく、ただお願いしますとだけしか言えなかった。新人だったこともあるかもしれない。その後の人生で出逢った他の多くの営業マンも、基本的にはこちらの事情などヒヤリングすることもなく、ただパンフレットを出して、コピー機はいかがですか、保険は、金の先物は、と、ただ買いませんかとお願いするだけの営業マンが多い。

 そういう意味では、私も数多くいる新人営業マン、ダメ営業マン、お願い営業マンと変わりなかったのかも知れない。

 とにかく営業マンとは屈辱的な存在だ、相手がいらないと言うのに買わせる。無理矢理売りつける。相手に気に入られるよう、こっちが興味もない話にも微笑んで相づちを打ち、もみ手で相手の機嫌を伺い、可愛がられるような存在にならねばならない。営業とはそういう仕事だと思っていた。

●新規開拓営業は面白い!

 このリクルートの求人広告営業で、以前のヤマハ時代と大きく違ったことは、いらない相手には売らなくて良い、会わなくて良いということ。ヤマハの場合は、嫌な相手にも毎週会わなくてはならなかった。ルートセールスというのはそういうもの。

 しかし、この求人広告の新規開拓営業の場合、お客はゼロ。自分で見つける。求人の予定がない会社には売りつけても仕方ない。「求人広告はいかがですか?」「今はいいよ」もちろん、断り文句であることも多いのだが、こういういる、いらないがはっきりしたところが心地よかった。
 訪問して「うるさい!帰れ!」「間に合ってる!」「忙しい!仕事の邪魔をするな!」みたいなことを言われることも多かったが、それはそれで今後は行かなければいい。

 ヤマハの場合は「来るな!」と言われても行かねばならなかったし、嫌な客、自分と会わない客にも顔を合わさねばならなかったが、この新規開拓飛び込み営業では、営業先は自分で選べる、自分が主導権を取れることが私にはうれしかった。

 飛び込みを始めて1カ月、今だ注文はゼロだったが、「俺は自由だ!」。町中でそう喝采したこともあった。何とか3カ月目に飛び込んだ秋葉原の電子部品商社「サフジ電子部品」から女性事務員の募集で「とらばーゆ」1/4ページの受注をしてから、本格的にこの新規開拓営業が面白くなった。

 飛び込み方法も徐々に、無差別ビル営業から、職安や新聞求人をリストにしたものに変えていき、面会効率・受注確率も高くなっていった。職安に求人を出すのは無料であり、金や予算の少ない企業は、まずは職安に求人票を出す。その求人票は誰でも無料で閲覧することが出来、私は定期的に職安廻りをしてリストアップした。

 また、新聞への求人広告はポピュラーなものだが、朝日新聞や読売新聞はタバコの箱サイズで数十万円する。もちろん、発行部数も求人情報誌の何倍も多いのだが、サイズが小さいので詳しい求人情報は載せられない。有名企業は社名と職種程度でも集まるが、無名の中小企業はわずかな情報では差別化が出来ず、集まりにくかった。

 そこを突いて、新聞に求人を出している企業に電話して「新聞広告を拝見しましたが、反応はどうですか?御社は特殊な技術をお持ちですが、その情報を伝えるには大きな求人広告スペースが必要です。我々の就職情報は新聞と同じ値段で5倍のスペースが取れ、新聞より発行部数は少ないですが、読者は皆熱心な求職者です。読者層も若く、会社選びも知名度より中身を重視します。一度、掲載を考えていただけませんか?」とアポを取ったり、リストに基づいて飛び込みをした。

●仕事を通じて勉強できる

 しかし、新聞広告や職安リストは多くの求人誌営業マンがやっていたので、客先でバッティングすることも多かった。そこで私は、新聞広告ではなく新聞記事をリストにすることも考え、実行に移した。

 つまり、新聞の経済面などで「山川商事が新規事業を計画。営業網を現在の2倍に拡大する予定」とか「何々会社が新商品を開発!」などの発展情報を切り抜き、104の電話で電話番号を調べ、「実は今朝の新聞記事を拝見したんですが、担当者をお願いします」というと、かなりの確率で話が出来た。

 記事リストの場合は我々同業求人誌他社とのバッティングも少なく、相手も記事を見たということで親しみを持ってくれ、会いやすかった。私は朝一に出社し、誰よりも早く日経新聞、日経産業新聞、日経流通新聞、日刊工業新聞、電波新聞、その他専門誌も読みあさり、リストアップしてアプローチした。

 この新聞を中心とした情報集めは浅く広くだが、結果として様々な業界の知識に詳しくなり、私の知的欲求を大いに満たしてくれた。新聞や雑誌や本を読んだ知識があるので、企業の担当者や社長に会った時に質問程度はできるようになり、先方は好奇心はあるが業界のことを知らない小学生に物を教えるかのごとく、こちらが聞きもしないことまで話してくれることが多々あった。

 机上の勉強、情報収集に加え、お客からも様々な業界の勉強が出来る。それは学生時代に憧れていた新聞記者、ジャーナリスト、ルポライターのようだった。注文がもらえなくても、様々な講義が受けられる、知識に、勉強になる。かつ、求人広告の効果が上手く出れば、お客からも感謝される。

 「沢山の応募があったよ。良い人が採用できたよ、ありがとう!」。それはもちろん社交辞令が多かったのだろうが、営業先のお客からそういうお礼を言われることは、ヤマハ時代はなかった。バイクをバイク屋に届けて、売って当たり前。バイクメーカーとバイクを現場で売る仕事は表裏一体で、その間を取り持つルートセールスマンは、バイク屋にとっても使用人のようなもの。というか、皆がそうではなく、仕事が出来ない俺がそう成り下がっていたに違いないのだが。

●営業にやりがいを見つける

 とにかく、このリクルートの求人広告営業は面白かった。同じ営業でもこうも違うのか。ヤマハの場合はバイク屋という決まったお客に定期的に顔を出すルートセールス。リクルートの場合は、お客は一から探し出す新規開拓営業。ヤマハの場合は、工場で出来た商品をそのまま売るだけ。営業マンには商品を改良する余地はない。ホンダがヤマハよりも素晴らしいバイクを出した場合、営業段階ではその商品自体は変えようがない。

 リクルートの場合は、求人広告はお客に合わせて違う。作り方で商品が変わる。原稿は制作スタッフが作るのだが、営業マンの取材の仕方、原稿の作り方、広告の出し方で効果が変わる。そこに営業マンは参加できる。商品作りに関われる。「週刊・就職情報」という完成品はあるが、中の一つ一つの求人広告は、担当の営業マンと制作スタッフとの手作り。まさにこれが企画営業だ。これは私にとって大きなやりがいになった。

 また、私が配属されたのは採用企画課という部署だったが、会社の中で一番新しい部署で、既存顧客がほとんどない。メンバーもほぼ全員が新人。大企業や大口の中堅企業は先輩営業マンが抑えていて、結果として、中小企業やベンチャー企業、新規設立企業を開拓するしかなかった。

 しかし、これも私の知的好奇心を大いに満たしてくれた。大企業の場合、求人広告の担当は総務や人事スタッフが窓口だが、中小ベンチャー企業の場合、人事採用権は社長自らが担当することが多く、面会時の話が面白かったのだ。

 大企業に比べると当然、会社の規模も小さく、入居ビルやオフィスもボロいが、やはりゼロから会社を創り上げてきた創業者の話はスリリング。出来上がって安定した会社よりリスクも多いが、これからまだまだ成長していこうとする意欲や夢や可能性に触れられ、自分も相手の会社の成長に参加することができる。

 また、大半の中小企業の社長は学歴もなく、職歴も大企業ではなく中小企業を数社転職していて、結果として独立起業している場合が多かった。就職した大企業一筋でエリート街道をまっしぐらのみが人生の成功と思っていた私にとって、中小企業への転職や独立起業という選択肢もあるのだと気づいたのもこの頃だ。

●リクルートという会社に惚れた

さらに、会社自体が面白かった。本体の(株)リクルートは昭和35年創業だが、私が入社した子会社(株)リクルート人材センターの創業はその6年前。会社が若く、伸び盛りで成長あるのみ。朝は7時台から営業会議やロープレ、夜も9時10時までの残業が普通で、その営業体制は体育会的なイケイケガンガンスタイルだったが、それは私にも好感が持てた。

 毎日、毎週、受注状況や目標達成の発表があり、皆からは拍手喝采の嵐。社内は受注を祝う垂れ幕や棒グラフが咲き乱れ、誰がどれだけ実績を上げているかも一目瞭然。各種目標達成の表彰も毎日のごとくあり、私も皆から認められたい、拍手を浴びたい、賞賛されたい、スターになりたいと、気づけばリクルートの仕事に没頭していた。

 こうして入社3カ月くらいの頃には、当初の公務員までのアルバイトという意識は完全になくなり、この会社で頑張っていきたいと思うようになっていた。

 リクルートという会社は、昭和60年代にリクルート事件という大きな挫折はあったものの、当時から現在まで成長を続ける優良企業として名高い。創業者・江副浩正のカリスマ、求人やその後の住宅情報、車、他への広告分野での革新的な商品開発が成功の要因といわれているが、私が思うに、社員のモチベーションアップが格段にうまいと思う。明るく楽しく、限界までチャレンジする環境作り。創業者精神を鼓舞し、早期退職制度を30才から40才の間に導入し、結果として大半の社員は40才までに転職か起業する。

 創業者メンバーは東大教育学部の心理学科出身が多かったが、後から考えると、集団への所属欲求、皆からの認知、自己実現など、まさにマズローの欲求5段階説をそのまま実行に移していた。

●バイト・契約社員という身分に負い目

 入社半年を過ぎ、まあまあの業績をコンスタントに上げられるようになり、時給制のアルバイトから月給制の契約社員に格上げとなった。リクルートはアルバイトでも名刺を全員持ち、対外的には正社員として振る舞う。私の在籍当時は、従業員の約5分の3がアルバイトか契約社員。そういう意味ではアルバイトや契約社員でも社内では肩身は狭くなかったが、外部に対しては後ろめたかった。

 友人知人からは「ほー、リクルートに転職したの?」「いや、正社員ではなくて契約社員なんだ」「ふーん(で、いつ正社員になれるの)」「・・・」と曖昧な返答しか出来ず、お客さんにもいつバレるかドキドキしていた。企業の大事な人事採用関係の仕事をバイトや契約社員がしている、なんだ正社員じゃないのか?とか言われるのが恐かった。

 しかし、バイトや契約社員から正社員になるには相当難しかった。当時の基準は「同年齢のトップクラスの実績を上げている正社員と同等の実績をあげていること」が不文律の基準。多くのバイトや契約社員が正社員への転向を希望したが、まずは社内の推薦がいる。が、その推薦は滅多に出ず、入社1年以内に退社する者が大半だった。また、受けても合格するのは数パーセント以下。

 対外的には一流企業の仲間入りしつつある成長企業・リクルートの正社員、が、実態はバイトに毛の生えたフリーター。私は正社員になることを渇望したが、推薦を受けられる時期を待たねばならなかった。

 以前、「下流社会」という本がベストセラーになった。バブル崩壊後の実力社会の本格的な到来で、収入の格差が拡大。下流下部の人は、正社員ではなくアルバイトや契約社員、派遣社員であることが多いと解説され、正社員でないから当然収入も身分も低く、将来性も見込めず、結果として結婚にも踏み切れない。まさにそうだと思う。

 当時25歳前後の私は何度も恋愛感情を持ってアタックしたが失恋ばかり。その大きな原因の一つは、俺はまだバイト・契約社で正社員ではない。身分は不安定。このままでは結婚できない、結婚する資格はないと潜在意識、顕在意識でも思っていた。

 同じような仕事をして、時には実績も社員以上に上げているのに、俺は3カ月ごとの契約社員。正社員になりたい。しかし、なれるかどうかわからない。では他社に転職するか。しかし、なかなかリクルート以上に魅力を感じる会社がない。1年が過ぎ、そこそこの成績も上げるようになった。特に新規開拓の件数では社内で1、2位を常に争うようになってきた。

 営業方法も徐々に進化した。①飛び込み営業→②リスト営業:職安・新聞や他の求人雑誌→③日経や日経産業新聞などの記事→日経ベンチャー倶楽部など経営者の交流会へ参加。電話や面会時のセールススタイルも進化した。

 最初の頃は、初めからいきなり名刺とパンフレットを見せて売り込みしたが、徐々にヒヤリングスタイルへ変えた。つまり、最初は相手の状況をヒヤリングすることに徹したのだ。電話でも、「リクルートの栢野です。ビーイングいかがですか?」ではなく、「どうもリクルートの栢野です。いつも求人広告の営業電話がかかってきて大変でしょう?」「そうなんだよ。ほんとにあなた達はしつこいねえ」で笑いが出ると話がスムーズに進んだ。


●正社員試験に落第し、号泣

 そして入社2年が経った頃、社内論文大会の「シーガル・コンテスト」が開催された。各部署での自分の活動を論文にまとめて発表するというもので、応募は必須ではなかった。俺は正社員じゃないし、高校までは作文は大の苦手。応募はしようと書き始めたが、〆切が迫っても進まず、会社の床に寝ころんで「あー、ダメだ、書けない」と嘆いたことをよく覚えている。

 私は中央理研、データプローブ、ベーリンガーマンハイムという会社への新規開拓受注営業の論文というかルポをなんとか書き上げた。全然期待してなかったが、なんと私の論文が社内第2位になり、賞金も15万円ほどもらった。まさか自分がそんな作文で賞をもらえるとは思いもしなかった。

 が、後で読み返すとなかなか面白い。私は「日記」の効用が少しは出たなと思った。前にも書いたように、私は高校時代まで作文というものが苦手で恐怖だった。そこで大学に入学したのを契機に、私は日記を書くことと多くの本を読むことを自分に課した。日記は日々の出来事とその思いや気づいたことを書くことが多かったが、結局は自分自身のルポルタージュ日記になり、現在の文章で食うことに繋がっている。が、この文章を書くことで稼げると気づいたのは、その10年後の35才なのだが・・・・。

 営業実績では社内トップではなかったが、新規開拓ではトップクラス。かつ、論文大会で「シルバーシーガル受賞」というのは自他共に認める実績となり、上司の推薦をもらって、ついに待ちに待った正社員試験を受けることになった。昭和60年の2月、入社から2年2カ月後のこと。

 正社員になるということは、親会社の(株)リクルートの正社員になるということ。まずは(株)リクルート人材センター内の推薦を受け、(株)リクルートの人事部面接、次ぎにリーダー面接を順当に通過。明日は最終の取締役面接という日、社内のメンバーと前祝いの飲み会を実施、当日の面接に臨んだ。
 
 が、数週間後の結果はアウト。正社員試験に落第。私はヤマハ発動機に続き、リクルートの社員としても落第し、愕然とした。試験に落第ということは、速やかに退社するということになる。自分のデスクに戻り、周囲を何気なく見渡した。忙しく働いている同僚や先輩が見える。私は仕事も好きだったが、共に励まし合うこの人達も大好きだった。

 でも、俺は同志として失格の烙印を押された。お別れの時期が来たのだ。もう、一緒に働けない。そう思うと、不意に涙が溢れてきた。嗚咽が停まらない。自分でも驚いたが、俺はこんなにもリクルートを愛していたのだ。上司の澄谷さんに応接間に連れていかれ、私は大いに泣いた。それまでの人生でこんなに泣いたことはない。

 が、泣きながらおぼろげに、明日からどうしよう、次の会社を見つけねばならないのだなと、試験落第とは違う苦い思いが湧いた。

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◆人はどうやって「天職」に出逢うのか?

・天職=お金稼ぐビジネス・個業・自営・いつかは起業

①「労働」=好きじゃないが×できること×お金になること。
②「趣味」=好き×できる×お金にはならないこと。
③「夢」 =好き×お金になる×今はできない。
④「天職」=好き×できる×お金になる。

「労働」をいかに「天職」に変えるか?
「趣味」をいかに「天職」に変えるか?
「夢!」をいかに「天職」に変えるか?

◇栢野の体験談
◇様々な人の天職発見事例
◇天職を発見する7つの法則
◇参加者有志の天職を皆でアドバイス

事例

①「やずや」は転職転業10回目の44歳で。合宿中に発見
②一風堂はダイエー退社後の起業で転業2つ目
③孫正義やHISやワタミなどは学生時代に発見・天才系
④タリーズ松田さんは旅先のシアトルで
⑤ブックオフは5度の転職起業経験+駅から目撃したシーンで
⑥福岡のデザイングレイス根本は起業後食えずにバイト。そこで
⑦士業コンサルの横須賀てるひさは就職先クビになり・・・
⑧札幌の堀内まさみは起業後食えずにやけくそで交流会開催・・
⑨カツラのウイズ宮崎さんはアメリカ留学時に革命を目撃、が
⑩英会話のFCC赤峰さんは牛に惚れて牧場目指すが挫折・・
⑪ランチェスター竹田陽一は就職転職3回失敗失業して
⑫地場1位の福一不動産はリストラ起業したが食えず・・
⑬仙台の岩松税理士は山一証券他を転職して士業になるも・・
⑭営業コンサル長田さんは退職後に職がなくコーチ?でもやるか
⑮報連相コンサルの山内さんは生保営業後に・・
⑯毎日かあさん漫画家西原理恵子は予備校から最低成績で・・
⑰相田みつをは30で起業するも59歳迄極貧書家で・・
⑱人を動かすカーネギーは転職失敗絶望して昔の夢を思い出す・
⑲若竹屋の17代目林田さんは家業が嫌。ある手紙を読んで・・
⑳大谷由里子・人材育成研修・講演家・元吉本興業
㉑マグロ斎藤・講演家・著者・元マグロ研究員
㉒講演家・著者・リピートコンサル・一圓克彦・元光通信
㉓店舗コンサル・講演家・富田英太・元ホットペッパー営業
㉔著者・名刺コンサル・福田剛大・元広告代理店
㉕書評家・出版コンサル・著者土井英司・元アマゾン・ゲーム屋
㉖怒りを笑いに変えるクレームコンサル・谷厚・元リクルート
㉗魔法の質問・講演家・著者・マツダミヒロ・元IT起業家
㉘速読やマインドマップ・感情マーケ・神田昌典・元米国家電
㉙原田隆史・自己啓発リーチング研修・講演家・元中学教師
㉚関達也・ひとりネット起業家コンサル・元フリーター10種類
㉛棚田克彦・心理カウンセラー・元外資系金融機関
㉜倉成央・心理カウンセラー・元外食ベンチャー・倒産・悩み
㉝コーチ田中・コーチ・元福岡銀行・新日本製薬
㉞石田久二・硬派スピリチャル講演家・元建設事務作成下請け
㉟ドラッカー・元新聞記者・投資銀行アナリスト・大学教授
㊱いつやるか?今でしょ林修・大手銀行・塾バイト
㊲ドラム森田孝一郎・ドラム音楽療法家・元IT営業
㊳FPみやざき三田・保険・元ランチェスターSMI代理店
㊴ポールポッツ・オペラ歌手・元携帯電話の販売員
㊵シルベスタースタローン・オーディション45回ダメ俳優
㊶沢木耕太郎・作家・元三菱銀行1日で退社・世界放浪へ
㊷西原理恵子・漫画家・エロ漫画の挿絵下請けから
㊸矢沢永吉・高卒後に上京して4年後に・・
㊹人力屋・神谷・人力車の営業・元ノエビアのダメ社員
㊺さかもとこーひー坂本・10代から紅茶か珈琲屋になると
㊻阿部こーひー阿部・元携帯電話の修理サラリーマン
㊼アルタモーダ安倍・夫の家業からヨガ講師へ
㊽日報コンサル・中司・ヤンキーから飲食手伝いの延長で
㊾速読の寺田・元高校教師・趣味の速読が・・
㊿パソコンスクール・ホエール大前・元システム開発・夢は
51仏陀
52キリスト
53瀬戸内寂聴
54小林正観
55
56


100

◆「天職」を発見する7つの法則(まだテキトー)

①学生~20代
・早起き笑顔ありがとうゴミ拾いトイレ掃除
・経験ないんだから自分に聞いてもわからん。何かやる。
・が、バイトや派遣は仕事でない。正社員に。歩合もいい。
・合わなければ転職。35歳までは。
・甘い会社でなく厳しい会社を。実力つけるには
・事務や内勤でなく、外に出る営業を。新規開拓・ネットも。
・営業でもルートでなく新規開拓営業を。実力つく。人脈も
・NO1に聞く。ノウハウを。社内外の。本もいい。
・上手い人の真似をする。素直に聞く、。教えてもらう。盗む。
・恋愛はテキトーに。早く性処理満たす。結婚早めがいい。
・いきなり起業もいいけど、まずは就職してイロハ学ぶ
・人を動かす他、定番のいい本はある。早めに読む。何度も。
・目先の仕事の職人になる。ワザ。戦略や使命とか後回し。
・師匠、メンター、真似する相手を探して真似る。
・弱者の戦略。自分でも勝てる場所は?業界仕事・地域・客層
・月に1回は夢を書き出す。貼る。携帯する。
・日記を書く。
・死ぬ気で働く。人の2倍=最低12時間。休日は読書。
・仕事に関連する趣味がベスト。仕事が趣味。趣味が仕事。


②30代
・早起き笑顔ありがとうゴミ拾いトイレ掃除
・借金しない。贅沢しない。
・過去の経験でうまくいった仕事に絞る・本
・合う仕事、合う客層は誰か?
・35歳は一つの目標。転職・起業・他
・人生の成功は「夢戦感」全部いると知る。
・弱者の戦略。勝てる場所はどこか?差別化。
・プラス思考・すなお・行動・真似する
・成功するノウハウがある。心・人生・仕事・家庭
・外部の会に出てみる。勉強会。合う合わないある
・師匠、メンター、真似る、盗む相手から学ぶ
・月に1回は夢を書く。貼りだす。携帯する。
・日記を書く。

③40代
・合わんことはせんこと・仕事・客層・規模
・借金しない。贅沢しない。
・まだ間に合う。44歳までは夢を追う。
・ネット悪徳やFCなどに騙されぬよう。
・自力で営業できない人は起業無理。
・起業無理な人は会社にしがみつく。
・仕事以外に生きがいも。趣味・勉強会・宗教・他


④50代
・前向きに諦める=明らかにする
・無謀な起業はしない。
・本業サラリーマン+週末起業、趣味起業。



天職とは、「好きなことをやって、それがお金になり、ありがとう!」と言われる仕事。趣味とは違う。最低限、本人が満足できるお金もしっかり稼ぐ。

「甘い!そんな好きでとか、自分探しとか、生きがいとかやりがいとか、何甘いことを言ってんのよ。そんな青い鳥をいつまでも探してもダメよ。現実を見なくちゃ。現実を!」と、先日も経営者の会合で。まあ、現実には甘いことかも知れません。

私は最初の就活時も何も考えず、とりあえずどこか有名大企業に入ればいい。そしてそこで出世する。神戸大学出て福岡シティ銀行で一番の出世頭になって最年少取締役になった親父のように。オヤジは44歳で脳血栓突然死。二流成績の私を見下してました。家庭でも親子の会話は無し。が、父のような人生が、人生の成功かなと、漠然と思ってました。

新卒でヤマハ発動機に入社。有名大企業ですから、とりあえず人生の合格点だと思いきや、バイク屋さん周りのルートセールスがまったくできず、入社9ヶ月目の年末にノイローゼ退社。社内の競争に負けた+社外でもホンダやスズキに負けた劣等感で押しつぶされ、民間企業ではなく、競争がない?公務員・刑事・警察官を考えました。が、夏の試験まで時間がある。東京で一人暮らしでしたから、何かバイトでもせねばとリクルート社の子会社へ。が、いきなり飛び込み営業しろと名刺渡され、そんなん無理と思ったがバイトだからいいかと、いざ、ビルの飛び込み営業やったら、これが向いてました。同じ営業でも全然違う。ルートと新規開拓、個人・商店向けと法人向けは。まさに水を得た魚のように仕事が面白く、天職も感じてガンガン営業しました。が、バイトから契約社員に昇格後、3年目の正社員昇格試験に落第。泣く泣く退社。3社目はリクルートより格上のIBM・オリックス・モルガン銀行の合弁リース会社へ。見栄とカッコよさで選んだのですが、ここはまったくダメでした。ルートセールスがダメ。それ以前にリース営業や金利計算ができない。契約書も理解できない。またも3年目にノイローゼ退社。この時は社内結婚直前で、当然破談。以上の恥で友人知人も失ったと思い、踏切やガスの自殺未遂。は未遂で終わり、何度めのかの失業者へ。もはや大企業はあきらめ、4社目は東京の中小企業・チラシポスティングFC本部のベンチャーへ。が、ここは会社がおかしくなり、初めて自らの意思で退職。30すぎで5社目の転職活動?大企業から中小まで就職転職失敗し、同級生に勝つには社長になるしかない!と、交流会やセミナーで人脈作って起業へ。しかし、その「無料職業相談業+人材紹介業」は半年で食えないやる気なく廃業。6社目は出版社でバイト。先が見えない絶望状態の時、実家が他人の連帯保証1億円をかぶる大事件が起き、福岡へUターン。母が自殺。実家の売却などで弁済をしながら、7社目は地元の中小広告代理店へ。同時に自ら主催した異業種交流会で「昔はダメだったが人生を逆転した中小企業の経営者・自営・コンサル」等を講師に呼び、どうやったら人生を逆転できるのか?どうやって天職に出逢ったのか?セミナー交流会を毎月始めた。そして、借金弁済が実家の資産では追いつかず、既存クライアントをいただく形で8回目はまたも独立。今度は毎月500万円(粗利100万円以上)の顧客を抱えての独立だったので、なんとか最低限の生活と借金も完済。が、同時にメイン顧客とトラブルで売上9割ダウン。こうして起業7年間は売上も人生もソウウツを繰り返す。心療内科や宗教巡りも繰り返す。自己啓発やネットワークビジネスや超能力者?にも面会。今の広告業は最低限なんとかできるが・・・と悩み続けて7年。夢や目標を書く勉強会へも出まくり、売上や目標を無理やり書いて皆の前で宣言するも、どうも自分がそう思ってない。全然ピンと来ない。でも、他に何をやればいいのか?何が向いてるのか?何をやれば気分よく売上と粗利とお金が残るのか?つまり、天職はなんなのか?自分にとっての。もう、それはそれは求め続けました。そして、本格的に求め始めて5年後の44歳。なんと、当初の夢目標シートの通り、44歳の私の誕生月に、奇跡が起きたのです。5回目5年目のチャレンジでしたが。さらに、その小さな成功天職は、その10年前からやっていた「趣味」が「労働」と合致し、さらに「夢」が現実のものとなり、「天職」に変わったのです。

「人は誰でも天から一通の手紙を受け取っている。
 そこには、その人の天職が書かれている」教育家・森信三

いや~きた。ついに来た。まさかの天職。奇跡が起きた。本当にそう思いました。経済的には低レベルですが、過去、かぶった借金で地獄を見た私にとっては充分です。生きてるだけで丸儲け。が、生きてる時間の半分以上は仕事。やはり、仕事自体がつまらなければ、人生もつまらない。贅沢で甘いことでしょう。夢見る夢子。現実は嫌でも食うために「労働」がメインで、その疲れを「趣味」や「夢」で癒す。が、甘ったれた私は、嫌なことはしたくなかった。わがままで子供だし、この性格はどうしようもない。


またあとで加筆訂正


●大阪5/17(金)18時~21時・大阪西成区民センター・3000円
大阪市西成区岸里1-1 地下鉄「岸里」「天下茶屋」地図は以下
http://www.kyoiku-shinko.jp/nishinari/access/

●名古屋5/19(日)3000円
未定・後日決定告知

●福岡5/20(月)12時~14時・栢野事務所・3000円
福岡市中央区舞鶴1-2-33ライオンズマンション天神304
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◆講師・天職コーチ・栢野克己
◇著書一覧http://amzn.to/w0nCmx

大したことはないベストセラー「小さな会社☆儲けのルール」「やずやの秘密」「弱者の戦略」「逆転バカ社長」以上4冊で18万部の著者。全国の商工会議所や大学や職安や各種企業で講演1000回。家族で世界一周へ(2006~2007)。中小零細自営業の成功事例や、人生の逆転事例収集研究がライフワーク。講師を招いてのセミナー交流会「九州ベンチャー大学」を20年で1000回開催。

福岡市出身。小倉西高校・立命館大学卒後、ヤマハ発動機・リクルート人材センター(以上東京)・IBMリース(大阪)・ベンチャー企業経て無料職業相談業・人材紹介で起業(東京)。が、ヘタレ半年で廃業し、出版社・ビジネス社で文字起こしや取材のバイト。突然、実家が他人の連帯保証1億円かぶる大事件が発生し、福岡へUターン。7社目は地場広告代理店・アド通信社へ。母が自殺。かぶった借金は実家売却全財産でも足りず、残債弁済のために2度目の起業を広告代理業で。起業7年目、ランチェスター経営・竹田陽一との共著がヒット。以後は講演家・著者へ転身。「人生は逆転できる!」「人はどうやって天職に出逢うのか?」研究が使命。

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※占いとか心理学とかでなく、具体的な方法と事例を研究中。
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◆人はどうやって「天職」に出逢うのか?

・天職=お金稼ぐビジネス・個業・自営・いつかは起業

①「労働」=好きじゃないが×できること×お金になること。
②「趣味」=好き×できる×お金にはならないこと。
③「夢」 =好き×お金になる×今はできない。
④「天職」=好き×できる×お金になる。

「労働」をいかに「天職」に変えるか?
「趣味」をいかに「天職」に変えるか?
「夢!」をいかに「天職」に変えるか?

◇栢野の体験談
◇様々な人の天職発見事例
◇天職を発見する7つの法則
◇参加者有志の天職を皆でアドバイス

事例

①「やずや」は転職転業10回目の44歳で。合宿中に発見
②一風堂はダイエー退社後の起業で転業2つ目
③孫正義やHISやワタミなどは学生時代に発見・天才系
④タリーズ松田さんは旅先のシアトルで
⑤ブックオフは5度の転職起業経験+駅から目撃したシーンで
⑥福岡のデザイングレイス根本は起業後食えずにバイト。そこで
⑦士業コンサルの横須賀てるひさは就職先クビになり・・・
⑧札幌の堀内まさみは起業後食えずにやけくそで交流会開催・・
⑨カツラのウイズ宮崎さんはアメリカ留学時に革命を目撃、が
⑩英会話のFCC赤峰さんは牛に惚れて牧場目指すが挫折・・
⑪ランチェスター竹田陽一は就職転職3回失敗失業して
⑫地場1位の福一不動産はリストラ起業したが食えず・・
⑬仙台の岩松税理士は山一証券他を転職して士業になるも・・
⑭営業コンサル長田さんは退職後に職がなくコーチ?でもやるか
⑮報連相コンサルの山内さんは生保営業後に・・
⑯毎日かあさん漫画家西原理恵子は予備校から最低成績で・・
⑰相田みつをは30で起業するも59歳迄極貧書家で・・
⑱人を動かすカーネギーは転職失敗絶望して昔の夢を思い出す・
⑲若竹屋の17代目林田さんは家業が嫌。ある手紙を読んで・・
⑳大谷由里子・人材育成研修・講演家・元吉本興業
㉑マグロ斎藤・講演家・著者・元マグロ研究員
㉒講演家・著者・リピートコンサル・一圓克彦・元光通信
㉓店舗コンサル・講演家・富田英太・元ホットペッパー営業
㉔著者・名刺コンサル・福田剛大・元広告代理店
㉕書評家・出版コンサル・著者土井英司・元アマゾン・ゲーム屋
㉖怒りを笑いに変えるクレームコンサル・谷厚・元リクルート
㉗魔法の質問・講演家・著者・マツダミヒロ・元IT起業家
㉘速読やマインドマップ・感情マーケ・神田昌典・元米国家電
㉙原田隆史・自己啓発リーチング研修・講演家・元中学教師
㉚関達也・ひとりネット起業家コンサル・元フリーター10種類
㉛棚田克彦・心理カウンセラー・元外資系金融機関
㉜倉成央・心理カウンセラー・元外食ベンチャー・倒産・悩み
㉝コーチ田中・コーチ・元福岡銀行・新日本製薬
㉞石田久二・硬派スピリチャル講演家・元建設事務作成下請け
㉟ドラッカー・元新聞記者・投資銀行アナリスト・大学教授
㊱いつやるか?今でしょ林修・大手銀行・塾バイト
㊲ドラム森田孝一郎・ドラム音楽療法家・元IT営業
㊳FPみやざき三田・保険・元ランチェスターSMI代理店
㊴ポールポッツ・オペラ歌手・元携帯電話の販売員
㊵シルベスタースタローン・オーディション45回ダメ俳優
㊶沢木耕太郎・作家・元三菱銀行1日で退社・世界放浪へ
㊷西原理恵子・漫画家・エロ漫画の挿絵下請けから
㊸矢沢永吉・高卒後に上京して4年後に・・
㊹人力屋・神谷・人力車の営業・元ノエビアのダメ社員
㊺さかもとこーひー坂本・10代から紅茶か珈琲屋になると
㊻阿部こーひー阿部・元携帯電話の修理サラリーマン
㊼アルタモーダ安倍・夫の家業からヨガ講師へ
㊽日報コンサル・中司・ヤンキーから飲食手伝いの延長で
㊾速読の寺田・元高校教師・趣味の速読が・・
㊿パソコンスクール・ホエール大前・元システム開発・夢は
51仏陀
52キリスト
53瀬戸内寂聴
54小林正観
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100

◆「天職」を発見する7つの法則(まだテキトー)

①学生~20代
・早起き笑顔ありがとうゴミ拾いトイレ掃除
・経験ないんだから自分に聞いてもわからん。何かやる。
・が、バイトや派遣は仕事でない。正社員に。歩合もいい。
・合わなければ転職。35歳までは。
・甘い会社でなく厳しい会社を。実力つけるには
・事務や内勤でなく、外に出る営業を。新規開拓・ネットも。
・営業でもルートでなく新規開拓営業を。実力つく。人脈も
・NO1に聞く。ノウハウを。社内外の。本もいい。
・上手い人の真似をする。素直に聞く、。教えてもらう。盗む。
・恋愛はテキトーに。早く性処理満たす。結婚早めがいい。
・いきなり起業もいいけど、まずは就職してイロハ学ぶ
・人を動かす他、定番のいい本はある。早めに読む。何度も。
・目先の仕事の職人になる。ワザ。戦略や使命とか後回し。
・師匠、メンター、真似する相手を探して真似る。
・弱者の戦略。自分でも勝てる場所は?業界仕事・地域・客層
・月に1回は夢を書き出す。貼る。携帯する。
・日記を書く。
・死ぬ気で働く。人の2倍=最低12時間。休日は読書。
・仕事に関連する趣味がベスト。仕事が趣味。趣味が仕事。


②30代
・早起き笑顔ありがとうゴミ拾いトイレ掃除
・借金しない。贅沢しない。
・過去の経験でうまくいった仕事に絞る・本
・合う仕事、合う客層は誰か?
・35歳は一つの目標。転職・起業・他
・人生の成功は「夢戦感」全部いると知る。
・弱者の戦略。勝てる場所はどこか?差別化。
・プラス思考・すなお・行動・真似する
・成功するノウハウがある。心・人生・仕事・家庭
・外部の会に出てみる。勉強会。合う合わないある
・師匠、メンター、真似る、盗む相手から学ぶ
・月に1回は夢を書く。貼りだす。携帯する。
・日記を書く。

③40代
・合わんことはせんこと・仕事・客層・規模
・借金しない。贅沢しない。
・まだ間に合う。44歳までは夢を追う。
・ネット悪徳やFCなどに騙されぬよう。
・自力で営業できない人は起業無理。
・起業無理な人は会社にしがみつく。
・仕事以外に生きがいも。趣味・勉強会・宗教・他


④50代
・前向きに諦める=明らかにする
・無謀な起業はしない。
・本業サラリーマン+週末起業、趣味起業。



天職とは、「好きなことをやって、それがお金になり、ありがとう!」と言われる仕事。趣味とは違う。最低限、本人が満足できるお金もしっかり稼ぐ。

「甘い!そんな好きでとか、自分探しとか、生きがいとかやりがいとか、何甘いことを言ってんのよ。そんな青い鳥をいつまでも探してもダメよ。現実を見なくちゃ。現実を!」と、先日も経営者の会合で。まあ、現実には甘いことかも知れません。

私は最初の就活時も何も考えず、とりあえずどこか有名大企業に入ればいい。そしてそこで出世する。神戸大学出て福岡シティ銀行で一番の出世頭になって最年少取締役になった親父のように。オヤジは44歳で脳血栓突然死。二流成績の私を見下してました。家庭でも親子の会話は無し。が、父のような人生が、人生の成功かなと、漠然と思ってました。

新卒でヤマハ発動機に入社。有名大企業ですから、とりあえず人生の合格点だと思いきや、バイク屋さん周りのルートセールスがまったくできず、入社9ヶ月目の年末にノイローゼ退社。社内の競争に負けた+社外でもホンダやスズキに負けた劣等感で押しつぶされ、民間企業ではなく、競争がない?公務員・刑事・警察官を考えました。が、夏の試験まで時間がある。東京で一人暮らしでしたから、何かバイトでもせねばとリクルート社の子会社へ。が、いきなり飛び込み営業しろと名刺渡され、そんなん無理と思ったがバイトだからいいかと、いざ、ビルの飛び込み営業やったら、これが向いてました。同じ営業でも全然違う。ルートと新規開拓、個人・商店向けと法人向けは。まさに水を得た魚のように仕事が面白く、天職も感じてガンガン営業しました。が、バイトから契約社員に昇格後、3年目の正社員昇格試験に落第。泣く泣く退社。3社目はリクルートより格上のIBM・オリックス・モルガン銀行の合弁リース会社へ。見栄とカッコよさで選んだのですが、ここはまったくダメでした。ルートセールスがダメ。それ以前にリース営業や金利計算ができない。契約書も理解できない。またも3年目にノイローゼ退社。この時は社内結婚直前で、当然破談。以上の恥で友人知人も失ったと思い、踏切やガスの自殺未遂。は未遂で終わり、何度めのかの失業者へ。もはや大企業はあきらめ、4社目は東京の中小企業・チラシポスティングFC本部のベンチャーへ。が、ここは会社がおかしくなり、初めて自らの意思で退職。30すぎで5社目の転職活動?大企業から中小まで就職転職失敗し、同級生に勝つには社長になるしかない!と、交流会やセミナーで人脈作って起業へ。しかし、その「無料職業相談業+人材紹介業」は半年で食えないやる気なく廃業。6社目は出版社でバイト。先が見えない絶望状態の時、実家が他人の連帯保証1億円をかぶる大事件が起き、福岡へUターン。母が自殺。実家の売却などで弁済をしながら、7社目は地元の中小広告代理店へ。同時に自ら主催した異業種交流会で「昔はダメだったが人生を逆転した中小企業の経営者・自営・コンサル」等を講師に呼び、どうやったら人生を逆転できるのか?どうやって天職に出逢ったのか?セミナー交流会を毎月始めた。そして、借金弁済が実家の資産では追いつかず、既存クライアントをいただく形で8回目はまたも独立。今度は毎月500万円(粗利100万円以上)の顧客を抱えての独立だったので、なんとか最低限の生活と借金も完済。が、同時にメイン顧客とトラブルで売上9割ダウン。こうして起業7年間は売上も人生もソウウツを繰り返す。心療内科や宗教巡りも繰り返す。自己啓発やネットワークビジネスや超能力者?にも面会。今の広告業は最低限なんとかできるが・・・と悩み続けて7年。夢や目標を書く勉強会へも出まくり、売上や目標を無理やり書いて皆の前で宣言するも、どうも自分がそう思ってない。全然ピンと来ない。でも、他に何をやればいいのか?何が向いてるのか?何をやれば気分よく売上と粗利とお金が残るのか?つまり、天職はなんなのか?自分にとっての。もう、それはそれは求め続けました。そして、本格的に求め始めて5年後の44歳。なんと、当初の夢目標シートの通り、44歳の私の誕生月に、奇跡が起きたのです。5回目5年目のチャレンジでしたが。さらに、その小さな成功天職は、その10年前からやっていた「趣味」が「労働」と合致し、さらに「夢」が現実のものとなり、「天職」に変わったのです。

「人は誰でも天から一通の手紙を受け取っている。
 そこには、その人の天職が書かれている」教育家・森信三

いや~きた。ついに来た。まさかの天職。奇跡が起きた。本当にそう思いました。経済的には低レベルですが、過去、かぶった借金で地獄を見た私にとっては充分です。生きてるだけで丸儲け。が、生きてる時間の半分以上は仕事。やはり、仕事自体がつまらなければ、人生もつまらない。贅沢で甘いことでしょう。夢見る夢子。現実は嫌でも食うために「労働」がメインで、その疲れを「趣味」や「夢」で癒す。が、甘ったれた私は、嫌なことはしたくなかった。わがままで子供だし、この性格はどうしようもない。


またあとで加筆訂正


●大阪5/17(金)18時~21時・大阪西成区民センター・3000円
大阪市西成区岸里1-1 地下鉄「岸里」「天下茶屋」地図は以下
http://www.kyoiku-shinko.jp/nishinari/access/

●名古屋5/19(日)3000円
未定・後日決定告知

●福岡5/20(月)12時~14時・栢野事務所・3000円
福岡市中央区舞鶴1-2-33ライオンズマンション天神304
http://bit.ly/SKATtG


◆講師・天職コーチ・栢野克己
◇著書一覧http://amzn.to/w0nCmx

大したことはないベストセラー「小さな会社☆儲けのルール」「やずやの秘密」「弱者の戦略」「逆転バカ社長」以上4冊で18万部の著者。全国の商工会議所や大学や職安や各種企業で講演1000回。家族で世界一周へ(2006~2007)。中小零細自営業の成功事例や、人生の逆転事例収集研究がライフワーク。講師を招いてのセミナー交流会「九州ベンチャー大学」を20年で1000回開催。

福岡市出身。小倉西高校・立命館大学卒後、ヤマハ発動機・リクルート人材センター(以上東京)・IBMリース(大阪)・ベンチャー企業経て無料職業相談業・人材紹介で起業(東京)。が、ヘタレ半年で廃業し、出版社・ビジネス社で文字起こしや取材のバイト。突然、実家が他人の連帯保証1億円かぶる大事件が発生し、福岡へUターン。7社目は地場広告代理店・アド通信社へ。母が自殺。かぶった借金は実家売却全財産でも足りず、残債弁済のために2度目の起業を広告代理業で。起業7年目、ランチェスター経営・竹田陽一との共著がヒット。以後は講演家・著者へ転身。「人生は逆転できる!」「人はどうやって天職に出逢うのか?」研究が使命。

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■九州ベンチャー大学・(株)インタークロス
■〒810-0073福岡市中央区舞鶴1-2-33-304(天神駅5分)
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元月収5万円フリーターがたったひとり19ヶ月で1億円稼いだ。自由で幸せ「ひとりネット起業」の専門家・関達也

■ブログ

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~自由で幸せな人生を生きる方法~
⇒ http://ameblo.jp/netkigyo/

◆講師・関達也

ひとりネット起業家
S・マーケティングジャパン株式会社 代表取締役

宮崎県1970年生まれ。千葉大学教育学部卒。10代の頃の夢はギタリスト。1988年にギタリストになるために上京するが挫折。なにを目標に生きていけばいいのか分からないまま時が過ぎ、1994年(24歳)に自由に生きる成功者がいることを知り成功者を目指すことを決意。塾講師、家庭教師、引越しドライバー、宅配、サッカーコーチ、ウェイター、バーテンダー、ホスト、カラオケボックス、ガソリンスタンド、冷凍食品製造、イベント設営、建築、営業、テレアポ、パン工場、警備員、ショップ店員、映画館、ビラ配り、弁当屋、訪問販売など、多種多様なアルバイトを経験し、2002年に有限会社バズ・スタイル(現 S・マーケティングジャパン株式会社)を設立。3度のどん底や破産寸前を味わいながらも、自由に生きる方法を模索。2005年にライブドアブログを開始。ユーザー100万人以上の中、全総合ランキング14位を記録し、当時大人気だった堀江貴文氏の社長日記を抜く。メルマガとネット販売を開始し、仕入れなし、在庫なし、人脈なし、コネ無し、資金なし、事務所なしの全くのゼロの状態から、たったひとりで田舎の自宅の1畳半からインターネットを使って億を売り上げ、「時間・場所・お金・仕事・人間関係」の自由を手に入れる。3人の子供と妻、そして2世帯住居で両親と暮らす。日本で唯一の「ひとりネット起業家」のためのメールマガジンは、9万人以上が購読。個人メルマガでは全国で15位以内に入る読者数を誇る(まぐまぐ!調べ)。全国各地で「自由になれるひとりネット起業」のセミナーを開催し、リピーターが出るほどの大盛況で好評を得る。

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■①これは4時間メニュー。ここから抜粋+質疑応答。


















■②これは4時間メニュー。ここから抜粋+質疑応答。
















■③これは4時間メニュー。ここから抜粋+質疑応答。
















■④これは4時間メニュー。ここから抜粋+質疑応答。



















月収100万円戦略アドバイザー
 (ドロップシッピング、ネットショップ、
  情報起業、アフィリエイト、会員制ネットビジネス)

 関 達也(せき たつや)
 S・マーケティングジャパン株式会社代表取締役

1970年生まれ、宮崎県出身。

千葉大学で、教育心理学や脳と体の働きについて学ぶ。塾に1年間勤務し、講師を勤めるとともに、約100名の小中学生を抱える教室の全運営を行う教室責任者を勤める。塾経営の生命線である、生徒増のためのマーケティングを学ぶ。24歳の夏、自由な人生を手に入れるため、人に雇われずに成功する道を目指しフリーターになる。販売業、広告業、飲食業、食品業、建設業、運送業など、50ほどの仕事を渡り歩く。成功哲学やマーケティングに関する書籍やセミナー、多くの成功者からノウハウを学ぶ。訪問販売業から雑貨販売業に転身し、1年限りの店舗で顧客心理マーケティングを活かした販売方法を用いて年商6500万円を超える。2002年インターネットを使って、次のビジネス展開を模索。健康食品の販売会員を募集するため、独学でホームページ作成を始める。速効で大きな反響があるホームページの作成方法やインターネットマーケティングを習得し、1つのホームページから1ヶ月強で300名を超える会員組織を作り上げる。続いてインターネット代理店獲得ビジネスを行い、速効性のあるホームページやマーケティングのスキルや知識を活かし、1年足らずで800万円超を稼ぎ、2つの代理店ビジネスで日本一になる。自ら活用して効果があったメールマガジン広告の紹介をする会員制サービスを始め、たった1ページのホームページから2000名以上の会員を獲得する。その後、S・マーケティングジャパン株式会社設立。インターネットで稼ぐノウハウを提供する、期間限定の有料会員制サービスを開始。1ヶ月間で100名以上の会員を獲得し、惜しげもなくノウハウを提供する。2年後に、ノーリスクで始められるネットショップ(ドロップシッピング)を開始。初月206万円、10ヶ月後には1000万円以上、初年で4645万円を稼ぐ。ビジネス誌の大手出版社のBIG tomorrow(ビッグトゥモロウ)やその他メディアからも取り上げられる。すでに米国で広がっていたドロップシッピングの可能性にいち早く気付き、ノウハウを体系化する。単価2~3万円以上にも関わらず、妥協のない充実した教材内容やサポートの好評さが、一気に口コミで広がる。月に1000万円以上、3300冊以上を売上げ、ドロップシッピングやネットビジネスの教材としては1年以上もロングランで売れ続ける唯一の教材となっている。ネットショップ(ドロップシッピング)開始から、たった一人で589日で売上1億円を達成する。延べ5000名を超える人々に、インターネットで稼ぐ方法についての情報提供やサポートを精力的に行う。「ホームページ戦略が売上げを圧倒的に変える」と位置づけ、ドロップシッピング、ネットショップ、 情報起業、アフィリエイト、会員制ネットビジネス等の具体的なホームページ診断やアドバイスには無駄がなく的確と評判。アドバイスを受けた人から売上げを伸ばす人が続出する。ネットビジネスで稼ぐホームページの作り方のサポートを求める声が増えてきたため、 月収100万円稼ぐホームページの戦略をプログラム化する。ネットビジネス初心者でも実践できるように、ホームページ戦略が分かりやすくプログラム化された教材が評判になり、 販売直後から人気の教材となり、瞬く間に400冊以上が売れる。人気のもしもドロップシッピングやリアルドロップシッピングを行う上での差別化対策として、ホームページ作成の知識やスキルのない初心者でも、SEOに強いオリジナルサイト作成が簡単にできる WordPressを最大限に活用したCMSテンプレート「かんたんDSくん」を開発。販売直後から売上げランキング1位になるなど注目を集め、ユーザー数が1200名を突破する。アフィリエイトでも、ホリエモン(堀江貴文)アフィリエイトでは全国5位、「天才・たけしの元気が出るテレビ」等の人気番組の現役放送作家(野呂エイシロウ氏)のインタービュー音声アフィリエイトでは、コンバージョン率が脅威の32.5%でダントツの日本一を記録するなど、結果を残している。自らの無料メールマガジン「【売り込みなしで大行列を作る方法】関達也の1億稼ぐインターネットマーケティング講座」では、読者7万人以上に有益な情報を送り続けている。

関達也からのメッセージ

私は、成功を目指してから、ようやく13年目にして道が開けた感じがしています。

夢を実現できるツールが、インターネットやホームページだと気付いたのです。

プロフィールには、これまでの実績を掲載していますが、

この間、本当に多くの失敗や挫折など、いろんな経験をしてきました。

正直に言いますと、上記は表向きのプロフィールです。

実はこの間、本当に多くの失敗や挫折など、いろんな経験をしてきました。

裏話は

フェイスブックに一部https://www.facebook.com/events/592279004116386/

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※九州ベンチャー大学は1992年~起業・経営セミナー交流会。他に分科会の福岡+全国で「早朝サロン」「やる気会」「個別相談会」「経営人生計画」「東京ベンチャー大学」「大阪ベンチャー大学」含め1000回以上開催。主に起業家の人生・経営・天職発見の事例を皆で学び、自ら実践しています。活動をまとめた本「小さな会社☆儲けのルール」や「逆転バカ社長」「弱者の戦略」「やずやの秘密」は累計18万部のベストセラー・ロングセラーに。参加者は累計で1万人を超え、数多くの成功者を輩出。●今までの様子http://qvenshop.com/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆司会進行◆栢野克己/カヤノカツミ◆アジア一?日本一?過激な小企業コンサル・講演家。全部で18万部→「やずやの秘密」「弱者の戦略」「小さな会社★儲けのルール」「逆転バカ社長:天職発見の人生マニュアル」はアマゾン<中小企業経営>ジャンルで7年300週~現在までベストセラー第1位~5位。台湾(中国語)・韓国・タイ・インドネシアでも出版。零細企業☆人生逆転の事例講演・執筆・勉強会主催の(株)インタークロス代表取締役。主催のセミナー交流会「九州ベンチャー大学」や「経営人生計画セミナー」「早朝マーケ会」「個別相談会」は17年1000回を越え、累計で約1万人参加。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆参加できない方はDVD・音声http://qvenshop.com/?pid=58897855
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◆フェイスブック告知サイトは
https://www.facebook.com/events/592279004116386/


◆日時:5/13(月)(2013年)

18:00~21:00  ※飛び込みもOKです。

※途中参加早退の方には音声ファイルを贈呈

※出入り自由 ※終了後、有志で懇親会

◆参加費・5500円
(この料金で本人+もう1人参加可)

◆会場・天神の日銀ウラ書店「書斎りーぶる」2階(天神駅5分)
◇福岡市中央区天神4-1サンビル2F
◇地下鉄「天神」徒歩5分・昭和通り・天神日銀のウラ手です
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◆主催・九州ベンチャー大学 ◆マスコミ記事はコチラ

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