天職起業で「人生は逆転できる!」講演家・作家

創業・起業・小さな会社やお店の成功事例
ベストセラー16万部


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皆さん、初めまして!インタークロス・九州ベンチャー大学の栢野(かやの)と申します。福岡で起業・零細企業コンサルタント&ビジネススクールの事務局をやっています。ばらくの間、おつき合い下さい。

 まあ、コンサルタントと言っても怪しいですが、具体的には1講演・コンサル(1回3万~30万円/状況に応ず)2無料経営相談(電話か来社で。本の読者限定)3本や雑誌の連載執筆4無料メールマガジンの発行(バカ社長の独立起業・成功事例100連発!)5起業・ベンチャー系ビジネススクールの開催6各種講演ビデオ・テープの販売・・と言った感じです。

 '02年11月末にランチェスター経営(株)竹田陽一先生と共著で出した「小さな会社★儲けのルール」(フォレスト出版)がお陰様で予想以上に売れ、発売~現在11刷6万6千部。ネット書店の楽天ブックスでは9週間連続でビジネス書ベストセラーランキングで全国1位、丸善福岡店でも9週間連続で1位。アマゾンでもビジネス書ベストテンの常連で、博多発のビジネス書では「史上最高の売れ行きを更新中」(丸善)とのこと。

 この動きに連動して、講演やコンサル・執筆依頼、ベンチャー大学への参加者や問い合わせ、メルマガの読者も激増。本当に信じられないことですが、今年は年収で2000万円~3000万円ほどになりそうです。

           ☆

 フォーネット'02/12号で取材してもらいましたが、実はその時点で実質年収は約100万円で会社も約500万円の赤字。その他、銀行や出資分も借金換算するとマイナス1000万円で、私と妻の弱小事務所としては創業以来最大のピンチに追い込まれていました。

 本は出たんですが、印税はわずか6%で、ビジネス書のヒットと言われる1万部でも84万円。この2月に出た「逆転バカ社長/天職発見の人生マニュアル」(石風社)の執筆と合わせ、昨年は本以外の仕事はほとんど出来ず、結果として取引先の大半も失って、いったい全体、今後の人生をどうしようかと悩んでいました。印税生活なんて夢のまた夢でしたからね。

 出版業界も当然不況で、ビジネス書の99%は1万部も売れない。大前研一さんや船井幸雄さんというビッグネームでも、ベストセラーと言われる3万部はなかなかいかない。ましてや今回は竹田陽一共著という知名度はあったが、それも地元福岡・九州でのことで、残念ながら全国的には無名。しかも出版元はわずか社員10名の弱小出版社で営業力もない。

 さらに内容は竹田ランチェスターの入門書で、読者対象は独立起業&従業員30名以下の小企業。通常、本を買うのは大企業系の人が多く、まあヒットは見込めませんでしたね。

           ☆

 周りからは「本を出せて良かったね」とは言われましたが、本当に先が見えず、フォレスト出版の太田社長が見本誌を持って来福した時も、売れなくて迷惑をかけるだろうと緊張しまくり、実は薬局で抗うつ剤を買って会ったほどです。

 ところが、本が発売されて1週間で増刷が決定し、楽天でいきなり全国3位にランクインし、翌週には1位に。ほどなく、読者感想カードがFAXやメールで「感激した」「目から鱗が落ちた」と続々と入り始め、この2ヶ月はその対応に追われてほぼ半分は事務所に寝袋で泊まり込み、50時間連続労働も7回やり、気づいたら体重が7キロも激減。しかし、人生は劇的に好転しました。

 やずや創業者・矢頭宣男さんが昇天する前、「人は誰でも天から一通の手紙を受け取っている。そこにはその人の天職が書かれている」とよく言ってました。

 しかし、私は今まで挫折転職5回を経て最初の独立は1年で廃業して失敗。'95年に2回目の独立をしましたが、この7年の年収は100~300万円で、本を出した昨年11月に44歳になっても、その手紙はどこにあるのかと、自分の人生に悲観していました。「俺の天職は何なんだ!」と。


          ☆


 私は昭和33年11月12日、福岡市中央区大名生まれ。父は福岡シティ銀行の取締役業務推進本部長・小倉支店長で、祖父もシティ銀行創業者メンバーの一人で、取締役検査部長でした。まあ、一般にはエリート銀行一家という感じですね。

 しかし私は、立命館大学を卒業してヤマハ発動機に入社・・までは、高学歴で一流企業という、当時としては「俺も人生の勝者の道を歩んでいる」と自負していました。 

 ところがヤマハは入社9ヶ月でノイローゼ退社し、次のリクルート人材センターもアルバイト社員で正社員試験に落ちて3年経たずに退社。3社目のコンピューターシステムリース(現IBMリース事業部)も、3年でノイローゼで退社。

 半年の失業期間を経て潜り込んだベンチャーも2年で退社し、もうこのままではカッコがつかない、同級生に勝つには社長になるしかないと、平成3年、32歳の時に東京で無料職業相談・人材スカウト業で最初の独立起業。

 しかし、それも半年で挫折して、船井総研系列の出版社・ビジネス社でテープ起こし・取材のバイト=月20万円の契約社員になりました。

 四谷の木造風呂なしアパートで、銭湯代もないのでキッチンで体を洗い、食事もしばしば百貨店の試食コーナーを廻って過ごす日々。こうなったら貧乏作家でも目指すかと思っていた矢先、実家=母が地上げ屋に騙されて連帯保証1億円を被ったという知らせが届いたのが、平成4年の春でした。

 「まだ俺は何もやっていない。これではまさに都落ち。しかし、母一人(父は昭和50年に昇天)でこんな状況では帰るしかない。潮時だな」と金がないのでフェリーに乗り込み、約10年の東京生活にピリオドを打って福岡へ向かいました。

 今でも鮮明に覚えていますが、フェリーが関門海峡・関門大橋を越えるとき、「ああ、帰ってきたな。しかし、被った借金は1億円で財産も差し押さえ状態で、仕事も何も決まっていない。いったい、俺の人生はどうなるのか?」と灰色でどんよりとした空を見上げ、しかし、わずかでしたが「さあ、これから闘いが始まる。覚悟はいいか、栢野!」と自分に言い聞かせましたね。

          ☆

 小倉でフェリーを降り、オートバイに乗って一路博多へと思ったのですが、なぜか小学4~5年を過ごした下関の銀行社宅へバイクを飛ばし、今は廃墟となった姿を確認して、今度は高校2~3年を過ごした小倉の家へ。ここで父は44歳の時に脳血栓で倒れ、2週間で天国へ行ったなと。

 当時、父は銀行の取締役小倉支店長で、毎朝、黒塗りの役員車が家の前に来るのが、子供心に自慢でしたね。しかし、父の昇天後は社宅を追い出され、近くのマンションに移転。その部屋の前にも立ち、そこから博多へバイクを飛ばしました。

            ☆


 西新の自宅マンションに帰り、今回の事件対処に駆けずり回ってくれた父の銀行時代の同僚・ウキコ建設・平川社長(現、環境平和建設社長)と面会。見せられた土地の登記簿謄本には、高利金融業者の名前で差し押さえ・福岡中央裁判所による競売開始決定の刻印が押してありました。

 その後、家の財産問題で度々世話になっていた中垣浩一税理士や弁護士とも協議しましたが、母が連帯保証人として押したものは実印で、本人も認めている。契約・法律上はどうしようもないという事実を、改めて目の前に叩きつけられました。

 母が連帯保証した相手は、佐賀・唐津出身の浦川清62歳。職業はフリーの地上げブローカーでした。浦川が地上げ活動で様々な高利金融機関から約1億円を借金。その保証人に母がなっていたのですが、浦川は高利への返済をしなかった。結果、栢野家へ代位弁済請求が来たのです。

           ☆ 

 平成4年、1992年の6月。今考えればまさにバブル崩壊直後で、世間では「不況」と言う言葉が流行り始めていました。私がいた東京でも、資産家の老夫婦が突然行方不明になり、実は殺されて財産を奪われていた・・なんて事件がボチボチ起きてはいました。

 でもまあ、そんなことは他人事だ。ウチもまあま家や土地があるらしいが、俺には関係ないことだなと思っていた矢先の保証事件。書類上はわかるが、どうしても納得が行かず、私は警察に駆け込んで訴えましたが、当然?民事不介入で相手にされない。ならば俺が浦川を捜し出してトッチめてやろうと、オートバイで博多の街の捜査に繰り出しました。・・・・・つづく。
http://blog.livedoor.jp/kaya0169/
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