講談社BB読書記録 No.15 | BLOGkayaki1

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読書記録、環境問題について


『ネコのなるほど不思議学』岩崎るりは/2006.3

 つくづく、ネコを「学ぶ」ということは大事な事だと思った。
 ネコもまた文化であり、宗教であり、歴史でもあった。ネコを豊穣の神として崇めたり、船旅の供として重宝したり、はたまた魔女の僕として大量虐殺されたり。ネコを友とするか敵とするかは、地域によっても異なるし、また時代によっても変わってくる。
 翻って日本ではどうか。ネコは漁師の神様として大切に扱われる島があれば、駅長として働く三毛猫がいる地域もある。そうかとおもえば、商業主義的蕃殖者によって劣悪な環境で育てられる猫たちもいれば、勝手な飼い主により捨てられ殺処分される猫たちもいる。
 ネコが置かれている立場を見れば、自ずと人間社会の問題点というものが見えてくる。名前の無い、苦沙弥先生宅に居候するネコの視点が、百年を経ても尚必要とされている。

 本書の多くは、ネコの遺伝子や生殖そして病気についてなど、生物学や医学の解説にページを割かれている。随分難しい話もあるのだが、ネコを飼う立場にある人間は、よく知っておかねばならない事ばかりだった。
 ネコは人と違って自分の病状を訴えられないのだから、とは実に尤もなことで、説得力もある。
 かく言う自分はネコを飼っていないが、もし将来的に飼う事になれば、もう一度お世話になりたい本だ。

 そして、ネコを飼う身も飼わぬ身も、よくよく知っておかねばならないことも書いてあった。「三毛猫は何故殆どがメスか」という動物遺伝子学最大の疑問よりも重要な命題であると思う。
 ダーウィンも「極端なものを好む」傾向を批判した、行き過ぎた品種改良。「血統」を重視しすぎた近親蕃殖による「荒くれネコ」。母ネコに十分な愛情を注がれぬまま、「かわいい」からと子猫を「衝動飼い」した結末。これは全部、人間の勝手によるものなのだが、災難は全てネコに降りかかってくる。生き辛い体形となり苦しむネコ。遺伝子の異常で性格が荒々しい「血統」と、対人コミュニケーションがとれぬまま成長した「子猫」は、手に負えぬと家から追い出される始末。こうなってしまえば、後は野生で何とか生きていくか、はたまた殺処分されるかである。ネコを取り巻く社会は、あまりにも非情に思えてならない。
 運良く、公園でテント生活をする人に飼われるネコもいるようだ。裕福な家から捨てられ、家のない人に飼われるネコたち。此処まで来ると、もはやネコだけの問題ではなくなってしまった。

 ネコだけではない。以上述べた分の「ネコ」を犬や鳥、熱帯魚やミドリガメ及びカミツキガメ、アライグマに置き換えてみれば、闇は際限なく広がっていることに気付かされる。全てがネコの事情と共通するわけではないが、最悪ネコ以上の問題を孕む種類もあるだろう。
 猫が毎年殺処分されて、かわいそうだと言うのは簡単だ。飼い主が悪いと非難するのも簡単だ。けれども問題は、それだけで収まるものなのか。あまりにも、猫についてを知らなさ過ぎたのではないか。
 それは同時に、猫をうまいこと飼いならしていた古の知恵や文化を蔑ろにし、現代の「ペットロス」つまり飼い猫にコミュニケーションを依存した故に亡くした時の問題など、孤独化する人間社会の実情にも目を背けていたともいえる。人間についてもまた、知らなさ過ぎたのではなかろうか。

 大変暗い話ばかりしてしまった。本書は、毛色別の気質傾向を紹介するなどした、猫を飼うための明るく楽しい話題がふんだんに盛り込まれていることを、最後に強調しておきたい。