かや&とものブログ

拡張型心筋症+WPW症候群+重度脳萎縮+難治性てんかんを患う4歳の息子を中心にしたブログです。


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気づけば①を書いてから、あっという間に日々が過ぎてしまいました(^^;

と、言うことで続き…→

昔は息子の悲劇的な部分にばかり目を向けていましたが、沢山の方との出会いや、目から鱗な出来事の数々に、段々と悲観的な気持ちが薄らいでいきました(とはいえ、全く無くなる事はありませんが)

そして、辛い面を全面に出したブログよりも、困難と思われた事が、転じて幸いとなった、そんな部分を書いて行きたい今日この頃の心境です。 

そんな時、1つの出来事がありました。 
息子が長年お世話になっていた療育センターの卒園式で謝辞を述べるお役目を任される事となりました。 

一度はお断りもしたり、紆余曲折ありましたが(^^;
引き受けました。
そこには、ひとつの気持ちがあったのです。
『沢山の出会った保護者たちの、辛い気持ちを、お世話になった方々に伝えたい。』と。

語る言葉はすぐに消えていきますが、それでも何かが残る人には残るもの。全員ではなくとも、その場にいる、一人だけにでも伝わればよい。

そう思えたのは、私自身が辛い時に友人の言葉に何度も救われて、言葉の力を身をもって知っていたからこそ。 

そういうわけで、次は、実際に読んだ謝辞文です(>_<)
って、もう六月になるのに…(^^;



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長いことブログを更新しておりませんでしたが、

月日が経つのは早いもので2017年4月となりました。

 

息子はお陰様で6年通った療育センターの保育園を

卒園いたしました。

 

このブログを書きだしたのも6年ほど前。

そもそもは10万人に1人がかかるという、

拡張型心筋症の情報を知りたい、その患者の方々と繋がりたい、

という一心からだったのですが、

その心の底には「息子はこんなにも不幸なんだ!

こんなに辛い状況なんだ!それを理解してほしい、知ってほしい」

そんな気持ちもどこかにありました。

 

しかしながら、月日が過ぎるごとに、ブログを通して

発信できなくなっていきました。

 

それは、息子を通して出会う沢山の人たちを通して、心に常にあった「うちの息子はこんなに大変なんだ」という思いそして、孤独感が、どんどん消えていったからです。

 

 出会った人たちの数だけ、それぞれに思いもよらない悩みがあり、抱えている困難があり、悲しみがある。

それを知れば知るほどに、息子の事を発信する

意味が自分の中で見いだせなくなっていきました。

 

 うちの子だけが大変なのではないのに、「こんな状況なんだ!」と、不特定多数の人に伝えることは、なんなんだろう・・・そんな風に迷うようにもなりました。

 そんな中、私自身も体調を崩し、1日1日を生きる事が精いっぱいになり、気づけばここに言葉を綴る事からすっかりと退いた状態になって3年が経ちました

②へ続く

 

入学式の日だったのに、肺炎にて入院中でした。。。

衣服がぐちゃぐちゃ(;'∀')

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こんにちは皆様。


福岡は今日も寒いです。


毎朝、ベビーカーでバス停まで通っていましたが、


ここ2か月は歩いて通っています。



3年前「この脳では歩けませんよ・おそらく一生寝たきりです」


とお医者さんに言われていたのに、不思議です。


本当に「脳」とは何なのでしょう?



「普通」と言われる事が「ほぼ全て出来ない」


と言われていたから こそ、


「歩く」「食べる」「笑う」という


一つ一つの動作が出来る事に


心から「うれしいなぁ・・ありがたいなぁ」


と感じます。


「出来て当然の決めつけ」が無い故の幸せです


そして、


全ての出来事は、視点の持ち方によって


「幸せ」にでも「不幸せ」にでも感じられるんだと


気づかされる今日この頃です。



↑近くのパン屋で眩しくて・・・。




昔、神経科の主治医にこんな事を言ったことがありまして、


「歩けないような、自分の意志もないような、


そんな子を治療して何の意味があるんですか?!」


というニュアンスの内容でした。



勿論、世界中には様々な子がいて、


歩けない、喋れない、それ以上に、私の想像を


超えるような状態の方もいるかもしれません。


その方々には拒絶されるような言葉を


発してしまったんですが、


当時の私には、息子の状況は


受け入れがたいものでした。



しかしながら、3年過ぎた今は、当時の考えが


「間違っていた」と分かります。


喋れなくとも、歩けなくとも、自分の意志がなかろうとも


何ができなくても、全く関係ないのです。


「ただそこに存在してくれているだけでいい」


そう今は思うようになりました




↑ランタンフェスティバル準備中の長崎市内



どうして心境の変化が起こったのかは


分かりませんが、日々息子と暮らす中で、


芽生えていったものでもあるし、


多くの色んなお子さんや、家族や、


保育士さんなど、色んな出会いが


自然と変化を促してくれたのは間違いありません




ただ、脳に障害を負ったことは、


心臓に難病を抱える子にとっては


困ったもので



何故なら、障害がある子は、


仮に心臓移植が必要になっても、


その適用から外されてしまうためです。


命の選別を行われるわけです。



親にとっては歩けなかろうと、何であろうと


純粋に「生きてほしい」と心から願い、望みます。


けれども、それは叶わないわけです。


勿論、「移植出来れば絶対に生きられる」のではないですが、


その選択肢すら与えられません。


「生きる失格」のような烙印を押された気に


なりますし、それはどうしてもやるせないです。

(ノ_・。)


人間、誰しも皆、遅かれ早かれ、生きていれば


体に何かが起こります。


それは、病気かもしれないし、事故かもしれないし。


加齢によるものかもしれないし。


しかし、「自分だけは大丈夫だ」という、なんの根拠もない


ものを皆抱えているように思います。


だから、障害を持つ人を、病気を患う人を


自分には起こりえない「他人事」に感じるのではないかと。



誰だって、ふとしたタイミングで、思いもよらぬことで


身体的な何かを抱えるかもしれないのに です。




今は障害や病気がある子、人は、すれ違う多くの人に


「何か違う、変なの」と見られる事があるかもしれません。


でも、いずれは皆「あぁ、何も自分と変わらない、


病を抱える人と自分は同じだった」


と気づく時が来るのだと思います。



世の中がそういった事を感じられるようになれば


ひょっとすると「障害のありなしに関わらず、移植適用」


の道が開けるかもしれません。


(それよりも、最新医療がもっと進んでくれる事を願いますが)




また、病気や障害を抱えることは、同時に「疎外感」も抱えますが、


それはいずれは消えていくものです。


(というか、再発したり、消えたりを繰り返すような・・・)


最近それに気がついて、私は随分と楽になりました。


そして、息子が可愛くて仕方がない毎日であります。



今は辛くて、シンドイ何かを抱えている人がいたとしても、


それはいずれ悩みではなくなる日が来るかもしれません


振り返ったら「あの時は辛かったけど、今はもう違う」


と♪(*^-^*)



長くなったので今日はこのあたりでー(*'ω'*)



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