我が家には中学生になる娘と小学生の娘がいます。
2人とも気の優しい、とても良い子です。
仕事熱心な夫もいます。とても真面目な人です。
私は今、ガンと闘っています。この子たちの為にも、病気に負けて先立ってしまう
なんてことは絶対に出来ません。
今まで抗がん剤・手術なども経験してきましたが、今は食べる物にも気を遣っています。
これまで、私の食生活はひどいものでした。
娘や夫の食事には気を遣っていても、自分の食事はお腹を満たせればそれで良いぐらいに
思っていて、自分1人で食べる昼食はカップラーメンかお茶漬けぐらいのものでした。
病気を患ってから色々な本を読むようになったのですが、食べることは生きること、という
フレーズを何かの本で読み、これまでの自分の食に対する意識の甘さに反省しました。
安さにつられて外国産のお肉を買っていたり、加工食品や添加物の入った食品を平気で買い、
今食べている物が自分の体を作っていくのだ、ということなんてあまり深く考えたことが
ありませんでした。自分が病気を患わなければ一生気づくことは無かったでしょう。
大切な家族がそうなる前に、自分の体で気づくことが出来て本当に良かったと思っています。
そして、病気になって私が1番励まされ学んだことは、家族の大切さです。
いつもは家のことは私に任せっきりだった夫が、家事を手伝ったり娘たちの身の回りの世話も
してくれるようになりました。休日は家族サービスをしてくれ、いつも家族みんなが一緒に
過ごすようになりました。それまで思春期で冷たい態度をとってばかりだった娘たちも、お父さん
に優しくなりました。今自分たちが健康で毎日を生きられることは、決して当たり前なことでは
ないと、家族みんなが思い家族を大切にするようになったのです。私が病気を患ったのは、
こんな家族の絆や信頼を築いてくれる為の神様の仕掛けだったのかな?と思ったりもします。
今は家族みんなで食卓を囲んで食べる夕食が、すごく美味しく感じられるし、狭くて嫌だと思って
いたリビングは、家族がそれだけ近くにいられる落ち着く大好きな場所となりました。
私たち家族には絆がある、と思っていたけれど、今こうやって家族の優しさがひしひしと伝わって
くるようになると、私のその想いはきれいごとでしかなかったなと思います。
そう思うようにして見て見ぬフリをして、家族に対して尽くして来なかったし、ただ何となく
毎日を過ごしていました。
あと数か月抗がん剤治療を行ったら、後は再発がしていないか定期的に病院に通って診察を
受けるのみとなります。
髪の毛もすっかり抜けてしまって、街を歩くのも恥ずかしい状況ですが、家族はこんな私でも
良いと言ってくれます。治療を終えたら、私は働こうと思います。金銭的な理由ではなくて、
今日を生きていることが当たり前ではないと気づいた今、私に出来ることを精いっぱいやって
いきたいからです。子どもが大きくなって手を離れたら復帰しようと思っていた仕事なのですが、
今は自分が精いっぱい毎日を生きている姿を娘たちの目にしっかりと焼き付けたいと思います。
母親として出来ること、妻として出来ること、そして1人の人間として出来ることを精いっぱい
やっていくのみです。
生きるとは、自分で生きていくということでもあり、生かされているいるということでもある
と思います。自分の命はもちろん自分のものですが、家族のものでもあり、色んな人の為のもの
でもある、そう思って、これからは色んな命を、色んな人を大切にして生きていきたいです。
明日生きていることは決して当たり前ではありません。
自分のために、家族のために、そしてまだまだ生きたい理由があるから私は絶対に病気を治して、
強く優しく人生を歩んでいきます。
病気になってよかった、今はそう思っています。