日本語教師 川端敦志の日記

日本語教師 川端敦志の日記

中国の江西省で日本語を教えています。趣味はスポーツ観戦(バレー・サッカー・ラグビー)と読書(風雲児たち)。

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日本文学作品鑑賞の授業で、『山月記』を読みました。

質問を学生自身で考えさせ、答えも学生同士で討論させたうえで、私に説明するという課題を出しました。

 

李徴はどうして虎になったのか、どうして狼ではなく虎なのか、人間と獣は何が違うのか…、いろいろな質問と答えが出ました。

 

「李徴は、実は臆病で卑屈だった。本当の自信はなかった」

「謙虚と卑屈は違う。謙虚は自分のいいところも知っていて、そのうえで足りないところを認めて努力する。卑屈は、自分の足りないところばかり注目して努力もしない」

 

そう説明したグループがありました。

 

そして、「卑屈な人は、周りの人のエネルギーを低下させる」と続けたのです。

 

すごく厳しい話なのですが、これが「外向的な人が好かれる理由」なのではないでしょうか。

 

もちろん、外向的な人がみな自信があって謙虚で…という訳ではありません。

また、内向的な人がみんな卑屈だという訳でもありません。

 

しかし、現実問題として、私たちは時間をかけて相手に本当の自信があるのかどうか、単なる内向的な性格に過ぎなくて本当は前向きな人なのかどうか、なんてことは考えません。

 

初対面ですぐに「この人は暗い人・後ろ向きな人・自信がない人・努力しない人」と決めつけてしまいます。

そして、周囲がそのように接するので、本人も少しずつそのような態度でしか周囲とコミュニケーションできなくなります。

 

MBTIという性格分析について、ほんの少しだけ教えてもらいました。(ちょっと高かったです)

講師の方は、「性格に優劣はない」と繰り返していらっしゃいましたが、本当にその通りだと思います。

内向的でも社会に貢献した方は無数にいます。

 

でも、単に内向的なのか卑屈なのかは、やっぱり区別したいなと思うのです。

「相手のエネルギーを低下させる」なんて思われていたら困りますよね、お互いに。

 

「幸せは権利ではなく義務だ」と聞いたことがあります。

たぶん、それは自分の為ではなく相手の為なのだと最近は考えるようになりました。

少なくとも、教師の心に余裕や喜びがないと、学生も元気にはならないでしょうから。

外国語学部(英語科と日本語科)バレー部のヘッドコーチをしています。

 

結論を先に書きますと、

「昨年から、外国語学部のバレー部だけ下級生しか出場できなくなりました。」

 

理由は、3年生の後期(大会期間中)に、3年生は実習に行かなければいけなくなったからです。

そして4年生は、大学院受験や就活でバレーボールをしている時間はありません。

 

その結果、昨年は2年生だけのチームで大会に参加し、16チームの中で5位に入りました。

 

来学期も大会があるのですが、ちょっと困ったことになっています。

というのは、最初は4つのグループに分かれてリーグ戦を行うのですが(ラグビーと同じですね)、昨年の上位4チームは、各グループに一つずつ振り分けられるのです。

 

つまり、外国語学部のバレー部がどのグループに入っても、必ず去年のベスト4に入って、先輩たちが残っているチームと闘うのです。

2位でグループリーグを通過しても、次の相手は隣のグループの1位、つまり昨年のベスト4の先輩たちということになります。

 

そして、一番大切なセッターが一人しかいません。

さらに、2年生も5人しかいません。つまり、二人目のセッターは1年生ですし、先発6人のうち一人は1年生ということになります。

(全員、未経験から始めます)

 

去年のベスト4だけではなく、ほぼ全てのチームが上級生中心で臨む大会です。

そこに、下級生だけの試合経験もないチームが参加するのです。

正セッターが怪我をしたら、急造の1年生セッター(経験3か月)に試合を任せるしかないのです。

 

めぐり合わせが悪い時には、本当にいろいろなことが重なるものだと思います。

でも、考えようによっては、この経験が下級生の成長につながるでしょうし、秋の大会を目標にするということもできます。

何より、「追い詰められたときにどうするのか」ということを私自身が経験することができます。

 

「困難にぶつかったら雀躍する」という人のことを聞いたことがあります。

とてもその心境には至りませんが、この状況でできることを、学生の立場に立って、自分の経験や知識も生かして、やり尽くそうと思います。

今日は、午前中に30人、午後に20人の学生と個別に討論・作文の指導をしました。

 

午前は日本文学作品鑑賞の授業でのことです。

学生たちから集めた質問を一覧にして配り、クラスメートと一つの問題を話し合い、その結果を私に説明するという課題を出しました。

 

最初の一組が来たのは、授業が始まって45分経ってからのことです。

もう本当に、「何で来ないんですか?全員、0点にしますよ」と言う言葉が喉まで出かかったのですが、「いいや、学生たちは真剣に考えているから時間がかかっているんだ」と自分に言い聞かせました。不安や恐れからの行動は、何もいい結果を生み出しませんから。

 

それでよかったのです。

 

一組目から理由をいくつも説明して、時間が来ても並んでいる学生がいました。

「次の組が待っているから」と言っても、「まだ考えたことがあります」と続ける学生がほとんどで、最後は、最初の一組目が「今度はこう考えました」と言ってきたのです。

 

答えの説明そのものも、私が思いつくことのできないものがいくつもあって、本当に面白かったです。

 

 

来週で今学期が終わるというこの時期、こんなことを考えるようになりました。

 

「教師の姿勢と言うのは、主に二つに絞られるのではないだろうか。とにかく学生とぶつからないようにということを最大の目的にする。或いは、時にはぶつかってもお互いにするべきことをするように要求する(できるように環境を整える)のどちらかではないだろうか。」

 

最初に、「ぶつからないように」を選択したら、あとから態度を変えるのは難しいです。

また、最初に「ぶつかってもいいから」と思ったなら、最後までやらなければなりません。途中で変えたら、かえって信頼を失うからです。

 

もちろん、今時スパルタやアカハラまがいの指導法で学習効果が上がると言っているのではありません。

でも、何百人もいる大学生の中には、時にはその場で注意しないと、自分も周りもだらける一方になるという言動をとる学生もいます。

 

午後の作文も、予定時間を1時間以上伸ばして対応しました。学生たちも、最後まで残って、机といすも並べなおして帰っていきました。

 

今学期は、本当に疲れました。左腕もしびれが出るようになりました。何しろ、毎週、140人~200人と面談して作文やノートをチェックするのですから。

 

でも、それも来週で終わりです。最後に、学生たちにどんな話をしようかと考えています。