熊本で被害があった皆さまに
心よりお見舞い申し上げます。

どれほど不安な夜を過ごされたか
分かるからこそ
言葉にすることは難しいです。


自分が衝撃を受けたあの
東日本大震災の日は、
どんな音がしていたのか記憶はない。



音楽を聴く興味は失われ
祈られることにも苦痛を感じた。


それがあの震災の1ヶ月以上
続いていたことを覚えている。


ただ、あんなに世の中が
大事になっているにもかかわらず

鳥達はいつもの暮らしをしていた、
その声だけを覚えている。


癒やしも祈りも
送られる側の苦痛に変わる時がある。


どちらも計画があってはならない。

いつの日か、自分が自分のために
必要だと思った時に
自分の中で癒やしも祈りも始まる。


そこにたどり着く道のりは人それぞれ。

自分が自分のために必要だと思った時に、
手を差し伸べられる友として
そこで初めて音は寄り添える。


だいじょうぶ、ここにいつもいるからね、と。


「その時」は何年先か分からない。
そこまで、計画をもって強制して
音という友を送り込んではならない。


友は時として剣となり敵となり苦痛となる。


癒やしや祈りは送るものではなく
どんなことがあっても
癒やしや祈りは、自分自身のために存在する。


そして自分の中が満ちたとき
はじめて誰かのために
寄り添える友そのものとして
いつでも手を差し伸べる準備が存在する。


無理に手を引っ張ったりする友は
友ではない。


それは音ではない。


わたしはこれまでも
音を提供することはあったけれど


それはまず私が満ちてはじめて
もし必要と思ったことに気づいた人のために
隣にいて見守り
自分の出来る最善を提供することができると
そう感じている。


いま、私の音を駆り出そうという提案があっても
私は音を剣にはしない。


ただ必要な時がいつかやってくるのなら
いつでも大切な友である音を
渡したいと思うだけ。

2016年4月15日。熊本地震。
過去の体験のフラッシュバックなど
つらい夜を過ごした方が必要ならば
使ってとユーチューブの
音のデータを置いているchannelを
フェイスブックで共有しました。



誰かの癒やしや祈りのためではなく
自分が自分のために必要と
気づいた方が
静かに自分のために
使ってほしいと願います。

それは今回にかかわらず
常にそう思って
データを置いています。



もし誰かに祈りを送るとしたその前に
自分自身の中に祈りがあるか癒やしがあるか
それを問うことから初めてほしいと願います。


誰かの苦痛をわかちあうような
祈りや癒やしは
既にその存在では無い。

それは送る側も受け取る側も
癒やしでも祈りでもない
生まれるはずのなかった無限の苦しさを
生むだけになるだけだから。



その姿を理解することを願います。
それをこれ以上増やしてはならないと願います。

そして
5年前の私達の生きる土地で起こった震災のとき
多くの方々がライフラインの復旧に努めてくださったり
生活の回復を願ってくださったように
私もわたしができることを尽くしたいと思います。


【ご自身のために使いたい方はお使いください】
https://www.youtube.com/c/FreePlanet888