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#106 『空海がおいでおいでと呼んでいる③』

テーマ:旅のしおり/窓の風景
2012-02-21 16:35:53 katz-sekinouの投稿



空海に呼ばれていると思い込んで、西に向かったのはいいけど・・・

 *なんばでまいご。 2011_11_28


京都の駅裏で三合飲んだらいい気持ちになった。カウンターの隣り座る

オッチャンが「千葉へ帰る時にはまた、京都に寄ってくれ。絵を描くな

らオッチャンチの前がおススメや」と言う。他のオッチャンらも「そう

だそうだと言ってくれた。このまま、京都で泊まってもいい。でも、な

んばでホテルは取ってあるし、明朝は6時丁度の南海電車高野線に乗り

たいと思っている。朝一番で京都を出てもいいのだが馴れない大阪であ

る。間に合わないかもしれない。ぐぐ~っと後ろ髪を鷲掴みにされたま

ま、フラフラと京都駅に戻った。幸いなことに、駅は真裏だった。


京都からJR京都線「網干」行きの普通に乗った。行き先は馴染みのな

い駅名である。まぁこれで良かろうと乗った。姫路の先で「あぼし」と

読むのは後で知った。新快速の方が先に出るようだが、大勢並んでいる

のでガラガラの普通に乗った。新幹線だとひと駅10分だが、色々と駅が

あった。乗客は降りては乗って、増減はあまりなく空いていた。


大阪駅で乗り換えた。駅舎が新しくなり屋根が大層高くなった。これま

で大阪市内に泊まる時はキタがほとんどだった。ミナミは数回しか行っ

た事はない。しかも、JRに乗ってのミナミは初めてだ。なんばへは本

来ならば地下鉄が効率いいのだろうけど、山用の大荷物を担いでいるの

で、ラッシュは極力避けたかった。

大阪駅のホームには、木津行き、和歌山行き、環状線が走って来る。大

阪駅ばかりが始発ではない。天王寺やなんばも始発駅なのだ。「なんば」

自体、JR、南海、近鉄の駅同士が離れていて、地下鉄の駅がその間に

ある。大阪で乗った和歌山行きは新快速で「今宮」には止まらないこと

が、乗ってから分かった。「新今宮」まで戻ってJRなんば行きの阪奈

線に乗った。新今宮で南海電車に乗り換えてもいいことも後で知った。


JRなんばからホテルを目指して地下街を歩く。南海なんば駅も確認し

て置きたかった。基本的にへそ曲がりなので、人に道を尋ねたくない。

第一、方向が分からない。何がどこにあるのか分からない。すでに、

まいごの状況なのだ。方向が分かっているなら説明を受けても理解はで

きる。説明を受ける以前の問題である。地下なのでケータイのナビも使

えない。道の案内地図を見つけ見つけ、居場所を確認しながら彷徨った。

大阪はキタのみならずミナミも地下街が広い。大荷物を持って、極力避

けたかったラッシュの連絡通路をたどり、なんとかに南海なんば駅に着

いた。外に出るとケータイのナビが使え、検索したホテルに着いた。

なんだかへとへとである。だが、このまま寝てしまうのももったいない。

大荷物を部屋に置いて、もう一度、南海なんばまで歩いて、朝の予行演

習をした。


途中、ピンとくる店はない。なんばでも静かな辺りなのだろう。ふっと

入ったバーでハイボールを飲んだ。34歳のママと21歳の娘がカウンター

の向こうにいた。日本酒の話しになり剣菱を「ビックリマークだ」と21

歳は言った。「なるほどね」とちょっと感動した。こちらよりハイペー

スでハイボールを開けていた。

無性にうどんが食べたい。思いは通じるもので、宿泊するホテルのそば、

御堂筋の脇に、そばではなくうどん屋があった。中は若者で混んでいた。

池田の鴨を使った鴨南蛮の付けうどんが美味かった。このうどんを食べ

た成果が翌日に出るとは思わずにうどんを手繰った。そんなことより、

池田と言えばビックリマークではなく「呉春」が飲みたいと思った。



 *初めて乗るぞ!南海電車。 2011_11_28


6時の南海電車高野線に乗るため、5時には起きた。ぼーっとしていて、

パッキングするのに大層時間が掛かった。なんでぼーっとしているのだ

ろう?そうだ、少々飲み過ぎたんだ。

なんばに行く途中で朝定食か立ち食いうどんをお腹に詰めて電車に乗る

か、駅弁を買って電車内で食べようかと段取りを考えていた。そうそう

昼めしも買わなくちゃ。そんな段取りも、ホテルを出たのは45分。朝ご

はんどころではない。ただ、数時間前の鴨たちがお腹の中で泳いでいる。

タクシーなら3分もかからない。真っ暗な御堂筋にタクシーの姿はない。

先の信号を右折ができないことは確認していた。タクシーを待つより、

歩く方が無難だと歩いた。そう判断できるまで、頭ははっきりしてきた。

駅には5分前に着いた。急いで九度山までのキップを買い、自動改札を

駆け抜けると表示板は「関西空港行き」。6時に高野山行きがあるはず

なのだが、一遍に見えるボードが分からない。あわてて、改札事務所に

戻る。発車番線を教えてもらい、高野山行き快速に乗り込むと発車した。


南海電車に乗るのは初めてだ。他の関西の私鉄には乗ったことがある。

初めてと言うだけでワクワクする。関西空港行きの特急ラピートと並走

する。真っ暗な堺の町を走っている。できれば、夜やら早朝の電車には

乗りたくない。景色が見えないからだ。

「堺東」。新宿から出る深夜バスが、この電車が堺東駅に着く5分前に

到着する。今回、この深夜バスでもいいかなと思っていた。でも、乗り

慣れないと無理だろう。いや乗り慣れていた方が、端から無理だと判断

するに違いない。

「中百舌鳥」を通過する頃、東の空が闇から抜け出し、白み始めてきた。

「三日市」でもまだ、ブルーのレースがかかっているようだ。なだらか

な丘には無数の家の灯りがさんざめいている。次第に風景が見え始める。

田んぼも見える。「千早口」。楠木正成なんだなきっと。「天見」のシ

ョッキンググピンクの柵がオシャレでいい。「紀見峠」を過ぎると薄墨

の山々が遠くに見える。高野山方面だろうか。少なくとも和歌山、紀州

の山々だ。紀見だもの。「林間田園都市」には7時15分に到着。上り

のホームには通勤通学者がごそっと並ぶ。それからぐんぐん下って、橋

本の町に入る。黒瓦の家屋が多い。五條行き「クハ117」JR和歌山

線と並走して、「橋本」に着いた。橋本で、ほとんどの乗客が降りた。

高野線は数名を乗せたまま出発。単線となり大きく右にカーブ。と言う

よりむしろUターンして紀の川を渡り、山の縁を走る。まだ田んぼの孫

生えが青々としている。国道沿いにはコンビニも見えた。

「久度山」では他に誰も降りない。鏡のような線路が山に延びていた。

ただ、駅前には売店もコンビニもない。朝食は抜きでも、お陰様で昨晩

の鴨南がまだ利いている。

それよりも、高野山までどう辿ればいいか、まだ分かっていない。


(#106は終了で、#107に続きます)
$ロゼット号で行く小旅行-鴨南蛮
$ロゼット号で行く小旅行-九度山駅

#105 『空海がおいでおいでと呼んでいる②』

テーマ:旅のしおり/窓の風景
2012-02-13 15:03:44 katz-sekinouの投稿



 *東寺とおばんさい屋  2011_11_27


曇り空なのだが、「のぞみ」の窓から見上げる富士山はくっきりと見え

た。夏山のように灰色をしていて、それが泰然自若としている。これか

ら、京都で空海が開いた東寺、大阪なんばを挟んで、高野山を歩いて、

奈良で狂言を見て、空海が別当を務めた東大寺を回る。


重い雲が垂れこんでいる京都は生暖かい。八条口のコインロッカーに

ザックをデポって東寺に向かう。近くに「たかみ」という屋号のおばん

さい屋があった。以前、配信していたメルマガ「のみや独り言」にも

書いた。「おばんさい」は京ことばで、惣菜やら夕食のこと。カウンタ

ーに大皿で料理が並び、やんわりとした京ことばのママが中で立ち振る

舞っていた。随分前に飛び込みで入ったが、まだやっているだろうか。

駅を降りたら東寺までタクシーで行くつもりでいたが、途中にあの店が

あるのではないかと、歩くことにした。

記憶とは当てにならないものでイメージは残っていても、どこだか、

いやどこにいるのかさえ、定かではない。近頃、珍しくなった電話ボッ

クスがあった。電話帳をめくると店は出ていた。住所は近そうなのだが、

居表示をした電信柱を見かけない。探すには時間が掛かりそうである。

周辺の自家用車は動物園のような檻に入れられ、鍵を掛けられている。

そんなことに驚いている内に東寺の壁見えた。


曇天の所為もあろうが、天井の高い東寺の講堂はかなり薄暗い。その空

間の中で立体曼荼羅は圧巻だ。本尊は大日如来である。空海が密教の八

代目で、本尊は初代である。目は半眼ではなく、開き気味だ。睥睨して

いるのではなく同じ空気の中にいることを認めてくれている。すべてを

包括する力のように感じる。講堂の正面の壁沿いは長いベンチになって

いる。遥かなる昔から大勢の参詣客のお尻でテカテカしている。撮影も

スケッチも文化庁がNGを出しているので、ベンチに座ってしばらく時

間を過ごした。一方通行になってはいない。左右から多くの参詣客が

正面に来て一瞬だけ立ち止まり浄財を投げ入れ拝んで立ち去る。創設以

来、時間は決して立ち止まらず動き続けている。


講堂の隣りの金堂には薬師如来が中央に座しいる。薬師と言うと立像で

花を持ち薬瓶を下げている姿を思い浮かべるが、あれは薬師観音だった

かもしれない。左右に侍る月光日光菩薩の薄く開いた目や衣で隠した肢

体が艶めかしい。その三尊が高い天井を突き抜けているように見える。

薬師如来の座を下から支える十二神将も長い間、お疲れ様だ。金堂の出

入り口から見えるお庭の紅葉が艶やかだ。紅葉は随分進んでいる。落葉

は大概、桜から始まるが、ここの桜の葉はまだ枝に付いたままだ。


参観終了の時間となる。「たかみ」を探しつつ駅まで戻る。駅の真裏だ

ったように思う。大きなスーパーもできていて、立ち退いたかもしれぬ。

町屋が並ぶ。古の為政者は間口の広さに税金を掛けたので、間口は狭い

が奥行きが保たれている。観光客が歩き回るエリアではないが、生活感

があっていい。右に左に露地を歩く。京都では「ろうじ」と呼ぶことを

テレビで知ったばかりだ。

まもなく駅というところで、あれっと思ったら、「たかみ」の看板があ

った。こんなに駅近くとは。5時ちょいと前だった。中からモジャモジ

ャ頭の男が白衣のまま出てきて、ブラインドを閉め、扉に鍵をかけて出

かけて行った。そして、声をかける間もなく、近くのパチンコ屋に消え

た。あらら、やっと見つけて入ろうとしたのに。パチンコ屋の中まで、

追いかけることもないのでぐるりと一回りしてきたら、店は開いていた。

大皿のオバンサイが並ぶカウンターに座り、以前寄らしてもらったこと

を注げた。ママはもちろん憶えてくれるはずものない。それでもやんわ

りとした京ことばのママは歓迎してくれた。

モジャモジャ頭のことを聞けば、ご亭主で仕込みが終わったので、パチ

ンコ屋にしけ込んだのだそうだ。基本的にママが仕切っている店なので

ある。玉の光、黒龍、玉の光の順序で三合飲んだらいい気持ちになった。

京都で泊まってもいいのだが、なんばでホテルは取ってあるし、明朝は

6時丁度の南海電車高野線に乗りたいと思っている。早朝、京都からだ

と馴れない大阪なんばで間に合わないかもしれない。後ろ髪を鷲掴みに

されたまま、京都発のJR京都線に乗った。

(#105/了)
$ロゼット号で行く小旅行-駐車場


$ロゼット号で行く小旅行-東寺・五重塔

#104『空海がおいでおいでと呼んでいる①』2011_11_25

テーマ:旅のしおり/窓の風景
2012-02-07 14:56:48 katz-sekinouの投稿



 *つながる空海の影

呼ばれていると思うのは、思い込みか、いい訳か。薄ぼんやりと、まだ

目にしていない高野の峰々が心に浮かんでは消える。


町に古本屋があれば大概のぞいて、まずは紀行本の棚を探す。去年の夏、

幕張の新刊書店に入ったら新古書売場が併設されていた。紀行本の棚で

元格闘家、須藤元気の『幸福論』(ランダムハウス講談社)が目に留ま

り買った。西国八十八か所巡礼を体験した紀行本である。家で一気に読

んだ。その中で、元気氏が巡礼に出る切っ掛けともなったのが、司馬遼

太郎の『空海の風景』(中公文庫)であると書かれていた。高校の時、

読んで影響を受けたそうだ。随分シブイ高校生であることに興味を覚え、

文庫本の『空海の風景』を買いに行った。『幸福論』を買った新古書売

場にはなく、新刊の上巻を買った。


上巻はさっと読み進むことができた。折しも仕事が忙しくなり、下巻は

仕事先の東北方面を持ち歩いたままで、ページを開く余裕はなかった。

山形の酒田でもバッグの奥に入れたままであった。酒田の北、遊佐の酒

蔵を訪ねた帰り、トイレを借りにコンビニに寄った。何気なく、雑誌コ

ーナーを見ると普段コンビニではあまり置いていない新書が何冊か置い

てあった。その真ん中に立ててあったのが『空海と密教美術』(洋泉社)

。これはもしかしたら呼ばれているのではと、おむすびと一緒に買った。


一ケ月後、仕事が一段落し、ようやく下巻を読み終えた。あとがきに

高野山のことが書かれていた。それは司馬氏が学生時代に地図を持たず

に熊野を目指した。散々迷った挙句、沢を上り詰めたところが、熊野で

はなく高野山だった。高野は天空の町のように見え、空海が呼んでいる

ように感じたそうだ。

夏から何かがつながっている。そんな気がした。高野山のある西に向か

って旅に出たいと思うようになった。もちろん、呼ばれていると思うの

は、思い込みであることは分かっている。そして、旅立ちの言い訳であ

ることも。ただ、薄ぼんやりと、まだ目にしていない高野の峰々が心に

浮かんでは消える。


 *西行だって呼んでいる/大磯

心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ


新古今和歌集には「秋の夕暮れ」を詠んだ歌があり、三夕と呼ばれるう

ちの一首、西行の歌である。

古えの人は歌の題材を探しに旅に出で、歌の題材となった風景「歌枕」

を巡った。「鴫立つ沢」は大磯とされ、草葺きの鴫立庵が国道1号線脇

に建っている。敬愛する白洲正子の『西行』(新潮社)では、海軍大将

であった正子の祖父、樺山資紀が住んだ別荘が大磯の鴫立庵の隣りにあ

った。敷地内に二俣の松があり「ニ松楼」と呼ばれた。子どもの正子は

別荘から飛び立つ鴫を幾たびも見ていた。秋ではないと見られない「秋

の夕暮れ」。今見ないと、来秋に見られる保証は全くない。


総武快速から東海道線に戸塚で乗り継いだ。大船だと跨線橋を渡らない

といけないように思ったからだ。同じホームに入って来た東海道線に乗

った。ただ『特別』快速であるので、少々嫌な気がした。案の定、『特

別快速』は大磯に停まらないのを乗ってから知った。

平塚辺りまでは風景に変化が少ない。どこでも見る住宅やマンション、

列車から見られることを意識した小奇麗な工場が書き割りのように左右

に並び、面白みがない。生活をしたことがないので、それを楽しむ土地

勘もない。平塚が過ぎると、風景に変化が出てきた。と思ったら大磯に

着いた。大磯は駅舎も味のあるスタイルをしている。


頭に入れておいた地図通りに、駅前通りを海岸の方へ下って行く。国道

1号線との丁字路交差点。その海寄りに茅葺きの鴫立庵が見えた。

元々、ここが歌枕の場所であったかは不明なのだが、江戸の初期1664年

には流れる小川を「鴫立つ沢」とし、庵を結び鴫立庵とした。早く手を

上げて既成事実を作った方が勝ち。世の中はきれいごとでは済まない。

入館料を払ってどこにでもありがちな展示や歌碑を見て、浜に出た。途

中、マンションの駐車場に大きな二俣の松があった。


沢が海に注ぐ辺りの浜には鴫はいなかった。その代りに投げ釣りの釣り

人が数人、海を見つめている。正面には初島、左手は鎌倉。右手の真鶴

半島、箱根の山に夕陽が次第に落ちて行く。はじめてカラーボールペン

を使い、スケッチした。この画材、中々面白い。しばらくは練習しよう。

秋の浜辺で体が冷えた。大磯駅前の割烹「松月」の暖簾をくぐった。

地のヒラメとブリとご近所秦野の地酒「白笹づつみ」をもらった。空い

ていたので、鴫立つ沢の絵にもうちょいと色を足し、仕上げた。

しばらくして「蓮根の揚げ出し」と「牡蠣の紅葉揚」が出てきた。「蓮

根の揚げ出し」は頼んだが、「牡蠣の紅葉揚」はどんなものか聞いただ

けのつもりだったが、出してくれたので箸を付けた。不味いはずがない。


いい気分で東海道線に乗り、家に戻る。西行は高野山で30年ほど修業し

た。やはり空海と結び付いている。間もなく、高野山へ向かう。

(#104/了)

$ロゼット号で行く小旅行-大磯

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