Maria in Japan 2012

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昨日書いた「マリア、日本公演」の記事はリンク先がFacebookだったので、会員じゃない方は見られませんでした。書き直しましたので、ご興味のある方は 
こちら をどうぞ。マリアの日本での印象が英語で語られています。82枚の写真と一緒に。
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日本公演を終わって

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大騒ぎの日本公演も終わりました。
今回はブログって凄いと思いました。
本当に行く先々で応援してくださる方がいて、励みになりました。
特に広響のまるちゃん、名古屋のMr Mさん、大館のひいらぎさん、みなさんのお力添えがなかったら、公演も成立しなかったでしょう。本当にありがとうございました。
また、遠くから駆けつけてくださった方々、お友達やご家族を誘ってきてくださった方々、お忙しいのに来場くださった方々、本当に嬉しかったです。
みなさんのおかげで、また続けていこうという意欲も沸いてきました。

さて、マリアとマッティを送り出して、私は骨休め休暇を1週間、温泉にでも入ってのんびりしよう思いました。
温泉と言っても、一人旅を受け入れてくれるところはかなり限られてしまいます。
名古屋から東京に着くまでの間で、となると益々選択は狭くなります。
最終的には湯河原になりました。
そして山の中にある宿に泊まったら、ベランダに出るドアにこんな注意書きが・・・

湯河原

のんびりしようと思ったのに、やはり会いたい人が沢山で、結局1泊しかしませんでした。

1週間後にスウェーデンに戻りました。

Hem

イェーテボリが近づいてきて、黒々とした森を見たら、ああ、戻ってきた、と思いました。
スウェーデンの森を見て、そう思ったのは今回が初めて。とうとうスウェーデン人になってしまったかと、一瞬、思いました。
いや、日本に近づき、竹林のやわらかい緑を見ると、日本に戻った、と思うのですから、不思議なものです。

うちに帰ったら、ミッセがいやにベタベタくっついてきました。

ミッセ120604

ソファーに寝転がっていると、こんな風です。

これで今回の日本公演の報告はおしまいです。




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日本公演(11) 名古屋

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5月27日
午前中空いたので、2人に付き合って三越でお土産を買いにいきました。
マリアは織部見る、と張り切っています。
量産だけど素敵な徳利とお猪口二つ。織部の緑とちょっと崩れた形が気に入ったみたいでした。アツカン、オネガイシマス!が今回習った日本語で一番活躍してましたよ。
マッティは2人のお嬢さんに浴衣を買ってました。
私に2人の写真を見せて、どんな色がいいと思う?

名古屋。宗次ホール。
いよいよ最後のコンサートです。
今日もブログ友達が沢山来てくださいました。
開演前にやはりブログ仲間の前島良雄さんがプレトークをしてくださいました。
それが始まる数分前に楽屋に様子を見に行くと、マリアが途方にくれて座っています。
なんとアレルギー反応を起こして、唇が腫れ上がっているのです。
たまーになるんだそうですが、公演前になったのははじめて。「気を許すとこんな風」と唇の力を緩めると、なんと左の口の端がだらりと・・・
「SとRの発音が鮮明に出来ない」
マッティは面白がって(もしかすると、心理的に追い詰めないためかも)「証拠写真撮らせて」
ホールのマネジャーも、「開演を遅らせてもいいですよ」。
マリア「でもいつ直るかはそのときによるし、声が出ないんじゃないから始めるしかないわね」
そして両手を握り締めて「私はプロだ。私はプロだ」と自分に言い聞かせていました。

定刻に舞台に出てきたマリア。口紅を思いっきり大きくべったりと塗っている以外は、遠目には分かりません(一番前に座っていた友達は、ずいぶん口の大きい人だなあ、って思ってたんだ、と言っていましたが)。
多分、だれも気がつかなかったでしょう。

名古屋・2

第二部はマーラーに敬意を表して世紀末的な黒にビーズの刺繍を全体にちりばめたドレス。
足が長いと似合う服です。
ここまで来ると、腫れも大分引けてきて、外見は普通になりました。
マーラーで出て行くとき「今までで最高のマーラーを仕上げるからね」と明るく言い放ちました。マーラーは本当に良かった。多くの人が泣いてたみたいです。

なごや・3

サイン会も無事終わらせました。
どの会場でも総代理店のキングがびっくりするぐらい売り上げました。

終わってからブログ仲間や前島さんと打ち上げをやるはずだったのですが、マリアの体調を考えて(特にその日のうちに空港ホテルに移動しなければならなかったので)ホールの西野さんが車で送ってくださいました。
でもホールで皆さんに挨拶していると、ブログの舒齋さんがなんと色紙を書いてきてありました。詳しくはこちらをどうぞ。
昨日も日本料理の席で床の間をじっと見つめていたマリアは大喜び。
なんとマーラーの告別の後半の詩の原本になるところからの書でした。
その上最後のところに「為真理亜女史」

名古屋・1

ホテルに着くと、体調も大分回復したマリアも、それまでおとなしく従っていたマッティも「お腹すいた!」
で、みんなで空港に繰り出して、さて最後の食事。
お好み焼きを食べ損なった、というので、みんなでささやかな打ち上げはお好み焼きで。
オイシイネ。

さあ、明日は無事にスウェーデンに帰ってね。
私はあと1週間骨休めしてから帰るから。
「エーっ、サトコ一緒じゃないの。ホテルと空港、ダイジョーブカナ」と冗談言いながらホテルに入っていきました。
無事着いたみたいですよ。







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日本公演(10) 岐阜

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5月26日
前日、25日から最後の3日間は毎日移動、毎日コンサートの強行軍でした。
岐阜のコンサートはNBKという鋳物や特殊ネジの製作をする会社が催した非公開のコンサートで、広大な敷地にある建物はとても工場とは思えませんでした。そのなかの一つが近代美術館になっていて、会場はその展示場でした。見事にメンテナントの行き届いたピアノにマッティはうれしそう。

岐阜・1

会場の外には水が流れるプールがあり、夕方暗くなると、ピアノがまるで水に浮いているような風情でした。幻想的。

岐阜・2

休憩前、拍手に答えるマリアとマッティ。

岐阜・3

コンサートの後は社長さんが本式の日本料理にご招待。二人とも出てくる料理や盛り付けにわくわくでした。
マリアは自然に育った鑑賞眼があるらしく、何も知らなくても値打ちのあるものにまっしぐら。それはそれは感動します。中でも織部が気に入っていました。
また、床の間の掛け軸に注目。「こういうのはどこで買えるの?」「貴女の食指が動くのは本物。骨董屋さんで手が出ないよ。」それでも床の間をじっと見つめていました。「織部も高いよ」

ここの料理も二人にとっては最高のおもてなし。決して忘れることはないでしょう。

明日は名古屋。最後のコンサートです。

なお、岐阜と名古屋の写真は全て宗次ホールの西野さんのところから借りてきました。
西野さん、ありがとう。黙って借りて、ごめんなさい。



5月24日ー25日
この企画を始めてから、なんとかして東京近辺でコンサートがしたいという希望がありました。というのもスウェーデン大使がこれだけのツアーは珍しいからレセプションをしてあげましょうとおっしゃってくださって、80人ほどのお客様をお招きし、大使邸での企画がありました。そこに来てくださったクラシック関係の方々を次の日に東京のどこかで本格的なコンサートにご招待、マリア、マッティをじっくりと聞いていただこうという魂胆でした。

ところが出発の数週間前に急に大使からレセプション中止の知らせが入りました。なんでもスウェーデンから大臣が来訪することになり、そうなるとそちらが最優先です。ちょっとショックでした。でも、ご来場いただいた方々は満足してくださったようなので、良かったと思います。
来場者の方で「この次は東京、大阪での公演に協力しましょう」と言ってくださる方もあったり、もう一度がんばろうかな、とも思っています。
このほかにも、いろいろと手伝ってくださった方が沢山います。
洗足学園の皆様、チラシを配って集客をしてくださった方々、その他の事ではげましてくださった方々、本当にお世話になりました。ありがとうございます。

このコンサートの批評をしてくださった方もいらっしゃいます。
先ずは東条碩夫さんのブログこちらをどうぞ。

次に長谷川京介さん。元ソニー・エンターテイメント勤務、現在フリーの音楽プロデューサー、音楽関係の雑誌やWeb上に批評を書いておられるそうです。
以下、長くなりますが面白い記事ですので全部アップさせていただきます。

北欧からの贈り物 マリア・フォシュトローム アルトリサイタル

知人からの情報で知ったスウェーデン出身のアルト歌手、マリア・フォシュトロームのリサイタルに行く。

なんと無料!

今回の来日では、広島での広島交響楽団との公演(シベリウスの歌曲など)のほか、尾道、大館、大垣でリサイタルを行い、このあとは名古屋へ行く。

聞いた話では、東京での主催者が決まらず、アーティストサイドはぜひ首都圏でリサイタルを開きたいという希望があり、急遽洗足学園大学の協力で行われることになったとか。

告知が行き渡っていないにもかかわらず、会場となった洗足学園大学の講堂(2400教室)には150名くらいの聴衆が集まった。

某音楽評論家の姿も見える。

 

会場は音大生の授業にも使われるステージがある階段教室で、横長の机と椅子がセットとなっている。

300名くらいでいっぱいになるような大きさ。

訳詞付きのプログラムまで配られ至れり尽くせり。

リサイタルの内容はシューベルトの歌曲に始まり、ペッテション=ベリエル、グリーグといった北欧の作曲家の歌曲、

最後に30分近くかかるマーラーの告別(大地の歌より/作曲者本人によるピアノ伴奏版)まで含まれると言う本格的なものだ。

 

これだけの内容のリサイタルが無料とは驚きだ。

公演に先立ち招聘の藤本さんという女性から挨拶とプログラムの解説があった。

 

さて、マリア・フォシュトロームの歌声だが、聴いてすぐ思ったことは、伸びやかで透明感があり、しかも力強く安定していること。

アルトという声質のもつ温かみや歌手自身の性格を表すかのような優しさも感じられる。

 

シューベルトの歌曲集では「魔王」での父親、子供、魔王の声と表現の使い分けが面白く、ピアノのマッティ・ビルボネンも迫力のある振幅の大きな伴奏で聴き応えがあった。

「糸を紡ぐグレートヒェン」も糸車を表すピアノの滑らかな動きと、ファウストへの思いにゆれるグレートヒェンの不安さがよく出ていた。

「鱒」は少し単調で、先週アネッテ・ダッシュが歌ったように、釣り人の狡猾さへの気持ちをもっと劇的に表現してもいいのにと思う。

 

ピアノのソロ、マッティ・ビルボネンによるシューベルトの即興曲は女性的なこの曲のイメージを覆す力強い左手のアルペジオによる逞しい表現。

本当のシューベルトはこういう激しさがあるのだよ、と教えられた気がした。

 

ペッテション=ベリエルの歌曲を聴くのは初めて。

プログラムによれば「スウェーデンの国民的作曲家で、日本でいえば山田耕筰のような位置づけの作曲家」とのこと。

後期ロマン派的なロマンティックな雰囲気がある曲が多い。

マリア・フォシュトロームは「待ち時間は特別なもの」「憧れは私が受け継いだものの」2曲では身体を使って発声するが

どこにも力みはなく自然な歌唱。

「君ゆえの悲しみ」だけは表現が一本調子で陰翳がなかった。

 

グリーグの歌曲もふだんあまり聴く機会はないが、愛妻が歌手であったため彼女のために書かれた170曲もの作品がある。

6つのドイツ語の歌からの「世の常」は諧謔があり声がよく通る。

「青春の日々」はゲーテの詩による極めてロマンティックな作品で無理のない柔らかな歌い方。

「夢」では豊かな声を聞かせる。「告別」を除けば、この夜拍手はこの曲が一番多かった。

 

休憩後、マリアは深いワインカラーにラメの入ったシックなドレスに着替えて登場。

「山の娘 」よりの3曲はいずれも娘の心を歌ったもの。歌詞はノルウェー語。

「逢引き」は恋の恍惚、「小山羊のダンス」はコミカルな調子で娘の心の喜びを小山羊のダンスにたとえて表し「イェットレの小川で」は失恋の悲しみを歌う。最後の歌詞「おお、ここで目を閉じさせて」には「死」のイメージがあると、進行の藤本さんが解説していた。それが、次のマーラーにつながっていくということか。

 

マーラーの「大地の歌」作曲者本人によるピアノ伴奏版「告別」。

 

前島良雄氏によるプログラムの解説が目からウロコだった。

1907年夏、ウィーン宮廷歌劇場を追い出され、最愛の長女と死別し、

さらに心臓の致命的な疾患を告げられて心身ともにボロボロになっていたマーラーは、ハンス・ベトケが中国の詩をドイツ語に翻訳した『中国の笛』という詩集に出会い、そこに現在の心境にぴったりのものを見出して、作曲に没頭した」

というよく聞く定説はここ数十年の欧米での研究では、ほとんど「伝説」にすぎず、宮廷歌劇場を追い出されたわけではなく、心臓の致命的な疾患は誤診であり、心身ともにボロボロになっていたとされるのも実情と違うという。

 

さらに、詩集は中国語からフランス語に訳されたものをさらにドイツ語に訳した詩を、当時のヨーロッパ人に親しみやすい詩に翻案したのがベトケの『中国の笛』だとのこと。

 

いずれにせよ、病的なマーラーというイメージではなく、作曲当時マーラーはきわめて精力的に活動していた。

そういう背景を知って「告別」を聴くとことさらに深刻ぶって演奏することが、

果たしてマーラーの意図したものだったかどうか疑わしくなる。

 

そして、このことを意識したかどうか、マリア・フォシュトロームの歌唱は、暗くはなく、どこかに希望がある。

声は良く通り明晰。大きなホールでも問題ない声量。

 

長い間奏のあとの友へ別れを告げる部分も声の美しさが前面に出ている。

7回繰り返される、Ewig..., Ewig...(永遠に、永遠に)には希望を信ずる気持が込められていて感動を呼ぶ。

ここまで、すべて暗譜による歌唱。驚くべき練習と集中力。

 

アンコールは、「小山羊のダンス」、

そして東日本大震災への追悼の気持ちから作曲された「貝殻の歌」の日本語歌唱(さすがに譜面を見ながら歌う)が胸を打った。

作曲者の先生が会場に見えていた。マリアが名前を言ったが聞き取れなかった(作曲者は「ぐるりよざ」でも有名な伊藤康英先生ですー里の猫注)。