1947年の電気自動車

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ネットで1947年に作られた電気自動車というのを読みました。
記事は→こちら

どんなものかというと・・・
$北欧からコンニチワ-電気自動車
うわっ、ごつい!

終戦を迎えて2年。ガソリンが手に入らなかったところから、製造されたのだそうです。
開発は立川飛行機のエンジニアたち。
GHQに接収されて、創造力をそそる仕事から締め出された10人だそうです。
いろいろと改良して1回の充電で200キロ走るまでいったそうですが、3年後に勃発した挑戦事変で、バッテリーを作る原料値段が高佛し、それに、ガソリンも手に入るようになったので、製作を中止したのだそうです。
もう少し研究が続けられたら、どんな進歩があったでしょう。

多摩に工場を作ったところから、たま自動車。
その後日産に合併して、プリンスを作ったそうです。

私の父は終戦まで立川飛行機のエンジニアでした。
中島飛行機がエンジンを作って、立川飛行機が機体を作っていたのだそうです。
それで、家には戦後も空気の流れを写した16ミリ(?)のフイルムがごろごろしていました。
アメリカ軍が来ると、彼は一番若い重役だったので首になり、やがて高血圧で亡くなるまで仕事がありませんでした。
今考えると、4人の子どもをあの時代によく育てたものだと思います。
ほとんどが母の内職。部屋を学生に貸したりして。
実に貧乏でしたね。

いまはもう両親とも亡くなってしまいましたが、この記事を読むと、立川飛行機、たま自動車、プリンス、ニッサンなど、子どもながら、親の話に出てきたことを思い出し、とても懐かしく思いました。




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猫姫様と砂利之助

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今飼っている・昔飼っていたペットの名前 ブログネタ:今飼っている・昔飼っていたペットの名前 参加中

$北欧からコンニチワ-グルッセ

うちの猫の名はグルッセ。黒猫です。
昔の家の近くに住んでいた猫おばさんから15年前に1クローナ(15円ぐらい)で譲ってもらいました。
これはスウェーデンの風習で、お金を払うことによって、責任のありかをはっきりさせるためらしいです。
この猫おばさんは捨て猫その他を120匹以上飼っていました。
うちには既にお嬢さん猫、カッチンゲンがいたのですが、夫婦二人で仕事に出てしまうと1日中ひとりぽっち。
寂しいだろうという訳で、もう一匹飼う事にしました。

さて、グルッセというスウェーデン語はありません。
この子猫、砂や石を売買するところの大きな砂利の山の上で鳴いていたのを、見つけた人が、猫おばさんの所に連れてきたのだそうです。
砂利はスウェーデン語でグリュース。それで付けられた名前がグリューシス。
もうちょっと軽い響きがいいなあ、ということで、グルッセになりました。

カッチンゲンもスウェーデン語ではあまり普通の単語とは言えません。
でもお嬢さん猫なので、日本名は猫姫様。グルッセは砂利之助です。

うちに連れて帰ったところ、お嬢さん猫は大変なお冠。以後、絶対に許さなかったです。
気のいいグルッセは小さくなって育ちました。
お姉さんはその後3年ほどでガンになり、死にました。
お庭に穴を掘って、主人がフルートを吹いて、お葬式をしました。

グルッセはその後もいつまでたっても臆病のままです。
友だちが遊びに来ると、あっという間に隠れてしまいます。
「お宅、本当に猫いるの?」と聞かれるぐらい。
時々、黒い線がさっと走っていく。それがグルッセがいる証拠です。
でも、私達だけの時はいたって元気。近くの森でネズミを取って帰ってくる毎日でした。

ところが1年前に糖尿病だということが分かりました。
それで厳格なるダイエット。猫の糖尿病用の餌を食べさせられることになりました。
でも、この餌が大嫌い。お腹がすくから、渋々食べていました。
すっかり元気をなくして、1ヶ月ほど前に検診に連れて行ったら、「猫は猫らしく生きた方がいいから、もう何でも好きなものを食べさせてあげなさい」と言われて・・・・
おいしいもの(イワシ、レバー、牛のひき肉など)あげたら、目の輝きがすっかり変わりました。
ああ、お前は嫌いなものばかり食べさせられて、鬱だったんだね、かわいそうに。

もうどの位もつか分からない命。
これからは楽しく暮らそうね。








 
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本の見本市(2)

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日曜日はまた、本の見本市の朝番でした。
8時半から2時まで。
最終日です。それで、当番が終わってから少し見て歩きました。
北欧からコンニチワ-本の見本市・6
イェーテボリの見本市は多分北欧で一番大きいと思います。
4日間で10万人の客が集まるそうです。
人口は日本の十五分の一ですから、大阪で開いたら150万人集まったということでしょうか。
上の写真は2階から会場を見たところです。

北欧からコンニチワ-本の見本市・4
いろんなところで20人ぐらいの聴衆を集めて座談会のようなものをやっています。
有名な作家が現れたりします。

北欧からコンニチワ-本の見本市・5
一般人にも公開なので、思いもかけない団体がブースをもっています。
これは国会。一体何を展示してるんでしょう。

北欧からコンニチワ-本の見本市・7
今日買った随一のもの。
本は買いませんでした。
このTシャツです。
スウェーデンに帰化したエリトリア人のジャーナリストで、7年前故郷に帰ったときに捕まり、以来裁判もしないで、捕らわれています。
私に出来ることはTシャツ買って、着て歩くことと、プロテスト・リストに署名することぐらいです。
まだ生きているのかどうかも分からないでいます。
こちらに住んでいる家族がかわいそう。




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サヨナラ・パーティー

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友だちご夫婦のサヨナラ・パーティがありました。
ご主人はこちらの工科大学で博士号をとり、1年半まえに日本の大学に就職が決まって日本に行っていました。
奥様は歯科衛生士。こちらの大病院で仕事をしているので、一緒に日本に行けなかったのですが、今回、1年の休暇を取り、ご主人と引越しです。
アパートは仕事の同僚のお子さんに貸していくのだそうです。

北欧からコンニチワ-さよなら・1
<持ち寄りパーティで、お寿司、豚肉と大根の煮付け、白菜とベーコンの蒸し煮などが集まりました>

こちらのシステムで、1年間は休暇を取って、仕事が離れられます。勿論無給。
色々な事情があって、長期間仕事を離れたい人のためです。
将来、転職したい人などが、他の仕事が試せるようになっています。
この奥さんも日本での可能性を探りにいくのでしょうね。
ちょっと日本では考えられないシステムでしょうか。

北欧からコンニチワ-さよなら・3
<サラダの後ろにあるのが、私の作った豚肉とリンゴと干し葡萄の焼いたの。その横がカリフラワーを生クリームで煮て、マッシュポテト風>

集まったのは近しい友だち。
考えてみたら、結婚していても、いなくても、バッチリ仕事を持っている女性たちが大部分でした。
みんな仕事が終わってから、何か簡単なものを作って駆けつけています。
のんびりしてるのは年金生活者の私ぐらい。
みんな元気に頑張っています。

北欧からコンニチワ-さよなら・2
<ワカメとコテッジチーズとピーマンのサラダ。上に載っているのは削り節>
ホストのご夫婦はカレーでした。写真、取り忘れ。

1年先に何が待っているか。
どうぞお元気で、日本の生活を楽しんできてください。





 

スティーブ・ジョブズ

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スティーブ・ジョブス・驚異のプレゼン
$北欧からコンニチワ-スティーブ・ジョブス
こういう本を読みました。

スチーブ・ジョブズは2005年にスタンフォード大学卒業式で語った祝辞が素晴らしくて、心に残っていました。
画像はこちら

教師として、授業のしかたに興味を持っていたので、プレゼンにはどんなことが大切なのか、と思って読んでみました。

話したいことを3項目にしぼれ。
最初の段階は紙と鉛筆で。パワーポイントで安易にスライドを作るな。
箇条書きにして、それを読むようなプレゼンはだめ。
キャッチフレーズを作れ。
言葉は短く。
オープンな姿勢で。

など、具体的に書いてあります。
でも、一番大事なことは、話す題目に情熱を持つこと。
アイコンタクトをもって、体全体で話したいことを表現する。
プレゼンを楽しむ。

情熱を持って語る、につきるかも。
私達の交際範囲には、教授もいれば、研究者もいる。楽器作りもいるし、演奏家もいる。科学者もいます。
久しぶりに会って話を聞くと、今、どんなことをやっているか、情熱的に話してくれる人がいます。
話す内容は非常にまちまち。
私なんかとても分からないような高度の研究内容でも、思わず引き込まれてしまうことが多いです。
演奏家の中にも大人しい人、情熱的な人といろいろいますが、その人の個性に合わせて、体から音楽が漂ってくる人がいますね。そういう人はどんな分野でも魅力的です。

日本に演奏家を連れて行くと、私もプログラムの解説などさせられるのですが、今後はもっとフリーに、アイコンタクトを持って語りたいと思いました。
また、話す内容も、まとめ方など参考になったと思います。