日本へ

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10月28日から12月8日まで日本です。
11月3日までコンサート。
それから約1ヶ月間、尾道に滞在します。

いつコンピュータに触れるか分からないので、ブログの更新、遅れます。
コメント、ペタも多分出来ないと思います。

よろしく。
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グルッセ、お薬

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グルッセのお薬が入ったえさ袋です。
それと小さな缶詰め。156グラム入りです。
今までの餌は両方とも倍ぐらい量があって、値段は半分。
今までだってそんなに安いのは買ってなかったのに。
つまり、同じ量にすると4倍のお値段です。

北欧からコンニチワ-グルッセ薬1
缶のほう、薬入ってるけど食べるかなあ、と思ってやったら、「うん、うまい!」って感じでペロッと食べた。
高いものはちゃんと分かるみたいです。

北欧からコンニチワ-グルッセ薬2
ちなみにこれはスヴェンのお昼。
冷凍のハンバーグです。
この値段がグルッセのお昼と同じ。
私 「あ、スヴェンがもう一人増えたわけか」
スヴェン(苦し紛れに) 「里の猫が日本に行っている間は、家計、十分やってけるね」

いつもどっちかがやり込めようと思って、うまくいく時といかない時と・・・




☆ ☆ ☆

ヘレナ・エークと藤本里子
日本公演
尾道、三次(広島県)、総社(岡山県)、仁摩(島根県)
詳細は銀の道のコンサートをどうぞ。 
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民族衣装(おまけ)

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昨日の続き。おまけです。

スウェーデンに着たばかりの夏、夏至際の時ウッシャに行きました。
村の人がみんな着飾って公園に集まってきます。
民族衣装を着た人は入場無料。

その時、村で一番権威のある、酋長みたいなおじさんに会いました。
「貴女はどうしてここの民族衣装を着ないんですか」と聞かれました。
「えっ、私?」
「そうです。貴女は着る権利がある。貴女のご主人は正真正銘のウッシャ人だからね」
$北欧からコンニチワ-民族衣装5
というわけで、それ以来少しずつ集め始めました。

ところで、この話をウッシャで一番仲良くしている友人に話したところ、彼女は笑いながらこんな話を聞かせてくれました。

民謡の盛んなこの土地には、有名なスペールマンがたくさんいます。
その中の一人、ヨニー・ソールマンはウッシャの衣装を着る権利がないのだそうです。
同じ酋長が決めたらしいです。
なぜか。

ヨニーの両親はヨニーがお腹にいた時、近くの村からウッシャに移ってきました。
だから彼はよそ者。ウッシャ人ではないのだそうです。

酋長ももう大分前に亡くなって、いまではそんなことに拘泥する人はいないと思います。
でも、少し前にヨニーにあったら、かれ、未だにウッシャの衣装、着てませんでした。





☆ ☆ ☆

ヘレナ・エークと藤本里子
日本公演
尾道、三次(広島県)、総社(岡山県)、仁摩(島根県)
詳細は銀の道のコンサートをどうぞ。 

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民族衣装

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いきなり大きな地図でごめんなさい。
適当な大きさ(字が読めるぐらいの)にする方法が分かりません。

$北欧からコンニチワ-民族衣装1

地図を出したのは、これからスヴェンの故郷の民族衣装について書こうと思ったからです。
真ん中にORSA(ウッシャ)とあるのが、スヴェンが生まれて育ったところです。
森がいっぱい。ちょっと昔には熊なんかもうじゃうじゃしていたらしいです。
すぐ左にスキーのヴァーサロッペットで有名なMORA(ムーラ)があります。
この辺はダーラナ地方と呼ばれています。
マルメやキルナの人が聞くと怒るかもしれませんが、ダーラナはスウェーデンのハートといわれ、民謡の宝庫です。
(なんか、私も「おらがダーラナ」になってる!)

熊や民謡については他の機会に譲って、今日は民族衣装について書きます。

$北欧からコンニチワ-民族衣装2
これがウッシャの衣装です。
これは古着です。
3世代ぐらい前の物だと思います。

面白いのはミシンを使っていることです。
ダーラナ地方は伝統性が強く、発展が遅れていました。
それで、民族衣装が生活の中で使われていた期間が長く、他ではとっくに廃れてしまった近代(ミシンの普及があった)まで残っていたのです。
他の地方では、全て手縫いが正当です。

$北欧からコンニチワ-民族衣装3
ウッシャの衣装でもう一つ面白いのは、中世を髣髴させるようなものが残っていることです。
例えばこの被り物。こんな形のは他では見たことがありません。

$北欧からコンニチワ-民族衣装4
そしてこのブラウス。頭からかぶるようになっているのですが、これも他ではほとんど見たことがありません。
写真ではよく見えませんが、これは全部刺繍です。ボーダーを縫い付けてあるのではありません。
気の遠くなるような手仕事。200時間はゆうに懸かるんだそうです。

$北欧からコンニチワ-民族衣装6
私が気に入っているもう一つの詳細。
エプロンの紐に付いている房。
なんとも田舎っぽい生地を裂いたものです。
おとうさんのシャツ、お兄ちゃんのずぼん、おかあさんの前掛け、お姉ちゃんのブラウスなんてのが使われているのでしょう。
子どもの頃母が編んでくれたセーターみたい。
末っ子の私のセーターはお姉ちゃんやお兄ちゃんが着ていたセーターを編みなおしたもので、母が苦労して色合わせして、楽しい模様編みにしてくれて、私はお得意でした。
(何にも知らないで、お薬飲む時、何時も騙されているグルッセみたいだったな)

ウッシャの衣装でもう一つ面白い話があるんですが、長くなるので、明日にします。


 

☆ ☆ ☆

ヘレナ・エークと藤本里子
日本公演
尾道、三次(広島県)、総社(岡山県)、仁摩(島根県)
詳細は銀の道のコンサートをどうぞ。 

パバーヌ

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パバーヌは四拍子のゆっくりとしたペア・ダンスで、良家の娘さんが結婚する時や、高貴なセレモニーで行列を作って行進する時等に使われました(MSE 57)。
今でも結婚式で花嫁がお父さんに連れられて教会に入るとき、曲にあわせて優雅に入ってきますね。
あれに似たダンスです。

$北欧からコンニチワ-パバーヌ1パバーヌを踊る男女。1580年頃

ステップそのものは非常に簡単です。サンプルとドゥーベルだけ。でも、こういったゆっくりした曲をを優雅に踊るのはなかなか大変です。
アルボーはステップに関しては、かなり詳しく書いているのですが、上半身、手、腕などはどうするかについては、全く無関心です。そこで、私たちは、当時の服装、社会の風習、道徳意識などを研究する必要があります。いつもTシャツとパンツで歩き回っている現代人にとっては、かなりの変身となります。私はイェテボリ大学の俳優/オペラ歌手養成部門で教えていた事がありますが、彼らでさえも雰囲気を出すのに苦労していました。

それではこのステップを利用して、パバーヌを踊ってみましょう。音楽はCD、Monsieur Arbeau’s School of Dancing Vol. I / Vol.II (Musica Rediviva, MRCD-oo1/-002) にあるパバーヌならどれでも踊れます。

先ず、踊り始める前に、出だしの挨拶をします。
お辞儀の仕方はこちら

上の絵の様に、男性は女性の右側に立ち、パートナーに手を差し伸べ、挨拶をします。その後、音楽が始まったら、左サンプルを最初のステップとして始めます。
次に右サンプル。続いて左ドゥーベルです。
これを続けていくだけです。

オケソグラフィーに載っているパバーヌの楽譜、Belle qui tiens ma vi をご紹介します。
16世紀後半のスペイン、イギリス、フランスなどで流行っていた曲なので、ご存知の方もいらっしゃると思います。
アルボーはカプリオールの要請にしたがって、珍しくもここで4声のマドリガルを出しています。
ダンスを踊らなくても歌ったり、楽器で演奏したりできるようにと言いながら(MSE 59)。
$北欧からコンニチワ-パバーヌ2

上記の様にパバーヌは基本的には男女のペアで行列を作って踊りますが、簡単な振り付けをしたものもあります(Lowlinsons manuscript, Oxford, 1570)。
$北欧からコンニチワ-パバーヌ4
16世紀の誰かが書き付けたメモです。
読みにくいですね。
一番上に"The Pavan"
続いて"ii(=2) simples and double forward // ii simples followed a Reprys... backw. etc-------
そして次のダンスへ。
イギリス人は問題なく読めるんでしょう。
これによると、サンプルやドゥブルのステップで前後、左右に動いていた事がわかります。

このように儀式的なパバーヌのあとには、飛び跳ねるガリアード、バス・ダンスの後はトーディヨンが踊られました。
いくら堅苦しい宮廷人もこんなダンスばかり踊っていたのではありません。

次回はブランルです。


 
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お知らせ
Musica Rediviva はアルボー・ダンスの全てを2枚のCDに入れました。
Vol.1は売り切れで、今、再発行を準備中です。
北欧からコンニチワ-アルボー5
MRCD-005

Vol.1はカセットが残っています。
ご希望の方にはおゆずりします。
詳しくはメッセージを頂ければお教えします。



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ヘレナ・エークと藤本里子
日本公演
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